第一話〈3〉


 そんなわけで。


 ダメ男やはんざいしやばわりされながらからくも図書室からのだつしゆつに成功した俺、というか俺たちは、現在おくじようにいた。落ち着いて話が、かつ人目がないところなど、俺のキャパシティの少ない頭ではここくらいしか思いつかなかったのだ。


 ざかさんはいちおうんでいた。泣き止んではいたのだが……ただ今にも死にそうな顔で、ぼうぜんとしたままかたをふるふるとチワワみたいにふるわせている。その姿すがたはいつものかんぺきな『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』である乃木坂さんとはほど遠く、あまりにも弱々しいものであり、ああ乃木坂さんってこんなに小さかったんだっけなんてことを考えたりもして。


 ともあれ、だんはあんなに落ち着いてしっかりしている乃木坂さんをここまでこんらんきわみにおとしいれたげんいんだが、まあ一つしかないだろうな。


 俺の左手にかかえられた『イノセント・スマイル』。


 さっきはとつぜんのことで俺も何が何だか分からなかったが、少し落ち着いて考えてみれば何だってあんなに乃木坂さんが取り乱したのかがよく分かる。


 まあつまり。


「乃木坂さんって……アキバ系だったんだな」


 俺のことに、ふさぎこんでいる乃木坂さんがいつしゆんだけぴくっとはんのうする。やっぱビンゴか。ふむ、なるほど。どうで昼休みにのぶながの発した『イノセント・スマイル』の単語にはんのうしたわけだ。……なんてれいせいぶんせきしてる場合じゃないな。


 乃木坂さん、すげえしずんでるし。


 どうも乃木坂さん、自分がアキバ系であることを知られたのがそうとうショックだったみたいだ。まあ確かにがいではあるし、けん一般においてマイノリティに属する部類のしゆではあることはてい出来んが、普段からこのテのモノは信長のくさるほど(ではなく)見ているせいもあり、実のところ俺はそんなにていこうを感じていなかったりする。


「あのさ、乃木坂さん」


 なので俺はフォローすることにした。


「……はい」


 死んだシーラカンスみたいな目。


 一瞬ひるむ。


「あー、今日見たことは、俺わすれるからさ」


「え?」


 それまでしおれた花みたいだったざかさんの表情に、ようやく少しだけせいもどる。


「なんつーか、別に俺は乃木坂さんがそうでも全然気にならないんだが……でも乃木坂さんは知られたのがショックだったんだろ? だから、今日のことはわすれる。だれにも言わないし、乃木坂さんの前でかえすこともないから、しんぱいしないでいい」


「……」


 俺の台詞せりふを、鹿しかが目の前でハンターにさんだんじゆうらんしやされた時みたいなぽかんとした顔で乃木坂さんは聞いていた。あれ、そんな変なこと言ったか、俺?


「……」


 しばらくの間乃木坂さんはそのまませいしていた。ぴくりとも動かなかった。うーん。これはネジでもいてやらないとマズイかなとか思い始めた時に。


「あの……あやさんは、私のことバカにしないんですか? 変な目で見ないんですか?」


 そう言った。


「変な目? 何で?」


「だって……その、あの、こういうしゆに対して、たいていの人はていてきな感情を向けるものです。だから──」


 何かヤな思い出でもあるのか、ちょっとつらそうに乃木坂さんはそう言った。否定的ね。まあそのことはあるていしんをついているかもしれんが──


「乃木坂さんの言ってることは分からないでもないけどな……でもそういった趣味を持っててもつうのやつは普通のやつだし、そうじゃなくたって変なやつは変なやつだ。少なくとも俺はそれだけで人の全てをはんだんしようとは思わないぞ」


 のぶながなんかがいい例だろう。あいつは真性のアキバ系でありせいかくも少々……いやかなり変わってはいるが、それでもけして悪いヤツじゃない。そうでなきゃいかにクサレえんだからって十年以上も友好関係が続くわけがないし。


「で、でも……」


 なつとくがいかないという顔の乃木坂さん。うーん。どう言えばいいんだろ。


「だからさ、そういう趣味があったって乃木坂さんは乃木坂さんだろ? それが変わるわけじゃないんだから、別にいいじゃん」


「私は……私?」


 乃木坂さんがつぶやいた。


「ああ。アキバ系だなんて言ったってけつきよくは趣味の一つにすぎないんだし。ようはそいつの性格に付いたオマケみたいなもんだと俺は思う。そのオマケが少し人とちがってたって、そんなのその人のちょっとした個性の一部にすぎないだろ。人としてのかんじんなモノはもっと根っこの方にあるんじゃないのか? それに……」


「……それに?」


「んー、うまく言えないけど、ざかさんにもそういうがいな一面があるって分かって、何かしんせんっていうか……」


「え……」


「何か乃木坂さんを少し身近に感じた気がしてうれしかったっていうか……」


 乃木坂さんの顔がかんじゆくトマトみたいに真っ赤になる。


 まあ自分で言っていててしなくおらく台詞せりふのような気もするが、でもじつさいこれは俺の正直な気持ちなんだからしかたないだろ。


 だけど乃木坂さんは、ものすごくしんけんな目で聞いていた。


「そんなことを言ってくれた人は……初めてです」


 そりゃあそうだろう。俺だってこんなかいじゃなきゃ『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』にこんなことはとても言えまい。おそれ多くて。


「ま、とにかくそういうことだから。あんまり気にしない方がいいと思うぞ」


 何か乃木坂さんは固まったままだったので、俺は雑誌をわたすと、軽く彼女のかたたたいておくじようを後にした。そのまま階段を下りて、昇降口でくつえ、校門を出るころいたってようやく自分の行動をかえゆうが出てきた。


 ……あの乃木坂はるせつきようをしてしまった。


 今さらながらにとんでもないことをしちまったんじゃないかとちょっとだけこうかい。ものすごいクサイ台詞も言ってたような気がするし。てか、それまでほとんど話したこともなかったクラスメイトにいきなりえらそうに説教かますなんて俺の方がよっぽど変なヤツのような。まあぎたことを今さら言っても後のカーニバルなのだが。


 ともあれ、こんなカタチで乃木坂春香とかかわることは、もうあるまい。


 何せ彼女は学校一の美少女であり成績学年トップのさいえんであり日本でも有数のおじよう様、かたや俺はこれといってとくちようのないごくごくつうの一般市民である。がらにもなくあわてたりどうようしたりする乃木坂さんを知って少しだけ身近に感じたりはしたんだが、しょせんは住む世界がちがう人間。本来まじわることのない二本の線がほんのぐうぜんでたまたま重なり合ったにすぎない。それだけのことだ。


 と、この時はそう思ってたんだが。

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