第四回 平陽城に愍帝司馬業は害さる
そこに、斥候が馳せ戻って報せる。
「
それを聞いた石勒は、
さらに隣郡からも報告が入る。
「并州の士民で外郡に逃れた者たちが馮睹の挙兵を知り、数万の壮丁を集めて
▼「飛雲子」は『通俗』では「飛雲が子」とするが、「飛雲」なる人物はこれまでに現れず、史書にも記述がない。「飛雲子」という
石勒は怒って言う。
「吾を除こうと企てるとは、この賊徒どもは吾が劉琨より劣るとでも言うつもりか。まずは軍勢を発して馮睹を滅ぼし、その後に流民どもを平らげて飛雲子を誅殺すれば、并州も安定して乱を思う者はなくなろう」
「そうではありません。馮睹と吾らは不倶戴天の敵同士でありますが、流民たちとは怨みを結んだわけではありません。彼らは劉琨の恩を思って忠節を尽くそうとしているのみです。恩をもって安撫すれば、その意気に感じる者たちでもあります。優れた人物を挙げて馮睹に与した者たちを投降させ、恩義によって諭すのです。さらに、征伐を控えて刑罰を緩くし、租税を薄くして貧民を救えば、流民たちは従いましょう。流民が吾らにつけば、馮睹とて并州を乱せません。力によって平定しようしても従いますまい。流民の懸念は、吾らが隣郡に兵を出して戦に巻き込まれることです。仁政を行って従えれば、并州を安んじるのみならず、
「
「
石勒は張賓の諫言に従い、孔萇を呼び戻すと馮睹に書状を遣って意図するところを述べ、自らは軍勢とともに襄國に還った。
李回は高札を掲げて流民を呼び返すとともに、士民を教導する。その一方、馮睹は石勒の書状に感じ、将兵とともに晋陽に到って李回に
それより晋陽が安寧に治まったこと、張賓の目論んだとおりであった。馮睹の書状が襄國に到り、晋陽に帰した経緯が
※
漢主の
酒に酔った劉聰は机を打って歌う。
平陽に業を建てて威は四方に加わる
今や西地を
いつかは天下を統一して漢の旧土を恢復しよう
歌い終わると自ら杯を挙げ、
「卿らは晋陽に来てからこのあたりの山水を観ておるまい。明日は卿らと郊外に出て狩猟しようと思うが、どうか」
公卿はいずれも
※
翌日、劉聰たちは行列を整えて狩猟に向かう。
「あれは長安の天子だった人だ」
その声を聞いた人々は争って前に進み、父老は涙を流して見送った。
晋から降った
数日の後、洛陽からの使者があって漢主の太子の
「
劉燦はそれを聞くと、司馬業を殺して晋人の望みを絶つよう劉聰に勧めた。劉聰が言う。
「先に
劉燦が駁して言う。
「昔、周の武王が仁義により
劉聰はその言葉を黙然と聞くだけであった。
※
一日、劉聰はふたたび文武の百官を会して宴会を開き、問うて言う。
「漢の治世の藩鎮を数えるに、今も残っているところがあるであろうか」
百官が応じて言う。
「漢は
劉聰が重ねて問う。
「曹操は山東にあったにも関わらず、何ゆえに山西、関中をも奪われたのか」
老臣の一人が進み出て言う。
「昔、
▼誤りがあるが、原文のままとしている。
「劉氏が鎮守していた藩鎮は朕の父子が恢復しておる。先の恥を雪いだと言えよう」
劉聰は盃を干して旧土の恢復を慶賀せんと思い、司馬業に百官に酌するよう命じる。多くの者たちは、晋帝であった司馬業を酌夫のように使っては外聞がよくないと考え、衣を替えるように装ってその場を離れさせようとした。
劉聰が哂って言う。
「卿は百官に酒を酌みたくないか。それならば止めておこう。代わりに朕の傍らにあって扇を執るならば、酒を酌むよりよいか」
司馬業は恥を忍んでその命に従った。堂下にあった晋の旧臣たちは、涙を流したものの隠忍して声を挙げない。その中より辛賓と閻鼎が進み出て言う。
「吾らの主君に役を命じられるならば、代わって吾らが役を務めよう。大国の君主を辱めるな」
そう言うと、司馬業の手から扇を奪って投げ捨て、その腕を掴んで言う。
「臣の身でありながら国家を保ち得ず、陛下にこのような辱めを受けさせてしまいました。これでは、生きておっても死んでいるようなものです。吾らが生きているのは、陛下をお救いしようと思うがゆえです」
そう叫んで大哭した。劉聰が怒って言う。
「気狂いどもめが無礼をなすか。扇を
兵に命じて司馬業と晋臣を牽き出して斬刑に処するよう命じ、幾ばくかの間を置いて首級が宴席に献上された。司馬業は後に
西晋は
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