第二十八章 晋の再興

第九回 拓跋猗盧と六修は相戦いて死す

 代王だいおう拓跋猗盧たくばついろは次子の北延ほくえん寵愛ちょうあいしていた。長子の六修りくしゅうはその母とともに新平しんぺいに移るよう命じられ、北延に世子せいしの座を奪われた。

 翌年、六修とそれに仕える衛雄えいゆうが新年を慶賀すると、猗盧は臣下と同じく北延に拝礼するよう命じる。

 不満に思う六修は衛雄に言った。

「北延は弟、吾は兄、兄が弟を拝する礼などあろうか。父上は耄碌もうろくして道を誤っておられる。どのように処するべきか」

「拝礼されなければ大王は必ずや怒って罪されましょう。殿下は命に従われますか」

「そのような命に従えるものか」

「それならば、すみやかにこの場を去って大王の怒りを避けねばなりません」

 六修は衛雄の言葉に従い、夜陰に乗じて新平に逃げ帰る。

 護衛を務める烏桓金うかんきんが問うた。

「殿下がにわかに還られるとは、何ゆえでしょうか」

 六修が事情を告げると勧めて言う。

「それならば、必ずや追手を繰り出しましょう。予め迎え撃つ策を定めておかねば、刀剣のさびにされますぞ」

 すぐさま衛雄とともに険隘けんあいの地に一軍を伏せた。


 ※


 六修が命を違えて逃げ帰ったと聞き、猗盧は諸将に命じる。

「代国は吾の国であり、たとえ子であろうと吾が命に従わぬことは許されぬ。北延が世子であるからには、六修は臣に過ぎぬ。臣として君の命を拒み、子として父の命を違えては、何をもって国を治めるのか。律法により衆人を治めているにも関わらず、子がこのような振舞いに及んでは、余人に倣う者が出ぬとも限らぬ。不問に付して捨て置けば、いずれ北延は六修に害されよう。六修の行いは仕える者たちに惑わされたに過ぎまい。これより新平に赴き、側にある奸人を斬る」

 将軍の西渠せいきょゆう将軍の趙延ちょうえんに先鋒を命じ、自ら軍勢を率いて新平に向かうこととした。

 この時、ちゅう将軍の姫法きほうの兄の姫澹きたんが衛雄の許に投じていた。この戦に巻き込まれるかと懼れ、姫法は猗盧を諌めて言う。

「父子が相戦っては人倫にもとりましょう」

 猗盧はその言葉をれず、軍勢を発する。姫法は書状をしたためて新平の姫澹に人を遣わした。

「天に逆らって父に抗わぬよう、殿下に勧められよ。ただ赦免しゃめんを求めるのが子の道というものです」

 姫澹がそう諌めると、六修は衛雄と烏桓金を召して事を諮った。

「吾は親不孝の極みである。世の人はいずれも父母兄弟があるにも関わらず、何ゆえに吾のみ苦しむのか。すでに世子の座を奪われ、父上はさらに軍勢を遣わして吾を滅ぼそうとしている。吾が身を救う策はないか」

 姫澹と衛雄が言う。

「大王は父であり、殿下は子です。戦となれば順逆の逆にあたります。兵の士気も上がりますまい。軍勢が攻め寄せたならば、ただ城を守り、『重く罪されることを畏れ、敢えて出迎えずに城を閉ざしております。父子の恩を思って子の罪を赦され、謁見を許されるならば、ふたたび生を与えられる御恩を深く感謝いたします』と申し上げるのです。殿下の御言葉を聞けば、大王とて憐れんで赦されましょう。しんば赦されぬとしても、西陵せいりょうの険要の地に拠って糧道を断てば、一月を過ぎずして軍勢を返さざるを得ません。ご懸念には及びますまい」

 烏桓金が言う。

「そもそも、長子を廃して次子を世子とした大王が誤っておられる。年長の嫡子を配して年少の庶子を世子に建てるなど、人倫に悖る行いです。さらに、兵威に物を言わせて長子を討っては、衆人が従いますまい。吾らが無道に従う必要はありません。五千の兵を与えられれば、東皋とうこうの大道に伏せて到来を待ち、林中より伏兵を発して一鼓に北延をとりことして御覧に入れましょう。坐して城を囲まれてはなりません」

「北延を討ち取れねば、五千の軍勢で十倍する大軍に向かわねばならぬ。到底救い出せまい」

 六修の言葉に烏桓金が言う。

「成敗はこの一挙にあります。一命を棄てずして殿下の寵遇ちょうぐうに報いられません」

 六修は烏桓金を棄てるに忍びず、衛雄がその策を推した。

 烏桓金は戎装じゅうそうして幕舎を出ると叫ぶ。

「五千の軍勢で数万の敵にあたれずして、大軍に包囲された城を守り抜けるものか」

 六修も衛雄に言う。

「将軍の意は堅い。好きにさせるよりあるまい」

 ついに烏桓金は軍勢を発し、東皋の柳林中に兵を伏せた。


 ※


 翌日、拓跋猗盧の軍勢は伏兵を覚らず東皋の柳林にさしかかった。

 砲声の響きとともに烏桓金が鎗を手に襲いかかる。その勢いは凄まじく、不意を突かれた代兵は怖れて逃げ惑うばかり。先鋒の西渠と趙延はすでに通り過ぎており、にわかに引き返せない。

 猗盧が叫んで言う。

「烏桓金は敢えて主君を殺そうとするか」

「父に慈があれば子は孝を尽くし、君に義があれば臣は忠を尽くす。大王はすでに慈も義も損なわれて子を討つ軍勢を挙げ、長子を滅ぼして次子に位を伝えようとしておられる。どうして臣の不忠を責められようか」

 烏桓金の鎗先が猗盧を襲い、その左脇を傷つけた。猗盧が馬より堕ちそうになると、趙延が駆け戻って救いに入る。趙延が烏桓金を防ぐ間に猗盧は馬を駆って後軍に逃れ去った。

 烏桓金と趙延の戦が十合を過ぎぬうち、西渠も駆けつけて包囲にかかる。烏桓金は趙延を捨てて西渠が率いる軍勢に突っ込み、従う五千の兵は櫛の歯を引くように斃れていく。それでもなお諦めず、ついに代兵の包囲を突き抜けた。

 西渠は一万の軍勢を率いてその後を追い、新平の城下に追い到る。

 烏桓金は馬頭を返して向き直り、追い迫る代兵にふたたび包囲された。囲まれても鎗を振るって止まず、代兵が乱れたつ。

 西渠は兵を退けると一斉に矢を放たせた。全身に矢を浴びた烏桓金はなおも死戦をつづける。

 城上よりそれを見た六修が叫ぶ。

「烏桓金は吾がために死戦しておる。救わずにいられようか」

後詰ごづめが近づいております。城を出てはなりません」

 衛雄が止めるも六修が振り切る。

「戦場では将兵と生死をともにするのが当然だ。烏桓金だけを死地に置いて見殺しにはできぬ。義気のある者は吾と共に討って出よ。烏桓金を死なせるな」

 六修に従う決死の兵は三千、一斉に城を打って出る。姫澹もそれに続いて代兵に襲いかかった。

 千人ほどの代兵を斬り殺して烏桓金と合流し、軍勢を合わせて包囲を破る。城門に向かえば衛雄が待ち受けて迎え入れ、追いすがる代兵を退けて門を閉ざした。

 趙延が率いる後詰も城下に到り、城を包囲する。衛雄と姫澹が城を厳しく守り、盛んに六修の冤罪を訴えたため、代兵は憐れんで士気が上がらない。

 西渠が叱って城を攻めさせるも、城上からは矢石を打ち落として無数の死傷者が出るばかりであった。


 ※


 城を囲んで四、五日の後、鎗傷を負った猗盧は幕舎に伏していた。西渠たちは幕舎に入って安否を問い、命を受ける。

「吾が子が従わぬことを怒って新平を攻めたが、図らずも烏桓金のために傷を負ってしまった。これまでの威名も損なわれ、どのように処したものか」

 猗盧の言葉を受けて西渠が言う。

「しばらくのご辛抱です。必ずや城を陥れて逆賊をとりことし、微塵に砕いて一鎗の罪を治めて御覧に入れます」

「父子が戦うのは古より大悪とされておる。吾は代王に封じられた一方の主である。威令は国中に行われるべきであるにも関わらず、一子を従わせられず、一臣をも制せず、かえって鎗傷を受けた。どうして余人を制し得ようか。傷は重く、怒ればなお深くなる。このままでは癒えることはあるまい。兵を代に返して六修と北延が怨みを結ばぬようにせねばならぬ」

 傍らに控える賓六須ひんりくしゅが同じて言う。

「大王のお言葉のとおりでありましょう。大殿下(六修)には命に違えた罪はあれど、世子の座を奪われて一時に怨みに思ったに過ぎません。時を置けば父子の情を思い出されます。しばらくは兵を収め、罪を悔いる日を待つのが上策です」

「お前の言は吾の思いに等しい。包囲を解いて軍勢を代に返せ」

 趙延が進み出て言う。

「さりながら、城中の者たちは大王の御心を知りますまい。軍勢を返せば、必ずや追撃の兵を繰り出して来ましょう。烏桓金は猛将、虬崗きゅうこう叢林そうりんに精兵を伏せて備えるべきです。攻め寄せてくればただ追撃を断つのみならず、大罪を正してくれましょう」

 西渠も趙延に同じて言う。

「公の策が妥当です。伏兵を置いて追撃に備えましょう」

 猗盧もその策を容れ、趙延が伏兵を埋めるのを待って西渠とともに軍勢を返した。


 ※


 猗盧が軍勢を返したと知り、烏桓金と六修は追撃の兵を集めた。

 姫澹が諌めて言う。

帰師きしは追ってはならぬと申します。ましてや父王であれば、天に背く行いであり、必ずや禍に罹りましょう」

 六修はその諌めを聞かず、烏桓金とともに追撃の兵を発した。四十里(約22.4km)も進むと道は虬崗にさしかかり、三、四里(1.5~2.2km)ほど先を代兵が進んでいる。

 烏桓金が馬をって馳せ向かうと、砲声の響きとともに左右より伏兵が発し、矢が雨のように降りそそいだ。六修が馬を返そうとするも、すでに十を超える矢がその身に突き立っている。

 烏桓金が救いに向かうところに趙延の軍勢が攻め寄せる。

「吾が殿後でんごを守ります。殿下はすみやかに逃れられよ」

 烏桓金が叫んで趙延を迎え撃つも、西渠と賓六須の軍勢も襲いかかる。烏桓金は鎗を振るって代兵を蹴散らし、鎗先で賓六須を突き落とした。代兵は怯んで攻めかかるものがない。

 西渠が叫んで言う。

「遠間より矢を放って仕留めよ」

 代兵は一斉に矢を放ち、烏桓金は七本の矢を身に受け、そのうちの一本が肘に突き立つ。鎗を振るえない烏桓金はついに趙延に討ち取られた。

 趙延は逃げる六修を十余里も追ったものの、衛雄の軍勢が六修を救いに現れると軍勢を返した。六修は新平に逃げ戻ったものの、矢傷のために一月ほど床に臥せた後に世を去った。衛雄は六修の死を代に報せた。

 この時、猗盧もまた鎗傷のために床に臥せていたが、六修の死を知ると嘆いて言う。

「吾は父子で争って互いに傷を受け、代国を弱らせてしまった」

 猗盧もまた、その夜には世を去ったことであった。

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