第27話
ブルバスターのコックピット。
アル美がARディスプレーを操作し、スクリーンを暗視モードから通常モードに切り替える。と同時にライトをオン。暗闇の中に、巨獣の姿が浮かび上がる。
銃弾を浴びた横腹から、粘り気を帯びた体液が滴り落ち、砂浜を汚している。
しかし、攻撃にひるんだ様子はなく、荒い呼吸音から敵が臨戦態勢であることがうかがえる。
それでもアル美は冷静だった。先ほどは、とっさの射撃であったため、着弾箇所にまで気を回せなかったが、真正面に対峙している今は、話は別だ。
機関砲の照準を敵の頭部に合わせる。そこが絶対的な急所、という確信はないが、巨獣が動物の変異したものであるなら、胴体部よりはダメージが大きいはず。
アル美が、右グリップから突き出た発射ボタンを押し込むと、シュパパパパッ!という小気味いい音と共に、肩口の銃口から大量の弾が飛び出していった。
ほぼすべての弾が巨獣の顔面に命中。そのうちの数発は、目に着弾し、巨獣はギュワウォ~ンという叫び声をあげながら、頭を振ってその場に倒れ込んだ。
「いける!」
そう確信したアル美が、ミサイル型の電気ショック弾、スタンショットの充電に入る。これを敵の体内に打ち込めれば、一撃で仕留めることができる。それは、ブルバスターの初戦で証明済みだった。
発射可能な状態になるまで五秒。その間に、首元のチョーカーに触れ、刹那の祈りを捧げるアル美。次の瞬間、脳裏にシロの姿がよぎった。
その一瞬のロスが勝負の分かれ目だった。アル美が、スタンショットの充電完了を察知し、発射ボタンを押し込もうとするまでに、コンマ数秒。そのタイムラグの間に、どこにそんな余力が残っていたのか、砂浜でのたうち回っていた巨獣が、思い掛けない素早さで体勢を立て直し、そのままジャンプ。一足飛びで茂みの中に姿を消してしまった。
アル美は、取り返しのつかない自分のミスに慄然とした。一瞬の気の迷いが、致命的な隙を生じさせてしまったのだ。ただ、今は反省している暇はない。深呼吸して気持ちを切り替える。
前面のライトを消灯。スクリーンを再び暗視モードに切り替えた。
大丈夫。私はまだ冷静だ。
アル美は、自分にそう言い聞かせながら、茂みのわずかな動きも見逃さないように、緑掛かった映像に目を凝らした。
プレジャーボートの前までたどり着いた武藤が、背負っていた男を地面に下ろす。
走っている間、背中が粘度の高い液体で濡れる感覚があったので、嫌な予感はしていたのだが、懐中電灯で男を照らすと、案の定、頭部から大量出血していた。
サロペットの前ポケットから、ハンカチ代わりに持っているバンダナを引っ張り出し、出血部位に巻き付ける。衛生面など、今は知ったことではない。血を止めるのが先決だ。
武藤は、応急処置を終えると、ヘッドセットに呼び掛けた。
「アル美! そっちはどうなってる?」
一瞬、間があったのでヒヤリとしたが、応答はすぐに返ってきた。
「索敵中! 茂みに逃げ込まれました。そちらは?」
「危ない状況だ。思ったよりも出血がひどい」
「分かりました。現場は私が!」
この短いやり取りでは、戦闘の詳しい状況までは分からなかったが、今はアル美に任せるしかない。武藤は、そう判断した。
「いったん、本部に戻って、コイツを病院に放り込んで来る。いいか?」
アル美が間髪を入れずに答える。
「了解!」
武藤は、それが聞こえるや否や、男を担ぎ上げ、船に乗り移る。そうしながら、今度は本部に緊急事態を伝えた。
「本部! 聞こえてたか? 保護した男は、かなりの重症だ。救急車を呼んでおいてくれ! 今からそっちに戻る!」
田島が応答し、周囲がバタつく音が聞こえてきた。
ただ、武藤も動転しているのか、本来なら余計な荷物など置いていってしまった方が、スピードが出るのだが、空の艀をけん引したままボートをスタートさせてしまった。
そのミスに気づいたのは、港を出た後。今さら戻るわけにはいかない。
武藤は、その失敗を取り戻すべく、外海に出るとすぐ、スロットルレバーを限界まで倒し、全速力で本土に向かった。
おかしい。何かが変だ。
アル美は、巨獣が逃げ込んだ場所を中心に、広範囲をカバーしながらスクリーンに目を凝らしていたが、茂みに揺れる箇所はまったく見つからなかった。
あれほどの巨体だ。少しでも移動すれば、草木のさざめきですぐに分かるはず。それとも、じっと一箇所に留まっているのだろうか? いや、攻撃的な巨獣が、手傷を負わされて大人しくしているはずがない。
なのに、なぜ動かないのか?
何もできないまま、膠着状態に陥って数分。周囲の環境に、変化が起こる。
黒く塗りつぶしたように凪いでいた海がにわかに波立ち、微動だにしなかった草木がかすかに体を揺すり始めた。
風が吹き始めている。
アル美は、自分の見通しの甘さに歯噛みした。風で茂みが揺らされたら、巨獣の動きを見極めようがない。完全に居場所を見失ったも同然である。
まさか、敵は最初からこうなることを見越していた?
そんな予知能力めいた高度な感性と知能を、巨獣が持っているとは思えない。しかし、「ツバメが低く飛ぶと雨が降る」といった先人の知恵が、あながち迷信ではないと聞いたことがある。一説によると、エサとなる羽虫は、低気圧が近づいて湿度が上がると高く飛べないため、ツバメも低い場所を飛ぶのだという。
要するに、生物の行動には必ず理由があるということだ。
であるとするならば、巨獣が身じろぎひとつせず、茂みの中に隠れていた理由とは……!?
アル美のこめかみを、冷たい汗が一筋、伝い落ちた。
もはや、何もせずに相手の出方をうかがっていていい状況ではなかった。
アル美は、一か八か、威嚇射撃を行ってみることにした。茂みに向けて数発、機関砲を撃ち込み、動く箇所がないか見極めようというのだ。アル美とは思えない相当大雑把な作戦ではあるが、今はそれ以外に思いつく対処法がなかった。
茂みの中央付近に狙いを定め、発射ボタンを短く押し込む。ブルバスターの肩口から、シュパパッ! という発射音が響くと同時に、着弾箇所の草木が弾け飛んだ。
これで動きがなかったら、いよいよお手上げだ。
アル美のこめかみから、二筋目の汗が滴り落ちる。
しばしの静寂。息を殺して注意深く様子をうかがうアル美。
と、港に近い方の茂みに、一瞬だけヌメっとした生き物の姿が見えた。
そこか!
一瞬の迷いもなく、その一角に機関砲を撃ち込む。
シュパパパパッ!
先ほど空撃ちした時と、明らかに草木の弾け飛び方が違う。
今度こそ命中しているはず!
アル美は手応えを感じつつ、暗闇に向けて銃弾の雨を浴びせかけた。
武藤の操る船が、波止工業前の桟橋に接岸した。
田島、みゆき、沖野の三人がそれを出迎える。片岡は、現場からの緊急通信に対応するためだろう、管制室に残り、窓から難しい顔をのぞかせている。
救急車は、すでに港に待機しており、赤色灯の赤い光を明滅させている。
船が安定すると、すかさず救急隊員が乗り込み、男の容態を確認する。
「頭を打ってる」
武藤が、男が負傷した状況や経過した時間など、治療に必要な情報を、救急隊員に申し渡す。
桟橋まで出てきたものの、田島たちは何もすることができない。船から男を運び出して救急車に乗せるのを手伝ったくらいで、あとはサイレンを鳴らして走り去っていく緊急車両を見守っているしかなかった。
龍眼島の浜辺。
巨獣に戦闘不能な大ダメージを与えたと確信したアル美だったが、油断は禁物と自分に言い聞かせる。絶命したことを自分の目で確認するまで、気を緩めてはならない。その不文律は、これまでの戦いで十分過ぎるほど分かっていた。
ただ、巨獣の状態を確認するには、茂みに近づかざるを得なかった。
ブルバスターを操り、砂浜を一歩ずつ慎重に進んでいく。
しかし、茂みまで数メートルという距離に近づいたものの、暗視モードの映像では、やはり巨獣の居場所が判然としなかった。
いったん離れて、次のチャンスを待つか?
そんな慎重論が頭をもたげたが、それでは堂々巡りであると思い直す。もしかしたら、巨獣はすでに息絶え、茂みの中で横たわっているだけかもしれない。
いずれにしろ、リスクを負わなければ、前に進むことができない。
アル美は、しばし逡巡したものの、意を決して暗視モードを切り、機体前面のライトを点灯した。
次の瞬間、ドウウン!! という激しい音と共に、天地がひっくり返ったような強い衝撃を受けた。
一瞬、意識が飛び、気がついたらスクリーンには漆黒の闇が映し出されていた。
その闇が、空であることに気づくのに一秒。ブルバスターが巨獣の体当たりを受け、後方に倒れ込んでしまったと理解するまでに一秒。
アル美は、今、自分が置かれている状況を把握するのに、二秒もの貴重な時間を浪費してしまった。
戦いの場において、そのタイムロスは致命的である。
闇に染まっていたスクリーンが、今度は画面一杯に、禍々しい巨獣の顔を映し出した。
「うあぁっ!!」
アル美の口から、悲鳴に近い叫び声が漏れた。
「アル美!? どうした!」
ヘッドセットから聞こえてきた悲鳴に、ただならぬ気配を感じた武藤が呼び掛ける。
走り去っていく救急車を見送っていた田島たちも、何事かと武藤の方を振り向いた。
しかし、応答がないようで、武藤は何度もアル美の名を呼んでいる。
一同に緊張が走る。島で不測の事態が起こったことは間違いない。
田島は、とっさに管制室に残っている片岡に視線を向けた。
無線を繋ぎっぱなしにしてある管制室でも、異変を察知できているはずだ。
蛍光灯の光で周囲から浮かび上がっている管制室の窓の中に目を凝らすと、片岡が必死の形相でモニター群に視線を走らせているのが分かった。ブルバスター、あるいは巨獣がどこかに映っていないか、探しているのだ。
田島が、状況を確認しようと、大声で「片岡さん!」と呼び掛ける。
こちらを向いた片岡は、首を振りながら、両手を交差させて×印を作った。
ブルバスターはやはり、監視カメラがカバーしていない南の浜で戦闘中のようだ。
武藤が戻ってきてしまっている今、現場にいるのはアル美ただ一人。
田島は、責任者でありながら指示ひとつ出せない不甲斐なさに、自分を殴りつけたい衝動に駆られた。
武藤が自分の名前を呼ぶ声は聞こえている。
しかし、今のアル美には、それに応じている余裕はなかった。
いや、余裕がないと言うよりも、声自体を出すことができないと言った方が正しい。
倒された衝撃で後頭部と背中を強打し、正常な呼吸ができていない。
二秒ものタイムロスを生じさせたのは、軽い脳震とうを起こしたせいもあった。
ただ、敵にはこちらをゆっくり休ませてくれる気遣いはないようだ。
ブルバスターに覆い被さってきた巨獣は、機体を貫こうとでもいうのか、大きな牙をガシガシと打ちつけてくる。
コックピットを外界と隔てている前面の装甲が破られるとは思わなかったが、可動部など、他より弱いパーツは損傷しかねない。
巨獣を機体から引き離し、体勢を立て直すことが急務だ。
アル美は、のし掛かっている巨獣の腹の下にブルバスターの右脚部を滑り込ませ、斜め前方に跳ね上げた。
吹き飛ばされ、背中から砂浜に倒れ込む巨獣。ダメージは皆無だと思われるが、とりあえずマウント状態から脱することには成功した。
すかさず立ち上がり、後方にステップバックして距離を取るブルバスター。
改めて対峙すると、巨獣の両目は完全に潰れていることが分かった。頭部に集中放火した成果だ。
しかし、それでも敵は、完璧にこちらの位置を把握しているように思える。それは、嗅覚によるものか、聴覚によるものか、あるいはコウモリが超音波で周囲の状況を察知しているように、何か特別な器官でも持っているのか。
個体差があるのかもしれないが、少なくとも目の前の個体は、視力を奪ったくらいでは動きを封じることさえできないことが分かった。
となると、頭部が弱点かどうかさえ怪しくなってくる。
待て! そんなことより、今は目の前の敵だ! 集中しろ!
自分に発破を掛けるアル美。ブルバスターの足をジリッと広げて機体を安定させると、機関砲のボタンを押し込んだ。
シュパパパパッ!
巨獣の体に、弾が吸い込まれていく。
「倒せる!」
手応えを感じたアル美が、声にならない雄叫びを上げる。
が、景気良い発射音が、パスパスパスという気の抜けた豆鉄砲のような音に変わってしまった。
カチッ、カチッ、カチッ!
手元の発射ボタンを何度押し直しても反応がない。
弾切れだ!
アル美の脳裏にふと、片岡の顔が浮かぶ。もちろん、恋しいからではない。こんな重要箇所のコストさえ、平気で切り詰めてしまう経理担当者に怒りがこみ上げてきたのだ。
しかし、今回のバトルに関しては、無駄撃ちがあったことは否めない。
沖野だったら、もっとうまくやっていただろうか? 少なくとも、残弾数くらいは、把握していたに違いない。いざという時に弾切れを起こすのは、パイロットのミスでもある。
そんなことまで考えてしまうのは、長引く戦闘で神経がすり減ってきているせいかもしれない。
アル美は気持ちを切り替えるため、ふうーっと大きく息を吐き出した。
一拍間を開けて落ち着いた成果は、すぐに現れる。
しこたま銃弾を浴び、もがいていた巨獣が、威嚇の咆哮でも上げようというのか、大きく口を開けた。
今だ!
千載一遇のチャンスを逃すまいと、アル美はすかさず充電済みのスタンショットの発射ボタンを押し込んだ。
ミサイル型の電気ショック弾が、巨獣の口の中に吸い込まれていく。
と、思った瞬間、巨獣はマトリックスばりに体を仰け反らせて、弾を避けた。正確には、避けたのではなく、たまたま身をよじって九死に一生を得ただけかもしれないが、真相は巨獣本人に聞いてみないと分からない。
とにかく、外れは外れだ。茂みの中に着弾したスタンショットが、パーンと大きな音を発しながら、閃光を放つ。
「クッ!」
アル美の口から、悔しげな声が漏れる。
ただ、戦況はこちらが押していることに変わりはない。
ただ、巨獣は一瞬の隙を見逃さず、こちらに向けて突進してきた。
また体当たりでもするつもりか?
避けている時間はないと判断したアル美は、とっさに身構え、衝撃に備えた。
が、衝撃はいつまでたっても来なかった。
俊敏な動きでブルバスターの横をすり抜けていく巨獣。
機体を反転させて振り返ると、巨獣が砂浜を駆け抜け、そのまま海に飛び込もうとしているのが分かった。
なぜ急に、敵前逃亡する気になったのか? それとも、別の理由があるのか。
ブルバスターが海に入れないことを見抜き、安全地帯に逃げ込もうとしているのだとしたら、巨獣の知能はこちらの想像をはるかに超えていることになる。
ただ、アル美は直感的に、巨獣は単に逃げたのではないと感じた。
まさか……!?
嫌な想像が浮かんでくる。
海を越えて、本土に向かおうとしているのではないか?
後ろ姿に目をやると、今回の巨獣は、これまでの個体と比べて、際立った特徴があることに気づく。
尻尾が異常に長い。
その独特なフォルムは、いつかテレビのネイチャードキュメンタリーで見た、特殊な爬虫類を連想させた。
ガラパゴス諸島周辺の海域に生息する固有種、ウミイグアナ。トカゲ類で唯一、海中に潜水することができ、尾をくねらせながら自由に泳ぎ回ることで知られる。目の前の巨獣の尻尾は、彼らのものと似ていた。
一瞬のうちに、そんな想像を膨らませたアル美は、スルスルと砂浜を這っていく尻尾に、とっさに飛びついた。
振り払おうと、体をよじらせてもがく巨獣。
アル美は、ブルバスターのアームに備わったパワーを最大限に活用し、三本のかぎ爪でガッチリ挟み込んだ尻尾を、グイッと手前にたぐり寄せた。
ある程度、近くまで引きつけたところで、今度は一転、尻尾を離して胴体にしがみつく。そのまま、腹ばい状態の巨獣に寝技を掛けるように組み敷いた。
しかし、巨獣は、総重量百トンを超える鉄の塊に羽交い締めにされてなお、海に向かって進んでいく。
ブルバスターの間接部が、ギギッ、ギシギシッと耳障りな悲鳴を上げる。
その音は、ヘッドセット越しに、武藤にも届いていた。
「アル美! 大丈夫か!?」
聞こえてきた呼び掛けに、応じられる状態ではなかったが、アル美は、想定される最悪のシナリオを伝えないわけにはいかなかった。
「このままだと、巨獣が海を渡っちゃう! 至急、応援を!」
ようやく応答があったと思ったら、にわかには信じられない警告がもたらされた。武藤が、声を裏返らせて問い返す。
「巨獣が海を渡るだと!?」
その問いには答えず、代わりにアル美は悲痛な叫びを発した。
「早く!」
武藤は、これまで聞いたことがないアル美の切迫した声音で、事態が一刻の猶予もないことを悟った。
「やべえぞ! 俺は、すぐ島に戻る! ブルローバーが必要だ!」
武藤は、そう言うと、格納庫の方に駆け出した。
が、三歩も進まないうちに、「グウッ!」とうめきながら、その場に倒れ込んでしまった。
「武藤さん!?」
近くにいた沖野が駈け寄る。武藤は、倒れ込んだ姿勢のまま、右膝を抱え込んで顔をしかめている。
「大丈夫ですか!?」
片膝をついて武藤の顔をのぞき込む田島。しかし、表情を見る限り、到底大丈夫そうには見えない。
スマホを手にしたみゆきが、武藤と田島の顔を交互に見ながら言う。
「もう一台、救急車呼びます!」
しかし、武藤は即座にそれを制した。
「いや、呼ぶな! アル美が危ない!」
そう叫ぶと、無理やり立ち上がろうとする。が、すぐにその場で転倒してしまった。
チクショウ! どうなっちまったんだ、俺の足は!
ここ数時間の記憶をたどる武藤。思い当たることがあるとすれば……、あの時か! 怪我人を背負って港に向かう途中、岩場で足を踏み外した。今までたいした痛みを感じずにいられたのは、アドレナリンのおかげに違いない。
魔法が切れたってわけか。武藤が、激痛に顔を歪める。
捻挫か、骨折か……あるいは肉離れ? 痛みだけならまだしも、正座から立ち上がった時のように、右足全体が痺れて、まったく力が入らなかった。
怪我の程度が、ことのほか重いことを察した田島が、なおも立ち上がろうとしている武藤に肩を貸しながら諭す。
「この状態じゃ、ブルローバーの操縦なんて無理です!」
ただ、常識ぶってそう言ったものの、田島に代替案があるわけではなかった。
強く握った拳でゴンゴンと自分の頭を小突き、考えろ! 考えろ! と自らを追い込む田島。それでも妙案は浮かんで来ない。
と、背後から声が聞こえてきた。
「僕に行かせてください」
振り返ると、真っ直ぐな目を自分に向ける、沖野の姿があった。
しかし、いくら非常事態とはいえ、自ら謹慎を命じた社員を動かすわけにはいかない。田島が答えあぐねていると、沖野は意を決したように、倉庫の方へ走り出した。命令のないまま、ブルローバーを持ち出すつもりだ。
ところが、その行く手を遮る者があった。いつのまに事務室から出てきていた片岡である。
「君はまだ、謹慎中だろう。勝手なまねは許さない」
両手を広げ、通せんぼ状態で沖野の前に立ちふさがる。
それでも、片岡を押しのけて倉庫に向かう沖野。その背中に、片岡が予想外の言葉を投げ掛けた。
「あと三十秒待て」
沖野は、意味が分からず振り返る。すると、片岡は自身の腕時計に目を落としながら言った。
「君の謹慎は、今日の十一時五十九分五十九秒まで。あと二十秒で君の処分は終わる」
そこでようやく、片岡が言わんとしていることが分かり、田島や武藤も時計に目を向けた。沖野の謹慎解除まで、残り十五秒。
そのわずかな時間を利用して、片岡が武藤に尋ねる。
「船なら動かせるね?」
怪我の具合からいって、かなりの無茶ぶりではあったが、武藤には異存がなかった。むしろ、救急車で運ばれて戦線離脱など願い下げだ。武藤は、自分を奮い立たせるように、あえて「おうっ!」という勇ましい声で応じた。
カウントダウンが始まる。謹慎解除まで、残り十、九、八、七……。
時計の針が午前零時を指した瞬間、田島が声を張り上げた。
「沖野君、行け!」
その声が聞こえたときには、沖野はすでに倉庫に向けて走り出していた。
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