第十五回 李矩は計策して以って劉暢を破る

 杜曾とそうが平定されたとの報に接し、晋帝の司馬睿しばえいは百官を召して中原ちゅうげん恢復かいふくの方策を諮り、詔を下して劉琨りゅうこん太尉たいいに、段匹殫だんひつせん太保たいほに任じた。

 これには、二人に遼西りょうせいにある段部だんぶの軍勢を発して石勒せきろくを討たせる意図がある。二人が応じれば、他の藩鎮にも同様の詔を下す肚積はらづもりであった。

 勅使が幽州ゆうしゅうに到り、段匹殫に詔して言う

周訪しゅうほう荊州けいしゅうの賊徒を平らげて江東は安んじられた。卿らは兵を挙げてまず石勒を討て。朕が北伐の軍勢を起こして洛陽に逼れば、漢賊は両面に敵を受けることとなろう。中原の恢復はこの機にあると心得よ」

 詔を受けた段匹殫は、叔父の段渉復辰だんしょうふくしん、兄の段疾陸眷だんしつりくけん、弟の段末杯だんまつかいに人を遣って伝える。

「晋主は荊州の賊徒を平らげて江南は平定された。漢賊への復仇を図って各地に詔を下し、特に吾ら一族に石勒の討伐を命じられた。劉太尉りゅうたいい(劉琨)を盟主として朝廷に報恩すべきであろう」

 定西公ていせいこうの段疾陸眷は、書状を見ると弟の段末杯と相談した。この時、段末杯は段匹殫と仲違いしており、先には石勒に命を救われて義兄弟の契りを結んでいた。段末杯は段疾陸眷に説いて言う。

「先に石公せきこう(石勒)とは義兄弟の契りを結んでおり、事があれば互いに救い合うと誓っております。すでに先の怨みは雪がれており、吾らと仇を結んではおりません。信に背く行いはすべきではなく、もし顔を合わせれば言い逃れはできません。顔を背けねばならないようでは、大丈夫だいじょうふとは言えますまい。そもそも、晋室と漢賊の争いは吾らには関わりのないこと、兄上は遼西の寡兵でこの地を保ちつつ、さらに石公に勝てるとお思いですか」

「賢弟の言うとおりであろう。しかし、叔父上(段渉復辰)はすでに従われたという。吾らが従わぬことが許されようか」

「吾が叔父上にお会いして本心を伺って参ります。その後に改めてご相談いたしましょう」

 段末杯は段渉復辰に見えて言う。

「今、幽州公ゆうしゅうこう(段疾陸眷)は吾らと兵を合わせ、劉琨を盟主として石勒を討とうとされています。叔父上は石勒と吾らの軍勢の強弱を如何様いかように観て従われるのですか。劉琨は石勒に并州へいしゅうを奪われて吾が部に身を寄せましたが、その際に幽州公は叔父上に相談もされませんでした。これでは、吾らは劉琨の部兵と変わりありません。大丈夫たるものが他人に従うなど、恥ずべきことです。この甥めはまずは叔父上に申し上げた上で、幽州公の招集には応じません。不忠だなどとは思って下さいますな」

「お前が言い出したからには、決して兵を出すまい。段部が兵を合わせねば石勒には勝てず、ただ怨みを結ぶだけに終わろう。それでは何の得もない」

 ついに段渉復辰も兵を動かさないと決め、段疾陸眷もそれに倣った。段匹殫だけでは勝ち目はなく、ついに沙汰止みとなった。


 ※


 段末杯は段匹殫の南下を阻むべく手を尽くし、晋帝の詔が下された旨を石勒に報せていた。石勒はそのことを平陽へいように報せ、劉聰りゅうそうは百官を集めて方策を諮った。

 靳準きんじゅんが進み出て言う。

「晋人は各地に残る藩鎮を頼みとしております。河北に残る藩鎮を尽く平らげれば、司馬睿も河北を恢復しようなどとは思いますまい。中でも汝陰じょいん滎陽けいようは吾らの腹心にあり、いまだ抵抗を続けております。この二郡を平らげれば、山東さんとう山西さんせい河南かなんはすべて大漢の版図となります。そうなれば、司馬睿に打つ手はございません」

 劉聰はその言をれ、劉暢りゅうちょうを主将に任じ、王騰おうとう喬遂きょうついを副将とする三万の軍勢を汝陰に差し向けた。

 汝陰には滎陽太守の李矩りくがあり、漢兵が動き出したと聞くと、麾下の郭黙かくもくを召して事を諮った。

「漢賊の軍勢は強盛、洛陽と長安さえ破られたのです。汝陰の糧秣は限られており、ましてやこの寡兵では防ぎきれません。投降して民に害が及ばぬようにするよりございません」

 麾下の者たちが口を揃えて言うと、李矩は駁する。

「そうではない。吾はこの地にあって三十年、たびたび大軍を退けておる。どうして今日になって降るなどということがあろうか」

 郭黙が言う。

「一計がございます。投降を装って漢賊を打ち破るのです。書状を遣って降ると称し、辞をひくくして劉暢を油断させるのです。さらに、将に財貨を与えて兵に牛酒を食らわせれば、吾らが真に降ったと思い込みます。その上で、郡内に軍勢を駐屯するよう勧めれば、必ずや従いましょう。油断して備えも欠いたところに精兵を遣わし、軍営を破って糧秣を焼き払えば戦うこともできますまい」

 その計略を聞いても、衆人は懼れて応じる者がない。牙将がしょう李賓りひんが独り言った。

「妙計です。決して他言たごんしてはなりません。それがしが書状を漢賊に届けましょう」

 李矩は郭誦かくしょうに書状をしたためめさせると、李賓に与えて漢の軍営に向かわせた。


 ※


 李賓は漢の軍営に到ると、匍匐ほふくして劉暢に見えて言う。

「吾が主の言うところ、汝陰の城は小さく、寡兵の上に糧秣を欠きます。大漢の大軍が遣わされた以上、謹んで投降いたします。ただ、民には罪なく、掠奪から守ってやりたく存じます。将軍におかれましては、仁義を心として民の生業を損なわれぬよう、ご高配頂きたく存じます」

李滎陽りえいよう(李矩、滎陽は官名)が民を思う心は承知した。吾が従わぬわけにはいかぬ」

 そう言うと、軍営を五里崗ごりこうに移して李賓を歓待し、自ら軍営から送り出した。李賓は李矩に見えると、劉暢の様子を申し述べる。李矩は郭黙の計略に従い、翌日には軍馬に酒肴を積んで遣わし、漢の将兵を労った。

 劉暢は李矩の投降を本心であると思い込み、酒肴を将兵に与えて宴会を許す。李賓が李矩に言う。

「劉暢は将兵に酒肴を与えて宴会させ、備えはございません。今夜にも兵を遣わして漢賊を破るのが上策です。躊躇ちゅうちょしては計略が洩れましょう」

 李矩はその言に従って郭黙に将兵を招集させたものの、みな怯えて応じない。

「お前たちは勝てぬと思って怯えているのであろう。それならば、霊験あらたかな子産しさんの廟に問うてみよ。郭参謀かくさんぼう(郭誦)が祭を執り行い、神が出兵を禁じられるならば別の方策を考える。出兵を許されるなら必勝は疑いない。心を安んじて出兵できよう」

▼「子産」は春秋時代のていの人で穆公ぼくこうの孫にあたる。鼎に法律を鋳たことから中国における成文法の祖と目される。『史記しき鄭世家ていせいかによると孔子は子産と面会したことがあるとされるが、やや年長にあたる。

 将兵はその言葉をうべない、李矩は郭誦に廟を祭って籤を引いてくるよう命じた。郭誦は廟の巫人ふじんに厚くまいないすると、必勝の旨が記された籤を抜き取って将兵に示した。

 将兵たちが争ってそれを読む間に黄色い服を着た男が表れた。酒に酔ったような足取りで堂に上り、引きずり下ろそうとしても応じない。突然に大喝して言う。

「衆人はみな離れよ、静かにせよ」

 そう言うと、堂上の座に就いて机を叩いた。

「将官の郭黙は堂に上がって吾が令を受けよ。郭誦らは堂に上がるに及ばぬ」

 それよりしばらく目を瞑っていたが、起ち上がって言う。

「吾は鄭大夫の部下、大夫の令を伝えに参った。今や漢賊は汝南を侵してみなは投降せんとしていると聞く。投降は不可である。必ずや李太府りたいふ(李矩、太府は官人への尊称)は平陽に連れ去り、晋人はみな殺されて漢人がこの地を占めるであろう。さすれば、先賢せんけんは夷狄に侮られよう。吾が主は陰兵いんへいを遣わして漢賊を破り、士民の命を救うよう神将に命じられた。早急に軍勢を整えて漢賊の軍営に向かえ。今夜、賊どもは酒に酔って警戒しておらぬ。密かに五里崗に行って賊の様子を窺ってみよ。陰風が起これば、吾が大夫が到来された証である。その機に一斉に斬り込めば、賊は自ら乱れて鎧の欠片も残さず討ち果たせよう。将兵は疑うことなく軍功を求めよ。さすれば、漢賊は二度とこの汝陰に手を出そうとは思わぬ」

 叫ぶように言い終わると、男は昏倒して倒れ込んだ。


 ※


 李矩は男の体に布を被せると、郭黙に出陣を命じた。将兵は男の言が神託と信じ、勇躍して出兵にかかる。暗夜に同士討ちを避けるため、将兵は兜に一條の白帯を結んで目印にさせた。

 食事を摂ると、兵は口にばいを噛んで馬は嘶かぬよう口を覆われ、二更(午後十時)の頃に城を発する。道に就くと顔に風が吹き、これが陰風と思った兵たちは飛ぶように漢の軍営に向かった。

 漢の軍営の四方より一斉に斬り込めば、漢兵たちは宴会の果てに眠り込んでいる。鬨の声を聞いて跳ね起きたものの、身に鎧を着けず馬に鞍を置いていない。さらに闇夜の中で彼我も分かたぬ有様、自ら乱れて逃げ出す者も現れた。

 汝陰の兵たちは兜に結んだ白帯を目印に彼我を見分け、次々に漢兵を討ち取っていく。四更(午前二時)の頃には漢兵の屍が山と積まれていた。

 漢兵を率いる劉暢、王騰、喬遂も傷を負って戦えず、軍営を捨てて逃げ奔る。李矩は追い討ちに討ち、七千の汝陰兵によって三万の漢兵が一万にまで打ち減らされる。

 ようよう夜が明ける頃にはすでに追撃は五十里(約28km)を超え、さすがの李矩も疲弊していた。漢の救援を懸念してついに軍勢を返す。

 劉暢たちは平陽に逃げ戻って罪を謝し、李矩が汝陰に帰れば近隣の郡縣より慶賀の使者が引きも切らない。李矩は滎陽に戻って周辺の郡縣とともに漢の侵攻を拒む。

 淮水わいすいの南に漢の侵攻を受けなかったのは、李矩の功績であると人々は語ったことであった。

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