第二話〈2〉



    1



 日本語に直すと黄金週間とばれる大型連休もまたたに終わりをげ、来るべき中間試験に向けて学園全体が少しずつあわただしくなり始めたある日の放課後。副担任である音楽教師にざんぎようつだい(職員用トイレのそう。一人でやれよ、んなもん)をなかばムリヤリに付き合わされて、くたくたになって教室にもどってきた俺は、机の中に入っていた一枚の便びんせんを発見した。


『放課後お時間がありましたら、音楽室まで来ていただけないでしょうか。ご相談があります』


 いつから入ってたんだろうな。ちがいなく段持ちだと思われるとてつもないたつぴつ。一見して、それだけならラブレターか何か(しかも本命用)と間違えてもおかしくはないしろものである。


「…………」


 ただしその横に、それを全てだいしにするような、物心がついた子供が見たら確実にトラウマになるんじゃないかってくらい目付きの悪い動物(みたいなモノ)のイラストがなければの話だが。


 それを見ただけで、だれからの手紙か一発で分かった。もう分かりすぎるくらいに分かった。というか、こんなある意味才能とさえいえるきようあくなイラストをける人物を俺は他に知らん。


はる……だよな、やっぱり」


ざか春香』


 予想通り、便箋の下の方にはそう書かれていた。


 クラスメイトにして、さいしよくけんを地で行くしんそうのおじよう様。『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』のみようを持ち、会員数三けたを越すというファンクラブをも有する学園の超有名人。学園長の名前を知らないヤツはいても乃木坂春香の名前を知らないヤツは我がはくじよう学園にはいない。そんなそんざいである。


 で、そんな有名人が何だってとりたててとくちようもない俺ごとき一般学生を放課後の音楽室なんかに呼び出すのかというと……それにはまあ彼女がしゆうにひたかくしにしているとあるみつが関係してくるのだが──


 と、そこまで考えて、俺は時計を見た。時刻はまもなく午後五時。放課後とばれる時間帯からすでに一時間半ほどけいしているじようたいである。こうりよくとはいえ、これではいいかげんおひめ様も待ちくたびれてるかもしれん。


 教室を出て早足で音楽室へと向かう。黄昏たそがれまったろうにはひとはなく、窓の外からは運動部が発する「だっしゃー!」やら「きえぇぇー!」やらの、やたらと元気のいい(方向性は確実にちがっている気がするが)ごえひびいてくる。何かサルのきゆうあいの声をほう彿ふつさせるな。


 まだ五月だというのにここのところやたらとあたたかい日が続いていて、こんな時間にもかかわらず歩いているだけでじっとりとあせがにじんでくる。カバンから取り出したタオルで汗をふきふき、帰りに自販機でマンゴスチンジュース(夏季限定)でも買っていこうと決めた。あー、あちぃ。


 音楽室の前にとうちやくすると、とびらすきからピアノの音にまぎれて何やら話し声のようなものがかすかに聞こえた。それも複数人。おや? ピアノはまあはるだとして、他にだれかいるのか?


 ぼうおんせつほどこされたあつい扉を開ける。その向こうには……何かきんだんの花園があった。


 まず春香がいた。これはいい。俺をここに呼んだちようほんにんである。てか、いてくれないとこっちとしてはぎやくに困るってもんだ。


 だが……何だって春香のまわりにあんなに大量の女子生徒がいるんだ?


 ピアノをく春香を取り囲むように集まっている女子生徒。ざっと見積もっても十人以上いることは確実だ。学年も様々で、同学年もいれば一年生もいるし、三年生のお姉さま方もいたりする。まさか……『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』の人気をねたんでのいぢめ?


 ……なわけないな。春香は妬まれるようなキャラじゃないし、それにけんばんに指をおどらせる春香を見つめる女子生徒たちの目にかんでいるモノは、明らかにあこがれとかそういうもんだし。


 てことは答えは一つだろう。ざか春香@『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』は男子の間ではもう当然のごとく当然として、女子の間でもそれにまさるともおとらないおどろくべき人気をほこる。同性の目から見ても、春香のそんざいかんってやつは飛び抜けてるってことなんだろうな。そんな学園のアイドル的存在が放課後の音楽室で一人静かにピアノを弾いてれば、そりゃあ人も集まってくるってもんだ。


 曲が終わると、女子生徒たちはいつせいに大きなはくしゆをした。


「今の曲、とってもキレイでした。何て曲なんですか、春香せんぱい?」


「はい。今のはラヴェル作曲の『水のたわむれ』です」


「わ~、うんうん、ほんと水って感じだった。あたし、思わずれちゃったよ」


「川のせせらぎとか、けいりゆうとかを思い出しちゃいました」


 きゃっきゃっ、っとそんな感じの会話がひろげられる。


 うーん、何だかほんとに女の子の世界というかバックに大量のの花が見えるっていうか……すげえ近寄りがたいふんを感じるんですが。おまけに女子生徒たちは春香にちゆうで、春香はその相手にいっぱいいっぱいで、いまだにだれ一人として音楽室に入ってきた俺のそんざいにすら気付いていないってのもどうかと思うんだがな。……さびしい。


 かたなく、ちょっとばかり自己表現してみた。


「おーい、はる


 音楽室のすみっこからパタパタと軽く手をってみる。俺としてそれはほんのささやかなていこうのつもりだったのだが……そのひとことで場のふんいつぺんした。


「……あの人、だれ?」


「今、春香せんぱいのことてにしてたよね? どういう関係?」


「あれって一組のあやだ……」


 冷たいというよりもどこかさつすらこもったせんが集中する。あ、あれ……何かミスった、かな。


 なかにツララを二、三本差し込まれたみたいなかんを感じ一歩あとずさると、そこでようやく俺の存在に気付いたのか、春香がこっちを見て顔をほころばせた。


「あ、ゆうさん。いらしてたんですね。お待ちしていました」


 だがそんな春香のことも火に油をそそぐハメになった。


「春香先輩が男の人を名前で……」


「何か春香ちゃん、うれしそう……」


「何なの、あいつ」


 しゆうの視線がさらにキツくなる。針のムシロっていうか、エクスカリバーのムシロにせいさせられてモモの上にいしとんかれてる気分だ。


「あの、みなさんすみません。やくそくしていた方がいらっしゃいましたので、ざんねんですけれど今日のところはこのへんで……」


 春香が頭を下げると、女子たちは「え~」とか「もっと春香ちゃんの演奏きた~い」とかひとしきり残念そうな声を上げていたが、それでも春香の言葉にとなえるつもりはないらしく、大人しく帰っていった。ただ中には、俺の横を通り過ぎる時に確実にる気な目でにらんでいったヤツとか、「春香先輩にヘンなことしたら、します」だとか、「夜道では背中に気を付けることね」だとか、ぼそりと一言「……せいさんカリ」だとか、じようおそろしい台詞ぜりふを残していったヤツらもいたりした。……こ、こええ。






「……で、話っていうのは?」


 女子生徒(さつじん)たちが完全にかいから消えたのを確認してから(そうしないと何かけんがありそうだからな)本題に入る。すると春香は少しずかしそうにもじもじと顔をせて、


「裕人さん……明後日の日曜日、おヒマですか?」


 そういてきた。


「日曜日? いや特に用はないけど」


 何だってそんなことを訊いてくるのか疑問に思いながらも、休日にやることといったらダメ姉の代わりにそうせんたく(要するに家事)をするくらいしかなかったためそう答えると、はるいつしゆんほっとしたような表情を見せた後、ふたたびもじもじとしながらこう続けた。


「あ、あの……それでしたら、私に付き合っていただけませんか?」


「……」


 一瞬何を言われたのかかいず、のうさいぼうが完全にフリーズする。


 えっと。


 いきなりのことで頭が全くもって付いて来ないんだが、それってもしかして……


「デート?」


 ってやつでしょうか?


「ちちち、ちがいますっ! そそ、そんなんじゃないんです! デ、デートだなんて……」


 顔をでたエビのように真っ赤にしてぶんぶんとはげしく頭をる春香。いやそんなそつこうかつ全身ぜんれいていせんでも……。あ、何かちょっとショックかも。


「そ、そうじゃなくてですね、実はちょっと買い物に行きたいところがあるので、それにごいっしょしていただけたらいいなぁと思ったんです」


 真っ赤な顔のままそう付け加える春香。ああ、そういうことね。そりゃここ一ヶ月でちょっと仲良くなったとはいえあの『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』が俺なんかをデートにさそうわけないか……。ん? でもよく考えてみれば、けん一般ではそういったこと(二人で買い物)をデートっていうんじゃないかそうなんじゃないか?


「ど、どうでしょうか? あ、も、もちろん気が進まないようならムリにとは言いませんが……」


「いや、おっけ。行く」


 光よりも速くそくとうした。


 だってせっかくの春香の誘いをことわるなんて、そんなもったいないオバケが出そうなことは死んでも出来ない。


「ほ、本当ですか!」


 春香がぱっと顔をかがやかせる。


「よ、良かったです。初めて行く場所なので一人じゃこころもとなくて……ゆうさんに断られたらやめようかと思ってたんですよ」


 うーん、何やらやたらと喜んでくれてるな。まあこっちとしてはなおうれしいが。


「で、買い物ってどこに行くんだ?」


 根本的なことをたずねると、『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』はそれだけでちまたの思春期な男子中高生の実に十割を恋に落としそうなスバラシイがおで、こう答えたのだった。


「はい。アキハバラに、です」




 まあつまり……そういうことなのである。これこそがざかはるみつ。俺だけが知っている『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』のがいな一面にして、彼女と俺とをつなぐみような糸。


 そう。


 何というか、乃木坂春香は……プチアキバ系なのである。

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