第三十五回 遊光遠は乱を劉曜に告ぐ

 漢の太保たいほ呼延寔こえんしょく遊光遠ゆうこうえんは家眷を連れて平陽へいようを抜け出していた。靳準きんじゅんの追手を警戒して昼は休んで夜のみ道を進んだ。このために道ははかどらず、すでに十日が過ぎていた。

 宿に泊まっていると、前を一群の人馬が通りかかった。内より窺い見れば、関河かんかたち関氏の者たちであった。呼延寔が慌てて門前に出て呼びかける。

思遠しえん(関河、思遠は字)よ、どこに行くのか」

 気づいた関河が馬より下りて言う。

「一族ともに蜀に帰ろうとしている。後ろには諸葛武しょかつぶたちもいる」

 呼延寔とともに宿に入ると、関山かんざんの子の関濤かんとうが言う。

「吾が父は命を捨てて平陽に向かわれる際、姜司馬きょうしば姜發きょうはつ)の兄弟とともに謀って仇に報いるよう命じられました。父の仇を討とうにも計略を練って勝敗を決する謀士がおりません。これより、自らその許に赴いて助力を請い、靳準らを滅ぼすつもりです」

「二人がいる上党じょうとうはここから遠い。向かったところで二人に会えるとは限るまい。吾が一族も六、七人が王事に命を落として勲功を建てたものの、一朝に滅ぼされてしまった。靳準たちは吾らに追手もかけておらず、油断しておる。この逆賊を滅ぼさずして大丈夫とは言えぬ。すみやかに大事を挙げ、靳準たちが根本を固める前に滅ぼすのが上策であろう。吾が弟の呼延定こえんてい、諸葛武、関思遠は蜀に帰り、吾らは長安に向かえばよい。趙王ちょうおう劉曜りゅうよう)とともに挙兵して逆賊を滅ぼすのだ」

「吾が父は逆賊の手に殺され、骸の在処も分かりません。この賊とは決して共に天を戴かぬ決意です。一同して長安に向かい、趙王とともに逆賊を滅ぼしてその心臓を亡魂に奉げるのが悲願です」

 関濤の言葉を聞いた関心が言う。

「そうではない。趙王もまた福をともにするには難しい。劉元海りゅうげんかい劉淵りゅうえん、元海は字)とは違うのだ。劉玄明りゅうげんめい劉聰りゅうそう)は帝位にくと諫言を容れず、余の者たちと同じように吾らを扱った。そのために職を辞して難を避けたのだが、そのために劉氏は滅ぼされるに至った。劉曜に度量があれば、先の詔に従って平陽に入り、遺命により奸佞の人を退けて国家を輔け、このような事態は起こらなかった。実際には、詔に違えて長安に留まり、一族の滅亡を座視したのであるから、その心底は見え透いていよう」

 諸葛武も傍らより言う。

「しかし、これは不幸中の幸いとも言えます。劉曜が平陽に入ったところで靳準を侮って備えようとはしますまい。先手を打たれれば、ともに滅ぼされていたところです。上洛じょうらく濟北さいほくの二王が害されたことは、吾が父でさえ知りませんでした。ましてや趙王では知る術もありますまい。吾らは富貴の身となったものの、漢の王気がすでに衰えたか、国家分裂の危機が迫っております。決して執着せず、数名が長安に入って靳準を滅ぼし、一時の怨みを晴らすまででしょう」

 関心が同じて言う。

「その通りであろう。吾と呼延寔が長安に入り、ともに逆賊を滅ぼせば足りよう。余の者たちは蜀に向かえ。道には賊徒も多くある。必ず一同して難を避けよ」

 諸葛武が請合うけあって言う。

「ご心配には及びません。それがしは父の喪に服する身、軍勢に従って逆賊を討てません。蜀までの道は責任を持って一同を守り抜きます」

「蜀までの道を阻むのは陳安ちんあん仇池きゅうちの楊氏くらいのもの、怖れるに足りません。逆賊は平陽に拠って強盛を誇っております。叔父上こそ用心して下さい」

「逆賊どもには必ず報いがある。必ずや打ち滅ぼして戻る」

 甥たちの心配に呼延寔はそう言うと、関心と呼延寔は長安に、その他の者たちは蜀に向かって別れた。

 

 ※

 

 二人は馬を駆って長安を目指し、日ならず劉曜に見えた。

「靳準めが大逆を行い、娘の靳太后を除く劉氏の一族三百人を皆殺しにしました。先帝の陵墓は暴かれて棺は焼き払われ、自らは統漢天王と称して政事を執り、腹心を朝廷に布いております。このため、吾らは平陽より逃れてお報せに参ったのです。兵を発して仇に報いねばなりません」

 それを聞くと、劉曜は昏倒して半時ほども声を出せなかった。その顔色は青ざめて冷や汗が絶えず滴り落ち、体の震えが止まらない。遊子遠ゆうしえんが言う。

「死んだ者は生き返らず、去った者が還ってくることもございません。悼んでも無益なのです。大丈夫たる者はただ恥を雪いで大義を表すのみ、悲しみ悼んだとて体を損なってはなりません」

 しばらくすると劉曜は立ち上がり、西を指差して叫んだ。

「恩義に背く逆賊ども、大漢の厚禄を受けながら吾が宗廟を覆すとは。知恵は犬豚にも及ばず、悪逆は蛇蝎にも過ぎる。吾は必ずやお前たちを踏み殺してやる。平陽で生きながら肉を噛んでこの怨みを晴らしてくれよう」

 そこに遅れていた遊光遠も到着して言う。

「主上は吾が言をれられず、逆賊に唆されて吾を観察都監かんさつとかんに任じて都から出されました。その間に逆謀はなり、都に還って一日を過ぎずして大逆が行われたのです。諸葛丞相に諮って逆賊を滅ぼそうとするも、丞相は衝撃のあまりに世を去られ、臣は呼延太保こえんたいほ(呼延寔)とともに平陽を捨ててここに到ったのです。家眷を故郷に返しておりましたため、到着が遅くなりました。挙兵の暁にはそれに従い、必ずや国の仇に報いたく存じます」

 その言葉を聞くと、劉曜が言う。

「尚書は民を治めるのが職務、吾に代わってこの長安に鎮守せよ。楊継君ようけいくん楊儀ようぎの孫、楊龍ようりゅうの子)と李華春りかしゅん李厳りげんの曾孫、李祐りゆうの子)を留めて輔佐をさせよう。平陽には吾が自ら向かう。逆賊を滅ぼすまで待っているがよい」

 そう言うと、平陽に向かう軍勢の部署が始まる。鄭雄ていゆうが先鋒と定められ、遊子遠が参謀を務めて劉雅りゅうがが監軍と定められ、関心と呼延寔は劉曜の左右にあって軍勢の進退を定める。

「平陽にあった旧将の多くは去り、ただ靳準の腹心の者ばかりとなっております。兵は四十万を下りますまい。中でも喬泰きょうたいは計略を善くし、にわかには降せません。青州せいしゅう襄國じょうこくの軍勢と会して軍勢を進められるのが上策です」

 遊光遠が諌めると、劉曜は言う。

石世龍せきせいりゅう石勒せきろく、世龍は字)の野望は大きい。果たして吾に従うかは分からぬが、能弁の士を遣わせば、軍勢を動かすことはできよう」

 王伏都おうふくとの子の王震おうしんが言う。

「臣の父が襄國におります。臣が赴いて説得いたしましょう。父と張孟孫は呢懇の仲、必ずや逆賊を滅ぼすために兵を挙げましょう」

 劉曜はその言葉を容れ、書状を認めると王震を襄國に向かわせたことであった。

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