第一話〈10〉


 その間やることもないので、俺は何となくディスプレイとにらめっこをしている乃木坂さんの横顔をながめていた。


 サラサラのくろかみ。雪のように真っ白なはだととのったはなすじ。窓からうつすらと差し込む月光とディスプレイからの光に照らされてあおく白く輝くその姿すがたは、まるで神話か何かに出て来るいやしの女神のようにしんてきだった。よう姿たんれいのうめいせきひんこうほうせい、ピアノのうではプロ級、しんそうのおじよう様、『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』。しかしそんな完全けつの彼女のかたきも、今のこのこうけいの前ではどうでもいいものに思えてくる。


 だいたいざかさん、そもそもが全然イメージ通りのキャラじゃなかったし。


 少し前までは、落ち着いていて大人で人間のよくた、見かけ通りのせいなおじよう様キャラなのかと思っていた。クラスのヤツらもおそらく同じひようだろう。


 しかし人間やっぱり見かけだけじゃはんだん出来ないってことを、今この場にいる俺は心のそこから思い知らされていた。


 だってどこの世界に、アキバ系の雑誌をこっそり図書室にへんきやくするために真夜中の学校に不法しんにゆうをするお嬢様がいようか。おまけによくくし、どこかけてるところがあるし、かなりドジだし、絵はきようあくにヘタだし……


 でもだんの完全けつすぎる乃木坂さんより、こっちの乃木坂さんの方が身近に感じられて、俺はぜつたいにいいと思うんだがな。まあ俺にいいと思われて乃木坂さんがうれしいと思うかどうかはたなげにしておいて。


「なあ乃木坂さん」


「はい?」


 俺のせんには気付かずに、ぎようちゆうの乃木坂さんが返事をする。


「乃木坂さんは、何でこういったしゆ……アキバ系になったんだ?」


 ついそんなことをいてしまった。ああ、何言ってんだ俺。もうかえさないってやくそくしたのに。


 けど、乃木坂さんは、


「う~ん、なぜなんでしょう?」


 大して気にめた風もなく答えてくれた。


「自分でもそんなにはっきりと分かってはいないんです。気が付いたらいつの間にかこうなっていたっていうか……ただ、最初のきっかけはたぶん、アレだと思います」


 口元に指を当てて小首をひねる。アレとは?


「はい。今から六年くらい前のことなんですけど……私、おけいごとのことでちょっと両親とケンカして、近所にある公園で泣いていたんです。確か……お友達と遊ぶ約束をしていたのに日本ようのお稽古のせいでダメになってしまったとか、そういった理由だったと思います。私、お友達に遊びにさそってもらったのってその時が初めてで、すごく楽しみにしていたのに、それなのにとつぜん入った特別のお稽古でダメになってしまって……すごく悲しくてくやしくて、一人でわんわんと声を上げて泣いていました。まわりをはばかることなく、本当に大声で。きっとだれかになぐさめてもらいたかったんだと思います。大声で泣いていればそのうちにだれかが自分に優しくしてくれる。子供心にそう思っていたんでしょうね。でもやっぱり世の中はそんなに甘いものじゃなくて……通りかかる人は何人かいましたけど、皆見て見ぬフリをして通り過ぎていきました。泣いている子供なんて、やつかいなだけですものね。だけど……一人、一人だけそんな私に声をかけてくれた人がいたんです」


 どこか遠くを見るような目になる。


「その方はいている私を、ぶっきらぼうに、でもとってもいつしようけんめいなぐさめてくれました。あの時のことは今でもわすれられません。そして……その時に見せてくれたのが、『イノセント・スマイル』の創刊号だったんです」


 少しほこらしげに、ざかさんはそう言った。


「私、それまでマンガとかそういったモノを見たことがなかったからとってもしんせんで……いつしゆんでトリコになっちゃいました。見るだけで人を楽しい気分にさせてくれるそのふんかれたというのか……。けつきよくその方にお願いして、創刊号はもらっちゃったんです」


 えへ、としようする乃木坂さん。


 へえ。何かいい話だな。まあ小学生の女の子を慰めるために『イノセント・スマイル』を見せたっていう、そのお方の何考えてるんだかよく分かんないせんたくはともかくとして。


「それが始まりと言えば始まりかもしれないです。それ以来、またあの楽しい気分を思い出したくて、こっそりとマンガとかを読むようになったから。だから……今でも『イノセント・スマイル』には特別な思い入れがあるんです」


 なるほどね。だから決して小さくないリスクをおかしてまでわざわざ図書室からりるなんてことをしたわけだ。確か『イノセント・スマイル』のバックナンバーはレア物だとかのぶながも言ってたし。目的のためにはしゆだんを選ばず。ようやくなつとくがいった。


「ええと……これでお終いです」


 ぽん、とエンターキーをす音が聞こえた。どうやらぎように終わったらしい。


 とそこで乃木坂さん、ようやく俺のせんに気付いたみたいだ。モニターの前で伸びをしたままの姿せいで電池の切れたアイボみたいに固まった。


「な、何でしょう? 私の顔に何かついてますか?」


 少しあわてたようにほおを赤らめる。やっぱりこれも教室じゃ見られないはんのう。とても新鮮である。


「いや……ヘンなおじよう様だな、って思って」


 俺は思ったままの感想を口にした。


「えと、本人に面と向かってそういうことを言うのは失礼だと思います……」


 とは言いつつも、そんなにイヤそうではない。というかどこかうれしそうですらある。


「それにおことですが……私に言わせれば、あやさんの方がずっとヘンですよ? うん、すごくヘン。全日本変人王選手権があったらちがいなく上位入賞そうなくらい。私がしようします」


「そりゃどうも」


 何の選手権だ、それは。


「……」


「……」


 いつしゆんあたりにやわらかいちんもくが落ちて。


「……ふふっ」


「……はは」


 次のしゆんかん、俺たちはおたがいの顔を見合わせてどちらともなく笑い出していた。真夜中の図書室にひびく男女の楽しげな笑い声。だれかに聞かれたらほぼ確実に新たなななが誕生しそうである。『きよう、真夜中の図書室で笑い狂う男女のれい』。


 どれくらいそうしていたかな。


 しばらくしてようやく笑いのうずおさまると、ざかさんがちょっとだけな顔になって、


「私……もうオシマイだと思ってました」


 とうとつにそんなことを語り出した。


「オシマイ?」


「はい」


 乃木坂さんがこくんとうなずく。


「あの時、あやさんに私が『イノセント・スマイル』をりたのを見られて、さらにとってもこんらんした姿すがたを見られてしまって……ああ、これでもう私がそういうしゆを持っていることが皆に知られてしまう、そうしたら皆は私のことをバカにするだろう、ヘンな目で見るだろう、って、そういう風に思ったんです」


 まあそれはていんかもしれない。俺はだんからのぶながを見ているためそうでもないが、世の中にはみようへんけんを持ったヤツが数多くいる。『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』がアキバ系だなんてことを知ったらおもしろおかしくさわてるヤツがぜつたいにいそうだしな。


 ん、でもちょっと待てよ。乃木坂さんのその口ぶりからすると──


「あのさ、もしかして乃木坂さん、俺が乃木坂さんがアキバ系だってこと、まわりに広めると思ってた?」


 そういうことになるよな?


 すると気まずそうにちょっと目を横にらす乃木坂さん。


「ご、ごめんなさい。あの時はまだ綾瀬さんのことどういう人なのかよく分からなかったから、そういうのうせいも否定出来ないかなって……。それに私、そもそもあんまり男の人としやべったことがなくて、綾瀬さんのことも……少しだけこわかったの」


「喋ったことがないって……」


 乃木坂さんが? 『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』が? それははなはだしくがいというか何というか。


「男の人はみんな、どうしてか私に対してはしくて……。他の女の子にするみたいに、気軽に接してくれないんです。つうに話してくれるのは、綾瀬さんくらい」


 それはたぶん、ざかさんがあまりにもれんすぎてかんぺきすぎておくれしてるだけだと思うんですが……まあ、他の男のフォローまでしてやらなきゃいかんはないか。


 乃木坂さんが続ける。


「そんなわけだから、あの時はもう本当に何もかもオシマイだと思ったんです。いっそそのままどこか遠くへ旅に出てしまおうかと思ったくらいで……。でも、私のにんしきちがっていました。あやさんはやくそく通りだまっていてくれましたし、それに私のしゆを知ってもバカにすることもなくつうに接してくれた……それどころか助けてさえくれました。今日だって綾瀬さんがいてくれなかったらどうなっていたことか……。綾瀬さんを信じることがなかった自分がずかしいです。あの時の自分にバカって言ってやりたいくらい。私……綾瀬さんには本当にかんしやしているんです」


 だから、と言って、乃木坂さんは俺の前にちょこんと立ち、


「本当に……ありがとうございました」


 はにかみながらスカートのすそを指でちょんとつまんで、ぺこりと頭を下げた。それは何かつい先日どっかの雑誌の表紙で見たようなポーズなのだが……それでも乃木坂さんがやると、それはもう世紀末的にめちゃくちゃかわいくて可憐で愛らしくて──


 思わずせいを失いそうになったその時だった。


 ガタリ、バサバサ。


「!?」


 しよおくの方で、何やら物音がした。


「い、今の……何の音でしょう?」


 乃木坂さんが光速を超えるおどろくべきスピードでいつのにか俺の身体にしがみついていた。火事場のバカ力。いやこの場合はバカきやくりよく? どっちでもいいか。それはともかくうでに何やらやわらかいモノが当たるんですが……


「ほ、ほんだなの方から聞こえてきましたよね? もしかして『読書する死者』……」


「まさか、ゆうれいなんて……」


 いない。……と、思いたいが。


「ど、どうするんですか?」


 不安げに乃木坂さんが俺の顔を見上げてくる。ここでのせんたくは三つ。①こうしんにかられて見に行く。②大人しくす。③こわがるフリをしてさりげなく乃木坂さんをきしめる。個人的には③を選びたいところだが……い、いやまいごとだな。ヘタすりゃはんざいだし。


 ともあれここは普通に考えれば②がとうなとこだろう。もう用事はんだことだし、わざわざ自分からしんえんなるだいれいかいの一部をかいようとするひつようもない。ないんだが……でも、それも何かしやくぜんとしないんだよな。


「あ、綾瀬さん!?」


「ちょっとようを見てくる。ざかさんはここで待ってて」


 と、こしをぎゅっとつかまれた。


「わ、私も行きます」


「え、でもこわいんじゃ……」


「ここに一人で置いていかれる方がよっぽど怖いですっ」


 そりゃそうかもしれんな。


「じゃ、行くか」


「は、はい」


 というわけで二人して、かいおんの発生源と思われる方へと向かう。


「たぶん、聞こえてきたのはがくのコーナーの方からだったと思います」


「楽譜?」


 そんなものまで置いてあるのか。ま、『イノセント・スマイル』がみとめられるくらいだ。別におどろくべきことじゃないかもしれない。


「こ、こっちです」


 勝手知ったる乃木坂さんにみちびかれて、おくにあるほんだなの一角に近づいた時、


 ヴィンヴィンヴィン。


 さい、さっきとはちがおんがして、


 バサバサバサ。


 続いて本が落ちるような音がした。


「ひっ……」


 乃木坂さんが、ようにも俺のうでに掴まったまま自分の耳をふさいだ。


「い、い、今の……」


 目になみだをためて、乃木坂さんが俺を見上げた。


「や、やっぱり『読書する死者』……に、げましょう、あやさん」


「いやちょっと待て……これって」


 本が落ちる音は止んだが、もう一つの異音はいまだに聞こえている。ヴィンヴィンヴィンヴィンヴィン。どこかで聞いたことがある音だな。えーと……あ、これってまさか。


「あ、綾瀬さん!」


 本棚に近づいてみると、そのすいそくが正しかったことが分かった。


「……けいたい、ね」


 楽譜がいくつもおさめられている本棚にっかっている白い物体。まわりの楽譜をなぎたおしてゆかに落としながらしんどうし続けているそれは、ただ今着信中の携帯電話だった。


「……しかも、何かおぼえがあるし」


 アルファベットが集まってYUKARIと、なっているストラップ。ああ、そういやあの人、けいたいくしたとか言ってたっけなあ……。まあおおかたここでりるがくを選んでいて、たまたまわすれたとかそんなとこだろう。まったく、ひとさわがせな。とりあえずこれはあとで本人にとどけてやるとして今はウルサイから電源オフ。


ざかさん、もうだいじようげんいん、分かった」


 ほんだなかげで死にそうな顔でふるえている乃木坂さんをぶ。おんが消えたので少しは安心したのか、おそおそるといった足取りでこちらにやって来た。


「原因分かったって……」


「ああ、人騒がせな原因はコレ」


 持ち主の心とは正反対の真っ白な携帯を見せると、気がけたのか乃木坂さんはその場にぺたりとすわんだ。


「あ、安心したら力が抜けちゃいました」


 ほんとにこしが抜けてるみたいだった。うーむ、腰を抜かした人って初めて見た。それもあの『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』がねえ……。もう何だかほとんどコメディの世界だ。


「ぷっ……」


 思わず笑ってしまった。すると乃木坂さん、ぷーっとほおふくらませて、


「な、何でそこで笑うんですか。そこは笑うところじゃないです。しょ、しょうがないじゃないですか。ほんとにこわかったんですから!」


 とこうをしていたが、やがてあきれたような顔になって口元をゆるませた。


「もう……ほんとにヘンな人」


「それはおたがいさまってことで」


 そしてまた二人して顔を見合わせて、思いっきり笑った。きんりんの住民に聞こえるくらい、せいだいに笑った。


 もしかしたら、明日あたりには新しいななが生まれているかもしれないな。







    5




 さてこれにてにんは完了。


 校門を出たところで、乃木坂さんがぺこりと頭を下げた。


「今日は本当にありがとう。あやさんのおかげで助かったし、それに……おんとうかもしれないけれど、とっても楽しかったです」


 楽しかった。うん、確かにその表現は不穏当だが、てきとうではないな。だから俺もがおでこう返した。


「どういたしまして。俺も楽しかった」


 これは正直な気持ちだ。


「あの……はる、でいいです」


 れたような顔で、でも改まってざかさんが言った。


「あ、のことなんですけど。その、乃木坂さん、っていうのは何だかにんぎようじゃないですか。いえ、確かに他人は他人なんですけど、そういう意味じゃなくて……。う~、うまくことないです。でも……とにかく私のことは春香って呼んでほしいんです。乃木坂さん、じゃなくて」


 その表情はけつこうしんけんだったりする。


 うーむ。何をこんらんしていたのかはよく分からんが、その申し出自体は受け入れることに何の問題もなかった。てか、むしろうれしいし。


「分かった。春香……でいいんだよな?」


「うん!」


 すげぇ嬉しそうな顔でうなずく乃木坂さん……いや、春香。うう、何か今さらだけど春香って、めちゃくちゃかわいいんだよな。


「……だったら、俺のこともゆうでいい。仲いいヤツは、だいたいそう呼んでるから」


 何となくそれ以上春香を見ているのがれくさくなり、半ば目をらしにそう答える。


 すると「仲いいヤツ……」とつぶやいた後に、春香はもう一度笑った。教室では見せない、心からのがおで。


「分かりました。裕人さん、これからもよろしくお願いしますね」






 これが俺と乃木坂春香との、ある意味みような関係の始まりでもあった。


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