エピローグ
エピローグ
夏休みの初日。
俺は
「実は……
と言われてやって来たのだが、見せたいものって一体何だろう。……まさか、春香のメイド服
などと我ながら春季発動期な考えに頭を
「お待たせしました」
春香が、ティーポットを片手に
当然、メイド服は着ていなかった。
「……ちっ」
「? 何が〝ちっ〟なんですか?」
「い、いやこっちのことで……」
「?」
言えるわけがありません。
「よく分かりませんが……あ、セイロンブレンドのテ・フレスコでよろしかったでしょうか?」
「ああ」
とりあえず、それが紅茶の名前なんだろうってことが分かるくらいには俺も成長している。
オレンジの甘い香りのする紅茶を、春香がカップ(旧エドワード王朝のアンティーク。
「そういえば、今日は葉月さんは?」
ふと、いつもはこういった仕事を一手に引き受けているメイド長さんの
「葉月さんはお休み中です。早めの夏休み、ということで
「へえ、田舎か」
そう言われてみれば、門のところまで迎えにきてくれたのも他のメイドさんだった。
「北海道だそうです。お
「クマカレー……」
またマニアックなもんを。
「
「あの子はお
「
「ちなみにお父様は〝なさ〟に出張で、お母様もパリに
なるほど。てことは、今日は春香と二人きりってことか。うんうん。
「……」
……って、二人きり!?
自分で
いやもちろん、この広大な
二人きり。
何とも
「あれ?
「い、いや」
だがそう考えると何だか急に
気を
「──裕人さん」
「な、何だ?」
答える声が思わず
「今日は裕人さんにお見せしたいものがあるって言いましたよね」
「あ、ああ」
見せたいもの、と言われて
「実は、これなんです」
そう言って春香は
「これは……」
それはつい先日にこの
「はい。『イノセント・スマイル』の創刊号です」
「あの……私といっしょに、これを読んでいただけませんか?」
「これを?」
「はい。ダメ……でしょうか」
「いや、それは
特別に
「……これは私にとって、特別な本なんです」
春香が静かに
「私、落ち込んだりイヤなことがあったりした時には、いつもこれを見ることで自分を
「そういう意味で、この本は私にとって特別なんです。あの方との思い出の品であって、とてもとても大事な、私の
「そう、か……」
今でもその人物が春香にそこまで
少しばかり
「だから、
春香は、そう言った。
「え……」
「私、
「春香……」
嬉しさのあまり
「それじゃ、いっしょに読むか」
「はいっ!」
「私、ここのところの
「ここのお話のクライマックスの部分がとっても
「このイラスト、かわいいですよね」
各所で春香が感想を
楽しそうに、『イノセント・スマイル』のページを
──あれ?
その姿に、ふと
それはあの日、春香がいないときにこの
──俺は、どこかでこれと同じシーンを見たことがある?
その
*
それは確か
女の子は泣いていた。
人目もはばからずに大声で泣いていた。
そんな女の子の声に気付かないわけがないのに、
何だかハラが立った。
これだけ大人がいるんなら、一人くらい声をかけてやってもいいだろ。女の子が泣いてるんだぞ。
でもやっぱり、だれも女の子に声をかけるやつはいなくて。
女の子は変わらずにわんわんと
気付いたら、俺は女の子に声をかけていた。
「一人……なのか?」
「……」
女の子が、すすりあげながらもこくりとうなずく。
「家、帰らなくていいのか? もう
「……帰りたく、ないです」
ふるふると首を横に
「
そう
女の子の横に
「……」
「……」
しばらくの間、
女の子のぐすっ、という泣き声だけが
先に
「なあ、何があったの知らないけど、泣いてばっかりじゃつまんないだろ。何かしようぜ」
「……」
女の子が
「そうだな……サッカーとか」
「……ボール、ないです」
その通りだった。
「だったら、かくれんぼとかは」
「……二人だけでやると、すごく
確かに。
「うーん……」
他にも色々と
「まいった……どうするか」
女の子は顔をうつむかせて、じっと地面を見つめている。このままだとまた泣き出してしまいそうだった。何か女の子を楽しませることが出来るものはないか──
「ん、そうだ」
思い出したのは右手に持っていたモノ。今日一日中、アキハバラ中の本屋をムリヤリ
「いっしょにこれ読まないか? まあ、マンガなんだけどさ」
「まん、が?」
女の子が少しだけ
「ああ。友達が言ってたんだが、けっこうレアアイテムらしいぞ」
「れあ、あいてむ……」
「
女の子は、ちょっとだけ笑ってそう言った。それは初めて見た女の子の
確かにそのマンガは面白かった。
それから二人で、
全部を読み終える
「少しは元気、出たか?」
問うと、女の子は最初に見たときよりも少しだけ大きな声で、
「……はい」
と、うなずいた。
「それじゃ俺はそろそろ帰るけど、おまえは──」
「あ、私も……帰ります」
ベンチから立ち上がり、
「おかげさまで……元気、出ました」
そう言って女の子がぺこりと頭を下げる。その手には、今まで読んでいたマンガ雑誌。
「あ、そうですよね。これ、お返ししないと──」
「……やる」
「え?」
「これ、やるよ。欲しいんだろ」
女の子が、その大きな
「え、で、でも……大事なものなのでは」
「まあそうらしいけど。でもおまえもこれ、好きなんだろ?」
「は、はい。好きです。とっても……」
女の子が力強く返事をする。
「だったらいいさ。きっとあいつが持ってるよりもおまえが持ってた方が、この本も喜ぶ」
「そ、そうなのでしょうか……」
「ああ」
この本を見て女の子は
俺は女の子の手に、強く本を
「あ、あの……ありがとうございます」
「いいさ。それより、もう
それはさっきの笑顔を見て何となく思ったことだった。
「え、あ……は、はい」
「それじゃあな!」
それだけ言って走り出す。
「あ、あの」
女の子の声がまだ後ろから聞こえてきたような気がしたけれど、
そのマンガ雑誌は、その日から女の子の物となった。
ちなみにその後、信長にそのことを話すと、
「あ、あげたって、『イノセント・スマイル』の創刊号をー!? ぎゃー、な、何てことしてくれたんだよー。あれを手に入れるのに僕がどれだけ苦労したかー」
などとさんざん
「問題あるよー! あーもう、
そこまで知らん。
アキハバラまで付き合ってやったんだから、それくらいガマンしてくれ。
*
──思い出した。
完全に思い出した。
てことは、あのときのあの女の子は
「なあ春香、その『イノセント・スマイル』をくれたやつって……もしかして、
「あの方は全然小生意気なんかじゃなかったです。とっても
はにかんだ表情で俺を見る春香。そのかわいらしい
「……はは」
何だか、おかしくなった。
つまり俺たちの関係は、三ヶ月前どころか、もっとずっとずっと昔から始まっていたのであり、そればかりか春香がこっちの道(アキバ系)に走った
「はは、あはは」
思わず声を上げて笑ってしまった。
そんな俺を、春香が初めてウーパールーパーを見た小学生みたいな
とりあえず一つだけ確かなことは。
俺たちのこの不思議な関係が、これからも続いていくことだけは
END
乃木坂春香の秘密 五十嵐雄策/電撃文庫・電撃の新文芸 @dengekibunko
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