第1章 組織の新たな憂鬱④

 昼過ぎのファミレス。

 店内は遅めのランチを取ろうという営業マンや親子連れでにぎわっている。

 その喧噪の一画、窓際の席にメガネを掛けた中年男性の姿がある。

 波止工業の経理担当、片岡金太郎である・

 四人掛けの席に一人で陣取り、ホットコーヒーをすすっている。

 対面の席にもう一人分のお冷が置かれているのを見ると、どうやら誰かを待っているようだ。

 ほどなくして、入り口から田島が入ってきた。片岡の連れは、彼なのだろう。入ってくるなり、混み合う店内を見回し、誰かを探し始める。

 それを見つけた片岡が、腰を浮かせた中腰の姿勢で、こっち、こっちとばかりに手を振った。

 いつになく上機嫌に見えるのは気のせいだろうか。

 田島は、合図に気付いて軽く頷くと、足早に片岡が待つテーブルに近づき、真向かいに腰を下ろした。

「すみません。出際に蟹江社長の電話に捕まってしまって」

 片岡がファミレスに到着したのが十五分前。同じ事務所にいた田島が、今やってきたとなると、たっぷり十分以上は、蟹江の電話に足止めされていたことになる。

 しかし、片岡は待たされたことなど気にする様子もなく、上機嫌のまま応じた。

「それはご苦労さん。でも、まあ、問題ない。ちょうど話が終わるころに出てくるはずだよ。頼んだやつ」

 田島は、片岡が何を言っているのかピンとこず、「はい?」と間抜けな返事を返した。当の片岡は、さも当然のように、

「洋食ランチで良かったんだよね?」と念を押した。

 それは、このファミレスに来たとき、田島が必ず頼む、お気に入りのメニューだったが、先に注文まで済ませてしまうのはいかがなものかと思う。とはいえ、結局はそれを頼もうと思っていたので、異存はない。

 田島は、「あ、どうも」とあいまいな礼を口にした。

 そのタイミングで、ウエイトレスが現れ、「お待たせしました~」とアイスコーヒーを置いていった。

 田島が面食らっていると、片岡がズイとそれを田島の方に押しやり、銘酒でも勧めるかのように言った。

「まあ、やってくれよ」

 田島は、「はあ……」と、促されるままコーヒーに口をつける。しかし、違和感を覚えずにはいられなかった。

 いつになく気が回り、いつになく上機嫌の片岡。これからどんな話を切り出してくるのか、見当もつかない。

 波止の社屋から徒歩十分のファミレスにわざわざ呼び出したのは、よもや二人でランチタイムを楽しむなんて理由ではあるまい。

 少し前から、社長と経理担当者である二人が、〝密談〟のためにファミレスまで足を運ぶのが慣例になっていた。本来であれば、社内の会議室あたりでもやるべきことなのだが、波止にそんなスペースはない。

 あるのは、事務室の奥に設えられた簡素な打ち合わせスペースだけ。そこでは、社員の耳に直接入れるべきではない、会社の裏事情まで聞こえてしまう。

 秘密主義というわけではないが、上層部でしっかり結論が出てから、社員に伝えた方がいい話もある。そんなとき、このファミレス密会が重宝するのだ。

「で、どういった話ですか」

 田島が切り出すと、片岡はテーブルの上にグッと体を乗り出して、うまい儲け話でもするかのように耳打ちした。

「策が見つかったんだ」

 唐突な発言に、田島が再び「へ?」という間抜けな返事を返す。

 それを受け、片岡が、

「見つかったというより、舞い降りてきた」と言い回しを変えたが、それでも田島には何のことか分からなかった。

 改めて、「何のことですか?」と問い直す。

「実は先週、塩田化学の鹿内しかうち部長から連絡があってね」

 片岡が口にした、塩田化学の鹿内とは、田島の元上司のことである。

 田島は元々、総合化学メーカーである塩田化学の社員だったのだが、個人的な思いから社を飛び出した。そして、龍眼島の復興のため、建築会社として機能しなくなっていた波止工業を買い取り、害獣駆除会社として再稼働させたのだ。

 鹿内は、リスタートを切った波止をバックアップする、塩田化学側の責任者である。

 そのキーマンが連絡してきたとなると、それなりの用件であることは間違いない。片岡が上機嫌であることを考え合わせた田島は、期待を込めて尋ねた。

「もしかして、増資の話ですか!」

 しかし、片岡は大きく首を振って、「違う、違う!」と即座にそれを否定した。

 田島は、「そうですか……」と目に見えて落胆したが、それでも片岡の上機嫌ぶりは変わらなかった。

 右手を田島の顔の前に突き出すと、ジェスチャークイズのように身振り手振りでヒントを出してきた。

「こっちじゃなくて、こっち!」

 最初の「こっち」は、人さし指と親指で輪っかを作りながら、二番目の「こっち」は、某SNSの『いいね』ボタンのように親指を立てながら言った。

 それを見た田島が、目を剥いて驚く。

「コッチって、……まさか、彼氏!?」

 小指を立てれば〝女〟。親指を立てれば〝男〟。田島世代にはお馴染みのジェスチャー。よもや、片岡と鹿内の間に、そんな嗜好があったとは!

 なんてことは、田島の早とちり。片岡が、呆れた様子で否定する。

「何言ってんの! 人だよ、人! マンパワーってこと!」

 田島はやはり話についていけず、「はあ」と応じる。

 そこまできてようやく、片岡が話の核心を切り出した。

「塩田化学は毎年、新入社員をグループ会社や子会社に出向させる制度があるらしいね。名目上は、実地研修ってことみたいだけど、実際は現場に出て大変さを学んでこいってことなんだろう?」

 元社員の田島だが、そんな話は初耳らしく、首を傾げる。

「いや、僕が入社したころは、そんな制度ありませんでしたけど……」

 片岡は、ああそうか、と気付いたようで、説明し直した。

「社長がいたころは、まだなかったみたいだね。聞くところによると、その制度を始めたのは、五年くらい前って話だから。でね、その出向先として、ウチも候補にあがっているらしいんだ」

「えっ!? ウチもですか?」

 田島は驚きを隠せなかった。いくら研修といっても、塩田化学くらいの大企業となれば、それなりの出向先はいくらでもある。ましてや、現在の波止は、零細害獣駆除会社だ。規模も業務内容も、あまりに違いすぎる。

 しかし、片岡はといえば、すっかり乗り気なようで、田島の心配をよそに、話を続けた。

「巨獣の守秘義務のこともあるから、最初は断ろうと思ったんだがね、詳しく話を聞いたら、ウチに来る候補生というのが、一流大学出で、成績も極めて優秀だっていうんだ」

 突然の話題に面食らっていた田島だったが、どうやら優れた人材を派遣してくれるという話であることが分かり、「ほう」と身を乗り出した。

 ちなみに、片岡が口にした〝守秘義務〟とは、波止工業が龍眼島の住民たちと交わしている約束事のことである。島を荒らしているのが単なる害獣ではなく、田島たちが巨獣と呼んでいる、得体の知れない化け物であることは、無闇に部外者に話してはならないことになっている。

 それは、昔から島に伝わる伝説を、いまだ語り継いでいる島民たちからの要望なのだが、田島たちは、その思いもできる限り汲むことにしていた。

 ともあれ、送り込まれてくる人材が、〝使える新人〟であることは間違いなさそうだ。さらに、片岡の話にはまだ続きがあった。

「しかもだよ、そのルーキー、船舶免許を持っているっていうんだ!」

 田島の顔に、「おおっ!」という歓喜の色が浮かぶ。

 片岡は、田島の反応を見て満足げに頷き、得意そうにメガネをクイと上げて続けた。

「武藤さんが戦線離脱している今、船舶免許を持っているのは、二階堂君しかいないだろう? 彼女がいくらタフだからといって、いつまでもそれに頼っているわけにはいかない。これで二階堂君にまで倒れられたら、出動そのものができなくなってしまうんだからね」

 田島は、確かにとばかりに頷いた。それを見た片岡が、決断を促す。

「出向予定期間は、きっかり一か月。ちょうど武藤さんが退院するまでの空白を埋められることになる。ウチとしては、渡りに船って話なんだが、どう思う?」

 腕組みしながら天井を見上げ、しばし黙考する田島。願ってもない話ではあったが、人を預かるとなれば、社長として軽々しい決断はできない。

 しかし、心はすでに決まっていた。

「来てもらいましょう。むしろ、断る理由が見つからない。沖野君や二階堂君にとっても、良い刺激になるかもしれない」

 若者が増えれば活気も出る。特に最近は、機密漏洩や社員の怪我といったネガティブな出来事が連続していた。たった一か月の短い期間とはいえ、社内の雰囲気を変える意味でも、出向を受け入れること自体に、大きなメリットがあると判断したのだった。

 波止の今後を左右する重要な方針が決まったところで、ちょうどウエイトレスがやってきた。右手に片岡が注文したと思われる和食のランチプレート。左手には、片岡が気を利かせて注文しておいた、田島の分の洋食ランチを持っている。

 田島は、メインディッシュのポークカツの横に、好物であるチキン南蛮まで添えられているのを見つけて、一気にテンションが上がった。

 何か、良い予感がする。

 田島は、久しぶりに感じる高揚感に胸を踊らせながら、箸でつまんだチキン南蛮にかぶりついた。

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