第一話〈2〉


 そして特に何の問題もなく五時間目と六時間目も終わり。


 その日の放課後。


 俺は図書室に向かって歩いていた。


 なぜかというと信長のヤツが、


ゆうー、悪いんだけど僕の代わりにこの本、図書室にへんきやくしといてくれないかなー? 裕人は放課後ヒマだよねー? 今日は僕、ワンフェスのこうりやくマップを作んなきゃなんないからいそがしいんだよー」


 などと言いくさったからだ。……ったくワンワンフェスだか何だか知らんが(犬のさいてんか何かか? でもあいつがってるのはネコだったよなあ……)、それならそれで昨日のうちに返しときゃいいだろとか思いつつも、ヤツにはだんから何かとになっているため(教科書をわすれた時にしてもらったり、うちのパソコンがこわれた時に直してもらったり色々と)しぶしぶではあったが引き受けた。まあ確かに特に用事もないからいいんだけどさ。


 と、そんなわけで普段はほとんど来ることがない図書室なんてところに来てみたわけだが。


 さて話には聞いていたが、うちの学園の図書室の利用率の低さはごとだった。かんどりが五十羽くらい大声でいているという表現がぴったりで、俺をふくめても片手で数えられるほどしか人がいない。学園側としては一人でも多くの生徒にかいてきに利用してもらおうと、コンピュータかんによる貸し出しシステムのこうちくやゆったりとしたえつらんスペースのどうにゆうはばひろいジャンルのしよせきこうにゆうなどのこころみを行っているそうなのだが、いかんせん活字ばなれがいちじるしい現代っ子には馬の耳にねんぶつというか何というか、とにかく学園側の熱意が見事に空回りに終わっていることだけはちがいなかった。かくいう俺も普段は図書室なんて昼寝以外にほとんど利用したことがないため大きなことは全く言えないんだが。


 ま、何にせよ人が少ないなら手続きもさっさとませることがそうだ。


 管理用のパソコンがあるカウンターに向かい、ちゃちゃっとキーボードをそうして返却手続きを行う。貸し出し及び返却手続きは全てパソコンでやらなければならないため少々めんどくさい(信長いわれれば人を相手にするより早いらしい)が、まあこれくらいのもんなんて言っていたらこの文明社会では生きていけまい。働かざる者食うべからず。かん番号と生徒番号を打ち込んで、っと……よし完了。最後にへんきやくポストにのぶながのヤツが借りた本(ちなみにタイトルは『美少女フィギュアコレクションⅢ 球体かんせつの歴史』。ほんと、うちの学園はかんようである)を投げ入れてミッションコンプリート。さて帰るか。


 と、出口に向かおうとした時だった。


「…………」


 あやしい人物を発見した。


 何ていうか、すげえ怪しい人物だった。


 だって持っているカバンで顔をかくしながら、まるでどこぞのしのびの者かあんさつしやみたいに、ほんだなかげから陰を隠れるようにどうしているのである。しかも女子生徒。これを怪しいと言わずして何を怪しいと言おうか(はん)。……何だあれ? どうも姿すがたを隠しているつもりらしいが、あのナリと動きじゃぎやくに見てくれって言ってるようなもんだ。それともほんとは注目してほしいのだろうか。


 何にせよああいうのにはかかわらないのが吉。キジもかずばたれないし、けいこうしんを持たなければネコも殺されることはないのである。何も見なかったことにして俺がその場から立ち去ろうとしたしゆんかん


 ちらりと、本棚の陰からしん人物の顔が見え。


 いつしゆん、自分の目をうたがった。


 めずらしく図書室なんかに来たせいで、のうきよぜつはんのうを起こしてげんかくでも見せたのかと思った。


「……」


 なぜなら。


 そこにあったのは、これ以上ないくらいにおぼえのある顔だったから。


「あれって……」


 ……ざかさんだよな?


 相変わらず不審な動きをしながらあたりのようをきょろきょろとうかがっているその顔は、信じられないが確かに乃木坂はるだった。遠くからでもそのクレオパトラみたいにととのった顔立ちはまずちがえようがない。だけど何だって乃木坂さん、あんな怪しげな動きを?


 そんな俺のねんにも、それどころか俺のそんざいにすら気付いていない様子の乃木坂さんは、まるでこれからさまのバイクをぬすんで夜の街に走り出そうとしている十五歳みたいなしんみようおもちで俺のとなりにあるもう一台の管理用パソコンまでやって来ると、何やら急いでそうを始めた。かたわらに雑誌みたいなものが置かれているのが少しだけ見えるから、おそらくは貸し出し手続きをやっているんだろうが。


 カタカタと、キーボードをたたく音が聞こえる。


 やがて手続きもんだのか、乃木坂さんは一仕事を終えたドイツのしよくにんみたいなはればれとした表情でモニターから顔を上げた。そして出口へと足を向けようとして。


 俺と目が合ったのはその時だった。


「……」


「……」


 しばし、時が止まった。


「……」


「……」


「え……ど、どうしてここに?」


 どうしてって、それは俺が聞きたい。てかそんなUMAでも見るみたいにおどろかんでも。そりゃ確かに俺と図書室なんかで出会うかくりつは、ビッグフットとのそうぐうりつみにひくいかもしれんがさ。


「い、いつからいたんですか?」


「えーと、ちょっと前から」


「み、見ましたか?」


「?」


 何を?


「その、私が何をりたのか──」


「ああ、いやそこまでは見てないけど……」


「そ、そうですか、ほっ」


 なぜかからくもリストラたいしようからはずされた中年かんしよくみたいなあんの表情を見せるざかさん。


「?」


「あ、い、いえ大したことじゃないんです。どうか気にしないでください。えっと、確かあやさんですよね。そ、それじゃ私はこれで」


 失礼します、とあわてつつもゆうぐさで頭を下げて、乃木坂さんは出口へと歩き出す。だが俺の方に気を取られていたせいか、その進行方向にえつらんようのイスとテーブルがあるのに全く気付いていなかった。


「あ……乃木坂さん、そっちは──」


「え!?」


 けつ


 ガラガラガッシャーン。


 ハデな音と共に、乃木坂さんはイスとテーブルをんでせいだいころんだ。それはもう年に一度あるかないかという、思わずはくしゆをしたくなるほどの、これ以上ないくらいかんなきまでにごとな転びっぷりだった。


「い、いた……な、何でこんなところにイスが……」


 何でと言われても最初からそこにあるものはどうしようもないような。てか、いつも落ち着いてれいせいちんちやくざかさんらしくないしつたいである。何かあったかのかな。こうぼうふであやまり?


 何にせよほうっておくわけにもいかないので、とりあえずたおれている乃木坂さんに手をす。ある意味ごうとくだろうが、さすがに目の前でころんでいる女の子(それもあの乃木坂はるである)を助けないのはれいに反する。これでも俺は全国しん検定二級のしゆとくしやなのだ。知らんけど。


「あ、す、すみません」


 目を丸くする乃木坂さんを立たせて、俺はゆかにばらばらとらばった彼女の私物と思われるモノに目をった。あーあ、ハデにやったもんだな。それらを拾い集めようと手を伸ばそうとしたしゆんかん──


「だ、だめですっ!」


 信じられないようなぜつきようだました。あたりの空気が家族だんらんの食事中に突然テレビでベッドシーンが始まった時みたいにいつしゆんだけとうけつする。いや、ダメって何ですか? まさかあなたなんかのきたない手で私の持ち物にれるなと? ……なわけないよなあ。おじよう様だけど、乃木坂さんはそういうキャラじゃないはずだし。


「?」


 乃木坂さんの制止の意味がよく分からなかったので、俺はかまわずに落ちている雑誌を拾い上げようとした。


「だ、だからだめですってば!」


 すると乃木坂さん、何やらひつぎようそうでぱたぱたと、割り込むように俺の足元にある雑誌に手を伸ばしてきた。


 だが。


「えっ?」


 その進路上には、彼女のしよゆうぶつである数学のノートらしきものがあり──


「え、えっ!?」


 ごとと言っていいめいちゆうりつで、彼女の足はそのノートの上に着地し──


「えっ、えっ、えっ!?」


 勢いよくされた足は、間にノートをはさむことによって、床とのさつによる制限から限りなくかいほうされ──


「きゃあああっ!!」


 そして、乃木坂さんの身体がきれいな円をえがいてちゆうった。一回転したその先には……ほんだながあった。


 ガラガラガラガッシャーン!


 さっきとは比べ物にならないほどのそうぜつな音と共に、ざかさんのフライングボディアタックを食らったほんだながあえなくたおれる。さらに倒れた本棚がその横にある本棚をなぎ倒し、さらにその本棚がとなりの……という具合に、ドミノ倒しよろしく次々と本棚が倒れていく。


 全ての本棚が倒れきるまでに、さして時間はかからなかった。


「……」


 いつしゆんにして、図書室は見るもざんはいきよへとわりてていた。


 えーと。


 何が起こったんだか、かいがついてこなかった。


 目の前にあるのは、全ての本がぶちまけられ果てしなくさんじようたいになった図書室と、思いっきり本棚にげきとつしておきながらなぜかほとんどケガのなさそうな乃木坂さん、そしてゆからばった彼女の私物。


 ……俺、ここで何してたんだっけ?


 いつしゆんほんとに分かんなくなりかけたが、床にさんらんしているもつを見て何とか思い出せた。ああ、そういや乃木坂さんの荷物を拾い集めようとしてたんだっけな。


 乃木坂さんの方はとりあえずだいじようそうだったので、俺は彼女の荷物集めをさいかいすべく一番手近にあった、すなわち足元に落ちたままであった雑誌を拾い上げ──


「……」


 ──そして何となく、乃木坂さんのぜつきよう及びこんわくの意味を理解した。


「……」「……」


 そこには、でんがくてきにありないほどあおいろかみを風になびかせ、生物学的にあり得ないほど大きなひとみに数多の星をかがやかせている女の子が、スカートのすそを指でちょんとつまんでほほんでいるアニメ絵のイラストがあった。


 その下には、じようそうしよくされた黄色の太字で『イノセント・スマイル』と書かれている。


「えっと……」


 ことまる。これって……確かのぶながが言ってたやつだよな。でも何で乃木坂さんがこんなモノを──


 だがしかしそれ以上のことを考えるヒマはあたえられなかった。


 直後に、俺の耳に信じられない音が飛び込んできた。


「う……うっ……ぐす…み、見られた。見られちゃいました」


 それが乃木坂さんのごえだと理解した時には、すでにじようきようは俺の手ではどうしようもないものになりかけていた。


 さわぎを聞きつけたのか、あたりにはもう何人かのギャラリーが集まってきている。


「も、もうオシマイです……ぐす……」


 そう声をらす乃木坂さん。


 いやむしろこのじようきようでは、オシマイなのはてしなく俺の方な気がするが。


 しゆうせんがものすごくイタかった。放課後の図書室というロケーションということもありそこまでギャラリーは多くないのだが、それでもたまたまその場にわせた四、五人の生徒がまるで金をみつがせるだけ貢がせたあげ別れ話を切り出して女をかせているダメ男でも見るようなイヤーな視線でこちらをながめている。


「何あれ? じようのもつれ? ごにょごにょ……」


「さあ? でも男の方も大した顔してないのによくやるわ。ぼそぼそ……」


ほんだなもあの人があばれてたおしたのかしら? こそこそ……」


「あれって一組のあやくんだよね? ひそひそ……」


 なーんてささやきまで聞こえてきたりして。せめてものすくいと言えば、泣いているのがあのざかはるだとはまだ気付かれていないことくらいか。


「捨てないでってこんがんする女の子を突き飛ばして、ついでに本棚まで倒したんだって」


「うわ、何それ。サイアク」


「女のてきよね」


「ダメ男」


 ひどい言われっぷりである。


 まあきやつかんてきに見れば確かに俺が乃木坂さんを泣かしているように見えなくもない。というかそれ以外の何でもないだろう。ものすごくほんながら。


 何にせよ一つだけ確かなことは。


 これ以上この場につづけようものなら、明日には俺の名前が(悪い意味で)学校中にとどろいているだろうことはちがいないということだった。


 そういうわけで。


 げるが勝ちのせんじんだいなる教えにしたがって(もうおそいかもしれんが)、俺はゆからばっているもつでんこうせついきおいで拾い集め、そしていまだに泣いている彼女のうでを取ると、逃げるように──いやじつさい逃げるのだが──図書室を出た。後ろからは、


「あ、逃げた」


ゆうかい?」


「愛のとうこう?」


「前者でしょ。火を見るよりも明らかに」


 なんていうありがたい声が聞こえてきやがった。うう。何だってはんざいしやあつかいまでされないといけないんだ。何も悪いことはしてないのに。


 などと俺まで泣きたい気分になってきたが、女のなみだしんじゆであるが男のそれはただの塩水である。ナメクジはかせるかもしれんが他には何の役にも立たない。


 しかし……何だってこんなことになったんだか。


 どこか人目につかない場所をさがしながら、俺は心の中でしゆつ直前の食肉牛よりも重たいためいきいたのだった。

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