第三十三回 関山は靳準を刺してかえって殺さる
漢の陵墓が
ある朝、衣冠をまとった犬が現れて帝座に上り、その左右にも官服を着込んで璽綬を帯びた犬が控えていた。叱って追い出したものの、気づけば姿が掻き消えていた。また、丹のように赤い
城より十里(約5.6km)ほど流れた場所、かつて
「平陽の朝廷は乱れ、城内では鬼哭の声が夜を徹して響いている」
通りかかった者からそう聞かされると、
「靳準が劉氏の一族を皆殺しにして帝位を奪い、さらに陵墓を毀って棺を焼き払ったそうです」
知らされた黄臣は大哭して言う。
「必ずや靳準めの肉を喰らってこの怨みを晴らしてくれよう」
「吾らは官を退いて隠居する身、手元に兵馬がありません。何より、兄上は高齢となられて刀鎗を執れますまい。忠義を尽くそうとしても、靳準どもを討ち取れません。他に策を案じるべきです」
黄命が諌めると、黄臣が言う。
「分かっておる。吾はこの地に残って先帝の骸骨を収め、ふたたび埋葬する。お前は
黄命はその言葉に従い、すぐさま馬を引き出して襄國に向かう。黄臣は密かに漢の陵墓に向かい、散乱する遺骨を拾い集めて地に埋めた。
※
日夜休まず準備を終えると父を遺言に従って埋葬すると言い、平陽を発って蜀に向かう。その途上、関氏の兄弟にこのことを報せるべく、
行く者に道を尋ねていると、狩猟を終えた
「そこにおられるのは、
呼びかけられた関河がつくづくと見れば、喪服を着た男は諸葛武に他ならない。急いで馬から下りて言う。
「公子は何ゆえにここにおられるのか。それに、となたの喪に服されているのか」
「言葉に詰まってうまく説明できません。まずは
諸葛武は関河と轡を並べて家に向かい、内に入って
それより、靳準によって劉氏の一族が皆殺しにされたことから漢の陵墓が毀たれ、諸葛宣于が悲憤の果てに世を去ったこと、それに
関山が大哭して言う。
「吾らは百戦して漢の大業を復し、祖父の願いを果たして富貴を得られると思っておったが、
関心がその後を継ぐ。
「先に朝廷にあった折から、劉氏の天下を破るのは靳準と
「吾らが朝廷にあれば、大逆など決して許さぬ。劉氏を欺くとは、吾らを欺いたに等しい。官職を捨てて隠居したのは誤りであったが、靳準にとって吾らは邪魔であろう。主上が慰留した情に報いず、父祖が国家に殉じた義を果たさず、この事態を傍観などしておれぬ。明日にも平陽に向かい、逆賊どもを討ち滅ぼして主上に奉げねばならぬ。宿念の情誼に背くことなど許されぬ」
関山がいきり立つも、関河が諌めて言う。
「靳準の勢威は強い。単身で平陽に向かっても志は遂げられますまい。事を誤れば累は一族にまで及びましょう」
「
▼「王陽」と「王尊」は前漢の人、『通俗』では「王尊」を「王遵」とする。『
諌めを聞かない関山が言い募り、諸葛武が重ねて諌める。
「大人の志は国士であると申せましょう。
「吾が心はすでに定まった。一人でも平陽に向かう」
関山はついに諌めを容れない。関心たちは犠牲を殺して漢主と諸葛宣于を祀った後、二更(午後十時)まで酒を呑んで別れた。関山はそれからも独り靳準を討つ計略を案じていた。
翌日の早朝、関山は諸葛武の許を訪れて言う。
「公子は霊柩と荷を伴っている。蜀までの道には
「お言葉のとおりです。それならば、ともに関中に向かって吾らは蜀へ、大人は長安に向かって軍勢とともに平陽を恢復されるのが上策ではありますまいか。今からでも十分に間に合いましょう」
諸葛武が勧めるも、関山は笑って言う。
「そうではない。古より、国家が滅びれば殉じる忠臣がいるものだ。今、漢が滅んで一人の殉じる者もない。恥じるべきであろう。往古、
▼「豫讓」は春秋時代の末の人、晋の智氏に仕えて当主の智伯より国士として遇された。智伯が滅ぼされた後、仇である
そう言うと、一族の者たちにも別れを告げる。関氏の
顧みて言う。
「すぐにこの地を離れよ。遅れてはならぬ」
関心と関河はただ涙を流す。
「人は誰でも死ぬ。死に場所を得ぬがゆえに苦しむのだ。涙を流すにも及ばぬ」
そう言うと、まるで狩猟に出かけるように平陽に向けて去って行った。
※
平陽に入った関山は旧知の者の家に身を寄せ、その家人に多くの銀を与えて言う。
「此度は生きて帰れまい。死は懼れておらぬが、後始末をして欲しい。これらの僮僕とともに吾が屍を収めて二兄の傍らに葬ってくれ。そうして貰えるならば、もはや思い残すこともない」
頼まれた人は泣いて諾った。頼み終えると関山は馬に乗って宮城に向かい、靳準に謁見を求める。関山が単身で現れたと聞き、靳準は漢帝の骸骨の埋葬を願うのであろうと思い、その義を重んじて謁見を許した。
「老将軍はどこにお住まいになっているのか」
「父祖の地である解に暮らしておる」
「先帝が崩御された後、
靳準の問いに関山が答える。
「
靳準は答えられずに言い逃れようとした。
「これは、晋の
「お前は漢の禄を食みながら、何ゆえに晋人に従うのか。人面獣心の行いは決して許されぬ」
そう言うと、関山は腰間の大刀を抜いて斬りかかる。靳準は机を倒して身を守ると叫んだ。
「関山を捕らえよ」
一刀を振り下ろせば、靳準の肩を斬ったものの机に阻まれる。靳準は後ろに倒れて逃げようとする。関山は机を押しのけ、刀を振り上げた。駆けつけた
傷に構わず靳準を追い詰めようと向かうところ、
三代の漢主に仕えた蓋世の英雄も、ついに小人たちの手にかかって落命したことであった。
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