第四話〈5〉



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「はい、それでね~。フランスでは近代になってドビュッシーやラヴェルなどのいんしようばれる人たちがたいとうしてきて──」


 だんじようでは、さんが教師とは思えない女子高生チックな丸文字を板書しながら、りゆうちように教科書の内容を説明している。


「この印象派の人たちのとくちようはね~、それまでの古典主義音楽に見られる三つのようせんりつせい、リズムからのだつきやくを図ったもので~、ま、かんたんに言えば頭の固い先人の考え出した固っ苦しいルールとかをほとんどムシして、感性のおもむくままにやりたいようにやったってことね~」


 調ちようは軽いがその分だけ分かり易い説明。なにげにこの人、教師としてののうりよくは高いんだよなあ。……中身はほとんどエロオヤジなのに。まあ、個人の人格と教育の能力とは完全に別次元の問題であるという生きた見本である。


 だけどそんな由香里さんの説明も、今の俺の頭にはほとんど入ってこなかった。まあもともと退たいくつな音楽史の授業(と言ったらおそらくてつけんが飛んでくるだろうが)な上に、そんなことよりももっと気がかりなことがあったから。


 教室のななうしろを見やる。


 そこにある、本来春香がすわっているはずのせきには、今日はだれも座っていなかった。


 いや今日も、という表現の方が正しいか。


 心の中でためいきく。


 今日で、春香が学園を欠席して三日目である。


 先日の〝カタログしゆつ事件〟(命名:俺)以来、春香は学園に姿すがたを見せていない。由香里さんにいたところ「体調不良のためお休みだって~。何か体力をしようもうさせるようなことでもやったのかな~? このこの~」とじようにセクハラな返答が返ってきた(相手にしてもつかれるのでもちろんノーリアクション)。


 ほんとに体調不良ってことは……たぶんないだろう。


 いまだに俺のカバンの中に入りっぱなしのカタログのことを考える。あの時のはるはんのう……今にして思えば少しじようだったような。いくら自分のとくしゆしゆがバレそうになったとはいえ、あそこまでパニックにおちいるだろうか。


 いくら考えても、俺のニワトリみの頭じゃ分からない。


 だが何にせよ、このまま放っておくことはためらわれた。


 ──いに、行ってみるか。


 こんなことをのぶながやらさんやらに知られたらまたおにの首を取ったがごとく(俺から見ればやつらの方がオニだが)からかわれまくることひつじようであるが、気になるもんは気になるんだからしょうがない。


 放課後になるのを待って、俺はざかていに行くことを決めた。


 もんあるか。






 そういえばあの事件以来、俺のしゆうで変化したことがもう一つあった。


「またありやがる……」


 ばこを開くと同時に、中からドサドサと落ちてくる手紙の山。軽く見積もって全部で五十通はある。もちろんこれらはラブレターなんて夢あふれるしろものじゃなくて、ほとんどが不幸の手紙やいやがらせの手紙、それらにるいするモノである。


「やれやれ……」


 全部拾い集めてしようきやくへと持っていく。心情的にはそのままほうしておきたいが、かいぶんしよのほとんどに俺の名前が書いてあるためまつしないと責任が全て俺にかぶさってくるのである。ったく……出したヤツらもそこまで計算してるんなら大したもんだ。その細やかなこころづかいをもうちょっとちがった方向にかせばこのがらい世の中ももう少しは住みやすくなるだろうに。


 などとなげきつつ、道すがらいくつか怪文書の中身を見てみる。


 そこには、「春香ちゃんに近づく害虫め! あやしい本を春香ちゃんに拾わせてんじゃねえよ、ファック!」とか「あんたみたいなサルには春香様はつかわしくないのよ。身のほどを知りなさい、オタク野郎!」「春香様のフィギュアとか造ってんじゃねえだろな、このへんたいが!」とか、実に頭の悪そうなあおり文句が書かれていた。


 心のそこからためいきく。


 このテのいやがらせの手紙は前々からもあった。春香とれしくするなだの春香の半径五メートル内に近づくなだのはると同じ空気の中にそんざいするなだの、そんな内容のやつである。それものぶながが好意でやってくれた情報そうのおかげで一時期はだいぶ少なくなってきたように思えたんだが、先日の一件以来また大量にとどくようになり始めている。しかも今までとは多少毛色のちがうやつが。


「はあ……ったく」


 どうも学園では、『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』にべったりとくっ付いているクソヤロウ(俺)=あやしいフィギュアをでるアキバ系、という公式が確立しようとしているらしい。げんいんさぐるまでもなく先日のアレだろうが、今回ばかりは信長に情報操作をしてもらうわけにもいかない。あのカタログの持ち主が俺でないということになれば、ひつぜんてきに春香の方にけんがいくからな。それに信長も信長で、「わー、ゆうもとうとうこっちの道にかくせいしてくれたんだねー。わーい」などとなおに喜んでいたから、たのんでもやってくれんかもしれん。


「にしてもどいつもこいつも……アキバ系がそんなにキライなのかね」


 あるいは単に俺のことがキライなだけかもしれんが。


 いやれいせいに考えてみるとむしろそっちの方がのうせいとしては大きいか。じつさい、アキバ系のマスターとしてにんされている信長に今までこういったいやがらせがあったと聞いたことはない。それどころかあいつは、そのフレンドリーかつユニークなキャラクターから、ある意味学園のマスコット的存在として、しゆうの人間にはがいなほどに好かれているのである(見た目は美少年だし)。


 これらのことから結論すると、


「……つまり、キラわれてるのは俺個人ってことか?」


 ちょっとうつになった。うう、俺が何をしたっていうんだよ……


 まあしかし、なるようにしかならないだろ。


 人のウワサも七十五日。そのうちみんな俺のことなんてわすれてくれるに違いない。そう思うことにする。物事を深く考えないことは俺の短所でもあり長所でもあるのだ。


 かいぶんしよをまとめてしようきやくに投げ入れる。


 んなことより今は春香の方がしんぱいだった。怪文書のまつに終わったことだし、さっさとざかていへと向かうとしよう。


 校門へと足を向けようとした俺の前に、


「やあ、あやくん。今日もゴミ捨てたいへんだね」


 ちやぱつロンゲでホスト風の長身の男が、イヤミったらしいみをかべてふさがった。


 ……だれだ、こいつ。


 初めて見る顔だが、少なくともこうかんの持てるふんではなかった。理由などない。だが一般女性のほとんどがじようけんでゴキブリをきらうように、俺はほんのうてきにこいつを好きになれないと感じていた。


「ああ、自己しようかいおくれたね。僕は三年のおか。佐々岡しゆう


 にやにや笑いをかせたまま、しばがかったぐさで男が頭を下げる。


 その名前にはおぼえがあった。


 確かバスケ部のしゆしようで、はるにフられた過去もあるイケメン(ただしプチせいけい)。その性格とおんなぐせの悪さで学園内では有名な最上級生である。ればかかわりいになりたくない人物ナンバーワンだった。


「……で、その佐々岡先輩が俺に何の用ですか?」


 どうせロクな用事ではあるまいとそうしつつもいてみる。


「いやなに、春香ちゃんにせいちゆうのごとくいているすいなオタクヤロウのツラってやつを、一度はじかおがんでおこうと思ってね」


「……それはおヒマなことで」


 そうはバッチリ当たってくれやがった。


 はあ。試験のヤマとかは全くもって当たらないクセに、どうしてこういうろくでもないことだけは当たるんだろうね。自らの不運をなげきつつ、俺は佐々岡の方に向き直った。


「……だったら、十分に見ることが出来てもう満足したでしょう。そこ、どいてくれますか? 俺はこれから用事があるんで、アンタにかまってるヒマはないんですよ」


 しのけるようにして佐々岡の横を通り過ぎようとする。だけど佐々岡の野郎はニヤニヤとしやくさわる笑みをかべて、さい俺の前にふさがりやがった。


「……何ですか?」


「まあ待てよ。キミに一言だけ言っておきたいことがあってね」


「……手短に」


 三秒以内にすませろ。


「何、かんたんだ。……キミ、春香ちゃんにまとわりつくのやめろよ。ざわりだからさ。春香ちゃんだって、あやしい美少女フィギュアをながめてえつに入っているキミみたいな人種に近づかれたくないと思っているにちがいないからね。はっきり言って、春香ちゃんがカワイソウだ」


 ……フィギュアを眺めて喜んでるのは実は春香の方なんだけどな。まあ何であれ、こんなヤツの言うことを聞く気なんてこれっぽっちもありゃしない。


「用件はそれだけですか? んじゃ俺はこれで」


「ま、待ちたまえ!」


「何ですか?」


 しつこいな。


「何だじゃない! 今の僕の話は聞いてたんだろ? だったらここでちかえよ。もう二度と春香ちゃんには近づかないってさ」


「おことわりします」


「うん、分かればいい……って、ことわる!?」


「ええ。別に俺にはアンタの言うことを聞かなくちゃいけないはありませんので」


 当たり前だ。


「……っ」


 その返事が気に食わなかったのか、おかはあと一歩のところで皇帝あんさつに失敗したさいしようみたいなむずかしい顔になり、


「ふ、ふん、まあいいさ。キミなんて、ほうっておいてもそのウチ、はるちゃんの方から捨てられるよ。何せオタクヤロウだしね」


 と、鼻で笑った。


 もういいからそこどけ。






 佐々岡の野郎をって校門までやって来ると、


「おに~さん!」


 がいた。


 何やらこしのところに両手を当てて、おうちでこっちをにらみつけている。うわ、何かかみの毛がさかってないか?


「おに~さん、お姉ちゃんに何したの!?」


 いきなりそれだった。


「……げんいんをハナから俺に求めるのはどうかと思うぞ」


 だが俺のこうを全く耳に入れず、


「だってお姉ちゃんがあんなに落ち込む理由なんて他に考えられないもん! おに~さん、お姉ちゃんに、へ、ヘンなプレイとか強要したんじゃないのっ?」


 顔を真っ赤にして美夏がさけぶ。……お願いだから下校ちゆうの生徒がおおぜいいるこんなところで『ヘンなプレイ』とか大声で言うのはやめてください。


「ナ、ナースとか、バニーとか、はだかエプロンとか……」


 さらに超具体的な内容を付け加える美夏。


 あんじようしゆうからすげえさげすんだせんが俺にさった。完全にへんしつしやを見る視線だった。……もういいけどな、どうでも。


「あのな、だから俺のせいじゃないんだって」


 説明するが、美夏からはわくの視線が返ってくる。


「ウソ! じゃあ何でお姉ちゃん、あんなになってるの!? 三日前に学園から帰ってくるなりにこもりっきりで全然出て来なくて、ゴハンもロクに食べてないんだよ! ときどき部屋からこえてくるピアノも『そうそう行進曲』とか『そう』とか『死のとう』とかで……」


 それはかなりこわいな。


「それに夜にはごえとかも聞こえて……あれじゃまるで中学のあのころみたいな──」


 そこまで言って、ははっとした表情になった。


「……もしかして、お姉ちゃんのみつ、バレたの?」


 すがるようなひとみで俺を見上げる。


「いやすいあぶないところだったけどな」


「それじゃ何で……」


「あー、でもはるはバレたとかんちがいしてるかもしれん。ていうか、やっぱ体調不良じゃなかったんだな」


「あ、うん……」


 美夏がひかえめにうなずく。


「いちおう本人は体調が悪いからって言ってる。でもあれはぜつたいに違うの。お父さんとお母さんは特に気にもめてないけど……あれはあの時と同じだもん。づきさんもすごくしんぱいしてる」


「あの時と言うと……?」


「あ、え、それは……」


 めずらしく美夏が口ごもる。言いにくい内容、なんだろうな。


「俺が聞いていいような話じゃないならムリにとは言わないが──」


「……そういうわけじゃないんだけど」


「でも、もしるものなら聞きたい。その話、たぶん春香の今のじようたいと関係あるんだろ?」


「……」


 美夏は少し考え込むようにうつむいて、


「……そうだね。うん、おに~さんは知っておくべきなのかもしれない」


 それから何かをったかのように顔を上げた。


「分かった、話す。おに~さんにだったら話してもだいじょぶだと思うから。あのね、お姉ちゃんは──」

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