第二十八回 段末杯は段匹殫を討つ

 かつて王浚おうしゅんに従事として仕えた荀綽じゅんしゃく幽州ゆうしゅうに閑居していた。段匹殫だんひつせん劉琨りゅうこんよりこれより乱が起こることを見越し、家眷かけんとともに南を目指し、百十日後に江南こうなんに到った。

 温嶠おんきょうは荀綽より劉琨の死を聞くと大哭し、北を拝して言う。

「吾は劉太尉りゅうたいい(劉琨、太尉は官名)の命を奉じて江南に到り、朝廷に申し上げて河北かほくの恢復を求めておりました。河北に還ることを度々求めて得られず、母を捨てて主を忘れ、どうして人として生きていられましょう」

 劉琨は皇室に尽忠して孤立する晋陽しんようを守り、匈奴きょうど羌族きょうぞく跋扈ばっこする河北で数十年に渡って国事に尽力し、また、家眷を率いて幽州ゆうしゅうに逃れた後にも恢復の志を捨てなかった。

 温嶠は上奏し、劉琨の子を召還して優遇し、朝廷が忠臣に篤く報いることを示すべきであると論じた。晋帝の司馬睿しばえいはその上奏に従わず、ただ温嶠を散騎侍郎さんきじろうに任じた。

 これに憤った温嶠は河北に還って母の喪に服すると称し、職に就くをがえんじない。晋帝はようやく詔を下し、劉琨に忠愍公ちゅうびんこうという諡号を与えた。

 合わせて晋帝は温嶠の才を惜しんで河北に還ることを嫌い、詔を下して私情により勅命を拒むかと責めた。温嶠はやむなく散騎侍郎の官に就いた。

 

 ※

 

 この頃、晋帝は尚書令しょうしょれい刁協ちょうきょう侍中じちゅう劉隗りゅうかいを重く用いていた。刁協は剛毅な性格で筋を曲げず、劉隗も直情径行で奸人を許さない。二人は朝廷の弊害を正さんと励む。

 朝廷では皇帝を尊んでその権威を高め、豪族ごうぞく勢家せいかを排斥して旧弊を改め、弾劾するにあたっては権貴を避けない。瑯琊ろうや王氏おうしは、帝が二人を用いてその勢威を阻んでいるかと疑い、密かに反感を強めていた。

 温嶠はその二人を通じて劉琨の冤罪を明かにしようと考え、刁協と劉隗はそれに同じて上奏する。

「劉琨は晋の重臣であるにも関わらず、段匹殫に殺害されたのです。理においてはその罪を問わねばなりません」

 段匹殫は幽州に拠って強盛を誇り、さらに江南から遠く離れた幽燕ゆうえんに兵を出せば、兵站は続かず援軍も出せない。晋帝は二人の上奏を見てそのように考え、嘉納しなかった。

 温嶠は重ねて刁協と劉隗に言う。

「段匹殫は朝廷の仇敵です。劉太尉(劉琨)は段末杯だんまつかいに誤られて命を落としました。何ゆえに段末杯と劉琨の子らに詔を下し、挙兵して仇に報いるよう命じられないのですか。朝廷より遠征して罪を問う必要などありますまい」

 二人はその旨を上奏し、晋帝は段末杯に詔を下すこととした。

 

 ※

 

 段匹殫討伐の詔を得た段末杯は出兵の名分を得た。

 劉琨の子の劉濟りゅうさい劉群りゅうぐん、麾下にあった盧諶ろしん姫澹きたん郝詵かくせんそれに麾下の宇文悉うぶんしつとともに十万の軍勢を率いて遼西りょうせいより幽州に向かう。

 幽州の兵はそれを知ると馬を返して段匹殫に報せ、段匹殫は弟の段文鴦だんぶんおうを先鋒として迎え撃つこととした。城を出て十里(約5.6km)も進まないうちに両軍は出遭い、陣を構えて対峙に入る。

 両軍の士気は高く、幽州軍の陣頭には段文鴦があって敵陣を睥睨へいげいする。遼西軍の陣頭に立つ者は、朔城さくじょう出身の宇文悉であった。

 両軍とも本軍はまだ到着していないものの、将兵の鯨波げいはが山岳を震わせる。しばらくすると本軍も到着し、主帥の段匹殫と段末杯が陣頭に姿を現した。

「賢弟の行いは不仁の極みであろう。骨肉の親が争うことは古来より大悪とされており、史上にも枚挙に暇がない。それを顧みず、この不祥の戦をなすつもりか」

 段匹殫が叫ぶと段末杯が応じる。

「吾は詔を奉じて劉琨を殺した罪を問うものである。すでに晋より爵禄を受けて久しく、朝命を違えるわけにはいかぬ。ゆえに軍勢とともにここに来たのだ。疑う余地はあるまい」

「吾は忠心によって晋室のために力を尽くし、尺寸の功績を立てたく思っておった。しかし、劉琨は義に背いて吾らを害そうと図った。ゆえに、天は奸心を許さず、その密書は段文鴦の手に落ちたのだ。その書を見た劉琨は罪を恥じて吾に見える顔がなく、自ら縊れて死んだ。それを厚く葬ってやったのだ。咎が吾にあるはずもない。書状はまだ手元にあり、いつでも見せてやる」

「私の書状など証拠にならぬ。詔が降った以上は確たる証拠があるのだ。誰ぞ馬を出して劉公の仇に報いてみせよ」

 段末杯の言葉に応じ、劉琨の子の劉群が鎗を捻って突きかかる。段文鴦は槊を振るって前を阻み、二人の戦は二十合を超えた。劉群の劣勢を観た劉濟りゅうさいが飛び出すも、五合に及ばず段文鴦の槊を受けて馬下に落命する。

 宇文悉が救いに向かい、大刀を振るって斬り込む。大刀が雷電のように煌いて槊は風を起こし、五、六十合を過ぎて勝敗を見ない。

 代の衛雄えいゆうが加勢に向かおうとすれば、段匹殫と段叔渾だんしゅくこん、それに副将の赫連楨かくれんてい練千秋れんせんしゅうらが一斉に攻めかかった。

 姫澹と衛雄が陣前に出れば、宇文悉が段文鴦に追われて槊を頭に受けて落命する。二将も士気が下がった軍列を支えきれず、ついに幽州兵は総崩れとなった。

 段文鴦は赫連楨、練千秋とともに追撃し、姫澹と衛雄は殿後となって追撃の兵を進ませない。かつ戦い、かつ逃れること三十里(約18.3km)を超えても、幽州兵の死傷者はそれほど多くなかった。

 日暮れにあって段文鴦はようやく兵を返し、段末杯は軍営を置いて諸将と進退を諮った。

「今日の一戦で宇文悉を喪い、劉濟の死もあって士気を挫かれた。明日にも段文鴦が攻め寄せてくるであろう。どのように応じるべきか」

「吾らはまだ負けたわけではございません。必ずや劉公の仇に報いて御覧に入れます。まずは再戦して敵情を窺いましょう」

 盧諶がそう言い、軍議はそれまでとなった。

 

 ※

 

 翌日の早朝より段文鴦が軍営に攻め寄せてきたものの、段末杯はただ軍営を守って戦わない。それより十日ほどもそのような対峙が続いた。段末杯が盧諶に言う。

「段文鴦は驍勇、吾らは軍営を守っているが、日々の罵詈雑言で士気は下がっておる。これを何とかせねばならぬ。従事じゅうじ(盧諶)は中国の大才であれば、賊を破る策を案じていよう」

「一計が成りました。敵の士気は段文鴦の驍勇に頼っております。この者を破らねば勝利はありません。これまでの戦勝により、その気は驕っておりましょう。さらに計略を善くする者でもなく、容易に陥れられます。明日は軍営を出て布陣し、五千の弓兵を軍門の左右に伏せておきます。主帥は劉公子りゅうこうし(劉群)とともに出戦し、逃げるように見せかけて頂きます。段文鴦は必ずや深追いするでしょう。姫将軍きしょうぐん(姫澹)は後に続く敵兵を阻んで下さい。それでも馬を返さないはずです。吾は陣にあって弓隊を率い、一斉に射かけて討ち取ります。段文鴦さえ除けば、段匹殫をとりことするなど掌を反すようなもの、幽州は吾らの有に帰しましょう」

 段末杯はその策を容れ、盧諶の計略に従って軍勢を部署した。

 

 ※

 

 翌日、盧諶はすべての用意を整え終わった。

 段末杯は劉群とともに出戦して陣を布き、段文鴦もそれに応じて布陣した。

「段末杯は宇文悉を喪い、内心では恐れおののいていよう。それゆえにこの数日は戦を避けておったのだ。今日になって出戦するとは、遼西に逃げ帰るつもりであろう。敵を破った後、決して逃がしてはならぬ。必ずや段末杯を擒として後患を除け」

 段匹殫の言葉をうべない、段文鴦は赫連楨、練千秋とともに陣頭に出た。

「宇文悉はすでにあの世に行った。誰ぞ吾に戦を挑む者はあるか。賢兄(段末杯)は劣勢を覚らず、軍勢を遼西に返されよ。さすれば、身を傷つけることもなく、骨肉を損なうこともあるまい」

 段文鴦が叫ぶと、段末杯が応じる。

「自らの強を誇っているようだが、宇文悉は馬蹄の乱れによって不運にもお前に討たれたに過ぎぬ。今日こそお前を討ち取って先日の仇に報いてくれよう」

 その言葉が終わる前に劉群が飛び出して叫んだ。

「賊めが、吾が父を殺すのみならず、先の戦では吾が兄をも害した。屍を微塵にしてもこの怨みは晴らせぬ。さっさと馬から下りて罪の報いを受けよ」

「小童めが、父と兄の後を追いたいか」

 段文鴦はそう言うと、槊を振るって迎え撃ち、十合にも及ばず劉群は劣勢となる。段末杯が馬を飛ばして加勢に向かい、幽州軍の練千秋が馬を駆って前を阻んだ。

 段末杯は怖れたように装って馬を返し、自陣に向けて逃げ奔る。段文鴦はそれと覚らず先頭に立って後を追う。遼西軍が崩れたと見ると、段匹殫も本軍を進めて攻め寄せてきた。

 そこに砲声が響き渡り、姫澹、衛雄、郝詵かくせん張儒ちょうじゅが割って入る。姫澹と衛雄は後軍を斬り止め、郝詵と張儒は孤立した段文鴦の背後に迫る。段文鴦の行く先には、馬を返した段末杯、劉群、烏桓恭うかんきょうが待ち受ける。

 盧諶が旗を挙げると遼西軍の陣より蝗のごとく矢箭が射かけられ、段文鴦はその身に十を超える矢を受けた。ようやく計略に落ちたと覚って馬を返したものの、郝詵の鎗が右膝に突き立つ。それでも馬の勢いを止めず、包囲を破るべく馬を駆る。

 姫澹と衛雄は段匹殫と段叔渾の軍勢を支え止め、段文鴦を阻む余力はない。段文鴦は包囲を脱して自軍に逃げ込んだ。その一方、赫連禎と練千秋も包囲から逃れようとしたものの、張儒と郝詵が前を阻んで逃がさない。

 段末杯が馬を飛ばしつつ叫んだ。

「逆賊を逃がすな。生きながら擒として宇文悉の仇に報いよ」

 二将は決死で包囲する遼西兵を蹴散らし、身に幾つもの鎗傷を追いながらも包囲を逃れ出る。そこから百歩も行かぬうちに、姫澹と衛雄が駆けつけ、それぞれ一刀の下に赫連禎と練千秋を討ち取った。

「二将を討ち取ったが、段匹殫と段文鴦はまだ生きておる。討ち取って劉太尉の仇に報いよ」

 段末杯がそう言うと、遼西兵は鬨の声を挙げて攻めかかる。幽州兵はその勢いを支えきれず、後も顧みずに逃げ出した。遼西兵は逃げる幽州兵を追って屍が野に連なり、地が大地を赤く染めた。屍は四十里に渡って延々とつづき、刀鎗や兜鎧が至るところに投げ出されていたことであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る