第十六回 郭璞は乱を避けて江東を過ぎる

 李矩りくの戦勝は祖逖そてき周訪しゅうほうによって朝廷に伝えられ、晋帝の司馬睿しばえいはその勲功をよみして李矩を淮南わいなん都督ととくに任じ、汝陰侯じょいんこうに封じた。

 その詔が下された後、王導おうどう刁協ちょうきょうに言う。

「諸鎮に人を得て漢賊は退けられた。江南もしばらくは落ち着くであろう。しかし、杜曾とそうめは太和山たいわさんに逃げのび、いずれは荊州けいしゅうを乱して建康けんこうに攻め寄せるのではないかと士民は懼れておる。朕もその憂は同じであるが、どうしたものか」

 王導が言う。

「憂慮されるには及びません。臣が一人の術士を存じております。姓名を郭璞かくはくと申し、天文てんもん地理ちりに通じて天象てんしょうえきの占術に通じないものなく、杜曾の先行きさえ占えましょう。召し出してご下問なされれば、憂えも解けましょう」

 晋帝は人を遣って郭璞を召し出すこととした。郭璞は命に応じて入朝し、拝礼を終えると晋帝が言う。

「卿は霊術に優れていると司徒しと(王導)より聞いた。試みに杜曾の先行きを占ってみよ」

 郭璞は宮城の一室を借り、再拝すると机に筮竹ぜいちくを広げて一卦を得た。

「杜曾はいまだ滅びておらず、しかしてこの先は何事をもなし得ません。明年には襄陽の城下にて命を落としましょう。意に介されるには及びません」

 晋帝はさらに朝廷のことを占うよう命じ、ふたたび一卦を得ると地に伏して慶賀した。

「龍が天に上る象を得ました。まさに興隆して子孫に地位を伝えられることとなりましょう。ただ、天下は統一されますまい。朝廷には巨奸が現れて簒奪を図るものの、王気が盛んにして正しければ、みな為すところなく自滅するでしょう」

 王導が問う。

「漢賊の盛衰は如何か」

「漢にかつての勢いはございません。しかし、すぐさま滅びることもありますまい。河北かほく関西かんさいは異民族の拠るところとなります。洛陽らくようはいずれ取り戻されましょうが、永くは保たれません。巴蜀もしばらくは平穏を保つでしょう。ただぼうきんがいぼくを得て、はじめて南北は定まります」

 晋の君臣はその言葉を解し得ず、郭璞を尚書郎しょうしょろうに任じた。

 郭璞は江南の風俗が奢侈に流れているのを見ると、上奏して論じた。


 およそ、何事につけても謹み畏れる者は福を得て、怠り驕る者は禍を招くと申します。

 陛下は萬邦に君臨して人民の主宰となられました以上、しゅんに倣い、心を恭謙にして過失を改め、風俗を正しくして欠を補い、威徳を布かれれば士民の仰ぎ見るところとなりましょう。

 臣の観るところ、江南の風俗は奢侈を尊んで遊楽を好み、臥薪がしん嘗胆しょうたんして北伐を志すものとは申せません。それゆえに、賊徒は跳梁して天下は瓜の如く分かたれ、麻のように乱れて人民は塗炭の苦しみに喘いでおります。

 陛下におかれましては、このへいを改めてその源を防ぎ、宗廟そうびょう社稷しゃしょくを思って天下統一を心とされ、官を正して民を励まし、朝夕に自らを顧みられれば、下々もそれに倣って国威は自ずから振るいましょう。

 臣を罪して天下に謝して頂ければ、これに過ぎる幸甚はございません。


 晋帝はその上奏をもっともであると思ったものの、江南の習俗はすでに奢侈に流れて久しく、改めようがなかった。

 その後も郭璞は治世を論じて裨益ひえきするところが多かったが、性格は軽率で威儀を整えず、酒を嗜んで色を好んだため、朝廷の士大夫で重んじる者がなかった。

 友人の干寶かんぽうが諌めて言った。

「君は晋の弊を正そうと進言しているが、自らは大酒を飲んで女色をほしいままにしている。その性に見合っているとは言えぬのではあるまいか」

「君は酒色の害を憂えているようだが、吾が天から授けられたものには限りがある。それを使い尽くせぬのではないかと常々恐れておるのだよ」

 そう言うと、決して改めようとはしなかったことであった。

▼「干寶」は『捜神記』の著者、郭璞の言葉は『晋書しんじょ郭璞傳かくはくでんの記述に従って改めた。

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