第二回 石勒は平樂に韓據を攻む

 晋の索綝さくしん中原ちゅうげん恢復かいふくすべく藩鎮を糾合し、劉琨りゅうこん邵續しょうぞく韓據かんきょがそれに応じて軍勢を挙げようとしているとの噂が流れ、漢主の劉聰りゅうそう劉曜りゅうように命じて長安ちょうあんを攻めさせるとともに、石勒せきろくに詔して晋の藩鎮の動きを封じるよう命じた。

 石勒は詔を拝すると衆人を集めて言う。

「主上は長安を攻められるとともに、吾に晋の藩鎮を陥れるよう命じられた。吾が兵馬は盛んであるが、久しく戦を経ておらぬ。この詔は渡りに舟というものであろう。まずはどこから手を着けるべきであろうか」

 徐光じょこうが進み出て言う。

應侯おうこうの言によれば、『地を併呑するならば近くより始めるがよい。一尺を得ればその一尺が吾が領土となる』と申します。愚見によりますと、まずは楽陵がくりょうより始めて平楽へいらくに向かえば、軍勢を進めるにも都合がよいでしょう」

▼「應侯」は范雎はんしょを指す。戦国時代に秦の昭襄王に仕えて遠交近攻の策を説き、門閥を廃して秦王への集権を進めた。これにより秦は天下を統一する基礎を固めたとされる。

 石勒もその言に同じ、石虎せきこに五万の軍勢を与えて楽陵を落とすよう命じた。


 ※


 楽陵にある邵續は石勒の軍勢が向かっているとの報せを受け、防備を固めるよう命じる。

 楽陵の諸将は命を受けて言う。

王幽州おうゆうしゅう王浚おうしゅん、幽州は官名)は諸藩鎮に冠たる強盛を誇りましたが、それでもなお石勒に破られました。駱文鴛らくぶんえんは手に病があって戦に出られず、将兵ともに揃いません。どうして石勒の軍勢を防ぎ得ましょうや」

 邵續が懊悩するところ、従事の蒯永かいえいが言う。

▼「蒯永」は『後傳』に「蒯來」とする。『晋書』には現れずいずれが正しいか判じがたく、『通俗』に従う。

「仮に石勒と結んでその下に付き、軍勢を退かせて一時の禍を避けるのがよろしいでしょう」

 邵續はその言をれて石虎の陣に人を遣わし、石勒に従うことを求めた。石虎は邵續の書状を襄國じょうこくにある石勒に送り、一読した石勒は使者に言う。

「一族の子弟を襄國に送って質とするならば、吾に従うことを許そう」

 使者は楽陵に還って邵續に告げ、邵續は子の邵乂しょうがいを人質として襄國に向かわせる。石勒は邵乂に督護の官を授けた。


 ※


 その頃、石勒が王浚を破って渤海ぼっかいを侵したため、太守の劉胤昌りゅういんしょうが楽陵に身を寄せていた。

 邵續が晋に背いて石勒に付いたと聞き、劉胤昌は言う。

「貴公は晋の忠良であるにも関わらず、どうして石勒などにくみされるのか。それに、偉丈夫いじょうふが代々爵禄をんでおりながら、小人にならって大義を忘れてよいと思われるのか」

「吾が知らぬはずもない。平時は正義に従っても、急なれば権宜けんぎによって事を行うよりない。やむを得ぬがゆえであり、どうして本意であろうか。今や長安との連絡は断たれて救援もなく、兵馬を比べれば石勒に及ぶべくもない。それゆえ、強いて勢に従って兵民の命を救い、後日の再起を図るのである」

「お言葉は正しい。しかし、泥に汚れた布は洗っても白くはなりません。どうして軽々しく名を汚すような真似が許されましょうか。今、瑯琊王ろうやおう司馬睿しばえい)の軍勢は十万を超えて長江ちょうこう淮水わいすいの沿岸を収め、中原を恢復すべく士を求めておられます。すみやかに石勒を捨てて瑯琊王に帰されれば、名を汚されることもございますまい」

 邵續はその言に従い、すぐさま上表文をしたためると、劉胤昌を江南に遣わそうとした。側近たちが諌めて言う。

明公めいこう(邵續への敬称)は嗣子しし(邵乂)を質とされています。瑯琊王に従われれば、必ずや石勒に害されましょう」

 それを聞いた邵續は泣いて言う。

「石勒の如き夷狄いてきに従い、吾が身は汚泥の中にあるようなものだ。子を捨てても正に帰すればその汚泥から抜け出て身を清められよう。どうして躊躇するに及ぼうか。また、人心は忠孝を本とするが、忠孝の道はいにしえより二つながらまっとうできぬものだ。忠を尽くすと決めるより、吾が子さえも顧みる暇はない」

 ついに劉胤昌は楽陵を発して江南に向かった。劉胤昌は江南で瑯琊王にまみえ、邵續が石勒にせまられて子を質とした事情を述べて上表を呈する。

 瑯琊王と王導おうどうはその行いを賛嘆すると、邵續を平原へいげん太守に任じ、劉胤昌に侍中じちゅうの官を授けた。


 ※


 邵續が瑯琊王に従ったとの噂が耳に届き、石勒は怒って邵乂を斬ると五万の軍勢を発した。石虎を先鋒として自ら張實ちょうじつとともに後詰ごづめとなり、楽陵を落とすべく軍勢を進める。

 それを聞いた邵續は懼れて幽州の段匹殫だんひつせんに救援を求めた。

邵嗣祖しょうしそ(邵續、嗣祖は字)は忠義の士、子を捨てて正道に帰した大節は称賛に値する。石勒が攻めるならば、救わぬわけにはいかぬ」

 段匹殫はそう言うと、段文鴦だんぶんおうを先鋒とする五万の軍勢を救援に遣わした。

 石虎がまさに楽陵の城を囲もうとするところに、段文鴦の軍勢が到着する。それを見た邵續も城内より打って出て、前後より石虎を挟撃した。

 勇を恃む石虎の軍勢は一万に過ぎず、邵續に斬り乱されて段文鴦の軍勢に突き崩される。逃げ奔る最中に張敬ちょうけいの軍勢が駆けつけて追撃を退けた。それより対峙して十日が過ぎるも勝敗を見ない。


 ※


 この年、襄國から河南にかけては不作となって穀物の値が跳ね上がった。糧秣がつづかず、石勒は軍勢を襄國に返さざるを得ない。

 石勒は張賓ちょうひんを召して事を諮る。

「今や穀物の値は騰貴し、二千銭あっても二升にしょう(約2.14ℓ)の米しか買えぬ。民を餓えさせず軍勢を保つにはどうするべきか」

平楽へいがくの韓據はこれまで兵火に遭っておらず、穀物を多く蓄えております。一軍を差し向ければ一鼓にして攻め下せましょう。平楽を得れば一年の米穀が得られます。糧秣の懸念を拭うに足りましょう」

 石勒は重ねて平楽に遣わす兵数を問い、張賓が言う。

「多ければ糧秣がつづかず、糧秣を欠けば兵が餓えて城を落とせません。三万もいれば十分でしょう」

 石勒は張賓の言を納れたものの、将兵が命に従わぬかと懼れ、自ら石虎とともに軍勢を率いて襄國を発した。


 ※


 平楽の城に近づくこと四十里(約22.4km)、韓據はようやく侵攻に気づいたものの打つ手もなく、城を閉ざして守る一方、并州へいしゅうに人を遣わして救援を求めた。

 石虎の軍勢が攻めかかると城上からは石を打ち落とし、寄せ手に無数の死傷者が出た。石虎は城門に兵を集めて攻め寄せる。

 その頃、并州に向かった使者は刺史の劉琨りゅうこんに急を告げていた。

「韓據を救い、ともに石虎を退けるのだ」

 そう言うと、軍令を発して兵を集める。それを姫澹きたんが諌めた。

「明公(上司への敬称)は先に劉曜に襲われ、兵威はいまだ回復しておりません。拓跋たくばつ猗盧いろの援助を得てようやく并州も安定しつつあります。この時勢に太行たいこう山脈を越えての軍行は賛成できかねます。さらに、拓跋部は晋に従っておりますものの、夷狄ゆえにその心底は測れません。全幅の信頼を置くのは危険です。どうして根本の地である并州を離れて韓據の加勢に向かえましょうか。まずは兵を休めて鋭気を養い、時機を測って兵を挙げれば、後代にまで残る勲功を建てられましょう」

「そうではない。韓據は晋の臣であり、平楽は晋の城地である。つまり、吾が身のようなものだ。それが今や孤立して救援を求めている。吾が加勢に向かわねば、同僚を見捨てて襲われるのを傍観しているに等しい」

 劉琨は諌めを聞かず、姫澹に二万の軍勢を与えて先発を命じる。李彌りびに留守を委ねると、自らは郝詵かくせん張儒ちょうじゅとともに後詰ごづめとなって并州を発った。数日の後、軍勢は廣牧こうぼくにまで到った。


 ※


 石勒は劉琨の援軍が平楽に向かったと知ると、張賓に事を諮った。

「平楽の城はいまだ落ちず、劉琨の軍勢が背後に迫っておる。軍勢を分けて援軍の進路を阻み、前後に敵を受けぬよう図らねばなるまい」

「劉琨は并州の守りをおろそかにして遠く平楽まで軍勢を進めています。実に己を知らぬ者と言うべきです。兵法では『軍行を速めて遠地に向かい、日に百里(約56km)を行けば必ず上将軍を失う』と言います。その不意を突いて迎え撃てば、必ずやその軍勢を打ち破れましょう」

 張賓が言うと、石勒が問う。

「どのような計略を用いればよいか」

「軍勢を分けて密かに平崗山へいこうさんの麓に伏せ、別の一軍で平楽の包囲を続けて韓據の動きを封じるのです。明公には自ら五千の軍勢を率いて劉琨を迎え撃って頂きます。寡兵であると見れば、劉琨は必ずや全軍で攻め寄せて参りましょう。逃げるように見せかけて伏所に誘い込み、砲声を合図に四方より攻めれば、孟賁もうふん夏育かいくの如き猛将であっても逃れられません。平楽を救うどころではありますまい」

 石勒は張賓の計略を用い、張敬と石虎に一万の軍勢を与えて平楽の城下に留め、包囲を続けさせることとした。

 一方、刁膺ちょうよう劉膺りゅうよう李益りえき張越ちょうえつ趙鹿ちょうろく孔豚こうとん劉寶りゅうほう支屈六しくつりくの八将に一万の軍勢を与えて埋伏を命じる。呼延模こえんぼに五千の軍勢を与えて遊軍とすると、自らも五千の軍勢を率いて廣牧に向かった。


 ※


 石勒が寡兵を率いて向かっていると知り、姫澹は麾下の将兵に言う。

「石勒は吾らを与しやすいと見ている。心を一つにして助け合えば、必ずやこの賊を破れよう」

 軍営を発すると、陣を披いて迎え撃つ。陣頭に出ると鎗先で石勒を指して言った。

「お前は先に幽州ゆうしゅうを襲って数万の軍勢を喪い、しかも城を保つことさえできなかった。さらに平楽までも欲するとは、何と自らの分際を知らぬことか」

「お前は自らの分際を知り、拓跋部たくばつぶの軍勢を借りたお陰で身の置き所を得て、余喘よぜんを保っているようだな。そうでもしなくては家を失った狗のように野をさすらわねばならぬところだ。それでも余人に加勢せんと望むとは、己を知らぬこと甚だしい。吾が兵威は盛んであり、天下を平らげることさえたなごころを反すようなものだ。どうして平楽だけを求めようか」

 石勒の罵言に姫澹は怒り、鎗を捻って馬を駆る。石勒も大刀を抜きつれて迎え撃ち、戦うこと三十合を越えると石勒は馬頭を返して逃げ奔る。姫澹はそれが計略とは知らず、馬腹を蹴って追いすがる。

 平崗山の麓に到ると、石勒は馬を返して挑発した。

匹夫ひっぷめが敢えて吾に近づこうとするか。吾は十二州を統べる大都督だいととくにして万戸郡公ばんこぐんこうである。お前如きに遅れをとるはずもない。寡兵であろうと鼠どもを撃ち殺すには事足りよう」

 言うと、再び姫澹と刃を交える。漢兵たちは畏れたように装って山中に逃げ込んでいき、石勒もそれに牽かれるように戦いつつ退いていく。覚えず姫澹は伏中に踏み込んでいた。

「馬鹿めが。知恵が回ると自惚うぬぼれていたようだが、今日はどうだ。ここから逃げて何処に行くつもりか」

 石勒はそう言ってわらい、姫澹は計略と覚って馬頭を返す。砲声が響くと背後に伏兵が発して退路を断つ。包囲を衝いて道を拓こうとしたところ、前からも伏兵が攻めかかった。

 石勒が叫んで言う。

「姫澹を逃がすな。生きながらとりことして吾が前に引き出せ」

 後詰を欠く姫澹は勇を奮って前を阻む漢兵を蹴散らし、一條の血路を拓く。刁膺と張越がその後を二十里(約11.4km)も追ったものの、ついに及ばず兵を返した。


 ※


「軍勢を喪った身では劉琨に合わせる顔もない。それに、劉琨は志が高くて己の諌めを容れぬ。いずれは石勒に破られよう」

 姫澹はそう考えると、道を転じてだいに向かい、拓跋猗盧の許に身を投じることとした。晋兵たちはことごとく石勒に降り、劉琨に近しい三十人ばかりが逃れて敗戦を報せる。

 敗報に接した劉琨は色を失い、半時ばかりすると溜息を吐いて言った。

「吾は姫澹の諫言を納れず、姫澹は拓跋部に投じて晋は忠義の将を失った。これは左臂ひだりひじを失ったようなものだ。どうして石勒と戦えようか」

 ついに軍勢を并州に返したことであった。

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