第二十六回 蘇峻は劉遐と徐龕を救う

 遊光遠ゆうこうえん靳準きんじゅんの一族が朝権を握って太子の劉燦りゅうさんは惑わされ、奸人が結んで党派をなす情勢を憂え、漢主の劉聰りゅうそうに勧めて言う。

始安王しあんおう劉曜りゅうよう)を朝廷に呼び戻されれば、軍国の大事を委ねるにも都合がよろしいでしょう」

 政事に興味を失っている劉聰はその言をれ、劉曜を大丞相だいじょうしょうとして政務の総攬を命じる詔を下し、勅使を長安ちょうあんに遣わした。

 詔を受けた劉曜は文武の官を召して是非を諮り、参謀を務める遊光遠の弟の遊子遠ゆうしえんが言う。

「聖上は朝権を寵臣に与えて靳準がほしいままに振舞い、宦官かんがん王沈おうちん郭猗かくいが暗躍して太子と結んでおります。これらの者たちは、殿下が朝廷に入ることを悦びますまい。この詔は吾が兄の光遠が朝廷の乱れを憂えて勧めたのでしょう。しかし、兄一人では靳準らを抑えられますまい。長安を離れて朝廷に入れば、奸人の計略に落ちて皇太弟(劉義りゅうぎ)の轍を踏むことになりかねません」

「吾らは東西に征討し、兵は鎧を脱がず馬は鞍を解かず、死難を潜り抜けて関中かんちゅうを経営しておる。靳準など平陽へいよう安閑あんかんとして重い禄を受け、ついに朝権を恣にした苦労知らずに過ぎぬ。朝廷に入ってこれらの者たちを除くにあたり、何ゆえに不祥の言をなすのか」

 劉曜が不満げに言うと、遊子遠は重ねて諌める。

「戦場と朝廷では遣り様が異なります。靳準の勢威はすでに固く、一党は深く根を張っております。聖上も太子も絡め取られ、生殺与奪をほしいままにしており、たとえ詔があってどのような姦計を企てるか知れたものではございません」

「卿の言には理がある。それならば、軍勢とともに長安に留まって靳準を畏れさせ、不軌を防ぐべきであろう。しかし、下された詔をどう処するべきか」

「ご心配には及びません。『漢中かんちゅう楊武ようぶ楊難敵ようなんてきが晋に与して隙を窺い、隴西ろうせい陳安ちんあん籠絡ろうらくしたものの、上邽じょうけい司馬保しばほ胡崧こすう河南かなん李矩りく郭黙かくもくと結んで長安の恢復を企てております。臣があしたに長安を離れればゆうべには変事が出来しゅったいしかねず、長年の労苦が水泡に帰するおそれがございます。この情勢を慮るに、にわかに長安を離れられません』と上奏すればよろしいのです。許されぬのであれば、ふたたび勅使が遣わされましょう。その時には軍勢とともに平陽に向かって靳準を除くよう先に願い、奸人がどのように応じるかを観て事を決すれば、禍を避けられましょう」

 劉曜は遊子遠の言に従い、勅使に上奏文を授けて帰らせた。

 劉聰はその上奏を見て呻吟しんぎんし、劉曜の求めを拒もうとした。それを知ると、靳準と王沈は劉曜の忠義を称賛して言う

「始安王の願いを容れられるべきです。長安に留めて石勒せきろく曹嶷そうぎょくとともに三方の鎮守を委ねれば、晋人は畏れて兵を出さず、平陽の防壁となりましょう。さすれば、朝廷にあるのと変わりはございません」

 二人の甘言に惑わされ、劉曜を召還する詔がふたたび下されることはなかった。別に詔を下し、劉曜を左丞相さじょうしょうに任じて軍国の大事を諮ることとし、石勒を右丞相ゆうじょうしょうに任じて山東さんとうの軍事を総覧させることとした。

 

 ※

 

 石勒は山東の軍事を委ねるとの詔を受けると、人を遣って淝水ひすい淮水わいすいに近い地域に厳戒態勢を布き、晋人が北伐を企てられないよう努めた。

 淮水の北にある彭城ほうじょうの太守を務める周黙しゅうもくは文人であったが、内史ないしを勤める周堅しゅうけんは勇敢で用兵に優れていた。平素、二人は反りが合わず反目している。

▼「内史」は通常、國における政務を総覧する官にあたる。州の下に國と郡があり、郡國の下に縣がある晋の制度では、太守と内史が同じ郡國に並び置かれることはない。『晋書しんじょ地理志ちりしでは、彭城は徐州じょしゅうに属する國とされている。

 石勒が南に厳戒を布いたと聞くと、周黙は周堅に防備を固めるよう命じた。兵機を知る周堅は、石勒に南下の意図はないと観ており、無闇に兵を動かせば士民が不安を感じると言ってうべなわない。

 周黙が怒って従わせようとしても、是非を論じて譲らない。ついに弾劾すると言えば、周堅は罪を懼れて周黙を殺害し、彭城をもって石勒に降った。


 ※


 淮水沿岸への進出を狙う石勒は喜んで周堅を受け入れ、孔萇こうちょうの子の孔勇こうゆうを輔佐に遣わし、周堅を彭城の太守に任じた。

 この時、彭城の郡丞ぐんじょう劉遜りゅうそんという者であったが、建康けんこうに逃れて経緯を晋帝の司馬睿しばえいに上奏する。

「朕が厚遇したにも関わらず、周堅めは功臣の子孫を殺して国恩に背き、大晋の領土を夷狄いてきに引き渡しおった。兵を出して罪を正さねば、叛いて漢兵を南に引き入れる者が続くであろう」

 晋帝は怒り、下邳かひを守る劉遐りゅうか泰山たいざん太守の徐龕じょがんに周堅の討伐を命じた。

 劉遐は字を正遠せいえんといい、河北の易陽えきようの出身であった。性格は果敢で弓馬の術に優れ、背は低いが膂力があって北方の人々は賽翼德さいよくとく(張飛もどき、翼徳は字)と綽名あだなしていた。

 詔を拝すると、劉遐はこれが劉遜の上奏によるものであると知り、軍勢を発してまずは徐龕と合流した。あわせて四万の軍勢が周堅を討つべく彭城に向かう。

 周堅は晋の出兵を知ると、防備を調えるとともに石勒に報せる。石勒は石虎に五万の軍勢を与え、彭城の救援に差し向けた。

 石虎は軍勢を発して一路彭城を目指し、進路にある村落では住民も旅人も善悪を問わず殺戮する。通り過ぎた地より人影は消え、酸鼻の限りであった。

 石虎が彭城の境に到るに時を同じくし、晋兵が彭城に攻め寄せた。周堅より早馬があって言う。

「晋兵が攻め寄せて城を囲み、周太守しゅうたいしゅ(周堅)と孔副軍こうふくぐん(孔勇)は出戦して退けんとされましたが、孔副軍は晋将の劉遐という者に討ち取られ、兵は敗れて城に入りました。落城は目前にあり、すみやかな救援を願います」

 石虎は軍勢を駆って城に向かった。

 

 ※

 

 緒戦に大勝を収めた劉遐と徐龕は、勝勢を恃んで援軍への備えを怠っていた。

 石虎の軍勢が背後に迫ってようやく気づき、迎え撃つべく陣を移さんと図る。布陣が終わる前に石虎が到って叫ぶ。

「連戦連敗して南に逃げ出した賊ども、吾が来たにも関わらず、敢えて抗うつもりか」

 馬腹をって晋兵の真っ只中に斬り込めば、草芥のように晋兵を蹴散らして無人の野を行くかのよう、漢兵も勢いを得て後につづく。

 晋兵は支えきれずに算を乱して逃げ惑い、石虎は逃げる晋兵を刈って殺戮をほしいままにした。

 劉遐と徐龕も後を顧みず戦を捨て、前日に置いた軍営に逃れて防備を固めた。逃げる晋兵を追う石虎も軍営四周の濠に阻まれ、将兵の到着を待って包囲にかかる。

「すみやかに投降して殺戮を免れよ。石将軍(石虎)に抗えると思っているのか」

 漢兵が口を揃えて叫ぶと、

「石虎は驍勇を誇り、残忍で殺戮を好む。かつて三台さんだいを攻めた折には投降した謝胥しゃしょを斬り殺し、兵を穴埋めにして殺そうとした。投降しても許しはすまい」

 過去を知る者がそう言うと、劉遐と徐龕は意を決して防備を固め、濠に弩弓を並べて漢兵を阻んだ。


 ※


 包囲より十日が過ぎ、軍営の糧秣は底を突きつつある。撤退を望む者が多くあり、徐龕は劉遐と策を練った。

「吾らはすでに窮しており、遠地に救援を求めたところで及ぶまい。聞くところ、掖縣えきけんに一人の好漢があり、侠気きょうきに富んで身を寄せる者が多くあるという。従う兵は数万あって賊徒も近寄らぬそうだ。ここは、能弁の人をその許に遣り、救援を求めるよりあるまい。救援を得られたならば到来を待って表裏より漢兵を襲い、退けられよう」

▼「掖縣」は『晋書』では青州せいしゅう東莱国とうらいこくの治所とする。山東半島の北側の付け根にあたる。

「この期に及んでは、他に策もない。その者が義を重んじることを祈るよりない」

 劉遐もそう言うと、書状をしたためて胆力と弁舌に優れた者を使者に選ぶ。その人は書状を身に隠すと、夜陰に乗じて軍営を発ち、漢兵に紛れて陣を抜けると掖縣を目指した。

 

 ※

 

 掖縣にある蘇峻そしゅんは義兵を率いて防備を固めていた。

 一方に覇たらんと欲する曹嶷そうぎょくがその強兵を嫌い、私兵を養っていると罪を構えて陥れ、夔安きあん夏國臣かこくしんを平定に遣わしていたのである。

 曹嶷が晋朝より官職を授けられていることもあり、蘇峻は賊徒の汚名を着せられることを懼れ、ただ攻撃を退けて反撃を避けていた。

 そこに劉遐からの使者が到って言う。

「今、劉下邳りゅうかひ(劉遐、下邳は官名)、徐泰山じょたいざん(徐龕、泰山は官名)は詔を奉じて周堅の平定に向かわれ、漢の石勒が遣わした石虎の包囲を受け、進退に窮しております。お二人は、将軍が仁義を行って忠勇に並ぶ者なく、危難を冒して人を救う人物であると聞かれ、小将しょうしょうを遣わされたのです」

 蘇峻が書状をひらいて見れば、辞意懇切なものであった。心中に喜んで麾下の将を集めて言う。

「みなも知るとおり、吾が初心は郷邑を保って平和に暮らしたいというものであった。しかし、今や朝廷より青州都督に任じられた曹嶷が吾らの強盛を嫌い、兵をも繰り出す仇敵となった。今、劉下邳が吾らに援軍を求めている。この機に自らを保つ計を行うよりない。劉下邳と兵を合わせて漢に降った周堅を討ち、代わって彭城の鎮守に就くのだ。周堅を討って朝廷を奉じれば、朝廷は必ずや喜んで彭城の鎮守を許されよう。しかし、吾らはともにこの地で生まれ育った。にわかに故郷を捨てられぬ者もいよう。この地に留まる者は、家に帰って留まるがいい。吾に従う者だけで援軍に向かい、この地には還らぬ」

「将軍が国家のために力を尽くそうとされるのであれば、どうして吾らが背きましょうや。いささか犬馬の労を尽くして御覧に入れます。しかし、曹嶷が遣わした夔安と夏國臣の軍勢が近くにあり、南に向かおうとすれば背後を襲われる懸念があります。如何したものでしょうか」

「吾らがこの地を離れるならば、曹嶷の望みは叶えられる。強いて戦を求めはすまい。利害を知らず兵を出すようであれば、兵を返して一戦に打ち破ればよいだけのことだ。彭城を得れば曹嶷とて手出しはできぬ。懸念には及ばぬ。夔安には書状を遣って手出しせぬよう伝えればそれでよい」

 蘇峻はそう言うと、自ら書状を認めた。

 

 掖城の義軍を統べる蘇峻より青齊せいせい大総管そうかん夔将軍きしょうぐん(夔安)に書状を奉る。

 聞くところ、石勒の雄傑ゆうけつに及ぶ者はなく、青州を討って不臣の行いを正さんとたびたび漢に求めているとのこと。幸いにも漢主はそれを許されてはいません。

 しかし、今や漢主は寵臣を大臣に任じて朝政は荒廃し、青州を征伐せんと欲していると聞きます。曹都督そうととく(曹嶷)が晋に降ったと知るがゆえ、出兵して彭城を争い、晋の援軍を阻んだのでしょう。

 これは、次に齊の地に兵を出す準備に他なりません。それにも関わらず、将軍は掖城に兵を出して自らの外援をなくし、孤立せんとしておられる。吾らは将軍と同じく晋の臣であり、兵を出して互いに損なうことを避けております。

 また聞くところ、石勒は大晋と彭城を争っております。吾らはこれより義に従って援軍に向かいます。総管におかれては、吾らの背後を襲うような真似はなさらぬよう、深くお願いいたします。願わくば、兵を収めて民を安んじられよ。

 吾らは決してふたたびこの山東に戻りますまい。掖縣の民を乱さねば、これに過ぎる幸甚はございません。

 

 夔安は書状を一読すると、夏國臣に諮る。

「蘇峻がこんな書状を寄越したってこたあ、俺らの兵を畏れて逃げようってんだろ。追ったものか捨て置くか、参軍はどう観るよ」

「蘇峻は智勇に優れており、戦となって必ず勝てるとは申せません。また、曹都督は漢の討伐を慮って晋と結ばれました。今はまだ本心を表す時節ではございますまい。さらに、石勒が吾らの隙を窺っております。蘇峻を彭城に行かせれば、石虎との戦となりましょう。吾らの損にはならず、むしろ一挙両得と言えましょう」

 その言葉に従い、夔安は蘇峻に返書を遣り、背後を襲わないと約した。蘇峻は夔安の書状を得ると、彭城を指して三万の軍勢を発する。

 

 ※

 

 石虎と周堅の軍勢は日々晋の軍営を攻め、劉遐と徐龕は濠に拠って漢兵を防ぐ。救援を待つにも糧秣は残り少なく、兵の士気も上がらない。

 いよいよ失陥かと憂えるところ、漢兵たちが騒然と動きはじめた。

「晋の援軍が現れた」

 兵たちの叫びを聞くと、石虎は大刀を手に馬に打ち跨り、兵の半ばを率いて陣後に向かう。

「命知らずにもこの石虎の陣を犯すとは、お前たちは何者か」

 石虎の叫び声に蘇峻が応じる。

「賊徒どもが無礼をするな。吾が勇名を聞き知らぬか」

 これまで強敵と呼ぶほどの敵がなかった蘇峻も、石虎の驍勇は聞き及んでいる。襲いかかる石虎に手加減などしない。石虎は蘇峻の武勇が常人を超えると知り、面を改めると隙を与えぬよう刃先を向け直した。

 それより二人は戦うこと四十合、さすがの石虎もにわかには蘇峻を破れない。


 ※


 軍営にある劉遐は漢陣の背後に挙がる塵埃を見ると、徐龕に言う。

「蘇峻が救いに現れ、石虎が防いでいるのであろう。この機に打って出ぬなどあり得ぬ。卿はここにあって周堅を防げ。吾は出戦して石虎の背後を襲い、賊を退ける」

 そう言うと、劉遐は馬に跨って軍営を飛び出す。

 徐龕も後を追い、劉遐に攻めかかる周堅を防いで追わせない。劉遐は漢兵を蹴散らして陣を断ち割り、その後には漢兵の屍が累々と重なっていた。

 漢の陣を抜けた劉遐は石虎の背後に出た。石虎は劉遐を与しやすしと観て、蘇峻を捨てて劉遐に斬りかかる。蘇峻はそれを許さず追いすがり、劉遐と前後より挟撃した。

 さすがの石虎も前後に二人の勇将を迎えては戦えず、周堅と軍勢を合わせて彭城に退こうと図った。蘇峻は石虎の後退を許さず絡みつき、そこに徐龕に追われる周堅の敗卒が逃げてきた。

 石虎は二軍がともに劣勢にあると知って北に軍勢を返し、周堅もそれに従った。

 劉遐と蘇峻は追撃すること二十里(約11.2km)、千七百を超える漢兵の首級を挙げた。軍勢を返して彭城に到れば、士民が道々に戦勝を祝って言う。

「夷狄に陥るかと懼れておりましたが、将軍のお力により賊徒は逃げ出し、ふたたび天日を仰ぐような心地であります」

 劉遐は慰労すると、軍勢とともに城に入って民を安んじた。

 

 ※

 

 劉遐と徐龕は蘇峻を迎えて祝宴を張り、その恩に謝する。

「小将は朝命によらずただ両将軍の求めに応じて軍勢を発し、幸いにも漢賊を退けられました。これは両将軍の勲功であると申せましょう。小将はいささかの助力をなしたに過ぎません」

 蘇峻の遜辞そんじを聞くと、両将は言う。

「彭城が守られたのは、一に将軍の勲功です。下官げかんらはその恩恵に浴したに過ぎません。これまでにも重ねて国恩に浴した身であれば、どうして将軍の勲功を盗むような真似をいたしましょう。しばらくこの地に軍勢を留め、勲功を朝廷に上奏するのをお待ち下さい。必ずや官職を授けられましょう。ご心配には及びません」

 劉遐と徐龕は約を違えず、蘇峻が義兵を率いて漢兵を退けた勲功を上奏した。

 晋帝の司馬睿は蘇峻の勲功をよみし、臨淮りんわい内史ないしの官を与えた。その意は、兵馬を集めて周堅と石虎の南下に備えさせるものであった。

 あわせて、劉遐と徐龕は鎮北ちんほく将軍に相当する秩禄ちつろくを与えられ、三将はそれぞれの任地に赴いた。

 これより、蘇峻の軍勢は日々強盛となって威名は遠近に知られ、石勒も南に兵を出さなくなった。その一方、蘇峻の心に驕りが生じたことであった。

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