第四話〈8〉



    4



 さてそれから一週間が過ぎた。


「あ、ゆうさん」


 朝の通学路。いつもの道を少し行ったところでたまたま春香と会った。


「お、春香。おはよう」


「おはようございます。いい朝ですね」


「ああ。まだちょっとねむいが」


「あ、ほんと。眠そうな顔してます。そくのパンダみたい」


 ころころと笑うはると、そのまま二人ならんで学園へと向かう。しゆうにはやはり同じはくじようの制服を着た生徒が何人か歩いている。どうでもいいが、ここのところ何だか行きがけに春香と会うことが多いように思えるんだよな。気のせいだろうか?


「明後日で授業も終わりですね。そうしたらいよいよ夏休みです」


 明るくほほむ春香。


 あの日以来、春香はいつもの春香(にこにこぽわぽわのてんねんじよう様)にもどり、元気に学園に通っている。その表情に、つい一週間前に見えたうれいはない。


「夏休み、とっても楽しみです。あ、そういえばこの間のやくそく……おぼえてくれていますか?」


「もちろん」


「えと、日程はおそらく八月のなかごろになると思いますので──」


 ともあれ、コトは全て良い方向に向かっているように思えた。


 今回の事件(春香のみつけんすい)をきっかけに、春香は過去のわだかまりのかなりの部分──さすがに全部とはいかないだろうが──をかいしようすることがたようだし、俺は俺で春香とのきよをちょっとばかりちぢめることが出来た。わざわてんじて福となすとはまさにこのことである。


 もっともこのじようきようにおいてもまだ一つだけ、けんあんこうというかメンドクサイことが残っているのだが──


「おはよう、春香ちゃん」


 と、歩いていた俺たちの前にとつぜん長身のかげふさがった。


「春香ちゃん、いつまでもそんなオタクヤロウといっしょにいるのやめなよ。そんなの春香ちゃんのを下げるだけだって」


 おかだった。


「そいつはあやしげなフィギュアとかながめて喜んでるへんたいなんだよ? 背も高くないし顔だって大したことない。頭がいいわけでもないし、運動神経がいいわけでもない。さらに怪しげなフィギュアとかを眺めて喜んでる変態ときてる。春香ちゃんだって、例のウワサを聞いてないわけじゃないでしょ?」


 相変わらずのにやにや笑いをけたまま、俺をじろりとにらむ。


 そう。


 懸案事項とはまさにこれのことだったりする。


 俺についてのウワサ(とそれをこうげき材料にしつこくからんでくる佐々岡)。


 これがいまだに──それこそっても殺ってもいて出て来る真夏ののように──しぶとく生き残っていたりするのである。まあさすがに十日も続けばいいかげんそんなじようたい(ウワサまんえん)にもれてきたとはいえ、それでもめんと向かってへんたいだの何だのと言われるのはあんまり気分がいいもんじゃない。というかむしろかなり悪い。


 思わずじゆうめんになった俺をして、おかはさらに続ける。


「もう終わってるっていうの? 学園にまでいかがわしいカタログとかも持ってくるしさ。すくいようがないよ。ていうかキショイ?」


 もう言いたいほうだいだな、こいつ。


「どこをさがしてもいいとこなんて何にもないじゃん。何ではるちゃんがこんなやつと仲良くしてるのか僕には分からないよ。あ、もしかして春香ちゃん、そいつに何か弱みでもにぎられてるとか? それならそう言ってくれれば僕が何とかするよ。これでも僕はしようりんけんぽう二級で──」


「……やめてください」


 佐々岡の言葉は最後まで続かなかった。


ゆうさんはとってもてきな人です。優しいし、まわりの人に心をくばることがらしい人です。私はそんな裕人さんを素敵だと思っていますし、そのことをあなたにていされるのはとってもしんがいです。だから、やめてください」


「は、春香ちゃん?」


 いつにない春香のように佐々岡がひるんだ。あたりを歩いていた生徒たちの何人かも、何事かと足を止める。もしかして春香……おこってる?


「お話がそれだけでしたらこれで失礼します。……行きましょう、裕人さん」


「あ、ああ」


 春香に手を引かれその場から立ち去ろうとして。


「ちょ、ちょっと待てよ! それ一体どういう意味!? こいつみたいなオタクヤロウの何がいいってんだ? 僕にも分かるように説明しろよ! おい、春香ちゃん!」


 佐々岡がはいからごういんに春香の手をつかんだ。うーむ、このテのかたよったフェミニストはキレるとやつかいだからな。ここらでくぎしておかないとあとあとメンドウだろう。


「おい、アンタいいかげんに──」


 俺はたまたま近くに落ちていた落葉せいそうようのホウキ(市役所の人がわすれていったんだろう)を拾い上げ、佐々岡の頭をぶったたくべくそれを大きくりかぶろうとして──




 佐々岡の身体が、がんぜんちゆうくのを見た。




「……え?」


 それは重力と物理法則にさからった、現実的にありない浮き方。ほとんどタケトンボみたいないきおいで、佐々岡の身体がぐんぐんと天高くがっていく。うわ、すげえ……。そしてそのまますさまじいキリモミ回転で宙をすべり、十メートルほど向こうにあるがいじゆに思いっきりげきとつして、ずりちるように地面についらくした。おくれて「ぐえ」と死にかけたカエルみたいな声が聞こえた。


「……」


 そしておかの身体のはつしや地点……すなわち俺のとなりには、何やらどうかたのようなポーズをしたはる姿すがた。ふわりとがったスカートの下からいつしゆんだけちらりと白いモノ(!?)がのぞく。い、今のはまさか……って、そんなすけオヤジみたいなこと考えてる場合じゃないな。


 あたりがシーンと静まり返っていた。


 道行く人々が、信じられないものを見るような目で、地面になさけなくころがっている佐々岡を見ている。


 えっと。


 いまいち信じられないんだが。


 もしかしてこれ……春香がやったのか?


 完全にかいはんちゆうがいごとほうけるばかりの俺としゆうの生徒をよそに、春香は口から日射病のカニみたいにアワを吹いて生まれたてのアザラシみたいにピクピクとけいれんしている佐々岡(しきだけはあるらしい)の下に歩み寄ると、にっこりと笑ってこう言った。


ゆうさんの悪口、言わないでください」


「は、春香ちゃ……」


「それに……あなたの言うそのいかがわしいカタログ、本当は私が持ってきたものなんです。だから言いたいことがあるのなら、私に言ってくださいね」


「……」


 はるなかに、ほのおをまとったりゆうえているのが見えた。


 そのがおうらかくされたはくりよくに、さすがのおかもそれ以上は何も言えなかったみたいだ。まあ単にダメージがひどくてしやべれなかっただけかもしれんが。


「それではゆうさん、行きましょう。こくしてしまいます」


 かえってそうほほむ春香は、いつもの天使のような表情にもどっていた。


 ……そういえば今さらながらに思い出したが、春香ってどこかのじゆつはんだいかくを持ってるとか何とか。いやそれにしたって今の佐々岡の飛び方、明らかにじようだったぞ……


「あの……裕人さん?」


 ていしている俺の顔を、しんぱいそうに春香が下からのぞんでくる。


「……いや、何でもない」


 まあ、いいか。気にならないわけではないが(ていうかすげえ気になるが)、春香のくつたくのないじやな笑顔の前では、そんなことは小さなことだ。春香の悲しむ顔を見ることがなければ、俺はそれでいい。


 だけど地面をきの悪いゾンビのようにいつくばっている佐々岡の姿すがたを見て、一つだけかたく心にちかった。


 この先、何があろうと春香を本気でおこらせるようなことだけはぜつたいするまい、と。






 そしてこの一件をさかいに、あれだけうるさかった佐々岡はめっきりと静かになった。それどころか俺や春香を見ると、マングースにあいたいしたシマヘビのように目をらしてそそくさとまつである。気持ちは分からんでもないが。


 またそれと同時に、それまでさっぱりおさまるはいのなかった俺についての悪いウワサまでもが、キレイさっぱりあとかたもなく完全しようめつしたりもした。理由については──考えるまでもないだろう。あの場には俺たちの他にたくさんのギャラリーもいたしな。……今さらながらに春香のえいきようりよくの強さというものをさいかくにんさせられた思いである。


 何にせよこれでようやく、残ったやつかいごとの全てが解決されたことになる。


 約二週間ぶりに戻ってきた日常。


 とはいえファンクラブ員からは相変わらず親のかたきのごとくにらまれてはいるし、「春香様からはなれろ! このブタが!」みたいな内容のかいぶんしよもなおときおりとどいたりもするのだが、そのことについてはもうあきらめた。何だかんだ言って、俺が春香と仲良くしていることは事実であるわけだし。うーむ、せめておくじようきにされかねないような、目立つことだけはしないように気を付けよう。


ゆうさ~ん」


 ──とは思うのだが。


「よろしかったらいっしょにお昼ご飯を食べませんか?」


 ──正直、それもむずかしいんじゃないかって気がする今日このごろである。


 楽しそうな顔でこっちに向かって手をぱたぱたとはる


 ちなみに現在のシチュエーションは昼休みの教室である。最近、春香は以前に比べて学園でも積極的に俺に声をかけてくるようになった。それが俺に心をゆるしてくれたということならばうれしいことこの上ないのだが、いかんせん物事にはかならず長所と短所の両面がそんざいするのである。


 まあつまり。


 昼休みの教室には当然ながらまわりにおおぜいのクラスメイトたちがいるわけであり、そんな中で『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』がそんな行動をとれば注目を買うのはひつであり、


あや、お前ここ最近一段と春香様と仲がいいみたいじゃねえか」


「いっしょに昼メシねえ……けっ、調ちように乗ってんじゃねえぞ」


 さらにうちのクラス内にはファンクラブ員(しかもわりととう)が多数存在しているのである。


「とりあえず、おくじようきか?」


「いや、だんめてチューリップにしてやるのがいいだろ」


「プールでさかりってのもあるな」


 ……はたして俺はに夏休みを迎えられるんだろうか。


 かなり不安だった。

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