第五回 陳元達は表を遺して自殺す
晋の
詔書を拝した瑯琊王が一読すると、次のように述べられている。
今や失陥寸前の皇城にあって憂慮は尽きず、士民は恐怖に
そのため、平東将軍の宋哲に代わって朕の意を述べるよう命じた。
瑯琊王は涙を流すと再拝して言った。
「
軍令を発して兵を集め、来るべき日に備えて調練を繰り返す。遠近の郡縣に檄文を遣って北伐の軍勢を糾合する一方、宋哲を
▼「引駕将軍」という官は史書にない。北伐に際して郷導にあたる任と解するのがよい。
※
その時、河北より使者があって司馬業が
瑯琊王は大哭して言う。
「軍期に及ばず、孤が北伐する前に聖上を連れ去られてしまった」
怒った瑯琊王は
▼「督運内史」という官は史書にない。兵站を担う責任者と解するのがよい。
淳于伯は罪なくして刑戮されたと噂し、士民は密かに瑯琊王を誹って言う。
「軍勢を発して北伐できず、兵站を担う官吏に罪を着せるとは、まったく道理に合わぬ」
「淳于伯は死罪にあたる罪を犯してはおりません。礼をもってその屍を葬るのがよろしいかと存じます」
瑯琊王は誤りを悔いて
王導はこれらの責を負って辞職を申し出る。申し出を聞いた瑯琊王が言う。
「刑政が宜しきを得ないのは孤の罪である。諸卿が責を負うことはない」
辞職は許されず、淳于伯の屍は劉隗の上表とおりに葬られ、北伐の議は沙汰止みとなった。
※
瑯琊王が軍勢を調練しているという風聞は、平陽にある漢主の
懸念するところ、兵站が整わず北伐の議は沙汰止みとなったと報せる者があり、劉聰は喜んで言う。
「
ついに日々楽しみに耽って朝政を執らなくなった。
劉聰が寵愛する
「
勧めを聞いた劉聰が召し入れてみれば、果たして諸々の
「
劉聰はその諌めを容れず、陳元達は朝廷より退いた。その後、正皇后となれなかった月光が怨みに思って
月光の死後、劉聰はその美貌を惜しんで陳元達を逆恨みする。
「陳元達が黙っておれば、月光は自殺などせなんだ。宦者に
月光の醜聞を調べた宦者を殺すと、陳元達にも出仕を禁じる。
陳元達は恥を忍んで朝廷を退き、それより劉聰を諌める者はいなくなった。ただ、王沈と郭猗の言葉だけを聞き、二后四妃と後宮で飲宴して時を過ごす。
生殺や高官の
※
王沈と郭猗は劉聰に寵愛されたものの、皇太弟の
二人を除くべく劉燦に謗って言う。
「聞くところ、皇太弟と大将軍が密かに意を合わせて何事かを企んでいるとのことです。探ったところ、
それより先、郭猗は王皮と劉惇に密かに告げて言う。
「主上と相国は皇太弟と大将軍の逆状をつぶさにご存知である。二公もそのことはご存知であろう」
「どうして逆状などあろうか」
「主上はすでに皇太弟と大将軍の罪を定めておられる。二公の一族もあわせて族滅されることとなろう。吾はそれを憐れんで申しているのだ」
そう言うと郭猗はすすり泣くように装った。王皮と劉惇は恐れて色を失い、再拝して助命を請う。
「生きたいと願うのであれば、相国が問われた際に吾が言うように応えればよい。その時には吾が傍らより口添えして助命してやろう。さすれば、命を奪われることはない」
二人は
※
翌日、劉燦は果たして王皮と劉惇を召し出した。劉義と劉宏の逆状を問われた二人はただそれを認め、劉燦はそれを信じて漢主の劉聰に上奏し、罪を正そうとした。
劉義は賢にして政事に優れており、在世の頃の
「劉義は必ずや漢を安んじる働きをしよう。必ずや大位を伝えよ」
劉聰も劉義の聡明にして誠実であることを喜び、また性格もよく馬が合うので必ず事を諮った。
そのため、劉燦が上奏したところで劉聰は首を縦に振らない。さらに、太子の劉燦は父が弟の劉義に帝位を譲るのではないかと常々懼れており、それを阻む計略も思いつかなかった。
思い悩んだ劉燦は、
靳準もまた皇后の父でありながら、劉義と劉宏があっては専権を振るえない。この機に乗じて二人を除くよう勧めて言う。
「皇太弟と大将軍が変事を企てていると報せたところで、主上は信じられますまい。遠からず、帝位は皇太弟に奪われましょう。子として父の業を継げず、天地の間に身を置く場所などございますまい。臣は皇后の父として国戚の身であります。それゆえ、敢えて太子のために命を賭けて上奏いたしましょう」
「王皮と劉惇は皇太弟と大将軍の逆状を認めておるが、主上はそれでも信じられない。どうしたものであろうか」
「殿下が皇太弟を除かれたいとお望みであれば、臣に主上の御心を動かす一計がございます。皇太弟は士を好まれます。東宮の警備は厳しく賓客の出入りも少なく、その過失を求められません。そこで、警護を緩めて賓客の往来を盛んにすればよいのです。いずれその間より過失が漏れ聞こえて参りましょう。それを待って臣が密かに罪状を構え、賓客を捕らえて罪を明かにするのです。罪状が上奏されてしまえば、主上とて信じないわけにはいきますまい」
劉燦はその計に従い、
「東宮警護の兵を外敵の防禦に
劉燦が駁して言う。
「東宮は皇太弟の管掌するところ、相国の枢機は吾の管掌するところ、叔父と甥が心を同じくしておるのだから、前例に拘泥する必要はない」
強いて卜抽に命じ、兵を減らさせた。
※
陳休と卜崇は東宮にあって正議を持し、皇太弟も行いを謹まざるを得ない。王沈と郭猗は二人を深く嫌い、何とか除こうと画策した。
東宮の侍中の
「王沈は讒言を構えて正人を嫉み、吾らが東宮にある限り姦計を行えないと考えておる。久しからず、禍が及ぶことになろう。王沈は主上の寵愛を得て権勢に並ぶ者がないとは、卿らも知るところであろう。自らの死生を図らねばならぬ。栄枯盛衰は一息の間に転じるもの、昔の
陳休と卜崇が言う。
「吾らは齢五十を超えて職位は尊く、忠義を守って節に死んで悔いはない。どうして宦官ごときに首を垂れて生き残ることを望もうか」
数日を過ぎず、靳準が皇太弟の劉義を弾劾した。
「大将軍の劉宏と東宮の官吏たちは賓客を通じて宮城に出入りし、不軌を図っている」
漢主の劉聰も聞いて疑いを持ち、傍らにある王沈が言葉を尽くして皇太弟の罪を訴えた。さらに月華も父の靳準から教えられた讒言を劉聰に吹き込み、ついに劉聰も讒言を信じ込むに至った。
陳休と卜崇に加えて特進の
卜幹が号泣して諌める。
「刑戮を行われるのであれば、秋を待って実情を審らかにし、その後に法により罪を正しても遅くはございません」
王沈が劉聰の傍らより叱って言う。
「侍中(卜幹)は国法を
ついに卜幹も口を閉ざし、涙を流して朝廷を退いた。
※
翌日、詔があって劉義、劉宏、卜幹は官爵を剥奪され、庶人に落とされた。
劉易、姜發に加えて
伏して天下を治める道を思いますに、正と逆というものがございます。
正であれば天下は治まって諸事は安んじ、逆であれば天下は乱れて万政は思うに任せません。今、王沈は宦官の身でありながら天下の常道を侮り、
その一族は州郡の任につき、一たび門を出れば重賞を得る有様、
誠に、富は王侯に並んで貴は天子に次ぐと言わざるを得ません。
その
古より「沸騰する釜の湯を冷ますには薪を除くがよく、腫れ物は痛くても毒を発する前に潰さねばならぬ」と申します。
臣らの思うに、王沈と郭猗を
天下にとっても宗廟にとっても幸甚と存じます。
上奏文が呈された時、劉聰は二人の皇后と
上奏文を読んだ劉聰が二人に示すと、ひざまづいて言う。
「これらの大臣は三人の過失をご存知なく、かえって吾らに罪ありとされております。王皮と劉惇の証言が誤りであるはずがございません。陛下におかれましては、これらの罪を審らかになさるのがよろしいでしょう」
上奏を読み返すと心に疑惑を生じ、劉聰は太子の劉燦に問うた。劉燦は王沈と郭猗の忠直を褒めた後に言う。
「皇太弟と大将軍は自ら罪を犯したのであり、王沈と郭猗は関係ございません」
劉聰はその言葉を信じ、かえって王沈と郭猗を列侯に封じた。
※
劉易と諸将はふたたび上奏して王沈らを誅して国政を正すよう願い、劉聰は怒って上奏文を引き裂いた。劉易らが佞人に阿附して勲人を嫉んでいると罵ると、叱って退ける。
劉易は私邸に帰ると憂憤のために食事を摂らず、ついに世を去った。
この劉易という人は、
陳元達はその死を知ると哭して言う。
「哲人が世を去っては万機はことごとく失われよう。吾が言も
そう嘆くと劉聰を諌める上奏文を認めた後、薬を呑んで自ら命を絶ったことであった。
仇敵である晋はいまだ滅びず、
これは、陛下の心腹四肢が病に冒されているようなものです。
漢の天下の先行きはいまだ磐石とは言えません。
それにも関わらず、王沈、郭猗、靳準らの讒言により忠良の臣を誅殺し、国家を正す良医を廃しては、一旦に病が発した際に誰が国家を救い得ましょうや。
臣は今まさに死せんとし、国家を思うも力及ばず九泉に瞑目いたします。
大漢に幸いあれ。
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