第1章 組織の新たな憂鬱③

 翌日の昼。

 波止工業では、別の問題も浮上していた。

 慢性的な人手不足。この時代の日本にとって、もっとも深刻と言っても過言ではない社会問題である。その波紋は、典型的な中小企業である、波止工業にも重くのし掛かっていた。

 ガスマスクを手にした沖野を、田島が呼び止める。

「沖野君、今から島に行くのか?」

 最終的な出動の許可は、田島の判断に委ねられることになっている。この日も沖野は、アル美共々出発の準備が済み次第、田島に一言断りを入れてから出発しようとしていたのだが、田島が先回りしたかたちだ。

「はい。電力の被害状況を調査してこようと思います」

 龍眼島の復興のために、インフラの維持は重要な要素である。

 しかし、巨獣の出現により、現状を維持、保存することさえ難しい状況に陥っていた。実際、巨獣が暴れ回ったおかげで、数か所の電線が断線してしまい、送電ができなくなっている。電力復旧のために、まずは被害状況を把握することが急務だった。

 そのために沖野とアル美は、時間を見つけては島に渡り、港に停めてある軽トラを使って、島の各所を調査していた。

 最初にその活動を始めたいと田島に直訴したのは、アル美だった。

 そこには、電気を復旧させることで、ブルバスターを島に常駐させたいという狙いがあった。

 実のところ、ブルローバーはガソリン駆動のため、整備の面を考慮しなければ、島に置きっ放しにしてしまっても問題ない。しかし、電動式のブルバスターはそうはいかない。島に充電設備がない限り、六十分という稼働時間を超えると、単なる鉄の塊になってしまう。

 アル美が、電力復旧こそ最優先課題だと位置付けた理由は三つ。

 ひとつは、出動に掛かる時間を短縮するため。巨獣が出現してから、ブルバスターを艀に乗せ、船で曳航して島まで運ぶとなれば、必然的に時間が掛かる。いぽう、ブルバスターを島に常駐させた場合、パイロットスーツを着用した誰か一人が島に上陸するだけで事は足りる。被害を最小限に防ぐには、出動時間を短縮することが、もっとも有効な手段だという考えである。

 もうひとつは、ブルバスターとブルローバーを同時に出動させられないという問題。船は一隻。艀は一台。二機を同時に輸送するのは不可能である。艀をもう一台増設して、二台同時にえい航すれば済むのでは? とも思えるが、事はそんなに単純ではない。漁師のツテで借りている船は、小型のプレジャーボート。引っ張って海を渡れる積み荷の重さは限られている。

 また、龍眼島の沖合は、時化ることも少なくない。無理をして二機同時にえい航し、両機同時に落水なんてことになれば目もあてられない。同時えい航を避けているのは、リスクヘッジの意味もあるのだ。

 三つめは、船舶免許を持っている人間が、武藤とアル美の二人しかいないという問題。すなわち、必ずどちらかがいない限り、ブルバスターを島に渡すことさえできないということ。それは、巨獣と戦う以前の問題である。

 細かいことを言えば、他にも理由はあるのだが、主にこの三点から、アル美は電力の復旧を最優先にすべきと提案したのだった。

 ただし、その裏には、アル美の個人的な思いがあることも否めなかった。時間がたてばたつほど、シロの巨獣化が進んでしまう。それを防ぐには、一刻も早く巨獣の正体を突き止める必要がある。その焦りが、アル美の中にあるのだ。

 ただ、個人的な思いはさておき、電力の復旧を目下の目標にすること自体には、田島も片岡も賛成だった。

〝害獣対策〟と並行して〝インフラの復旧〟を行っているとなれば、自治体の覚えもいい。復興費の名目で受け取っている予算を、少しでも増やしてもらえる可能性が出るという皮算用もあるのだ。

 もちろん、田島も片岡も、自治体から金を引き出すことで、会社の経理を潤したいなどと考えているわけではない。

 現在、販管費を抜いた波止工業の年間予算は、七百八十万円。それを単純に十二で割ると、ひと月

に使っていい額は、六十五万円。一回の出動で、少なくとも十五万円以上かかることを考えると、巨

獣退治に五回向かっただけで、軽く赤字になってしまう。

 塩田化学からの予算増額が望みにくい状況にある今、少しでも可能性があるのが自治体からの増資である。復興費の獲得は、あくまで切羽詰まった事情があってのことなのだ。

 とはいえ、田島が「どんどん進めてくれ」と、アル美たちに指示を出しづらい切実な理由もあった。それが、波止が直面している人手不足の問題である。

 大型免許と船舶免許を持ち、パイロットとしての役割も担っている武藤。しかし、数日前の戦いで骨折して戦線離脱。右足首の骨折で全治二か月と診断され、医者からは「退院までに一か月は掛かる」と釘を刺されている。

 しかも、退院して出勤が可能になったとしても、トラックの運転や操船、ましてやブルバスターの操縦など、できないだろう。

 やれることと言えば、せいぜいリハビリか事務作業。武藤が復帰したからといって、即座に人手不足が解消されるわけではないことは明らかだった。

 結果、現場作業の負担はすべて、アル美と沖野にのし掛かっていた。

 それでも二人は、不満を漏らすわけでもなく、武藤の穴を埋めようと黙々と働いている。二人の勤勉ぶりは、経営サイドとしては頼もしいことではあったが、会社としては捨て置けない問題でもあった。

 田島が、ガスマスクを手にした沖野を呼び止めたのには、そんな事情があってのことだった。

「沖野君、せっかく頑張っているのに水を差すようで申し訳ないんだが、明日いっぱいまで会社を休んでくれないか?」

 寝耳に水の指令に、驚きを隠せない沖野。すぐさま真意を問う。

「ええっ!? どういうことですか?」

 田島が諭すように言う。

「沖野君は、明日で連続二週間勤務だろう」

 何だ、そんなことかと、沖野が空元気を見せる。

「いや、僕、全然大丈夫っすよ!」

 しかし、そこで田島の後ろに控えていた片岡が口を挟んだ。

「君が大丈夫か否かって話じゃないんだ。あんまり躍起になって働かれても困るって話。これは労基の問題なの。残業代とか、休日手当は出せないんだから」

 労基とは、言わずもがな〝労働基準法〟のこと。片岡は、社員の超過勤務によって会社の責任が問われることを懸念しているのだった。

「そういうことならご心配なく! タイムカードを押さなければいいだけの話ですから」

 悪びれる様子もなく、そう言い放った沖野を、田島がたしなめる。

「いや、私たちは君たちの体を心配しているんだ。疲労を侮っちゃいけないよ。輸送業や製造業でも、疲労による事故は多発している。長距離バスの運転手が居眠り運転で事故を起こしたり、注意散漫になった工員が機械に巻き込まれて大怪我をしたりってニュースは、君も見たことがあるだろう。本当に疲れている人は、自分が疲れていることさえ分からなくなってしまうこともあるみたいだから、そこはある程度、会社が判断しなければならないんだ」

 田島たちが立ち話をしていると、着替えを済ませたアル美が更衣室から出てきた。話は聞こえていたようで、劣勢の沖野に加勢する。

「社長も電力の復旧作業を始めることに、賛成していたじゃないですか」

 確かにそのとおりだったが、田島も引くわけにはいかなかった。

「もちろん、復旧作業自体を止めろとは言っていない。今日と明日だけは休んでくれと言っているんだ」

 それに対して、アル美が理詰めで反論する。

「それでも、巨獣が出たら出動は掛けるんですよね? 矛盾してませんか?」

 痛いところを突かれた田島。議論ではらちが明かないと感じたのか、今度は自身の立場を説明する。

「私には、責任者として君たちの安全と健康を守る義務がある。それは分かってくれ」

 そんな田島の言葉を、片岡が補足した。

「社長はな、あえて義務なんて言葉を使ったが、実際のところは、働き詰めの君らの体を心配している。それだけのことなんだよ。分かるだろう?」

 そこまで言われては、沖野もアル美も引き下がらざるを得なくなる。話し合いは、二人が折れるかたちで決着した。

 が、そこは片岡。最後に余計な一言を発する。

「武藤さんに続いて、二階堂君まで倒れたとなれば、出動さえできなくなってしまうからね。代わりの人間がいればいいんだけど、いないんだから仕方ない。残っている人間には、気を付けてもらわないと困るんだよ」

 沖野とアル美は、結局は会社の都合か、と再び気分を害した。田島も、せっかくまとまり掛けた話が、またこじれそうな気配を感じ、あちゃーと頭を抱える。

 しかし、片岡は自身の失言にまったく気付いていないようで、「さあ、さあ」と言って、沖野とアル美の背中を押した。物理的に会社から追い出すつもりらしい。

 二人は、片岡の空気の読めなさに呆れながらも、今は田島の気遣いに従うことにした。


 それからすぐ、沖野は蟹江技研に向かうことにした。といっても、波止を追い出されて不意に暇になってしまった午後、暇つぶしの場所を元の職場に求めたわけではない。

 蟹江技研は、百名近い従業員を抱える中堅重機メーカー。次世代型建設ロボットの製造をはじめ、各種重機の製造を主な生業にしている。

 その資料室には、数多くの専門書や最新の科学論文が取り揃えられている。そこで〝自習〟させてもらおうというのだ。

 目的は、ブルバスター改良のヒントを得ること。

 無論、ブルバスターには納品した時点で、すなわち沖野がブルバスターの開発を終え、波止に出向した時点で、最高の性能を持たせている。少なくとも沖野自身は、持てる知識をフル活用したと自負している。

 しかし、日進月歩で進化しているのが今のロボット業界。今日の常識が、明日の非常識になることも少なくない。技術は常に革新を続けているのだ。

 沖野が考えているのは、充電時間の短縮、ないしは連続稼働時間の延長だった。労務規定とやらで、電力インフラの整備を思うように進められなくなってしまった今、自分にできることといえば、科学的アプローチで少しでも作業を効率化させること。そう思い至っての行動だった。

 問題は、蟹江技研を訪れた際、社長である蟹江のぶ代と鉢合わせにならないかという不安。蟹江は、まだ入社三年目だった沖野を、ブルバスターの開発担当に抜擢した、いわば恩人のような人物である。

 しかし、元の職場にこっそり沖野が戻っていることを知ったら、必ず理由を問いただしてくるだろう。

 十日前のように、機密漏洩という大失態をやらかして謹慎しているわけではないが、今の自分は出向中の波止工業で、社長から休養を申し渡されている身。それを蟹江に知られたら、資料室での自習など許してもらえるはずがない。

 そんなことを考えながらバスを降りた沖野は、数か月前まで通っていた蟹江技研の社屋に向けて足を速めた。


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