第二話〈7〉


 休めそうな場所をさがして、着いた先は小さな公園だった。


「つ、つかれた……」


 さすがに人一人抱きかかえての全力しつそうは身体にこたえる。いや春香は全然重くなく、むしろもうみたいに軽かったのだが、それでも帰宅部で万年運動不足の身には少々つらいものがあった。俺ももうトシだな……。今度通販のアレでもこうにゆうすることを本気でけんとうした方がいいかもしれん。ちなみにどうでもいいが、アレとはしんに外人さんがさわやかながおせんでんしていたあやしげなルームランナーのそこないのような一品──「HEY、ナンシー! 今日はいいものがあるんだ!」「わあ! 何かしら、ビル!」みたいなくだりで始まるアレである。確かぶんかつばらで税込み一万二千八百円也だったか。……いや、ほんとにどうでもいい話だな。


「よいしょっと」


 かかえて走っている最中にねむってしまったのか、眠り姫よろしくおだやかないきを立てる春香をベンチにかせて、俺はひといきいた。


 ──それにしてもたおれるなんてな。


 まあ、あそこまで楽しみにしていたゲーム機購入である。それだけに失敗した反動はものすごいのかもしれんが……


 ベンチの上で、そく正しくむねを上下させている春香を見る。


 何にせよあと少し待ってみて目をますようがないようなら、本気で救急車を呼ぶこととかも考えた方がいいかもしれん。いくら大事にしたくないからって、春香の身体の方が大切だ。


 さて救急車を呼ぶとしたらけいたいで呼ぶべきか、それとも今ではもう化石みにすっかり少なくなってしまった公衆電話をさがしてそっちでぶべきかまよいながら、もう一度はるの方に目をると──


「あっ……」


 いつのに起きていたのか。


 こっちに顔を向けていた春香とぴたりと目が合った。それはもう、これ以上ないってくらいのばっちりのタイミングだった。


「……」


「……」


 ……何か、気まずい。


「あ、身体はもうだいじようなのか?」


「は、はい」


 あわてたように春香がうなずく。


「おかげさまでだいぶ落ち着きました。あの、昨晩はあまりねむれなかったので、おそらくはそのせいだと思うのですが」


「眠れなかった?」


「え、その、はい……今日のお買い物が楽しみでわくわくして、遠足の前日みたいに目がえてしまって──」


「そ、そうか」


「……」


「……」


 ちんもく


 目が合ったままのじようたいで、俺も春香もせきぞうのようにかたまってしまう。


 せんはずしてしまえばいいだけの話なんだろうが、どうしてかそれがないんだよ。きんきよにある春香のととのった顔。あせでほんのりとれたかみんだひとみうつすらと赤くまったほお、かわいらしい桜色のくちびる。それらから目がはなせない。なぜか春香もこっちをじっと見つめたまま全然動かないし。


 心臓がどくんどくんとやかましく動く。ノドがやたらとかわくし、何やら少しいきぐるしいような気もする。まさか、まさかこれって……しんきんこうそく? ……って俺にそんなびよう(成人病)はねえ! 身体が健康なことは(体力は六十歳のおじいちゃんレベルだが)、給食の肉ジャガに入っている肉の量みに数少ない俺の長所の一つなのだ。


 けど……だとしたらこれは一体何なんだ?


 どうはいまだにちっともおさまらず、それどころかこわれたエンジンのようにますますそのいきおいをしていく。もうほとんどオーバーヒートすんぜんである。


 このままこのじようたいがあと十秒も続いたら死ぬんじゃないかと思われたその時、とつぜんポケットからひびいたな音によって空気が動いた。


「……あ」


 かなしばりがける。


〝ワルキューレのこう


 映画『ごくもくろく』に使われた、ワーグナー作曲のぎようぎようしい音楽である。着信じゃなくてメールのようだが……この着信音ってことは、もうがいとうしやは一人しかいないんだよな。


「ルコ……」


 そう通り、けいたいえきしよう画面には我が姉上様からのかんけつなことこの上ない文面が表示されていた。


『今日の夕食はカレーが食べたい。材料買って、七時までにはもどってこい』


 ……まあ、二十三にもなって好物がカレーなのはどうだろうだとか、料理はおろかせんたくそうの全てを弟にまかせっきりなのは女として姉として何かがちがってるだろだとか、いきなりメールしてきて七時までに帰れなんて少しはこっちのごうも考えろだとか、言いたいことはそれこそ山ほどあるんだが……今回ばかりはこのタイミングにスズメのなみだくらいはかんしやしてやってもいいかもしれん。


「メ、メールですか?」


「あ──ああ、姉貴から」


 なぜなら、そのおかげであたりをおおっていたみようふんが少しだけかいしようされたから。


「お姉さんがいるんですか?」


「あ、あれ。言ってなかったっけ? 七つ年上なんだけど……」


「そ、そうなんですか」


 とはいえそれは完全に消え去ってくれたわけではない。


 おかしなちんもくだけはなくなってくれたが、はるは郵便ポストみたいにほおを赤らめたままだし、俺も俺でだんすると妙な行動をとりそうになる。……ほんとに何だろね、これ。


 とにかく、ここは少しインターバルを取らなきゃマズイ。


「ま、まあそういうわけなんだが。それより……あ、そうだ。春香、ノドかわいたろ? 何か飲み物でも買ってくるから、そこにすわっててくれ」


「あ、ええ。あの……」


「すぐ戻ってくるから」


 何か言いたげな春香をベンチに座らせて、俺はその場からあしはなれた。うう、だってあのままあそこにいたらヘンな気分になりそうだったんだよ。


 近くにある自販機でコーヒーと紅茶を買う。そのついでにいきを大きく吐いてしんきゆう。落ち着け、俺。何だか知らんがしずまれ、心臓。そのまま五回ほど息を吸ったり吐いたりをかえすと(きやつかんてきにはかなりあやしい人物だが)、ようやくむねどうおさまってくれた。ふう、これでとりあえずは一安心だ。あまり待たせるのもはるに悪いのでさっさともどらんと。


 ふたたあしで春香のところへと戻る。


「ほい、紅茶で良かったよな?」


「は、はい。ありがとうございます。私、紅茶大好きなんです」


 黄色いレモンティーの缶をわたすと、うれしげに春香はほほみ、こくりと口をつけた。


「何か……しんせんな味。こういうのも……しいかも」


「新鮮?」


 別にどこにでも売ってるはんようレモンティーだと思うんだが。


「私、缶に入っている紅茶を飲むのって、初めてなんです」


 ……ナルホド。そういえば学園でもブリック(パック入りジュース)とかを飲む姿すがたを見たことがない。いつも専用のすいとうとティーカップ(ウエッジウッド製)をさんしてるし。


 こくこくとレモンティーを飲む春香。そのとなりで俺もコーヒーをちびちびと口にする。頭上では、山で七つの子が待っているのか真っ黒なカラスが一羽、カーカーとせつなげにいていた。


「あの……さっきはすみませんでした」


 黄昏たそがれの中、春香がぽつりとつぶやいた。


「あんなにおおぜいの人の前でたおれてしまって……ゆうさんに、とってもごめいわくをかけてしまいました」


「ん、あー、いや」


 まあ確かに倒れた春香をおひめさまっこして運ぶのは少々しゆうせんいたかったが、それは春香が悪いわけではない。それにちょっとしたやくとくもあったし。


「……ほんとにすみませんでした。今日はムリを言って、せっかく裕人さんにこんなところまで付き合ってもらったのに」


 春香がうつむく。


「……私、ほんとにダメですね。おまけに私がぼやぼやしていたせいで『ぽーたぶる・といず・あどばんす』も売り切れちゃうし……。目的もたせないうえに裕人さんにめいわくまでかけて……もうダメダメです。『ダメっメグちゃん』くらいにダメダメです。こんなことなら来ない方が良かったって、裕人さんも思ってますよね……」


 缶をきゅっとにぎめて、そういきく春香。うーん、テンションが地のそこまで下がってる感じだ。落ち込む気持ちは分かるんだが……そこまで自分をせんでもいいだろ。ていうかメグちゃんってだれだよ。


 それに春香。お前の言ってることには一つだけ大きなちがいがあるぞ。


「待った。確かにげんていモデルが買えなかったのは春香のミスかもしれんし、ちょっとばかりこまったのも事実だ。でもな……別に俺はムリして付いてきたわけじゃない。俺は春香と来たかったから来たんだ。そこだけは聞き捨てならない」


「え……」


「それに何だかんだいっても……今日は楽しかった。色々と俺の知らない新しい世界(ネコミミメイドとかネコミミメイドとかネコミミメイドとか)も見られた。だから来ない方が良かったなんてこれっぽっちも思ってないし、むしろはると来られて良かったと思ってるぞ」


 これはほんだ。


ゆうさん……」


 春香が、くしゃっと顔をゆがめた。


「う……ぐすっ、あ、ありがとうございます。わ、私も、今日は楽しかったです。だ、だれかと買い物に行くなんて初めてで……本当に楽しかったんです。でも、でも楽しかったからこそかんじんの『ぽーたぶる・といず・あどばんす』が買えなかったのが、最後の最後にこんな風になっちゃったのがくやしくて、もうわけなくて、それでそれで……」


「あー、くな」


「はひ……」


 とは言いつつも春香は泣いていた。マジ泣きだった。ポケットからハンカチを出そうとして……ハンカチなんて上品なものは持ってきてなかったことに気付いて、街でもらったポケットティッシュ(配布元:最近社長がたいされたぼう有名しようしやきんゆう)を差し出した。


「ぐしゅ……すみません」


 なみだぬぐう。はるが使うと大量はんようの安物ティッシュさえもシルクしつかんの高級ティッシュに見えるからだ。


 それから春香がむまで十分ほどようした。

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