第四話〈4〉



    1



 夏休みまであと二週間にせまったある日の放課後。


 由香里さんにばれて職員室へと向かっていた俺は、どこからかめる声を聞いて、ろうかえった。


ゆうさ~ん」


 みみごこの良いソプラノボイスを辿たどると、ろうの向こうの方で春香がぶんぶんと手を振っているのが見えた。何かとてもうれしそうな表情だ。


「裕人さ~ん」


 ふたたび指名される。


 その辺を歩いていたヤツらがいつせいにこっちを見る。そのせんの一部にさつのようなモノがふくまれているように感じるのは気のせいでしょうか? おぼえのあるハチマキをしてるヤツらも何人かいるし。


 だけど春香は相変わらずそんなもんどこ吹く風でにっこりと笑って、


「あのですね、〝この前お話ししたモノ〟を持ってきました。よろしかったらこれからいっしょに見ませんか?」


 ぱたぱたとこっちに向かって走り始めたのだが。


「あ、おいはる、足下!」


 その進路上にはそうの時間にだれかがわすれたのか一枚のぞうきんが落ちていて──


「え?」


 こっちに来るのにちゆうで全く足下が見えていない(見ていない)春香が、ピンポイントでそれをんづけるのはもはやおやくそくだった。


「え、ええっ……?」


 そしてしゆうじんかんの中、春香はちゆうい、


「き、きゃあっ!」


 一回転して、ごとろうついらくした。


 走る→すべる→見事にころぶ、のらしいコンボだった。


「い、いたいです……」


 ゆかにしこたまぶつけたのか、痛そうにこしをさする春香。その横ではカバンの中身が完全にぶちまけられている。あー、またハデにやったもんだな、こりゃ。


 助け起こそうと春香のもとへ行こうとして……そこで、しゆうせんに気が付いた。


 何やら見てはいけないものを見てしまったような、たまたまものかげから殺人事件をもくげきしてしまったせいみたいな視線。そんな視線が春香に集中している。


 最初はただの注目だと思った。


 あの『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』が廊下のど真ん中で見事にすっ転んだことに、注目が集まっているだけかと思った。


 しかし。


 春香のかたわらであくしようかんてんのごとく開かれている雑誌のようなものを目にしたしゆんかん、その視線のほんとの意味が分かった。イヤってくらいに。


〝この前お話ししたモノ〟とやら。


 たまたまめくれてあらわになっているページには、どんなぐうぜんか今の春香と全く同じポーズで痛そうにおしりをさすっているそうはつの女の子のイラストがあった。『ドジっアキちゃん』ドジポーズNO.Ⅲとか書いてある。


「……」


 あたりの時間は完全に止まっていた。


 からはんすんめの手本を見せようとして思いっきりがんめんにクリーンヒットを食らわせてしまった時みたいな、そこはかとなく気まずいふんが廊下をただよっている。


「ま、またやっちゃいました……」


 じようきようがつかめていないのか、最初のうちはろうにぺたりとすわんだままずかしそうにそんなことを言っていたはるだったが、やがてしゆうようせいじやくに気付いたみたいだった。


「あ、あれ……みなさん、どうしたんでしょう?」


「……」


「あの、どうしてこんなに静まり返っているのですか?」


 俺を見てそうがる。どう答えたらいいか分からず俺がことまっていると、さらに不思議そうな顔をして春香はまわりを見回した。ヤジウマをしていた何人かの生徒と目が合うも、そいつらはみんないちように気まずそうな顔をしてばやく春香から目をらした(まあムリもないんだが)。


「??」


 春香の頭の上にでっかいハテナマークがいくつもかんでいた。全く何が何だか分からないって顔だ。


「あのゆうさん、一体何が──」


 助けを求めるようにふたたびこっちにせんを向けようとして、


「え……?」


 そのちゆうに落ちている、これ以上ないってほどに自己主張している物体に気付いてしまった。


「え、どうして〝なつこみ〟のカタログが……え? え?」


 春香の顔色がかわいそうなくらいに変わった。朝会で校長先生の長話の最中にひんけつたおれるすんぜんの生徒みたいに真っ青になった。


「え? だって私、ちゃんとカバンの一番おくっておいたはずなのに。何で、どうして……」


 受け入れたくない現状に心がついてこないのか、春香はあたふたとするだけで立ち上がることもしない。


「春香、とりあえず立てるか?」


 ころんだひようみだれたスカートのすそを直してやり、右手を差し出す。だが春香のようは少しヘンだった。


「あ……わ、私、私……」


「春香?」


 うつろなひとみあたりをぼうぜんと見回し、廊下に視線をさまよわせる。


「や、やめて……そんな目で見ないでください。私、私は……」


「お、おい、落ち着けって……」


 俺の声も聞こえていないのか、両手で頭をかかむようにして春香が首をる。まるでそうすることで周りの視線が全部消えるとでもいうかのように。


「わ、私はっ……」


 そしてはるはその大きなひとみなみだをためて、


「っ……」


 そのまま落ちているカバンをつかむと、める間もなく全速力で走り去ってしまった。


「は、春香……」


 残されたのは、いまだドジポーズとやらのページが開かれたままのカタログと俺。う、せんがイタイ……。


「なあ……アレって、本当にざかさんのなのか?」


「分かんない……でも彼女のカバンに入ってたのよね」


「でもあの『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』があんなあやしいもん持ってるなんてこと……」


 まわりからはそんなささやきが聞こえてきた。うーん、こりゃマズイな。このままだと春香のみつせいだいにバレかねない。そこまでいかなくても、『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』があんなカタログを持っていたなんてことがウワサになったらそれだけでも十分に大問題だ。もしそんなことになったら、春香はきっとくだろう。春香の泣き顔は……もう見たくない。


 よし。


 だったらここはもうこれしかないだろ。


「あ、これってもしかして!」


 俺はわざとらしく大声を出し、残されたカタログを指差した。


「これってもしかして……俺が三日前に落としてさがしてたカタログか? ああ、やっぱりそうだ! 乃木坂さんが拾って持っていてくれてたんだな。さすがは乃木坂さん!」


 ……かなりぼうみかつ説明くさ台詞せりふになってしまった。俺にはどうやら役者のさいのうは全くといっていいほどないみたいである。


 だがそれでも、周りのヤツらは俺のだいこんしば(それも桜島大根み)を信じたみたいだった。


「……そうだよな。あの乃木坂さんがこんなもん持ってるはずないし」


「春香ちゃん優しいから、あんなものでも捨てずに持ち主をさがしてたのね」


「あいつ一組のあやだろ? ほら、あのあさくらの親友の。ならこういう怪しいもんを持っててもおかしくねーしな」


「ふーん、綾瀬くんもそういうしゆだったんだ。何かイメージくずれたなあ」


「そう? 別に綾瀬なんてどうでもよくない?」


「まあもういいじゃん。行こーよ」


 好き勝手なこと(人のことどうでもいいとか言うな)を言いながら、ヤジウマ共はちりぢりにかいさんしていった。


 ……ふう。何とかせたみたいだな。


 むねで下ろし、俺はろうらばった春香のぶつを拾い集め始めた。教科書、ノートにペンケース。それにがくと例のカタログ。かなりいきおいよくコケたせいかあちこちにぶんさんしていてたいへんだったが、それでも全部集めるのに一分とかからなかった。


「やれやれ……」


 立ち上がる。


 ともあれ、これで一件らくちやくだと思った。はるみつはバレずにすんだし、このカタログは明日にでも人目につかない場所で返せばオッケーだ。春香のようが少しおかしいように見えたのが気にはなったが、きっとそれもとつぜんごとにいつか(図書室はんかい)みたいに半パニックじようたいおちいっていただけだろう。そんな風にかんたんに考えていた。


 だけどその考えは、少しばかりらつかんてきすぎたみたいだった。




 翌日。


 春香は学園を休んだ。

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