第一話〈9〉


 夜の校舎ってやつは、なかなかだった。


 ちく三十年以上は確実なコンクリート製の白い校舎が、真っ黒なやみの中にボウっとかびがって、見る角度によってはまるではいおくみたいに見える。何とも言えないイヤーな感じ。テレビに出て来るれいのうりよくしやとかがこの場にわせたら「ああ、何か非常に悪いオーラを感じます。おおう」みたいなことを言ってもだくるしみそうな、そんなふんだ。となりで乃木坂さんもちょっと泣きそうな表情で校舎を見上げている。


 さてどこから入ったもんか。


 当然こんな時間にしようこうぐちが開いているわけあるまい。とすればしよくいんようの通路か何かをさがすのが確実かもしれんが、職員用というからには職員室やらの近くにあるんだろう、ヘタをすれば宿直の教師に見付かるおそれもある。うーむ。手近にある窓をちょっとそんかいしてかぎを開けるとか、昇降口にかけられているなんきんじようをペンチでぶった切るとか、もっとかんたんに鉄パイプか何かで昇降口をぶち破って直接侵入するとかの方法もあるが、それだと本格的にはんざいになってくるんだよな……


 何とかスマートに侵入するしゆだんはないかと(注:スマートに侵入しても犯罪は犯罪です)あんしていると、


「あの、あやさん、こっちです」


 うでをくいっとられた。


うらぐちからなら入れるんです」


「裏口って……何でだ?」


あいかぎが、あるんです」


「合鍵?」


 なぜにそんなもんを?


「ええと……父のしよさいにあったものを、こっそりとはいしやくしてきたんです。ひつようになると思ったから」


 ああなるほどお父さんの書斎から……って、いつしゆんなつとくしそうになっちまったが、だから何でそんなところに合鍵が置いてあるんだ?


「私もよくは知らないのですが……何でも父はうちの学園にがくしゆつをしているらしくて、非常時にそなえて、みつに学園の全ての合鍵を作っていると言っていました」


 出資……そうか、そういえばそんな話をちょっとだけ小耳にはさんだこともあるな。ざかさんが入学してこうはくじようの寄付金の実に九割は乃木坂家からのものでめられるようになったとか何とか。まあ、それなら合鍵くらいは持っててもオカシクはない……のか?


「? どうかしましたか?」


「いや……」


 どうかしたかといえば何から何までどうかしている気もしなくもないのだが。くわえて学園の合鍵を全てしよゆうしてるんなら、しようこうぐちの鍵を持ってきた方が話は早かったのではと思ったけど、口には出さなかった。


「それでは行きましょう」


「ああ──」






 図書室は二階にあるので、俺たちはまず階段に向かうことにした。


 当たり前だが校舎の中には人の姿すがたはなく、まるで真夜中のはかみたいにシンと静まり返っている。


ですね……」


 無人のろうを見回しながら、乃木坂さんがまんまな感想を口にする。ただその手はまんりきのごとき強さでしっかりと俺の服のそでつかんではなさない。


「ゲームだったら、その角の向こうからゾンビとか出て来そうです」


「あー」


 そのゲームなら俺もやったことがある。ゾンビやらきよだいやらをたおして洋館からだつしゆつするゲーム。開始十分でゾンビ三匹にかこまれて食い殺されたような気もしたが。……わすれよう。


あやさん、うちの学校のななって知ってますか?」


 ようやく階段まで辿たどいたあたりで、とうとつざかさんがそんなことを言い出した。七不思議ね。ベタだがうちの学校にもいくつかあったはずだ。ええと確か……


「『おくじようの死の十三階段』とか……」


 他には『理科室のおどる人体けい』『ひとりでにる音楽室のピアノ』『ボールがはずむ無人の体育館』。俺が知っているのはそれくらいか。


「ええ、そうです。あとは『トイレの花子さん』『死後の姿すがたうつる保健室の大鏡』。そして……『読書する死者』」


 乃木坂さんが後をぐ。


「……」


 あの、今、ものすごくきつ台詞せりふが聞こえたような気がするんですが。


『読書する死者』。初めて聞く話だが、読書っていうからには当然図書室がらみだろう。そして俺たちが今向かっているのがどこかって言うと。


「……」


 ……俺、帰っていいかな?


「だ、だめです」


 うるんだひとみの乃木坂さんにうでをがっしりとつかまれた。とうぼうのう


 そんなことをしているうちに、問題の図書室にとうちやくした。昼間見た時はただの木製のでかいとびらだなあくらいにしか感じなかったが、今はまるでごくの門みたいなあつかんともなって俺たちの前にある。


 非常にヤな感じだ。


「ちなみに……『読書する死者』って、どんな話?」


 たずねると、乃木坂さんはこう答えた。


「むかしむかし、この学校がまだ木造校舎だったころ、とても本好きだった生徒がいたそうです。その生徒は本当に本が好きで好きで、毎日のように図書室に通っていました。だけどある日、その生徒は図書室に向かうちゆうで事故にあって……不幸にもくなってしまいました。その生徒が、死んだ今でも本を読むために毎日図書室に通ってきているって話なんです。だれもいないはずの図書室から真夜中に足音が聞こえたり、ほんだなから本が落ちる音が聞こえたり、窓に読書するひとかげが映ったりするらしいです」


くわしいね……」


だんですけど、この話を聞いた人が真夜中に図書室に行くと、その人の前に本当に『読書する死者』が姿を現すとか」


「……」


「私、一昨日たまたまその話を聞いてしまったんです。聞かなければ良かったって、今すごくこうかいしているんですけど……」


 ざかさんが顔をうつむかせる。いやでもそのくつだと──


「……その話って、知らない人に言っちゃまずいってことにならないか?」


「そう……なりますね」


「でもって、俺はその話を今の今まで知らなかったわけなんだが」


「ええと、それって……」


 乃木坂さんがくちびるに指を当てて考え込む。


「……もしかして、今、初めて聞いたんですか?」


「まあ、そういうことに」


「……」


「……」


 ちんもく


「ご、ごめんなさいっ。やっちゃいました……」


 しんそこまなそうな顔で、しかられたいぬみたいにおろおろとあわてる乃木坂さん。何かそんな姿すがたを見ているともんを言う気もなくなってくるな。


「あー、いいさ。別にざかさんもわるがあったわけじゃないんだし」


 それに、そもそもくわしい内容をいたのは俺の方である。


「で、でも、もしも今の私の話がげんいんあやさんが読書する死者とそうぐうして取り殺されたりしたら……」


 そうはくな顔になる乃木坂さん。いや勝手に人を殺さんでくれ。


「まあだいじようじゃないか? その話を聞いたからってかならず読書する死者が出て来るってわけでもないんだし。それに俺は身体ががんじようなのだけはだから、ゆうれいにちょっとやそっとこうげきされても何てことないと思うぞ」


 ガキのころからルコのヤツにさんざんきたえられてるしな。


「け、けど……幽霊の攻撃って、物理的なモノじゃなくてせいしんてきなモノじゃないですか? ……のろい、とか」


「そっちもばっちり」


 精神的攻撃の方は、ルコのみならずさんからもたたまれている。むしろ物理的攻撃よりもたいせいがあるかもしれん。全然うれしくないが。


 だけど俺のそんなことを強がりと受け取ったのか、乃木坂さんはちょっと目を細めて笑った。


「……優しいんですね」


「な、そんなんじゃなくてな……」


 何をとつぜん言い出すんですか、この人は。


「ふふ」


「だ、だからなあ……」


 ていしようと思うのだがうまく言葉が出て来ず、俺は赤くなった顔を見られないように図書室の方に向き直った。


「ご、ごほん。で、そんないわく付きの図書室なわけだが……当然入るんだよな?」


 確認すると、乃木坂さんはしんけんな表情にもどってこくりとうなずいた。


「ええ。せっかくここまで来たんですもの、手ぶらでは引き返せません」


 いや手ぶらになるためにここまで来たんだがね。


「い、行きましょう」


 そうは言うものの、乃木坂さんはその場から動こうとしない。ただ目でじーっと俺に何かをうつたえかけている。……つまり、こわいから俺に先に入れってことね。やれやれ。


 仕方なくバカデカイもくせいとびらに手をかける。ギギギという音がやけに耳に残り、扉が真っ二つに割れる。その向こうにあるのは……無人の図書室。とりあえず、扉を開いたらいきなり『読書する死者』とごたいめん、というホラー映画とかにありがちな最悪のたいだけはけられたみたいだった。もっとも、無人の図書室ってのもそれはそれで十分に怖いんだが。真っ暗なほんだなかげから今にも青白い顔をした何かが出て来そうっていうか……そんなふんだ。


「わ、私からはなれちゃダメです。というか、むしろ離れないでください、お、お願いだから」


 俺のうでにしがみつくようにつかまってそうこんがんするざかさん。ふわり、と何やら甘いかおりがこうをくすぐる。いやしんぱいしなくてもそんなに引っ付かれちゃ離れられないです。というか歩けないだろ、これじゃ。


「あ、そ、そうですね」


 あわてて離れる乃木坂さん。ようやく少しだけみつちやくじようたいからかいほうされる。あ、何かちょっとだけざんねんかも。


「じゃ、じゃあこれくらいで。でも、ぜつたいに離れないでくださいね?」


 うわづかいで見上げて、俺の腕にぶら下がるようにしながら乃木坂さんが言う。それにうなずいて、俺たちはくらやみの中をならんで貸し出しカウンターに向けて歩き出した。


 きよにして約五メートル。しんちように進む。


 その間、ふとしたひように何度か乃木坂さんのととのった顔がこちらに接近する。はくいろのキレイなひとみに白いはだ。ピンク色のくちびる。そのたびに何やら心臓が少しどくりと動いたりして。……せいみやく


「きゃっ」


 と、乃木坂さんが何か──えつらんようのイスか? ──につまずいてたいせいくずした。そのままがんめんからハデにころびそうになるのを、あぶないところで何とかささえることに成功する。


「な、何でこんなところにイスが……」


 何でと言われても最初からそこにあるものはどうしようもない。つーかそれ、この前もつまずいたイスじゃないか?


「……や、やっちゃいました。私って、ドジですね」


 しようしてふたたび歩き出す乃木坂さん。すると今度は別のイスにつまずいてトテン、とコケた。


「……」


 まさかとは思ったけど。


 乃木坂さんって少しばかり……いやかなりけてる?


「……昔から、よく転んだりモノにぶつかったりはするんです」


 俺の内心の疑問に答えるかのように乃木坂さんがそう言った。


「歩いていると何もないところで転んだり、電柱にぶつかったり、まっている車にぶつかったこともありました」


「でも乃木坂さん、運動神経は悪くないよな?」


 体育の時間とかも、別につうだったと思うし。


「あの……運動神経とはあまり関係がないみたいで。注意力とか、そっちの話みたいなんです」


「それは……何ともまあ」


 そういうこともあるのか。でも教室とかでは別にそんなドジっぷりをはつしたことはないと思うんだが。


だんは気を付けているんです……。でもあやさんにはもうさんざんかっこ悪いところ見られちゃっているから……だんしたのかもしれないです」


 れくさそうにほほざかさん。何か彼女は彼女なりに色々と苦労してるみたいだな。


「……あ、な、何を言っているんでしょう、私。それより早く手続きをませなきゃ」


 ほおめたまま思い出したように立ち上がって、今度はつまずくことなく貸し出しカウンターまで辿たどくと、乃木坂さんは手早くかんようパソコンをどうさせた。ヴィン、という音とともにOSのロゴがディスプレイにかびがる。


「あのさ、今ふと思ったんだが」


「はい。何でしょう?」


「いや、よく考えてみたら、今その雑誌をへんきやくしても、パソコンにデータが残るんじゃないのか?」


 そのための管理用パソコンである。貸し出し及び返却の日付と時間、それらは正確にパソコンに、細かく言えばそのハードディスク上に記録される。四月二十二日木曜日、二十三時八分、管理番号千二百三番『イノセント・スマイル』返却、という風に。


「……」


 乃木坂さん、きっかり五秒間てい


「……それは、全然考えていなかったです」


 おいおい。


「う~ん、でも何とかなるんじゃないでしょうか? ほら、つうに考えればこんな時間に本を返却しにやって来る人なんていないですし、しよの方々も何かのちがいだと思って見過ごしてくれると思います。人は細かい間違いには、もっともらしい理由をつけてせいとうしてしまうものですから」


 まあそりゃあそうかもしれんが……でも案外てきとうだな、この人も。


「それではぎようを済ませてしまいます。ちょっとだけ待っていてくださいね」


 そう言って乃木坂さんは作業に集中し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る