第十一回 衆臣は瑯琊王を立てんと欲す

 瑯琊王ろうやおう司馬睿しばえいは、誤って淳于伯じゅんうはくを刑戮し、北伐の議は沙汰止みとなった。そのことを気に病み、泣いて王導おうどうに言う。

は聖上より左丞相さじょうしょう都督ととく陝東せんとう諸軍事しょぐんじに任じられた。漢賊が長安ちょうあんを破って帝を連れ去ったからには、軍勢を発して仇に報い、聖上をお救いせねばならぬ。忠を尽くして職を果たすのが大丈夫だいじょうふというものであろう。今、孤は何を行うべきであろうか」

劉聰りゅうそうは二代に渡って平陽に拠り、兵は精鋭、将は勇猛です。与しやすい敵ではございません。四方に檄を発して藩鎮の兵を糾合し、心を一にして協力すれば、ようやく敵し得ましょう。水戦に慣れた江南の兵では漢賊と河北を争えません」

 その言に従い、江南より四方に人が遣わされた。この使者は諸侯の官爵を進めるものであった。

 劉琨りゅうこん廣武侯こうぶこうに封じ、段匹殫だんひつせん渤海公ぼっかいこうに封じて鎮北ちんほく將軍に任じ、段復辰だんふくしん廣寧公こうねいこうに封じ、段疾陸眷だんしつりくけん遼西公りょうせいこうに封じ、冀州きしゅう刺史の邵續しょうぞく廣平侯こうへいこうに封じ、劉演りゅうえん兗州刺史えんしゅうししに任じ、汝陰じょいん太守の李矩りく定襄侯ていじょうこうに封じ、崔毖さいひつ東夷とうい校尉こういに任じ、廣州こうしゅう刺史の陶侃とうかん高密侯こうみつこうに封じ、慕容廆ぼようかい鮮卑せんぴ大都督だいととくの号を加えて遼東郡公りょうとうぐんこうに封じ、西涼公せいりょうこう張寔ちょうしょくの爵を王に進め、だい拓跋氏たくばつしには軍袍ぐんほうまさかりを下賜した。それ以外の藩鎮も官爵を進められた。

 この頃、漢の青州せいしゅう都督ととく曹嶷そうぎょくは自立を図って久しく、王沈おうちん靳準きんじゅんの専権を好機と観ていた。その上、諸葛しょかつ宣于せんう石勒せきろく韓信かんしんに、自らを彭越ほうえつに比したと聞くに及び、いずれは征討の兵が遣わされるかと懼れ、ついに晋によしみを通じる。

 瑯琊王は喜んで曹嶷を廣驍侯こうぎょうこうに封じ、藩鎮に北伐の軍勢を発するよう令を下した。


 ※


 北伐の檄文を受けた藩鎮より、次のような上書が多数寄せられた。

「瑯琊王を帝位にけ、漢賊どもに晋朝の健在を示すべきかと存じます」

 西陽王せいようおう司馬承しばしょうは、それらの上書を王導に呈して事を諮った。

「諸藩鎮の言には理があります。しかし、主上はれられますまい。明日、殿下とともに文武の官を集めて主上の勧めるのがよいでしょう」

 翌日早朝、西陽王をはじめとする公卿が藩鎮からの上書を瑯琊王に呈した。

 王導と劉隗りゅうかいが進み出て言う。

「今や漢賊が跋扈ばっこして晋朝は傾き、人民は流離して主を見失っております。大王の齢は不惑ふわく(四十歳)を超えられ、その徳は四海の讃えるところとなっております。淮水わいすいを南に渡られて今日まで、叛徒を平定して江東を保ち、南の交州こうしゅうから西の荊州けいしゅうまでその威に服しております。今や天命に応じて人心に従い、ぎょうしゅんに位を譲った例に倣い、大位を継がれることを求められているのです。しかる後、漢賊を河北よりって戦乱を平げ、洛陽と長安の二京を恢復して先帝の仇に報い、中原に大業をたかからしめられれば、漢賊どももこれまでのように横行できますまい」

「国の恥を雪ぎもせぬうちに大位に即いては、世人にわらわれるだけであろう。諸卿は孤のために仇に報いる方策を勧めよ。それが孤を愛することになる。このことはしばらくめよ」

 王導が駁して言う。

「漢賊に仇を報いねばならぬこと、吾らも重々承知しております。しかし、国体は正しくあらねばなりません。殿下が大位を継いで名分を正されれば、四方に檄文を発して応じぬ者などございますまい。さすれば、漢賊がいかに強猛であろうと敵ではございません。このこと、一人の疑う者もありません。殿下が猶予されれば、英雄は志を失って豪傑は離れ去りましょう。新の末には朱侑しゅゆうが暗愚な劉玄りゅうげん更始帝こうしていとして擁立し、血筋が正しい劉縯りゅうえんが害され、光武帝こうぶてい劉秀りゅうしゅう)は寡兵とともに河北かほくに遣わされて王郎おうろうの害を命からがら逃れ、苦心くしん惨憺さんたんの末に大位を正した例がございます。もしも光武帝のために呉漢ごかんらが犬馬の労を尽くさねば、どのような事態に立ち至ったとお考えでしょう」

茂弘もこう(王導、茂弘は字)の言は誤っておる。卿が孤の心を知らぬわけもあるまい。孤はかたじけなくも帝室に連なる身とはいえ、疎族に過ぎず才質にも秀でてはおらぬ。光武帝になぞらえられようもない。さらに、江東は将兵が弱いことで知られておる。先帝の仇を忘れたかのように大位を継ぎ、自らを尊しとするなど、哲人や義士の行いではない」

 刁協ちょうきょう卞壼べんこ紀瞻きたんらが駁する。

「今や天下は大いに乱れて英雄が並び興っております。このような事態にあたり、古人は『左右の足を挙げるだけでも大きく影響する』と申しております。それにも関わらず、殿下は江東の懦弱を言って大位を避けようとされる。臣らの観るところ、江東にも謀臣と勇将は少なからず、いずれも殿下を輔けて尺寸しゃくすんの功を建て、青史せいしに名を垂れんと望んでおります。今、殿下が衆人の請うところを許されねば、富貴を望む者たちは劉林りゅうりんの如く王郎を擁し、樊崇はんすうの如く劉盆子りゅうぼんしを立てましょう。長安と洛陽は国の根本であり、荊州は国の門戸です。これらを押さえる者が現れれば、人心はその者に帰するでしょう。人心が一旦去れば、悔いても及びません」

「卿らの言うところはいずれも孤を愛するがためと分かってはおる。しばらく退いておれ。熟慮してみよう」

 文武の官が退いて王導だけが残ると、瑯琊王は言う。

「茂弘よ、孤のために諸卿にこの議をしばらく休ませるよう申し述べよ。漢賊を平らげた後、ふたたび議論することとしよう」

 王導は再三に渡って即位を勧めたものの、瑯琊王はうべなわない。


 ※


 この時、江寧こうねいより麒麟きりんかたどった白玉はくぎょく製の神璽しんじが献上される。その文には、「長寿萬年、日に重暈ちょううんあり」と記されていた。また、臨安りんあんからは玉冊ぎょくさつ金書きんしょ(玉簡に金文字が象嵌された物)が献上される。

▼「重暈」とは日の周りを二重の輪が覆う現象を言う。

 許昌きょしょうや洛陽で商いする者が伝国の璽綬じじゅを手に入れ、江東に持ち帰っていた。その者は、瑯琊王が賢人を敬愛して士大夫を礼遇すると聞くに及び、建康けんこうに来て璽綬を献上した。

 璽綬を拒もうとすると、王導が言う。

「これは天命、逆らうことは不祥です」

 ついに璽綬を拝して受け取り、献上した者には金帛きんはくを下賜する。その商人は金帛を受けずに退いた。

 西陽王が王導に言う。

「殿下は伝国の璽綬を受けられ、玉冊も授かられた。座を設けて即位を勧進するべきであろう」

 王導はその言葉に従った。引駕いんが将軍の宋哲そうてつは、寧州ねいしゅう刺史の王遜おうそん豫州よしゅう祖逖そてき荊州けいしゅう王敦おうとん苟組じゅんそらと連名で即位を勧進する上書をしたためて呈上する。瑯琊王は諸人の行いを苦々しく思っており、勧進を拒む。

 宋哲が言う。

「古より国家は一日たりとも主を欠いてはならぬものです。晋朝が主を喪って二年が過ぎております。洛陽と長安は荒廃して宗廟に主はなく、劉聰は西北の地に拠って帝と号し、殿下は南東にあって謙退されれば、天下の民は拠り所を失いましょう。臣は先に聖上より殿下に万機を委ねられる旨の詔を奉じております。すみやかに国の恥を雪いで大位を余人に奪われてはなりません」

 そう勧められても諾わず、王導が勧めて言う。

「まずは正殿に出られて衆人の議論をお聞き下さい」

 瑯琊王が正殿に出てみると、殿上には帝座が設けられている。すぐさま殿中でんちゅう将軍の韓績かんせきに座を徹するよう命じた。韓績が殿上に登ろうとすると、紀瞻が叱りつける。

「帝座は天の列星に応じる物、誰であろうと妄りに動かすことは許されぬ。罪を畏れぬのか」

 韓績は畏れて退き、瑯琊王も面を改める。奉朝請ほうちょうせい周嵩しゅうすうが声を張り上げた。

 

 古の王者は義をまっとうした後に取り、譲をなした後に得ました。そのために世をけて長く、禄を受けて久しかったのです。いまだ先帝の霊柩は還らず、国都は復さず、漢賊は平らげられておりません。

 良策を諮って士卒を訓令し、まず国の恥を雪いで四海の心に副えば、大位は自ずから定まりましょう。

 そうでなくては、大位は誰が継げばよいのでしょうか。

 

 瑯琊王は辞することもできず、周嵩が読み上げた上表を諸卿に示して言う。

「周嵩の言に理がある。しかし、まだその時ではあるまい。しばらくこの議論は休ませよ」

 王導、西陽王、紀瞻が進み出て言う。

「天心はすでに従い、人心はすでに帰し、文武の官は定まって大位はすでに設けられ、朝野は殿下の即位を待っております。周嵩はそのことを知らず、妄りに上表を行いました。これはいたずらに媚びて位を盗もうとするものです。臣としての礼に欠けております。このようなものを建康の臣列に置くわけには参りません」

 瑯琊王は王導らの言に従い、周嵩を新安しんあんの太守に転じさせた。すでに事態は瑯琊王の意を問わなくなりつつあった。


 ※


 翌日、王導は瑯琊王に見えて言う。

「即位の礼を行う吉日を選ばねばなりません」

 黙して応えぬ姿を見ると、王導は出て刁協と劉隗に諮り、文武の官員および諸王公に従う陪臣、諸藩鎮と属国の者たち三百十三名の連名で勧進を行った。その上表は次のようなものであった。

 

 晋は宣帝せんてい司馬懿しばい)が天命を受けて封号を得て、それゆえに武帝ぶてい司馬炎しばえん)は労せずして天下を統一しました。

 しかしながら、天運の衰えにあって漢賊は意をほしいままにして北方を乱し、王気は東南に遷りました。殿下が建康に鎮守を命じられたのはその兆しであります。今、恵帝けいてい司馬衷しばちゅう)と懐帝かいてい司馬熾しばし)は不徳にして洛陽は夷狄いてきの手に陥り、長安もその後につづきました。

 宗廟と社稷を無窮とし、仇敵に報いるのが殿下でなければ、誰があたりましょうや。

 さらに、瑞兆が江南に現れて帝星ていせい会稽かいけいの分野に輝き、歌謡は「五馬が長江を渡って一は龍と化す」と謳い、璽綬と玉冊が献じられて「萬年長寿、日に重暈あり」と記され、これらはすべて天意を示すものです。人事は言うに及ばず、誰もが知るところでありましょう。

 大王が天意に応じて人心に従って中興されねば、天象が示す吉兆をなみして四海の望みを失いましょう。

▼文中の「恵帝」は原文に「懷愍かいびんは不德にして洛陽は已に腥羶せいせんに陷り、長安も亦た戎羯じゅうけつに溺れり」とするが、作中では愍帝びんてい司馬業しばぎょう平陽へいように連行されて生死不明となっているため、「恵帝」と改めた。


 瑯琊王は上表を見ても笑って従わない。衆人はその意の堅さを知り、退くと王導の府に赴いて議論した。

 

 ※

 

 劉隗が一計を案じて言う。

「公が病と偽れば、この一件は片が付こう」

 王導もその意を覚って同じ、それより府に臥して出仕しなくなる。

 それより二日が過ぎ、瑯琊王は王導の姿が見えないため、その府に人を遣わした。使者が戻って言う。

「病のために起き上がれないと申されています」

 瑯琊王は自ら王導の見舞いに赴き、寝室でその手を執って言う。

「先生はこれまでお元気であったのに、病に臥されるとは何ゆえでしょうか」

「臣の病は心中の憂えによるものです。将来を憂えて胸中は焼かれるように痛み、おそらく長くはありますまい」

「茂弘は孤の腹心、もし世を去ったならば孤の臓腑が失われるようなものだ。どうして生きていられようか」

 王導は嘆息して言う。

「臣は殿下の知遇を得て今日まで勤めて参りました。これまではすべての意見をれて頂き、幸いにも呉楚の地を保って江南に号令できるようになりました。かつての誓いに背かなかったと申せましょう。今、文武の官員たちはいずれも殿下を大位にけて爵禄を得て、祖宗の名を明かにして子孫に栄誉を伝えようと欲しております。しかし、殿下があのように堅く拒まれては、官員たちは徐々に心を離していきましょう。久しからずしてこの建康には誰もいなくなりましょう。英雄たちが離散すれば、その隙に乗じて漢賊が南に降り、建康は瞬く間に陥ります。臣は重責を負ってこの憂えを抱え、病に罹らぬわけにはいきません」

「孤の思うに、江東は僻地であって地も狭い。将兵も乏しく自立が難しい地である。識者はこの地で自立したと聞けば、哂うだけであろう。そのために躊躇しておるのだ。決して文武の官員の望みに副う意がないわけではない」

「聖人によると、『名が正しくなければ言葉は聞かれず、言葉が聞かれなければ事がならぬ』と申します。今や殿下は祖宗の業を受け継いで晋室の宗廟を司り、大位を継がれる身です。名を正さねばその命に従う者はおりませぬ。大位を継ぐにあたり、反対するものなどおりますまい。また、『天の与えたものを受け取らねば、かえって禍を受ける』とも申します。殿下が大位を継ぐことを拒まれるがゆえ、誰もが拠るところを失っております。離散は須臾の間に起こりましょう。この憂えは臣だけが懐くものではなく、臣より深く憂える者も多くございます」

 聞いた瑯琊王は呻吟しんぎんすること半時(約一時間)ばかりして言う。

「それならば、先生は起って文武の官員たちともう一度このことを論じられよ。孤はその論を拒むまい」

 王導は寝台から下りると地に伏して言う。

「殿下が即位を決意されたとあれば、臣の病は癒えました。胸につかえる憂えが解ければ、五臓は自ら整って病も再発しますまい」

 立ち上がって近侍の者たちに命じた。

「殿下は衆の議論に従われるとの仰せである。諸公卿はここに来て恩を謝せ」

 それまで後堂に伏せていた西陽王は、刁協、劉隗、宋哲、紀瞻、卞壼、賀循がじゅん周玘しゅうきなど二十数名を率いて進み出る。一同は地に伏して言う。

「陛下は衆人の望みに副われました。吉日を選んで天を祀り、大位に登られよ。史官は吉日を選び、司礼しれい中書ちゅうちょは冊立の文を定めて施行せよ」

 瑯琊王が慌てて言う。

「この議はまだ定まっておらぬ。先の言葉は茂弘の心を安んじるための方便である」

 それを聞いた王導が駁する。

「君の身に戯言ぎげんはありません。大事はすでに定まり、今さら取り返しはつきません。これより吾らが準備を整えますので、吉日を選んで大位に登って頂きます」

 そう言うと、御前の官員に命じた。

「車駕を召して殿下をお送りせよ。礼部の官に命じて祭器を整え、吏部に命じて天地に即位を報せる文を起草させよ。即位の礼の期日を誤らぬよう、厳しく申し伝えおく」

 瑯琊王は嘆いた。

「孤を陥れて後世の者に罵らせるのは、卿らである」

 衆人は叩頭こうとうして謝し、瑯琊王を車駕に載せて朝に還ったことであった。

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