第三話〈6〉



    4



 春香とメイドさんが行ってしまい、には俺が一人残された。


 適当にくつろいでと言われたものの、何だかこの部屋は広すぎて落ち着かない。せまいオリから急に広い実験スペースに放り出されてとまどうマウスみたいなもんか。


 じっとすわってるのも退たいくつだったので、部屋の中を色々と見てみることにした。


 まずは部屋の中央にどん、と置かれているグランドピアノ。メイドさんいわく、スタンウェイのフルコンだかファミコンだかそんな名前のしろもので、にして二千万円ほどするとかしないとか。……うちの家、買えるな。しかも土地付きで。


「……」


 何だかそこれないはいぼくかんさいなまれて、俺は目の前の黒い楽器から目をらした。


 ピアノの向こうにあるほんだなのぞいてみる。


 本棚には、いくつものがくおさめられていた。ベートーヴェン、モーツァルト、ショパン、リスト、シューマン、ブラームス……音楽の授業で出てきて何とか名前だけは知ってるってレベルだ。


「これ……全部けるのか?」


 何か『ちようぜつこう練習曲集』とかいう、楽譜にあるまじきそうぜつなタイトルのやつもあるが、春香のことだからたぶん弾けるんだろうな。この前音楽室で見た春香の演奏は、ある意味超絶技巧とぶにふさわしかったし。


 と、その中に、楽譜にまぎれて一冊だけタイトルの付いていない本が置いてあるのが目にまった。高級そうな布製の真っ白なカバーがていねいにかけられた本。他の楽譜とは明らかに(いい意味で)あつかいがちがう。


 何だろ、これ?


 中身を見てみようと思ったのは、ほんの気まぐれだろう。ちょっとしたこうしんもあったかもしれない。


 ほんだなから取り出し、カバーを取ってみる。


「……」


 中身は、マンガだった。


「……おい」


 いや正確に言えばマンガ雑誌か。がくと同じA4サイズの少し古びた雑誌。タイトルは……『イノセント・スマイル』創刊号とある。


 ──ああ、コレね。


 今でもこのタイトルを聞くと二ヶ月ほど前のあの図書室不法しんにゆう事件を思い出して、色々と複雑な気分になる。思えば俺がはると親しくなりこうして自宅にまでばれるまでになったのも、ある意味、春香の愛読書でありあの事件の当事品でもあるこのシリーズのおかげだったりするんだよな。『創刊号』と書いてあるから、これはたぶん前に図書室で聞いた、春香がアキバ系にきようを持つきっかけとなった思い出の品ってやつなんだろう。それを考えれば、これだけがやたらとていちように扱われているのにもうなずける。


 春香の思い出の一品か……


 ロングヘアーの女の子のイラストがほほんでいる表紙に何となく目を落とすと、


「……あれ?」


 そこで、何かが引っかかった。


 それが何であるのか、はっきりとは分からない。だけどこの表紙を見ているとおくすみで何かが引っかかるのだ。心のおくで何かがさわぐというか。何だか以前にどこかでこれと同じモノを見たことがあるようなないような──


「お待たせしました」


「!?」


 その時ドアの開く音と春香の声が聞こえ、俺ははんしやてきに『イノセント・スマイル』にカバーを付け直し本棚にもどした。


 に入ってきた春香が俺を見る。


「あれ? 楽譜にきようがあるんですか?」


「ん、ま、まあちょっと」


 首をってす。かくしてあるものを勝手に見られたと知ったら、春香もいい気分はしないだろうし。


「もし何かいてみたいのがありましたら言ってください。きますから」


 にこにことうれしそうにはるが答える。う、そんなじやな顔をされるとむねみよういたむな。


「じゃああとたのむ。それより、妹さんのところに行ってたんじゃなかったのか?」


「あ、そうでした。実は妹が……がどうしてもごあいさつがしたいと言っているのですが、ごめいわくじゃないでしょうか?」


「いや、俺はかまわないけど」


 向こうから挨拶がしたいっていうのをことわる理由もない。それに春香の妹ってのにもきようがあるしな。やっぱり姉と同じくてんねんぽわぽわなおじよう様なんだろうか。


「そうですか。美夏も喜びます。美夏、いらっしゃい」


「は~い!」


 と、元気な声とともにドアの向こうからウサギのようにぴょんと飛び出してきたのは──


「ん? あれ?」


「へへ~、こんにちは、おに~さん。また会ったね」


 何とあの地図をいてくれた女の子だった。え? この子が春香の妹?


「あ、おどろいてるな。おに~さんもまだまだ甘いね。わたし、あの時ちゃんと言ったよ。『ね』って」


 言われてみればそんな気もするが……でも何で俺が春香の知り合いだって分かったんだろ。


 疑問が顔に出ていたのか、女の子は俺の耳に顔を寄せて小声でささやいた。


(あんなようかいを描くのって、お姉ちゃんくらいしかいないじゃん。ちゃんとサインまでしてあったし)


 ……なるほど。大いになつとく


(それにお姉ちゃんから、今日はお客様が来るって聞いてたしね)


 えへへ、と笑う。そんな無邪気な表情は春香によくている。さすがに姉妹だけはあるな。


「……妖怪画?」


 そのとなりで、春香がげんそうに首をかしげていた。


「あ、ううん、何でもないよ。こっちのことだから~。それよりお姉ちゃん、早くしようかいしてよ」


「あ、そうですね。何か二人とももうお知り合いみたいですけど……。この子がさっき話した私の妹で──」


ざか美夏で~す。十四歳で、しゆはヴァイオリンとイノシシのけとスカッシュ。よろしくね、おに~さん」


「……」


 何か趣味のところで一部ありないひびきが聞こえたような気もするが、聞こえなかったことにしよう。


 気を取り直して自己紹介を続ける。


「あー、俺はあやゆう。春香のクラスメイトだ。こっちこそよろしくな」


「えっ……ゆう?」


 と、はる妹がなぜかそこではんのうしていた。何だ?


、目上の人をてにするのは失礼ですから……」


「いや別に俺はいいけど……何か俺の名前、変だったか?」


「あ、ん~ん、そういうことじゃないんだけど……」


「?」


「な、何でもない。──ふ~ん、それより〝春香〟か~」


 春香妹……美夏が俺と春香の顔を見てにやっと笑う。


「な、何だよ」「な、何ですか」


「ん~ん、べっつに~。ただお姉ちゃんのことこんなに親しげに呼ぶ男の人、めずらしいな~って」


 そうなのか? でも確かに学園ではみんなざかさんとか春香様とか『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』とかだしな。てか不用意に呼び捨てなんかにしようものなら、先日の俺のようなさんな目(おくじようすい)にうことはいである。自分からかくらいもうとする物好きはそうそういまい。


「べ、別に深い意味はないんですよ。ただ裕人さんはクラスメイトで、その、お、お友達ですから、それで……」


「ふ~ん、〝裕人さん〟ね~。お姉ちゃんが男の人を名前で呼ぶのも初めて聞いたな~」


「あ、そ、それは……」


 しどろもどろになる春香。うーん、何となくこの姉妹の基本的な力関係が見えたような気がする。


 ともあれ春香がこまっているようなので、フォローを入れとこう。


「あー、ヘンなかんぐりをしなくても、俺と春香はただの友達だから」


 本当はちょっとちがうのだが、例のしゆについては家族にみつだそうだから、こう言っておくのが吉だろう。


「そ~なの、お姉ちゃん?」


「そ、そうです。た、ただのお友達です。け、けして特別な関係とかではないです」


 春香がまどうような何ともみような表情でそう答える。


 それを見た美夏がふくみのある笑いをかべた。


「ふ~ん。ナルホド、そうゆうことか」


「何だよ、それ」


「何でもな~い。つつけばまだいろいろありそうだけど、だいたいは分かったから今日のところはこれくらいでカンベンしといたげる。あ、それからわたしのことも美夏って呼んでね、おに~さん」


「りょうかい」


「よろしい♪」


 しかし元気で活発な妹だ。はるとは良くも悪くも正反対。春香を月だとすると、こっちはさしずめ太陽ってところか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る