第十回 拓跋鬱律は代王となる

 代王だいおう拓跋たくばつ猗盧いろは鎗傷により世を去った。

 側近たちは遺志に従って次子の北延ほくえんを代王に擁立しようと図る。しかし、賓六須ひんりくしゅは長子の六修りくしゅうとの付き合いが長く、その擁立を拒んだ。

 参軍さんぐん姫法きほうは、六修が劉琨りゅうこんを救いに并州へいしゅうに出兵した経緯より、その許に身を投じていた。

「先王(猗盧)は北延の母を寵愛して世子せいしに据えたがために長子の叛乱を引き起こして軍勢を損ない、共に命を落とされた。士民はみな、北延が家を破った原因であると嫌っておる。主に建てれば必ずや変事が起きよう」

 主だった者たちはそう考え、姫法が言う。

「北延に従う者は少なく、大殿下(六修)はくなられたがその子は幼少である。先王の弟である二大王にだいおう拓跋たくばつ猗㐌いい)を迎えるのがよいだろう」

▼『魏書ぎしょ桓帝紀かんていきによると「拓跋猗㐌」を拓跋猗盧の兄とするが、『後傳』『通俗』ともに弟とし、筋に影響がないため、ままとする。

 その言葉に駁する者はなく、渾源城こんげんじょうにある猗㐌の許に向かった。


 ※


 この時、猗㐌も病に臥せており、代から姫法たちが来たと聞くと寝所に迎える。来意を問えば、代王に迎えたいという。

「兄は判断を誤り、袁本初えんほんしょ袁紹えんしょう、本初は字)に倣って数多の死傷者を出し、父子ともに滅びた。国家を破ったことは罪である。卿が吾を迎えようとするのも、禍の本となった幼い北延を建てれば国が乱れると思ってのことであろう。それは的を射ている。ただ、世子と定められたからには、北延を支持する者たちも多くあろう。吾が跡を継ぐとなれば、その者たちが黙ってはいまい。それに、吾は老病の身でもあり、わざわざ代に赴いて不測の難を踏む気にはならぬ。代に行く気はない。また、跡目には関わらぬ。衆人に諮ってよきに計らえ」

「賓六須が二大王の擁立を支持しております。誰がそれを拒みましょうや」

 姫法が食い下がるも、猗㐌は物憂げに言う。

「吾は卿の言葉を疑っているわけではない。老病の身であれば、多事に関わるのが物憂いのだ。すみやかに代に還り、衆人とともに跡目を定めよ。各々が心を尽くして輔佐すれば、国威も振るうであろう。それは卿らの功である」

 姫法は引き下がり、同行の者たちに告げた。

「二大王は老病のために代王を継ぐ気はないと仰せである。吾らが空しく帰れば、北延母子が欲をたくましくして画策を始めぬとも限らぬ。聞くところ、二大王の長子の普根ふこんは賢明にして寛容、人を愛して憐れみの心が深いという。彼を王に迎えるのがよい。みなで二大王に願って許しを得るのが次善であろう」

 その言葉に衆人は同じ、ともに猗㐌の寝所に入って言う。

「二大王が拒まれるならば、長公子ちょうこうし(普根)に代王となって頂き、士民の望みにいたく思います。この願いも拒まれるならば、代国は禍に滅びることになりかねません」

「それならばよかろう。代で変事があれば吾が制することもできように」

 そう言うと、猗㐌は普根に五千の軍勢を与えて代に向かわせた。賓六須は趙延とともに普根を迎え、大王に擁立した。


 ※


 新平しんぺいにある衛雄えいゆうは、猗盧の死を知ると六修の子を擁して北延と王位を争おうとしていた。

 そこに姫法たちが普根を代王に擁立したとの報せを受け、姫澹きたん烏桓恭うかんきょうを呼んで事を諮る。

「すでに普根が代王に建てられました。北延であればともかく、吾らが普根と王位を争えば与する者はありますまい。まして、殿下の子息はいまだ幼少にあり、自ら政事を行えません。十日のうちに代からの使者があって爵位を安堵されるなら、諦めるよりございますまい。万一、爵位を許されなかったならば、この孤城に留まってはなりません」

 烏桓恭も言う。

「先王が亡くなって百日を過ぎ、ようやく王位が定まった。新王を迎えてた後、吾らがこの郡に留まることを許されるかは分からぬ。内には先の戦を闘った西渠せいきょ趙延ちょうえんがあり、討伐を主張することもあり得る」

「将軍の言われるとおりです。吾が殿下は先王を傷つけており、新王が赦免するか予断を許しません。むしろ、代国を去って段公だんこうの許に身を寄せる方が無事を保てましょう」

 劉琨が段部だんぶに身を寄せているため、姫澹はこの機に自らも合流しようと考えていた。二人の言葉を聞いた衛雄は猶予してしばらく様子を見ることとした。

 段部にある劉琨も子の劉濟りゅうせいを遣わして言う。

「代国にあっては害を避けられず、身をまっとうできぬおそれがあります。世子(六修)と烏桓護軍うかんごぐん(烏桓金、護軍は官名)の轍を踏んではなりません」

 衛雄もついにその言葉に従い、烏桓恭が率いる新平の五千家とともに六修の子やその家眷かけんを奉じて段匹殫だんひつせんに帰する。段匹殫は彼らを征北城せいほくじょうに置いた。

 普根が衛雄たちに官職を授けて六修の子を代に迎えるべく人を遣ったところ、すでに幽州ゆうしゅうに去った後であった。普根は悩んで賓六須たちに事を諮った。

「吾ら拓跋部は一門の結束により北方で覇業を成し遂げた。北延を世子としたことで家風は壊され、一族の者たちが段部に投じるに至らしめた。すべては北延のためだ。このまま捨て置くわけにはいかぬ。明日には朔州城さくしゅうじょうに放逐して兄と位を争った罪に報いねばならぬ」

 聞いた者のなかに報せる者があり、北延は普根を怨んで言う。

「本来、父王は吾を世子に建ててこの地を与えようとされていたのだ。吾は普根にそれを譲ったにも関わらず、かえって吾を罪して放逐せんと図っておる。明日の早朝、夜が明ける前に忍び込んで普根を殺し、王位を取り戻したい。お前たちが吾に与すれば、恢復の首功となろう」

 聞いた者たちはいずれもうべない、短刀を隠して北延とともに普根の許に向かった。

 普根は早朝から黒升殿こくしょうでんで執務を始め、夜が更けてようやく退く生活であった。その日も三、四人の従者を連れて内庭を過ぎり、執務を始める。出仕する者はまだいなかった。

 すぐさま北延とその一党が殿上に向かう。普根は気づいたものの、口を開く前に一刀を受けて地に倒れる。声を挙げる間もなく首級を挙げられた。

 従者が気づいて叫び声を挙げると、姫法、西渠、趙延らが駆けつける。その時には北延はすでに逃げ去っていた。

 北延たちは長史ちょうしの官府に向かい、拓跋瓊たくばつけいと賓六須を斬り殺し、自らの私邸に逃れた。


 ※


 姫法が言う。

「吾らは二大王に願って長公子(普根)を代王に迎えた。それを北延に殺されるとは、吾らの罪に他ならぬ。すぐさま北延の一党を皆殺しにして罪に報いねばならぬ」

 西渠と趙延もその言に同じ、軍勢を率いて北延の邸に向かった。内にあった者たちは老若男女を問わず斬り殺され、北延の首級が届けられる。その首級は渾源城にある猗㐌の許に届けられた。

 普根の横死を知った猗㐌は慟哭して地に倒れ、左右の者が扶け起こす。北延の首級を取り上げて言った。

「父を誤って兄を害した呪われ子めが。兄を殺すのみならず吾が子までも殺めるとは。人と呼ぶに値せぬ」

 北延の首級を投げ捨てると、事態の収拾のために次子の拓跋たくばつ鬱律うつりつを代に遣わした。代に入ると姫法らが北延の一党の屍を並べ、誅殺した旨を報せる。鬱律はそれらの屍の首を刎ねて北延とともに晒すよう命じた。

 兄の普根の屍を柩に収めると、葬儀のため渾源城に引き上げにかかる。

 姫法らが止めて言った。

「北延とその一党はすべて平らげ、代国はふたたび主を喪いました。公子におかれては、この地に留まって王位を継いで頂きたい」

 鬱律は拒んだものの、西渠と趙延は強いて代王の座に座らせ、普根の屍を渾源城に届けるよう将兵に命じる。

 猗㐌は普根の屍を見ると慟哭して止まず、食事も喉を通らなくなった。それを聞くと、鬱律は趙延を遣わして猗㐌と家眷を代国に引き取ったことであった。

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