第十一回 衆臣は瑯琊王を立てんと欲す
「
「
その言に従い、江南より四方に人が遣わされた。この使者は諸侯の官爵を進めるものであった。
この頃、漢の
瑯琊王は喜んで曹嶷を
※
北伐の檄文を受けた藩鎮より、次のような上書が多数寄せられた。
「瑯琊王を帝位に
「諸藩鎮の言には理があります。しかし、主上は
翌日早朝、西陽王をはじめとする公卿が藩鎮からの上書を瑯琊王に呈した。
王導と
「今や漢賊が
「国の恥を雪ぎもせぬうちに大位に即いては、世人に
王導が駁して言う。
「漢賊に仇を報いねばならぬこと、吾らも重々承知しております。しかし、国体は正しくあらねばなりません。殿下が大位を継いで名分を正されれば、四方に檄文を発して応じぬ者などございますまい。さすれば、漢賊がいかに強猛であろうと敵ではございません。このこと、一人の疑う者もありません。殿下が猶予されれば、英雄は志を失って豪傑は離れ去りましょう。新の末には
「
「今や天下は大いに乱れて英雄が並び興っております。このような事態にあたり、古人は『左右の足を挙げるだけでも大きく影響する』と申しております。それにも関わらず、殿下は江東の懦弱を言って大位を避けようとされる。臣らの観るところ、江東にも謀臣と勇将は少なからず、いずれも殿下を輔けて
「卿らの言うところはいずれも孤を愛するがためと分かってはおる。しばらく退いておれ。熟慮してみよう」
文武の官が退いて王導だけが残ると、瑯琊王は言う。
「茂弘よ、孤のために諸卿にこの議をしばらく休ませるよう申し述べよ。漢賊を平らげた後、ふたたび議論することとしよう」
王導は再三に渡って即位を勧めたものの、瑯琊王は
※
この時、
▼「重暈」とは日の周りを二重の輪が覆う現象を言う。
璽綬を拒もうとすると、王導が言う。
「これは天命、逆らうことは不祥です」
ついに璽綬を拝して受け取り、献上した者には
西陽王が王導に言う。
「殿下は伝国の璽綬を受けられ、玉冊も授かられた。座を設けて即位を勧進するべきであろう」
王導はその言葉に従った。
宋哲が言う。
「古より国家は一日たりとも主を欠いてはならぬものです。晋朝が主を喪って二年が過ぎております。洛陽と長安は荒廃して宗廟に主はなく、劉聰は西北の地に拠って帝と号し、殿下は南東にあって謙退されれば、天下の民は拠り所を失いましょう。臣は先に聖上より殿下に万機を委ねられる旨の詔を奉じております。すみやかに国の恥を雪いで大位を余人に奪われてはなりません」
そう勧められても諾わず、王導が勧めて言う。
「まずは正殿に出られて衆人の議論をお聞き下さい」
瑯琊王が正殿に出てみると、殿上には帝座が設けられている。すぐさま
「帝座は天の列星に応じる物、誰であろうと妄りに動かすことは許されぬ。罪を畏れぬのか」
韓績は畏れて退き、瑯琊王も面を改める。
古の王者は義を
良策を諮って士卒を訓令し、まず国の恥を雪いで四海の心に副えば、大位は自ずから定まりましょう。
そうでなくては、大位は誰が継げばよいのでしょうか。
瑯琊王は辞することもできず、周嵩が読み上げた上表を諸卿に示して言う。
「周嵩の言に理がある。しかし、まだその時ではあるまい。しばらくこの議論は休ませよ」
王導、西陽王、紀瞻が進み出て言う。
「天心はすでに従い、人心はすでに帰し、文武の官は定まって大位はすでに設けられ、朝野は殿下の即位を待っております。周嵩はそのことを知らず、妄りに上表を行いました。これは
瑯琊王は王導らの言に従い、周嵩を
※
翌日、王導は瑯琊王に見えて言う。
「即位の礼を行う吉日を選ばねばなりません」
黙して応えぬ姿を見ると、王導は出て刁協と劉隗に諮り、文武の官員および諸王公に従う陪臣、諸藩鎮と属国の者たち三百十三名の連名で勧進を行った。その上表は次のようなものであった。
晋は
しかしながら、天運の衰えにあって漢賊は意を
宗廟と社稷を無窮とし、仇敵に報いるのが殿下でなければ、誰があたりましょうや。
さらに、瑞兆が江南に現れて
大王が天意に応じて人心に従って中興されねば、天象が示す吉兆を
▼文中の「恵帝」は原文に「
瑯琊王は上表を見ても笑って従わない。衆人はその意の堅さを知り、退くと王導の府に赴いて議論した。
※
劉隗が一計を案じて言う。
「公が病と偽れば、この一件は片が付こう」
王導もその意を覚って同じ、それより府に臥して出仕しなくなる。
それより二日が過ぎ、瑯琊王は王導の姿が見えないため、その府に人を遣わした。使者が戻って言う。
「病のために起き上がれないと申されています」
瑯琊王は自ら王導の見舞いに赴き、寝室でその手を執って言う。
「先生はこれまでお元気であったのに、病に臥されるとは何ゆえでしょうか」
「臣の病は心中の憂えによるものです。将来を憂えて胸中は焼かれるように痛み、おそらく長くはありますまい」
「茂弘は孤の腹心、もし世を去ったならば孤の臓腑が失われるようなものだ。どうして生きていられようか」
王導は嘆息して言う。
「臣は殿下の知遇を得て今日まで勤めて参りました。これまではすべての意見を
「孤の思うに、江東は僻地であって地も狭い。将兵も乏しく自立が難しい地である。識者はこの地で自立したと聞けば、哂うだけであろう。そのために躊躇しておるのだ。決して文武の官員の望みに副う意がないわけではない」
「聖人によると、『名が正しくなければ言葉は聞かれず、言葉が聞かれなければ事がならぬ』と申します。今や殿下は祖宗の業を受け継いで晋室の宗廟を司り、大位を継がれる身です。名を正さねばその命に従う者はおりませぬ。大位を継ぐにあたり、反対するものなどおりますまい。また、『天の与えたものを受け取らねば、かえって禍を受ける』とも申します。殿下が大位を継ぐことを拒まれるがゆえ、誰もが拠るところを失っております。離散は須臾の間に起こりましょう。この憂えは臣だけが懐くものではなく、臣より深く憂える者も多くございます」
聞いた瑯琊王は
「それならば、先生は起って文武の官員たちともう一度このことを論じられよ。孤はその論を拒むまい」
王導は寝台から下りると地に伏して言う。
「殿下が即位を決意されたとあれば、臣の病は癒えました。胸につかえる憂えが解ければ、五臓は自ら整って病も再発しますまい」
立ち上がって近侍の者たちに命じた。
「殿下は衆の議論に従われるとの仰せである。諸公卿はここに来て恩を謝せ」
それまで後堂に伏せていた西陽王は、刁協、劉隗、宋哲、紀瞻、卞壼、
「陛下は衆人の望みに副われました。吉日を選んで天を祀り、大位に登られよ。史官は吉日を選び、
瑯琊王が慌てて言う。
「この議はまだ定まっておらぬ。先の言葉は茂弘の心を安んじるための方便である」
それを聞いた王導が駁する。
「君の身に
そう言うと、御前の官員に命じた。
「車駕を召して殿下をお送りせよ。礼部の官に命じて祭器を整え、吏部に命じて天地に即位を報せる文を起草させよ。即位の礼の期日を誤らぬよう、厳しく申し伝えおく」
瑯琊王は嘆いた。
「孤を陥れて後世の者に罵らせるのは、卿らである」
衆人は
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