第五回 陳元達は表を遺して自殺す

 晋の平東へいとう将軍の宋哲そうてつは、晋帝の司馬業しばぎょうの詔を奉じて江南こうなんに向かう途上、長安の失陥と司馬業の降伏を聞いた。ちょうど呉に入ったところであったが、賊徒に道を阻まれることを懼れて行李を捨て、心にじながら単身で建康けんこうに行き着くと、瑯琊王ろうやおう司馬睿しばえいに謁見を求めた。

 詔書を拝した瑯琊王が一読すると、次のように述べられている。


 ちんは天運の衰退に際会して晋室を盛んにできず、自らの寡徳かとくに恥じ入るばかりである。衆人の輔翼ほよくを受けて皇統こうとうを継ぎ、それより天運の興隆と中原を恢復かいふくして中興せんと願ってきた。それにも関わらず、謀議が止まず兇悪な胡賊は跳梁ちょうりょう跋扈ばっこして兵威をほしいままに畿内に迫り、たびたび戦に利を失ってもはや抗いきれぬ時勢に立ち至った。

 今や失陥寸前の皇城にあって憂慮は尽きず、士民は恐怖におののいている。ただ、一朝に覆って司馬氏代々の宗廟そうびょうが胡賊の手に陥ることを恐れるばかりである。

 そのため、平東将軍の宋哲に代わって朕の意を述べるよう命じた。

 丞相じょうしょう(司馬睿)は祖宗が創業された際の艱難かんなんを思い、すみやかに朕に代わって万機を統べよ。国都を恢復して国家の恥をすすぎ、万民の望みを繋いでもらえれば、これに過ぎる幸甚はない。


 瑯琊王は涙を流すと再拝して言った。

は国家を覆した罪人です。ただ節を守って義を行い、国家の恥を雪いで少しでも先帝の霊を慰めるよりございません」

 軍令を発して兵を集め、来るべき日に備えて調練を繰り返す。遠近の郡縣に檄文を遣って北伐の軍勢を糾合する一方、宋哲を引駕いんが将軍に任じ、出陣に先んじて道の確保を命じる。

▼「引駕将軍」という官は史書にない。北伐に際して郷導にあたる任と解するのがよい。


 ※


 その時、河北より使者があって司馬業が平陽へいように連行されたとの報せがあった。

 瑯琊王は大哭して言う。

「軍期に及ばず、孤が北伐する前に聖上を連れ去られてしまった」

 怒った瑯琊王は督運とくうん内史ないし淳于伯じゅんうはくを斬刑に処した。くびを斬られたものの、溢れる血は天を指して一丈いちじょう(約3.1m)の高さまで届き、屍はいつまでも立ったままであった。

▼「督運内史」という官は史書にない。兵站を担う責任者と解するのがよい。

 淳于伯は罪なくして刑戮されたと噂し、士民は密かに瑯琊王を誹って言う。

「軍勢を発して北伐できず、兵站を担う官吏に罪を着せるとは、まったく道理に合わぬ」

 劉隗りゅうかいという者が上表してこのことを論じた。

「淳于伯は死罪にあたる罪を犯してはおりません。礼をもってその屍を葬るのがよろしいかと存じます」

 瑯琊王は誤りを悔いて中郎将ちゅうろうしょう周筵しゅうえんの官を免じ、これより法令が明かに行われるようになった。

 王導はこれらの責を負って辞職を申し出る。申し出を聞いた瑯琊王が言う。

「刑政が宜しきを得ないのは孤の罪である。諸卿が責を負うことはない」

 辞職は許されず、淳于伯の屍は劉隗の上表とおりに葬られ、北伐の議は沙汰止みとなった。


 ※


 瑯琊王が軍勢を調練しているという風聞は、平陽にある漢主の劉聰りゅうそうの許に届いた。劉曜りゅうよう関中かんちゅうに軍勢を留めて石勒せきろく河北かほくにあり、許昌きょしょう洛陽らくようがある河南かなんに駐留する大軍はない。

 懸念するところ、兵站が整わず北伐の議は沙汰止みとなったと報せる者があり、劉聰は喜んで言う。

并州へいしゅうを併呑して平楽へいがくも陥り、四方に脅かす敵はいない。天下は泰平である」

 ついに日々楽しみに耽って朝政を執らなくなった。

 劉聰が寵愛する宦者かんじゃ王沈おうちん郭猗かくいという者があり、勧めて言う。

中護軍ちゅうごぐん靳準きんじゅんに二人の娘があり、長女を月光げっこう、次女を月華げっかと申します。二人とも傾国の美を誇り、皇后に相応しい美貌でございます」

 勧めを聞いた劉聰が召し入れてみれば、果たして諸々の妃嬪きひんにも及ぶ者がない。中書に命じて勅書を起草させ、月華を正皇后とし、劉皇后と月光を改めて左右の皇后とした。

 相国しょうこく陳元達ちんげんたつは上奏して諌めた。

三皇さんこう五帝ごていより一国に三人の皇后が立った前例はございません。今、陛下は賢人を求めて統治を輔佐させることを思われず、専ら佞人ねいじんを寵愛して女色をほしいままにしておられます。社稷しゃしょくに禍が起こらぬかと恐れるばかりです」

 劉聰はその諌めを容れず、陳元達は朝廷より退いた。その後、正皇后となれなかった月光が怨みに思って姦通かんつうしていると聞くに及び、その事情を劉聰に告げた。劉聰も初めは信じなかったものの、宦者に調べさせてみれば果たして陳元達の言葉とおりであった。劉聰が召し出して詰問すると、月光は罪を恥じて自殺した。

 月光の死後、劉聰はその美貌を惜しんで陳元達を逆恨みする。

「陳元達が黙っておれば、月光は自殺などせなんだ。宦者にまいないして月光を陥れたのではあるまいか」

 月光の醜聞を調べた宦者を殺すと、陳元達にも出仕を禁じる。

 陳元達は恥を忍んで朝廷を退き、それより劉聰を諌める者はいなくなった。ただ、王沈と郭猗の言葉だけを聞き、二后四妃と後宮で飲宴して時を過ごす。

 生殺や高官の黜陟ちゅっちょくに関わる大事に限り、王沈が後宮に入って劉聰の意向を伺う。それ以外の政事は太子の劉燦りゅうさんに委ねて相国に任じ、自ら決裁させるようになった。


 ※


 王沈と郭猗は劉聰に寵愛されたものの、皇太弟の劉義りゅうぎと大将軍の劉宏りゅうこうが朝廷にあっては自らの欲を恣にできない。

 二人を除くべく劉燦に謗って言う。

「聞くところ、皇太弟と大将軍が密かに意を合わせて何事かを企んでいるとのことです。探ったところ、上巳じょうしの宴会の折、叛乱を起こそうとしているようです。すでに上巳まで日がございません。すみやかに謀らねば防ぎきれますまい。殿下が吾らの言を疑われるならば、大将軍の従事じゅうじ王皮おうひ司馬しば劉惇りゅうとんを召して問われれば、真偽のほどは明らかになりましょう」

 それより先、郭猗は王皮と劉惇に密かに告げて言う。

「主上と相国は皇太弟と大将軍の逆状をつぶさにご存知である。二公もそのことはご存知であろう」

「どうして逆状などあろうか」

「主上はすでに皇太弟と大将軍の罪を定めておられる。二公の一族もあわせて族滅されることとなろう。吾はそれを憐れんで申しているのだ」

 そう言うと郭猗はすすり泣くように装った。王皮と劉惇は恐れて色を失い、再拝して助命を請う。

「生きたいと願うのであれば、相国が問われた際に吾が言うように応えればよい。その時には吾が傍らより口添えして助命してやろう。さすれば、命を奪われることはない」

 二人は唯々いいとしてうべない、退いた。


 ※


 翌日、劉燦は果たして王皮と劉惇を召し出した。劉義と劉宏の逆状を問われた二人はただそれを認め、劉燦はそれを信じて漢主の劉聰に上奏し、罪を正そうとした。

 劉義は賢にして政事に優れており、在世の頃の劉淵りゅうえんは劉聰に言った。

「劉義は必ずや漢を安んじる働きをしよう。必ずや大位を伝えよ」

 劉聰も劉義の聡明にして誠実であることを喜び、また性格もよく馬が合うので必ず事を諮った。

 そのため、劉燦が上奏したところで劉聰は首を縦に振らない。さらに、太子の劉燦は父が弟の劉義に帝位を譲るのではないかと常々懼れており、それを阻む計略も思いつかなかった。

 思い悩んだ劉燦は、侍中じちゅうの靳準に計を問う。

 靳準もまた皇后の父でありながら、劉義と劉宏があっては専権を振るえない。この機に乗じて二人を除くよう勧めて言う。

「皇太弟と大将軍が変事を企てていると報せたところで、主上は信じられますまい。遠からず、帝位は皇太弟に奪われましょう。子として父の業を継げず、天地の間に身を置く場所などございますまい。臣は皇后の父として国戚の身であります。それゆえ、敢えて太子のために命を賭けて上奏いたしましょう」

「王皮と劉惇は皇太弟と大将軍の逆状を認めておるが、主上はそれでも信じられない。どうしたものであろうか」

「殿下が皇太弟を除かれたいとお望みであれば、臣に主上の御心を動かす一計がございます。皇太弟は士を好まれます。東宮の警備は厳しく賓客の出入りも少なく、その過失を求められません。そこで、警護を緩めて賓客の往来を盛んにすればよいのです。いずれその間より過失が漏れ聞こえて参りましょう。それを待って臣が密かに罪状を構え、賓客を捕らえて罪を明かにするのです。罪状が上奏されてしまえば、主上とて信じないわけにはいきますまい」

 劉燦はその計に従い、李矩りくの兵を防ぐという名目で東宮の護衛を務める卜抽ぼくちゅうに警護の兵を減らすよう命じた。

 少傅しょうふ陳休ちんきゅう參軍さんぐん卜崇ぼくすうは忠直で知られ、靳準の計略であるとは知らぬものの、諌めて言った。

「東宮警護の兵を外敵の防禦にてるなど聞いた例がございません」

 劉燦が駁して言う。

「東宮は皇太弟の管掌するところ、相国の枢機は吾の管掌するところ、叔父と甥が心を同じくしておるのだから、前例に拘泥する必要はない」

 強いて卜抽に命じ、兵を減らさせた。


 ※


 陳休と卜崇は東宮にあって正議を持し、皇太弟も行いを謹まざるを得ない。王沈と郭猗は二人を深く嫌い、何とか除こうと画策した。

 東宮の侍中の卜幹ぼくかんは、その事情を覚って陳休と卜崇に言う。

「王沈は讒言を構えて正人を嫉み、吾らが東宮にある限り姦計を行えないと考えておる。久しからず、禍が及ぶことになろう。王沈は主上の寵愛を得て権勢に並ぶ者がないとは、卿らも知るところであろう。自らの死生を図らねばならぬ。栄枯盛衰は一息の間に転じるもの、昔の陳蕃ちんばん竇武とうぶのように帝室に近く賢明なものであっても、屠戮とりくの害に遭っているのだ。よくよく考えられよ」

 陳休と卜崇が言う。

「吾らは齢五十を超えて職位は尊く、忠義を守って節に死んで悔いはない。どうして宦官ごときに首を垂れて生き残ることを望もうか」

 数日を過ぎず、靳準が皇太弟の劉義を弾劾した。

「大将軍の劉宏と東宮の官吏たちは賓客を通じて宮城に出入りし、不軌を図っている」

 漢主の劉聰も聞いて疑いを持ち、傍らにある王沈が言葉を尽くして皇太弟の罪を訴えた。さらに月華も父の靳準から教えられた讒言を劉聰に吹き込み、ついに劉聰も讒言を信じ込むに至った。

 陳休と卜崇に加えて特進の綦毋達きぼたつたち七人を捕らえて尋問し、いずれも死罪に処せられた。

 卜幹が号泣して諌める。

「刑戮を行われるのであれば、秋を待って実情を審らかにし、その後に法により罪を正しても遅くはございません」

 王沈が劉聰の傍らより叱って言う。

「侍中(卜幹)は国法をゆるがせになさるおつもりか。同謀したと見なされても反論できませんぞ」

 ついに卜幹も口を閉ざし、涙を流して朝廷を退いた。


 ※


 翌日、詔があって劉義、劉宏、卜幹は官爵を剥奪され、庶人に落とされた。

 河間王かかんおう劉易りゅうえきは上奏して諌めようとするも、独りでは劉聰が容れぬかと懼れ、侍中の姜發きょうはつに諮って関中かんちゅうより凱旋した宿将たちと連名で皇太弟の冤罪を訴えることとした。

 劉易、姜發に加えて黄臣こうしん関山かんざん呼延顥こえんこう廖全りょうぜんらが名を連ねた上奏は次のようなものであった。

 

 伏して天下を治める道を思いますに、正と逆というものがございます。

 正であれば天下は治まって諸事は安んじ、逆であれば天下は乱れて万政は思うに任せません。今、王沈は宦官の身でありながら天下の常道を侮り、権柄けんぺいを盗んで朝廷を乱し、百官の黜陟を恣にしております。

 その一族は州郡の任につき、一たび門を出れば重賞を得る有様、京畿けいき周辺の肥沃な田地、美麗な邸宅の半ばは王沈が所有しております。

 誠に、富は王侯に並んで貴は天子に次ぐと言わざるを得ません。

 その僭越せんえつにより民の怨気は天に上って盗賊は放棄し、石勒せきろく曹嶷そうぎょくは奸計に陥ることを恐れて国都を避け、将来には必ずや禍に罹るであろうと疑っております。

 古より「沸騰する釜の湯を冷ますには薪を除くがよく、腫れ物は痛くても毒を発する前に潰さねばならぬ」と申します。

 臣らの思うに、王沈と郭猗を誅殺ちゅうさつし、皇太弟の官爵を復して陳元達をふたたび登用すれば、自ずから外敵は静まって内難も止み、国家は永く繁栄いたしましょう。

 天下にとっても宗廟にとっても幸甚と存じます。


 上奏文が呈された時、劉聰は二人の皇后と千秋閣せんしゅうかくで宴会の最中であった。傍らには王沈と郭猗だけがある。

 上奏文を読んだ劉聰が二人に示すと、ひざまづいて言う。

「これらの大臣は三人の過失をご存知なく、かえって吾らに罪ありとされております。王皮と劉惇の証言が誤りであるはずがございません。陛下におかれましては、これらの罪を審らかになさるのがよろしいでしょう」

 上奏を読み返すと心に疑惑を生じ、劉聰は太子の劉燦に問うた。劉燦は王沈と郭猗の忠直を褒めた後に言う。

「皇太弟と大将軍は自ら罪を犯したのであり、王沈と郭猗は関係ございません」

 劉聰はその言葉を信じ、かえって王沈と郭猗を列侯に封じた。


 ※


 劉易と諸将はふたたび上奏して王沈らを誅して国政を正すよう願い、劉聰は怒って上奏文を引き裂いた。劉易らが佞人に阿附して勲人を嫉んでいると罵ると、叱って退ける。

 劉易は私邸に帰ると憂憤のために食事を摂らず、ついに世を去った。

 この劉易という人は、右賢王ゆうけんおうの子にして忠直であるがため、重ねて諌めたのである。諸将は国家の柱石と目していたものの、諌めを容れられずに世を去った。

 陳元達はその死を知ると哭して言う。

「哲人が世を去っては万機はことごとく失われよう。吾が言もれられず、黙々として命を全うしたとて、先帝の負託に背くだけではないか」

 そう嘆くと劉聰を諌める上奏文を認めた後、薬を呑んで自ら命を絶ったことであった。

 

 仇敵である晋はいまだ滅びず、巴蜀はしょくの李氏は従わず、石勒は趙魏に拠って曹嶷は齊地を睥睨へいげいしております。

 これは、陛下の心腹四肢が病に冒されているようなものです。

 漢の天下の先行きはいまだ磐石とは言えません。

 それにも関わらず、王沈、郭猗、靳準らの讒言により忠良の臣を誅殺し、国家を正す良医を廃しては、一旦に病が発した際に誰が国家を救い得ましょうや。

 臣は今まさに死せんとし、国家を思うも力及ばず九泉に瞑目いたします。

 大漢に幸いあれ。

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