第三十三回 関山は靳準を刺してかえって殺さる

 漢の陵墓がこぼたれて以来、平陽へいようでは夜を徹して鬼哭きこくの声が聞こえ、妖火が朝になっても見え隠れしていた。千里に渡っていなごの害が広がり、穀物は食い荒らされる。

 靳準きんじゅんは蝗を捕らえて穴に埋めるよう命じたが、埋めても死なずに這い出してくる。その害は止むことがなく、穀物を荒らされた民は餓えに苦しんだ。

 ある朝、衣冠をまとった犬が現れて帝座に上り、その左右にも官服を着込んで璽綬を帯びた犬が控えていた。叱って追い出したものの、気づけば姿が掻き消えていた。また、丹のように赤いひょうが降り、落ちたあたりは耐えられぬほどの血生臭さに満たされた。

 城より十里(約5.6km)ほど流れた場所、かつて劉淵りゅうえんを輔けて平陽城の縄張りを定めた韓橛かんけつという蛇を捨ててできた池のあたりに、黄臣こうしん黄命こうめいが隠居していた。

「平陽の朝廷は乱れ、城内では鬼哭の声が夜を徹して響いている」

 通りかかった者からそう聞かされると、いぶかしく思って童僕に探らせる。

「靳準が劉氏の一族を皆殺しにして帝位を奪い、さらに陵墓を毀って棺を焼き払ったそうです」

 知らされた黄臣は大哭して言う。

「必ずや靳準めの肉を喰らってこの怨みを晴らしてくれよう」

「吾らは官を退いて隠居する身、手元に兵馬がありません。何より、兄上は高齢となられて刀鎗を執れますまい。忠義を尽くそうとしても、靳準どもを討ち取れません。他に策を案じるべきです」

 黄命が諌めると、黄臣が言う。

「分かっておる。吾はこの地に残って先帝の骸骨を収め、ふたたび埋葬する。お前は襄國じょうこくに急ぎ、張孟孫ちょうもうそん張賓ちょうひん、孟孫は字)と石世龍せきせいりゅう石勒せきろく、世龍は字)に報せよ。二人が知れば、必ずや関中かんちゅうにある始安王しあんおう劉曜りゅうよう)とともに報復を行うであろう」

 黄命はその言葉に従い、すぐさま馬を引き出して襄國に向かう。黄臣は密かに漢の陵墓に向かい、散乱する遺骨を拾い集めて地に埋めた。

 

 ※

 

 諸葛宣于しょかつせんうの子の諸葛武しょかつぶは、家にあって父の霊柩を車に載せ、旅立ちの準備を進めていた。そこに漢の陵墓が破られたとの報せを受け、深く嘆息する。また、靳準の手が漢の旧臣にまで及ぶかと憂えた。

 日夜休まず準備を終えると父を遺言に従って埋葬すると言い、平陽を発って蜀に向かう。その途上、関氏の兄弟にこのことを報せるべく、関羽かんうの故郷である河東かとうかいに到った。

 行く者に道を尋ねていると、狩猟を終えた関河かんかが通りかかる。行く先を見れば、喪服を着た男が辺りを見回している。誰とも知らず通り過ぎようとすると、諸葛武の方で関河に気づいた。

「そこにおられるのは、関思遠かんしえん(関河、思遠は字)ではありませんか」

 呼びかけられた関河がつくづくと見れば、喪服を着た男は諸葛武に他ならない。急いで馬から下りて言う。

「公子は何ゆえにここにおられるのか。それに、となたの喪に服されているのか」

「言葉に詰まってうまく説明できません。まずは令叔れいしゅくに見え、ともに聞いて頂きたいのです」

 諸葛武は関河と轡を並べて家に向かい、内に入って関山かんざん関心かんしんに見えた。

 それより、靳準によって劉氏の一族が皆殺しにされたことから漢の陵墓が毀たれ、諸葛宣于が悲憤の果てに世を去ったこと、それに遊光遠ゆうこうえんが平陽を抜けて関中に向かった経緯を話し、雨のように涙を落とした。

 関山が大哭して言う。

「吾らは百戦して漢の大業を復し、祖父の願いを果たして富貴を得られると思っておったが、劉玄明りゅうげんめい劉聰りゅうそう、玄明は字)が惑乱したために官を辞した。しかし、心中では改心を望んでこの地に留まっておったのだ。それが、一朝にこのような惨事に陥ろうとは、聞くに忍びぬ」

 関心がその後を継ぐ。

「先に朝廷にあった折から、劉氏の天下を破るのは靳準と王沈おうちんであろうと思ってはおった。そのため、官職を捨てたのだ。しかし、これほどまでに早く国家に害をなすとは思わなんだ」

「吾らが朝廷にあれば、大逆など決して許さぬ。劉氏を欺くとは、吾らを欺いたに等しい。官職を捨てて隠居したのは誤りであったが、靳準にとって吾らは邪魔であろう。主上が慰留した情に報いず、父祖が国家に殉じた義を果たさず、この事態を傍観などしておれぬ。明日にも平陽に向かい、逆賊どもを討ち滅ぼして主上に奉げねばならぬ。宿念の情誼に背くことなど許されぬ」

 関山がいきり立つも、関河が諌めて言う。

「靳準の勢威は強い。単身で平陽に向かっても志は遂げられますまい。事を誤れば累は一族にまで及びましょう」

王陽おうよう孝子こうしであることを止めず、王尊おうそんは忠臣として生きた。吾の齢は七十に近く、死んだところで惜しくもない。身を捨てて漢に報い、名を後世に残すのみである」

▼「王陽」と「王尊」は前漢の人、『通俗』では「王尊」を「王遵」とする。『漢書かんじょ』王尊伝によると、王陽は益州刺史として赴任する際、九折坂きゅうせつはんという難所に到ると、「祖先より頂いた体で危険な場所に進むべきではない」と言って進まず、病と称して職を辞したという。一方の王尊は、同じ場所に到ると怯む御者ぎょしゃを叱り、「王陽は孝子であったが、この王尊は忠臣である」と言い、危険を顧みなかった。「忠孝のいずれを優先するかは、それぞれの人による」の意と解釈される。

 諌めを聞かない関山が言い募り、諸葛武が重ねて諌める。

「大人の志は国士であると申せましょう。大丈夫だいじょうふはこうあらねばなりません。しかし、一人で大事を行おうとしても無益に終わりましょう。始安王の到着を待ってともに報復されるのが上策です。それならば、志を果たせぬということはございますまい」

「吾が心はすでに定まった。一人でも平陽に向かう」

 関山はついに諌めを容れない。関心たちは犠牲を殺して漢主と諸葛宣于を祀った後、二更(午後十時)まで酒を呑んで別れた。関山はそれからも独り靳準を討つ計略を案じていた。

 翌日の早朝、関山は諸葛武の許を訪れて言う。

「公子は霊柩と荷を伴っている。蜀までの道には陳安ちんあん楊武ようぶたちが旅人を脅かしているという。ここからは関心らとともに一同して蜀に向かわれるがよい。それならば、御母堂ごぼどうも心を安んじていられよう。蜀に落ち着いた後、上党じょうとうにある姜存忠きょうそんちゅう姜發きょうはつ、存忠は字)兄弟に人を遣わし、劉永明りゅうえいめい(劉曜、永明は字)とともに平陽を恢復するよう伝えられよ。吉凶は分からぬが、吾は平陽に向かう。これより中原は大いに乱れる。ただ自らを守る者のみが生き残れるであろう」

「お言葉のとおりです。それならば、ともに関中に向かって吾らは蜀へ、大人は長安に向かって軍勢とともに平陽を恢復されるのが上策ではありますまいか。今からでも十分に間に合いましょう」

 諸葛武が勧めるも、関山は笑って言う。

「そうではない。古より、国家が滅びれば殉じる忠臣がいるものだ。今、漢が滅んで一人の殉じる者もない。恥じるべきであろう。往古、豫讓よじょうは匹夫であったが智伯ちはくの仇に報い、その名を青史に留めている。吾は上将として遇された身、一命を擲って上は先帝の恩に報い、下は吾が忠心を明らかにして一族の義をまっとうせねばならぬ。無益と分かっておってやるのだから、もう何も言うな。公子は老母に孝を尽くして幼少を慈め。吾のことは気にするな」

▼「豫讓」は春秋時代の末の人、晋の智氏に仕えて当主の智伯より国士として遇された。智伯が滅ぼされた後、仇である趙襄子ちょうじょうしを仇としてつけ狙い、果たさずして殺された。『史記』刺客列伝に事跡が残されている。

 そう言うと、一族の者たちにも別れを告げる。関氏のあによめたちも泣いて見送るよりない。関山は喪服に身を包むと大刀をき、馬に乗ると二人の僮僕とともに門を出た。

 顧みて言う。

「すぐにこの地を離れよ。遅れてはならぬ」

 関心と関河はただ涙を流す。

「人は誰でも死ぬ。死に場所を得ぬがゆえに苦しむのだ。涙を流すにも及ばぬ」

 そう言うと、まるで狩猟に出かけるように平陽に向けて去って行った。

 

 ※

 

 平陽に入った関山は旧知の者の家に身を寄せ、その家人に多くの銀を与えて言う。

「此度は生きて帰れまい。死は懼れておらぬが、後始末をして欲しい。これらの僮僕とともに吾が屍を収めて二兄の傍らに葬ってくれ。そうして貰えるならば、もはや思い残すこともない」

 頼まれた人は泣いて諾った。頼み終えると関山は馬に乗って宮城に向かい、靳準に謁見を求める。関山が単身で現れたと聞き、靳準は漢帝の骸骨の埋葬を願うのであろうと思い、その義を重んじて謁見を許した。

「老将軍はどこにお住まいになっているのか」

「父祖の地である解に暮らしておる」

「先帝が崩御された後、劉燦りゅうさんは不道にも皇太后を犯して後宮を汚した。さらに国政も棄てて顧みない。諫言を容れられず士大夫は切歯せっしし、吾は天人の怒りにより百官に諮って誅殺したのだ。将軍は義を重んじる君子であるにも関わらず、何ゆえに不徳の子のために喪に服されるのか」

 靳準の問いに関山が答える。

劉燦りゅうさんは天に逆らって皇太后を犯し、その不道は除くに足る。しかし、上洛王じょうらくおう劉景りゅうけい)と濟北王さいほくおう劉驥りゅうき)は何の罪により誅されたか。さらに、先帝はすでに崩御され、そのむくろは地下に休んでおられた。陵墓を暴いて棺を焼いた行いも、同じく主君を穢したと言えよう」

 靳準は答えられずに言い逃れようとした。

「これは、晋の李矩りく祖逖そてきが仕向けたことなのだ」

「お前は漢の禄を食みながら、何ゆえに晋人に従うのか。人面獣心の行いは決して許されぬ」

 そう言うと、関山は腰間の大刀を抜いて斬りかかる。靳準は机を倒して身を守ると叫んだ。

「関山を捕らえよ」

 一刀を振り下ろせば、靳準の肩を斬ったものの机に阻まれる。靳準は後ろに倒れて逃げようとする。関山は机を押しのけ、刀を振り上げた。駆けつけた毛勤もうきんが背後から斬りつけ、関山は振り返りざまにその左肘を斬り飛ばす。毛勤の背後から伸びた孟漢もうかんの長鎗が関山の肘に突きたつ。

 傷に構わず靳準を追い詰めようと向かうところ、靳術きんじゅつ丘麻きゅうまが兵を率いて前を阻み、一斉に突き出された鎗が関山の体を貫く。関山は身に無数の鎗を受けて息絶えた。

 三代の漢主に仕えた蓋世の英雄も、ついに小人たちの手にかかって落命したことであった。

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