第四話〈7〉


 春香はヒザをかかえるようにしてベッド(てんがいき)の上にちょこんとすわっていた。


 そのかたわらにはクマのヌイグルミと、雑誌のようなものが置かれている。


 俺の姿すがたを確認すると、春香はほおうつすらとしゆめて目をせた。


「……あの、さっきはすみませんでした。そ、そのおかしなことを言ってしまって……」


「あー、俺は気にしてないから」


 そのことに関しては今はあんま突っ込まない方が吉だろう。いや突っ込んではみたいんだけど。


「それより三日も学園休んで……しんぱいしたぞ」


「……すみません」


「いや別にめてるわけじゃなくてな……」


 しかられたいぬみたいにしょんぼりとしてしまったはるを見ていると、何だかまるで自分がいじめをしているようなやるせない気分になってくる。


「とりあえず、だいじようだから」


「え?」


「春香のしゆ、バレてないから。あのあと何とかフォローがくいった」


「そ、そうなんですか?」


 春香がぱっと顔を上げた。


「ああ、だから春香は何も心配することない」


「あ、ありがとうございます。でも、あのじようきようでどうやってフォローなんて……」


 確かにあれはかなりぜつぼうてきな状況だったからな……


 俺があの時にやったこと(だいこんやくしや)をかんたんに説明すると、春香の顔色が変わった。


「え、それじゃあ……ゆうさんがカタログの持ち主だと思われているのですか?」


「まあそういうことに」


「そ、そんな……」


 春香の表情が変わった。


「ん? 何かマズイか?」


 特に問題はないと思うんだが。


「だ、だって、裕人さんがヘンな目で見られてしまいます……」


 なるほど、そのことか。確かにアレがげんいんで現在色々とへいがいかいぶんしよとかおかとか)が生じているが、別にそれくらいはさつこんの世界じようせいに比べれば全然大したことじゃない。てか春香の悲しむ顔を見るくらいなら、むしろ自分がイヤな目にった方がまだマシだって思えるんだよな。……だ。今までこんな感情をだれかに持ったことなんてなかったってのに。


「それは別に気にしなくていい。春香が元気になれば、それで俺は満足だ」


 だから俺はそう言ったのだが。


「そ、そんな、そんなこと……」


 しかし、春香はその答えになつとくがいかなかったみたいだった。


「裕人さんは分かってないです。それがどういうことなのか……まわりとはちがう、変わった趣味を持っていることがけんしてしまうことがどういうことなのか……」


 そのひとみに、みるみるうちにおおつぶなみだかびはじめる。


「ダメです……そんなのはダメなんです……。ゆ、裕人さんには、私と同じような思いはさせたくありません」


はる?」


「……あんな、あんな思いはもう──」


 うつむいてかたふるわせる春香。しばらくの間そうしていたが、やがて何かを決心したように顔を上げた。


「……ゆうさん。これから少しお話をしたいことがあります。聞いて……いただけますでしょうか?」


「ああ。いいけど何の──」


 言いかけて気付いた。こんなじようきようで春香が言おうとしている話。そんなものはもう、一つしかないだろ。それはすなわち、さっき聞いた──


 そのそうたがうことなく、春香は静かに口を開いた。


「──私の、中学生のころのお話です」




   *




 春香の語った内容とから聞いた話とを総合すると、以下のようになる。


 要するに、春香は今回やっちまったのとほとんど同じポカを、中学の時にもやっちまったとのことらしい。


 くわしくは分からんが、昼休みの教室でたまたま持ってきていたマンガ(『はにかみトライアングル』第一巻)を、ゆかに落ちていた牛乳の空パックにすべってころんでちゆうって、クラスメイトたちの真ん前でごとにぶちまけたとかなんとか。……なんかその時のじようけいがありありとそうぞうるってのがこわい。


 そして見事にしゆがバレた。


 中学の時も、すでに今と同じようにしゆうからは良い意味で特別視されていた春香が、そういったとくしゆな趣味を持っていたことは、退たいくつな日常にきしていた中学生たちにはかつこうのネタであったようで、それ以来、春香を取り巻く状況は大きく変わってしまった。


 別にムシされたり、表立っていじめられたりするようなことはなかったらしい。


 ただ周囲の春香に対するたい、見る目は(悪い方向に)確実に変わり、それまで仲の良い友達だと思っていたやつらも、選挙に落選した国会議員の取り巻きのように、だいに春香ときよを置くようになっていったとのことだった。


 美夏が言うには、その時の春香の落ち込みようは見るにえなかったらしい。


「あのころのお姉ちゃん、すっごくいたいたしかった。見てられなかった。それまでは明るくてよくしやべるお姉ちゃんだったのに、だんだんとふさみがちになって、あんまり笑わなくなって……夜とかには時々一人でいてた」


 美夏もづきさんも何とかその状況をかいすべく色々とがんばったみたいだが、学校というへい社会から見れば二人はあくまでもがいしやである。それらはことごとく失敗に終わったらしい。


 けつきよく一度変わってしまったまわりのたいは卒業するまで変わることなく、はるはそのままふさみがちなままで中学生活を終えた。


「ほんとならお姉ちゃん、そのままぞくせいじよ──せいじゆかん女学院に上がる予定だったんだけど……そういうじようがあったから、それをやめてはくじよう学園に通うことにしたの。白城なら聖女からははなれてたし、お姉ちゃんのしゆのことを知ってる人もいなかったから」


 聖樹館女学院とは、幼小中高大の十九年間いつかん教育のエスカレーター式で、じゆんすいばいようの超おじよう様学校(生徒の八割はに「~ですわ」を付けるとか、石を投げれば社長れいじように当たるとか、学食にフランス料理のフルコースがあるとかうわさされている)としてこのあたりでは有名な名門校である。まあ考えてみれば、確かに春香ほどのお嬢様が白城みたいな上の下レベルの進学校に通ってるってのは少しばかり不自然だったが、だけどそういう事情があったのならそれもなつとくる。


「お姉ちゃんが、趣味がバレることをあんなにこわがってるのはそのせい。その時のヤな思い出が、一種のトラウマみたいになってるんだと思う。……おに~さん。だからわたしはおに~さんにたいしてるの。だってお姉ちゃんの趣味を知って、それでも変わらずに接してくれてるのって、おに~さんだけだから」




   *




 話を終えるころには、春香のほおにはなみだつたっていた。


「……だ、だから、ダメなんです。あのカタログの持ち主がゆうさんだなんて思われたら、こ、今度は裕人さんが周りからヘンな目で見られて、みんな離れていってしまいます」


 思い出したくない昔の話をするのはそうとうつらかったんだろうな。ノドのおくからしぼり出すようにして春香は言葉をつむぐ。


「私、わ、私は……裕人さんに、そんなことになってほしく、ないです……」


「いやそれは」


 春香の言うことは分かるが、かならずしも全員が全員そうってわけじゃないだろ。確かに純粋培養の聖女のお嬢様たちの目には、アキバ系なんてものはこの世のものとは思えないほどしつに映ってもおかしくないかもしれんけど……つうに考えれば十人に一人くらいは、こうていしてくれるやつもいるんじゃないか?


 俺のことに、しかし春香は首をる。


「そ、それはそうかもしれないです。で、でも私のせいで、裕人さんが、そんなことになるひつようはないです。もともとは私がいけないんですから……わ、私だけがヘンな目で見られればそれで──」


「そういうこと、言うな」


「だ、だって……」


 はるの目をえる。


「だいたいそんなことくらいではなれていく友達なんて、ほんとの友達じゃない。そういうやつらとは、そのことがなかったとしてもいつか何らかの理由でぜつたいにうまくいかなくなるに決まってる。離れていってよかったとまでは言わんが……そこまで気にしてもかたがないだろ?」


 少なくとも俺はそう思っている。


 そいつがアキバ系であるというだけで、その他の性格などのようして、付き合い方やたいこつに変えるやつなんて、友達でいてもかたがない。


「で、でも……」


 むねの前で手をぎゅっとにぎめる春香。


「でも……一人になってしまうのはつらいことです。私はそれにえられませんでした。今だって、耐えられる自信はありません。ひとりぼっちは……イヤです。みんな、イヤなはずです……」


 そして辛そうに目をせた。


 うーむ、かなり後ろ向きになってるな。話を聞く限りじゃムリもないことかもしれんが、いいかげんにそんな過去から春香をかいほうしてやりたい。


「なあ」


 だから俺は言った。


「一人、じゃないだろ」


「え?」


 春香が顔を上げる。


「春香は、俺が変わったしゆを持ってるからって、俺から離れていくか?」


「そ、そんなことはありません。私はゆうさんのことが好きです。それくらいのことで、離れていったりはしません」


 まあ、その『好き』に深い意味はふくまれていないと考えておこう。


「だろ? だったら少なくとも俺には春香がいる。一人じゃない」


「それは、でも……」


 まどう春香に、俺はさらに続ける。というかむしろこっちこそが真に春香に言いたいことだ。


「それに……俺だって同じだ。たとえ世界中のやつらが春香のことをヘンな目で見たって、俺だけは春香のかただ。いつだって、だれが相手だって、その結果俺がどんな目にったって、フォローしてやる。それだけはやくそくするぞ」


「え、ええっ……!?」


 だんげんしてもいい。


 もしもはるがもう一度この前みたいなことを、いやそれ以上のこと(……いつか本当にやりそうな気がするが)をやらかしてしまっても、やっぱり俺はフォローするだろう。そのけつまわりからヘンな目で見られようが、良くないウワサを立てられようが、おそらくこうかいはしないと思う。


 何でかって?


 そりゃ春香のみつを知っているのが俺しかいないからだとか、春香のしゆこうていしたことへの責任があるからだとか、しんけんな顔をしてたのまれたからだとか、色々とくつはつけられる。


 けど、俺が春香のかたになると決めた一番の理由は、もっとたんじゆんで、もっと根本的なものだ。


 ようするに。


 俺は気に入ってしまったのだ。このいつけんすると完全けつのようで、実のところはドジでき虫でてんねんで、どこかほうっておけないふんを持った、ちょっとばかり変わったおじよう様を。


「だから、春香が一人になることもない。どんなことがあっても、俺はぜつたいに春香からはなれていかない」


 ……って、自分で言っておいて何だが、これってもしかしてかなりずかしい台詞せりふなんじゃないのか? それこそ花火会場で「お前のひとみうつる花火を見ていたい……」とか言うくらいに。


「ゆ、ゆうさん……」


 でも春香はかんきわまった表情で、ふたたびその大きなひとみいっぱいになみだをためていた。


「わ、私……きっとだれかにそう言ってもらいたかったのかもしれないです。私は一人じゃないって、どんなことがあってもそばにいてくれるだれかがいるって、ずっとそう言ってもらいたかったんです」


 ガマンしきれなかったのか、春香の目から再びぽろぽろとしずくがこぼれた。ポケットからハンカチを出してそれをぬぐおうとして、やっぱり今日もハンカチなんて上品なものは持ってきていなかったことに気付く。我ながらしようナシなことこの上ない。


 ちょっとまよったが、俺は指で春香の涙をぬぐった。やわらかくてすべすべとしたはだ。最初はおどろいたような表情をしていた春香だったけど、すぐにされるがままになった。


「あの、一つだけお願いして、いいでしょうか?」


「ああ」


「少しの間だけ、むねを貸してほしいです」


「お安いようだ」


「はい」


 春香はこくりとうなずくと、俺の胸に顔をうずめて静かにいた。それがどういう意味でのなみだだったのか分からなかったけど、その間、俺はそっとはるの身体をきしめていた。


 やがて春香はきやみ、顔を上げた。そしてウサギみたいに真っ赤な目のままで、れくさそうにこう言った。


「……ずっと、そばにいてくださいね」


 返事の代わりに、俺はもう一度春香の身体を抱きしめた。さっきは気付かなかったが、春香の長いかみからはとても心落ち着くやわらかいかおりがする。そんな春香の髪をでようとして──


「……とても良いふんの中、もうわけありませんが」


「うわあっ!」「きゃっ!?」


 気が付くと、またはいにメイドさんが立っていた。


 しやくの同極のように、俺たちはぱっとおたがいの身体からはなれた。


「……ですから、私の顔はそんなにおどろかれるようなぞうさくをしておりますでしょうか?」


 かなりしんがいそうな顔でメイドさんが答える。だからそうじゃなくていつのに入ってきたんだ? 確かにカギは開いてたが、ドアを開く音とか足音とかはいとかが全くもってなかったぞ?


「二人の世界に入ってたから、気付かなかったんじゃないの~?」


 これまたいつのにいたのか、づきさんの後ろでが笑っていた。この二人、ぜつたいおかしいよ……


「どうやらなやごとも解決したごようですので、どうかお食事をおりください。三日も食べていないのですから、ごくうふくのはずです」


「あ、そういえば……」


 思い出したかのように、春香のお腹がく~とかわいらしい音を立てた。


「……」


 春香が真っ赤な顔になる。


 そんな春香を見ながら俺は、おじよう様は腹のる音も上品なんだな……と実にどうでもいい感想をいだいたのだった。

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