第三回 石勒は并州城を奪い取る

 劉琨りゅうこん并州へいしゅうに軍勢を返したと知り、石勒せきろくも軍勢を転じて石虎せきこ張敬ちょうけいとともに平楽へいがくの包囲に加わった。

「并州からの救援は敗れて投降したぞ。お前たちも早く城門を開いて命を拾うがよい」

 漢兵たちが口々に叫ぶ。

 韓據かんきょが慌てて城壁に上れば、城下に広がる漢軍には石勒の軍旗も掲げられていた。僚属を集めて言う。

「頼みの綱の劉越石りゅうえつせき(劉琨、越石は字)も漢兵に阻まれてしまった。これでは城を守り抜けまい」

 その弟の韓惣かんそうが言う。

「石勒の軍勢は多く、石虎は残虐で知られます。投降しても生き延びられず、城を守り抜くことも難しいとあれば、府庫の財と家眷かけんを携え、漢兵が退いた三更さんこう(午前零時)に城を抜け出るのが上策です」

 韓據もそれに同じ、財貨を車に載せると七千の兵を率いて城を抜け出した。

 翌早朝、石勒が城の包囲に向かうと城門が開かれており、漢兵は刃に血塗ちぬることなく平楽の城に入った。

「平楽の糧秣に加え、姫澹きたんを破って一万の降卒を得ました。この勝勢に乗じて并州を襲い、劉琨を破るのが上策です」

 張賓ちょうひんはそう勧め、石勒も言う。

「姫澹を失い、劉琨にこれまでの勢はない。右侯ゆうこう(張賓、右長史ゆうちょうしの官にあるためこう呼ばれた)の言うとおりであろう」

 石勒は軍勢を三軍に分けて一斉に平楽を発した。


 ※


 軍勢を返した劉琨は、石勒が背後を追っているとは露知らず、軍行を緩めて進んでいた。

 并州から百余里のところに到ると、属縣の守兵が馬を飛ばして追い到り、石勒の動向を報せる。報に接すると、劉琨は拓跋部たくばつぶ衛雄えいゆうが率いる五千の軍勢を残して自らは并州に還り、兵糧を整えて加勢に戻ることとした。

 石勒の先鋒を務める石虎と軍監の張敬が二万の軍勢とともに進むところ、前方には衛雄が陣を構えて待ち受ける。ただ、拓跋部の兵は敵の多勢と石虎の姿を見て胆を落とし、ことごとく戦意を失っていた。

 張敬はそれを見ると、石虎に命じて攻めかからせる。

 わずかに衛雄が戦おうとしたものの、兵たちは怯えて叫んだ。

「漢兵は劉并州りゅうへいしゅう(劉琨、并州は官名)が平楽の救援に向かったために攻め寄せてきただけで、吾らのあずかり知らぬところ、引き返して怨みを結ばぬようにせねば」

 衛雄が勇猛であっても兵が従わねば戦いようもない。拓跋部の軍勢は北を指して退いていった。


 ※


 石虎は拓跋部の兵を捨てて追わず、ただ先に進んで劉琨を追う。四十里(約22.4km)も行くとその軍勢に追いつき、劉琨はやむなく張儒ちょうじゅ郝詵かくせんとともに布陣して待ち受けた。

 石虎が陣頭に出て叫ぶ。

「劉并州は何ゆえに馬より下りて吾らを迎えぬのか。吾が父が自ら大軍を率いて并州を囲めば抗いようもあるまい。血迷って吾らに敵するならば、虜囚の辱めを受けることとなろう」

 劉琨が怒って自ら馬を出そうとしたところ、郝詵と張儒が止めて前に出る。二将が石虎と刀鎗を合わせて十合もせぬうち、張越ちょうえつ李益りえきを両翼とする張敬の軍勢が押し寄せる。晋兵は潰走して并州に返そうとするも、石勒が帰路を断っているのではないかと懼れ、ついに北のだいを指して逃げ奔った。


 ※


 石虎は逃げる晋兵を捨てて并州に向かい、城下に軍営を置いた。

 并州の守官しゅかん従事じゅうじ李彌りびは僚属を集めて進退を諮る。

▼「守官従事」という官は史書にない。従事は郡における高級官吏を言う。并州の留守を預けられていたため、守城の官を兼ねたものと解するのがよい。

「聞くところ、石勒は吾が軍を破って劉公りゅうこう(劉琨)と姫将軍(姫澹)は身を逃れられたといいます。再びこの城を救いに戻られることはございますまい。吾らだけでは石勒から城を守り抜けるはずもなく、城門を開いて投降するよりありません」

 将士が口を揃えてこう言うと、李彌が駁する。

「吾は劉公より重任を託されておる。それに背いて石勒に降っては、後人に何と言われることか。人としてあるまじき行いである」

「吾らは不忠を勧めているわけではございません。劉公は自ら兵禍を引き起こしてこのような事態を招かれました。今や城下には石勒の三軍がせまってその勢はうしおの如く、しかも、城内の兵は五千を過ぎません。どうして抗い得ましょうや。万一、石勒の怒りに触れれば、一城の兵民は殺し尽くされましょう。虚しく名を求めたところで累卵で崩れる岩を支えようとするに等しく、いたずらに兵民の命を損なうだけです」

 その言葉より李彌は城内の人心が変じたことを覚り、石勒への抵抗を諦めた。将兵は自ら城門を開いて漢兵を迎え入れる。

 石勒は并州の城に入ると投降した将兵に賞を行い、殺戮と掠奪を厳しく禁じたために鶏犬さえもおどろかせることがない。并州の兵民はみな喜んで従った。


 ※


 劉琨は郝詵と張儒とともに五千の敗卒を率いて代に向かっていた。

 その途上、幽州ゆうしゅうに入ったところで報せる者があり、段匹殫だんひつせんはその子に五千の兵を与えて迎えに行かせた。

▼晋代の「幽州」は太行たいこう山脈の北に広がり、代郡も幽州に含まれていた。

 段匹殫の子は劉琨を迎えて言う。

「吾が父より伝言があります。劉公は代公だいこう拓跋猗盧たくばついろ)より度々の援助を受けておられ、三度身を投じてはなりません。度々ともなれば劉公をいとう気持ちも表れましょう。進退を定めておられぬならば、ひとまず幽州に来られてはいかがでしょう。幽州兵があれば并州の恢復も難しくはございません」

 劉琨はその言葉に従い、幽州の段匹殫に身を寄せることとした。二人は約して義兄弟のちぎりを結び、日夜、晋朝の行く末を論じて溜息を吐くばかりであった。

「中原の恢復を図られるならば、まずは江南にある瑯琊王ろうやおう司馬睿しばえい)に援助を求めるよりありますまい」

 段匹殫の言葉に劉琨も同じて言う。

「すでに中原に主なく、瑯琊王でなくてはこの事態を覆せまい。ただ、幽州と江南は南北に遠く隔てられ、急場では互いに救い得ぬ。まずは上表して晋朝への忠心を顕かにし、それより策を定めるのがよかろう」

 二人は江南に人を遣わしたことであった。

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