第十四回 周訪は楊口に杜曾を破る

 晋帝の司馬睿しばえいの即位より三年、荀崧じゅんすう陶侃とうかんの戦功を上奏すると、朝廷の百官は陶侃を荊州けいしゅう刺史に用いるべきと論じていた。しかし、王敦おうとんが密かにまいないして弟の王廙おういを用いるよう運動した。

▼『通俗』では冒頭を「晋の元亮三年」とするが、「元亮」という年号はない。『後傳』の「元帝三年」に従う。

 その狙い通り、陶侃は現任の廣州こうしゅう刺史のまま据え置かれ、荊州には王廙が赴任することとされた。

 荊州にある陶侃の麾下にある鄭攀ていはんは、もともと叛乱した杜弢ととうの部下であったが、改心して陶侃に降った人であった。その鄭攀は王敦の遣りようを怒り、密かに人を遣って杜曾とそうに伝え、王廙を防がせる。

 王廙は荊州に向かう道を杜曾に塞がれ、軍勢を出して攻めかかったものの、敗れて数百の兵を喪った。楊口に逃れて王敦に急を報せる。王敦は軍勢とともに急行し、事情を知ると心中に考えた。

「これは、陶侃が荊州刺史になれなかったことを怨み、鄭攀を使って杜曾を唆したのであろう」

 戎装じゅうそうして刀を執ると、陶侃を討つべく軍勢に向かうも、まともに戦っては勝ち目がない。逡巡して引き返し、それを幾度か繰り返した。

 そのことを陶侃に報せる者があり、王敦に備えるよう勧めた。

 陶侃は自ら朱伺しゅし高宝こうほうを含む二十人ほどの者を伴って王敦の許に向かい、面会を求めた。王敦はまさに軍勢を発する間際であったため、慌てて陶侃を迎え入れた。

「先に公とともに杜弢を平らげた際、鄭攀は公に降ったものの容れられず、ゆえに野に去りました。この度は、下官げかん(謙遜した自称)が荊州刺史に任じられると聞き、ふたたび官軍に従ったのです。それが、令弟れいてい(王廙)が荊州刺史となると聞くに及び、荊州を離れることを望まず、下官を捨てて杜曾に与したのでしょう。どうして下官がその心を知りましょうか。鄭攀はまた賊徒となりましたが、もともと下官の部下ではありません。このような小人のために官にある者を疑われるのは、賢明ではありますまい。まして、公の雄略は天下の知るところ、無実の罪で同類を損なっては世人はどのように言いましょうか」

 王敦は答えられず、衣服を改めるために座を離れた。参軍さんぐん陶梅とうばいが密かに言う。

豫章よしょう周訪しゅうほうの威名は江東こうとうに知らぬ者がありません。かつ、陶士行とうしこう(陶侃、士行は字)とは姻戚でもあり、左右の手のような間柄です。今、陶侃を殺すことは人の左手を断つようなもの、右手は必ずや報復に参りましょう。吾らの軍勢では二人に敵し得ません。さらに、陶士行の恩恵を得た者は多く、四方の民に慕われております。紛々と議論が起きることを避けられますまい。変事が起こっては悔いても及びません」

 聞いた王敦は事態を覚り、衣冠を整えると陶侃を迎え入れて罪を謝する。

「先ほどまでは小人に誤られておった。熟慮すれば言われるとおり、無用の疑いに過ぎぬ。改めて別に席を設けさせて頂こう」

 そう言うと、陶侃たちを引き取らせた。翌日、王敦は酒肴を盛んに供えて陶侃を招くと、手を執って言う。

「先には愚見のために正人を疑ってしまった。願わくば、水に流して頂きたい。使君は廣州に還って民を治められよ。日ならず朝廷に願い、都近くに呼び戻そう」

 陶侃は王敦に謝すると、廣州に還っていった。


 ※


 この時、王澄おうちょうに仕えていた王機おうきという者があった。統治に宜しきを得ずに捕らえられたものの、逃げて五嶺ごれいの南に潜んでいた。

 陶侃が軍勢を発して荊州に向かったと知ると、廣州の兵が少ない隙に乗じて賊徒を集め、各地で掠奪を働いてその勢いは盛んになりつつあった。

 陶侃は始興郡しこうぐんに到ってそのことを知り、僚属を集めて対策を諮る。

「しばらくこの地に軍勢を留め、賊徒の多寡を測って変事を避けるべきです」

 その意見を聞いて陶侃が言う。

「この賊徒はすでに肇慶ちょうけいに拠って諸郡を侵し、廣州を奪われるおそれがある。そうなっては手の打ちようがあるまい。すみやかに進んで郡縣の兵を募れば、賊徒は必ずや怖れて動きが遅くなる。この機を失ってはならぬ」

▼「肇慶」は廣州の西隣にあたる水運の要衝、賊徒が州治に逼っていると解するのがよい。

 それより、鄭正ていせいが率いる一万の軍勢が肇慶に直行することとし、朱伺が率いる五千の軍勢は廣州に向かうこととした。

 王機はそれを知ると、賊徒を集めて進退を諮る。

「陶公は他の官将とは比べ物になりません。杜弢、杜曾、張彦ちょうげん王貢おうこうはいずれもその鋭鋒を支えられず、戦っても到底勝ち目はありません。交州こうしゅうに逃れて再起を期すのが上策です。遅れては進退に窮し、後悔しても及びません」

▼「交州」は廣州よりさらに南、現在のベトナム北部にあたる。

 王機もその言に同じて海路より交州に逃れたため、廣州は安寧を取り戻した。


 ※


 陶侃が廣州に去った後、杜曾の賊徒は勢力を盛り返して荊州の各郡縣を脅かした。民は苦しんで鄭攀を罵った。

「吾は邪を捨てて正道に帰し、陶公のような優れた刺史に仕えていたにも関わらず、一時の怒りで過ちを犯してしまった。杜曾は不仁をほしいままにして世人に憎まれ、陶公の勲功を汚している。今や陶公は廣州に去られ、吾はどうしたものか」

 夜を徹して懊悩し、ついに杜曾を捨てて王廙に帰するべく楊口ようこうに向かった。

「一時の気の迷いのために杜曾に欺かれて大罪を犯しました。改心して戦功により先の罪をあがないたく存じます」

 荊州に入りたい一心の王廙はその投降を許し、鄭攀は杜曾の根拠地である竟陵きょうりょうを突くよう進言した。

「鄭攀は降ったものの、杜曾は狡猾でにわかに図れません。鄭攀を先鋒として吾らは兵を分けて不測に備え、大将軍(王敦)と軍勢を合わせて賊徒を平らげるのが上策です。軍勢の進路を転じることには賛成いたしかねます」

 麾下の朱彤しゅとうがそう言うと、王廙は哂って言う。

「賊の根本を覆す策が誤った例はない。朱彤も年老いて進軍を懼れるようになったか」

 丘随きゅうずいという者を留めて楊口の留守を委ね、自らは竟陵に軍勢を進めた。

 杜曾はそれを知ると、すぐさま楊口に夜襲を仕掛け、丘随を含む五百人ばかりの兵を喪った。賊徒は勝勢を駆って荀崧を攻め、荀崧は賊徒の強盛を怖れて城に籠もる。賊徒は近隣の郷村を掠奪し、辺り一帯は廃墟と化した。

 王廙は竟陵で第伍錡だいごきと戦って度々利を失い、王敦に援軍を求めた。王敦の軍勢が加勢に到ると、第伍錡は竟陵から沔口べんこうに退き、王廙は竟陵の城に入る。

 竟陵を奪われたと知ると杜曾は怒って軍勢を転じ、第伍錡と兵を合わせて漢陽かんようの郡縣で掠奪を繰り返した。


 ※


 荊州の争乱は噂となって建康けんこうに届き、晋帝の耳にも入った。

「杜曾の賊徒は勢力を盛り返し、荊州、楊口、沔口、漢口のいずれも破られたという。流れに乗ってこの建康に攻め寄せてくる虞もある。どうしたものか」

 晋帝が言うと、王導おうどうが応じる。

「憂慮されるには及びません。豫章には周訪があって長江を睨んでおります。詔を下し、漢陽の許朝きょちょう樊口はんこう李桓りかんと軍勢を合わせて賊徒を平定するよう命じるのみです。賊徒が建康に攻め寄せるなど、あり得ません」

 晋帝はその言葉に従い、詔を発して豫章に人を遣わした。

 周訪は詔を拝すると、夏文華かぶんか夏文盛かぶんせいに一万の軍勢を与えて許朝、李桓の軍勢と合流するよう命じ、自らは子の周撫しゅうぶとともに後詰ごづめの軍勢を率いる。

 杜曾はそれを知ると、軍勢を返して楊口に軍営を置き、厳重な警戒を布く。豫章、漢楊、樊口の軍勢は一同して楊口に向かった。周訪は形勢を知ると、諸将に伝えて言う。

「賊徒は久しく戦陣に身を置き、百戦練磨である。また、杜曾の武勇は及ぶ者が少ない。軽率に戦って蹉跌を踏まぬようにせよ。心を一にして力を合わせ、戦功を挙げよ。軍勢を三つに分かち、李将軍は右軍、許将軍は左軍、吾が中軍を率いる。賊徒が攻め寄せても妄りに動くな。この一戦に敗れれば、江東は震撼しんかんしよう。各々は吾が号令にのみ従い、軽挙を慎め」

 三軍がそれぞれの位置に就くと、中軍にある夏文華と夏文盛が軍令を発する。

「将台から聞こえる鼓声こせいを合図とせよ。急であれば力を奮って前に進み、緩く三回打てば退いて陣に返せ。右軍は賊徒に近く、最初に襲われるであろう。それでも、左軍と中軍は動いてはならぬ。右軍は鼓声を待って左軍に合流せよ。賊徒は勝勢に乗じて左軍に攻めかかろう。左右の軍は一所にあって賊徒を阻め。ただし、鼓が三回打たれれば、軍勢を返して中軍に合流せよ。賊徒が勢いに乗じて攻めかかれば、将台に紅旗を掲げて砲声を挙げる。その時は一斉に打って出て賊徒を蹴散らせ」

 諸将が応諾したところに、杜曾が賊徒の先頭に立って攻め寄せてきた。大刀を手に駿馬に打ち跨り、果たして右軍に攻めかかる。右軍を率いる李桓が馬を出して叫ぶ。

「賊徒ども、無礼である」

 杜曾は哂って言う。

「お前は何様のつもりで大言を叩くのか。廣州の朱伺や童奇でさえ吾には及ばず、お前のような名もない下将など問題にもならぬ。命が惜しければさっさと逃げるがよい」

「賊徒の妄言など聞くに及ばぬ。樊口の李将軍の名を知らぬのか」

「そういう者があると聞いたことはある。それならば、少しばかり逃げるのを止めて戦ってみせよ」

 李桓は鎗を捻って突きかかり、杜曾は大刀を振るって迎え撃つ。刃を交わして戦うこと三十合を過ぎても勝敗を見ない。賊徒も攻め寄せて李桓の鎗法は乱れ、周訪は鼓を乱れ打って右軍を進ませる。

 李桓も勢いを盛り返してさらに戦うこと三十合を超えた。

 杜曾の勢いは止められず、李桓は百歩ほども押しこめられる。周訪は万一を懼れて鼓を緩く三回打ち、軍勢を退ける。李桓は馬頭を返して左軍に逃げ込んだ。

 杜曾が後を追って左軍に向かえば、許朝がげきを手に打って出る。二人は右に左に転じて戦うこと三十合、許朝は前を阻んで進むを許さず、周訪は鼓を乱打して軍勢を進めるよう命じる。

 許朝はやや劣勢となり、李桓が加勢に飛び出した。杜曾は李桓と戦うこと二十合、李桓までも劣勢となる。許朝は敗れたままでは周訪に罪されるかと懼れ、ふたたび馬を駆って杜曾に向かう。

 十合を過ぎず許朝は劣勢に陥り、鼓が鳴り響く中、李桓もふたたび杜曾に攻めかかる。杜曾は怯む色も見せず戦うにつれて力を益す。李桓と許朝は戦い、かつ、退き、賊徒は勢いに乗じて突き進む。

 ついに中軍より鼓が三度打たれ、左右の軍はともに中軍に合流した。


 ※


 杜曾は勢いに乗じて中軍に攻め込んだ。

 将台にある周訪は、杜曾が伏所に踏み込んだと見ると紅旗を掲げて砲声を挙げる。中軍の左右より夏文華と夏文盛が攻めかかり、中軍を率いる周撫も軍勢を進める。

 三面を囲まれた杜曾が退こうとするところ、許朝と李桓が左右より攻めかかる。ついに兵を捨てて一條の血路を拓き、命からがら逃げ出した。周撫が追いすがるも及ばず、ともに逃れた者は二、三百人ほどであった。

 将台より下りた周訪が叫ぶ。

「杜曾は驍勇、そう易々と勝てる賊ではない。計略に陥った今、戦に疲れて兵を喪った。追撃して逃げるを許すな。沔口に逃れて賊徒を糾合されれば、ふたたび荊州を乱すであろう。この機会を失わず、禍根を断て」

 その命を受けて夏文華と夏文盛が馬を飛ばして後を追い、それに続いて中軍が進む。許朝と李桓は軍勢をまとめていたが、周訪が言う。

「左右の軍が賊徒の鋭鋒を支え、力を尽くしたことは承知している。賊徒はすでに戦意を失った。最後の力を振り絞って後を追い、戦功を余人に奪われるな」

 左右の軍も雄を奮って追撃に加わり、残る数千の賊徒も奔走して四散する。

 杜曾が沔口まで逃れたものの城に入れずにいると、周撫が追いついてきた。馬を返して戦うところ、夏文華と夏文盛も到着する。そこに、第伍錡が三千の賊徒を率いて加勢に現れた。

 李桓と許朝が率いる左右の軍も攻めかかり、さすがの賊徒も支えきれずに潰走し、杜曾は千人ほどの敗卒を率いて逃げ奔る。

 周訪が到着すると、すでに賊徒は逃げ去っていた。

「食事を摂った後、鎧を軽くして夜を徹して賊徒を追い、杜曾を滅ぼすぞ」

 諸将はその命に従い、賊徒を追って漢口に向かう。

 杜曾と第伍錡は馬を止めて食事を摂ろうとしていたが、そこに夏文盛が攻め寄せる。迎え撃とうとするところに夏文華も到り、杜曾は真っ先に逃げ出した。逃げ遅れた第伍錡は、官兵に捕らえられた。

 杜曾は太和山たいわさんに隠れて見つからず、周訪は近隣の郡縣に拠る賊徒を投降させて荊州を鎮め、李桓と許朝は軍を鎮所に返した。

 鄭攀は王廙を奉じて荊州に入り、周訪も賊徒を解散させると人を建康に遣わして復命し、豫章に軍勢を返した。

 上奏を受けた晋帝は周訪を襄陽の太守として杜曾に備えさせたことであった。

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