第9話

二章『波止ブランド化計画』


 波止工業、管制室。

 龍眼島での戦闘の様子は、田島たちも、監視カメラの映像越しに見ていた。

 任務完了報告を受けた田島が、マイクに向けて労いの言葉を送る。

「よくやってくれた。ご苦労様」

 今回の駆除作業は、一歩間違えば死人が出ていた。巨獣自体、過去最大、最強クラス。これまでの任務で、もっとも危険な戦闘だったと言ってもいい。それでも、田島はあえて、日常業務に対するような労いの言葉を口にしたのだった。

 それは、戦いがどんなに激しいものになろうとも、日常業務をこなすように、淡々と冷静に対処してほしいという配慮からだった。でなければ、現場の作業員たちは、いつかパニックを起こし、一人も帰ってこなくなってしまう。

 いっぽう、行き掛かり上、その場で事の成り行きを傍観していた蟹江は、モニターから少し離れた場所で、完全に腰を抜かしていた。あんぐりと口を開けたまま、固まっている。

 いつも困ったような顔つきをしている田島も、そのときばかりは、安堵の表情を浮かべていた。コスト的には厳しかったが、新型機を導入して本当に良かったと思う。その最大の功労者である沖野を、名指しで労った。

「沖野君、よくやってくれた。今回は本当に……」

 さらに褒め言葉を掛けようとした田島だったが、片岡に遮られた。

「いえ、よくやったとは言えないな」

 田島が手にしていたマイクをひったくるように奪った片岡は、思わぬことを言い始めた。

「沖野君。キミ、弾を使い過ぎだぞ!」

 自分の功績を称える社長の言葉が続くとばかり思っていた沖野は、突然割り込んできた片岡の苦言に面食らい、「は?」と脱力した。

 そんな反応など意に介さず、片岡が一気にたたみ掛ける。

「先日のウチの会議で、一回の戦闘で使っていいのは、七十発までと上限を決めたんだ。機関砲は毎秒十発だから、一秒で六千五百円。さっきのような戦い方では、明らかに予算オーバーだ!」

 命懸けで任務を遂行した隊員に対して、戦闘直後に金の話!?

 沖野は、「ええっ!? そんな……」と絶句した。

 田島も、片岡の物言いには思うところがあったようで、沖野を擁護する。

「片岡さん、彼は今日が初陣なんですよ」

 それでも、片岡は糾弾の手を緩めようとせず、今度は田島に矛先を向けた。

「環境に配慮して、バイオ弾にしようと言ったのは、田島さんでしょう。そのおかげで、コストが一発六百五十円に跳ね上がってるんだ。そのもっとも重要な情報を、沖野君に伝えてなかったっての?」

 弾の値段が〝もっとも重要な情報〟って……と思いながら、田島が口ごもっていると、片岡はそれを反省の態度と捉えたのか、上から目線で諭した。

「そういうことは、きちんと事前に伝えておいてくれないと」

 田島は、やれやれという顔でため息を吐き出した。

 片岡の方が八歳年上で、しかも会社立ち上げの際、「ぜひ手伝ってほしい」と田島の方から声を掛けたという経緯がある。一応、社長と経理担当監査役という立場がそれぞれに与えられているが、上下関係には微妙なところがあった。

また、巨獣の駆除にかける情熱の温度差も大きい。片岡の最大の関心事は、あくまで会社の運営。片岡にとって巨獣を島から排除するという仕事は、あくまで業務の一環に過ぎない。

 対して、淡水化プラント計画を通して龍眼島と深くかかわった田島には、「島を取り戻したい」という純粋な思いがある。

 そんなスタンスの違いも、二人の関係をややこしくしていた。

 ただ、片岡自身は、それを変に意識している様子はなく、我が道を突き進んでいるに過ぎない。相変わらずの様子で、今度は武藤とアル美に苦言を呈した。

「それから武藤さん、二階堂さんにも言っておいて! 軽トラは島の漁協のやつでしょ? 故障したら弁償しなくちゃならないんだから、もう少し丁寧に扱ってくれって。分かった?」

 龍眼島。

 武藤は、「故障したら弁償」のあたりで、ヘッドセットを外してしまっていた。片岡の小言は毎度のこと。律儀に聞く必要がないことは、身に染みて分かっている。それでも、いら立ちを吐き出さずにはいられなかった。

「けっ、何だってんだ。現場の苦労なんて、ひとつも知らねぇくせに。こっちの身にもなれってんだ!」

 沖野は沖野で、任務を成功させたにもかかわらず、細々としたことで注意されなければならないことに整理がついていなかった。

 ただ、そのいっぽうで、胸中にはある種の高揚感がわき上がっていた。

 害獣と説明されていた生物は、単なる動物ではなかった。その得体の知れない敵が、恐くないと言えば嘘になる。

 しかし、今はそれ以上に、自分で設計した愛機を駆り、未知の敵と戦うという興奮の方が勝っていた。

 それはまさに、夢に見てきたロボットアニメの世界。

 確かに、自分の新しい勤め先はダサい零細企業で、あこがれていた地球防衛軍ではない。コストのことでとやかく言われるなんてまっぴらだ。

 それでも、沖野は、これから始まるに違いない〝自分の物語〟にワクワクせずにはいられなかった。

 いっぽう、アル美は一人、蚊帳の外にいた。社員なのだから当然、コストなどについて無関係ではいられないのだが、そういった些事は自分の与り知らないこと、といった様子に見える。

 視線の先には、巨獣の骸が横たわっている。にらみつけるように、それを見ているアル美。その目は、恐ろしいほど冷たい。

 沖野は、ただならぬ様子に気づいたものの、アル美がなぜそこまで巨獣に敵意を向けるのか、不思議に感じていた。沖野が、その本当の理由を知るのは、もう少し時間を経てからのことだった。

 日が傾き始めた国道を十トントラックが走っている。

 ダークグリーンの車体に土砂などを積み込む荷台を備えた、建設現場などでよく見るタイプのダンプカーだ。

 運転席に武藤。助手席には沖野が座っている。

 ハンドルを握る武藤の顔には、焦りの色が浮かんでいた。沖野は、さっきから、なぜそんなに慌てる必要があるのかと怪訝な顔をしている。

 龍眼島で、巨獣と呼ばれる謎の生き物を仕留めたのが、この日の昼前。それから、〝荷物〟を港まで運び、ブルバスターを使って乗ってきた艀に乗せたのが午後イチ。

 その後、波止工業前の桟橋に戻って、トラックの荷台への積み替え作業を行い、一息つく暇もないまま、今を迎えたのだった。

 島から運び出し、トラックの荷台に積み込んだ〝荷物〟とは、巨獣の死骸である。

 荷台にはブルーシートが掛けられているため、すれ違う車のドライバーや通行人には、土砂か建築資材でも運んでいるようにしか見えないだろう。

 ただ、積み荷の正体を知っている沖野は、自分の背中に、先程まで死闘を繰り広げた巨大な生物が横たわっていると思うと、少なからず気味が悪かった。

 そもそも、死骸の後片づけまで、自分たちでやらなければならないことへの戸惑いもある。

 さすがの沖野も、やられた怪獣が自動的に爆発して空中に霧散したり、RPGのように倒したモンスターが宝石に変わったりすると思っていたわけではない。が、海に打ち上げられたクジラなどのように、保健所なり何なりの公的機関が、責任を持って回収するもの……などと漠然と思っていたのだった。

 しかし、考えてみれば、猟友会が仕留めたクマやイノシシなどの野生動物は、彼らにとって立派な戦利品。狩りに参加したハンター全員で山分けするのが慣例と聞いたことがある。とはいえ、沖野には、荷台に積み込んだグロテスクな死骸を、到底〝戦利品〟とは思えなかった。

 実のところ、沖野は今、自分たちがどこに向かっているかさえ、詳しいことは聞かされていない。とにかく、指示されるがまま積み込み作業を手伝い、武藤に促されて助手席に乗り込んだに過ぎない。

 しかも、運搬用として用意されていたのは、ごく普通のトラック。度重なる理想とのギャップに、沖野はつい不満を口にしてしまう。

「もっとちゃんとしたトラックで運ぶのかと思っていましたよ」

 武藤は、前方に視線を向けたまま、さして興味なさそうに返した。

「ちゃんとしたって?」

 サイドミラーに映る後方の荷台に目を向けながら沖野が言う。

「温度管理が可能なハイテクのコンテナとか」

 そんなこと俺に言われてもよぉ~という表情で、武藤が愚痴る。

「しょうがねぇよ。これもリースのトラックなんだから。税金対策って話だ。何でもかんでも、コスト、コストってうるせぇんだ、片岡のおっさん」

 そんなことを話しながらも、武藤はシフトレバーを慌ただしく操作していた。結果、大型車らしからぬスピードが出ている。現に前を走るセダンや軽自動車は、煽られたと思ったのか、次々に道をあけていく。

 沖野は、たまらずといった様子で、先輩社員をやんわりたしなめた。

「武藤さん、飛ばしすぎじゃないですか?」

 スピードは、相変わらず法定速度ギリギリ……というより、警察がお目こぼししてくれるか否かの微妙なラインを攻めている。

 それでも武藤にアクセルを緩める様子はなく、視線を前に向けたまま答えた。

「じきに五時だ。一分でも遅れたら、受け付けてくれねーんだ。猪俣のオッサン、細けぇから」

「イノマタ?」

 沖野は、会話の中に自然に紛れ込んだ、知らない固有名詞を反復することで、説明を求めた。

 問題の人物が、よほど気に食わないのか、武藤はため息交じりに正体を明かす。

「先方の部長だよ。ちょっとでも就業時間を過ぎると、ネチネチ嫌味を言いやがる。ブツを納入するときは、昼休みも避けた方がいいぜ。この前なんか、うっかり飯時の十二時に着いたら、きっかり一時まで待たせやがった」

 沖野は、口をへの字に曲げた武藤を横目に、やれやれと思う。片岡の他にも、まだそんな口うるさいクセ者がいるのか……。これは、相当覚悟を決めて掛からないと、新天地での仕事はアレコレ苦労しそうだ。

 そこで沖野は、波止工業を出る前に、片岡が武藤に言っていた小言を思い出した。

 先ほど、武藤も言っていたように、このトラックも税金対策のためにリース。ゆえに、車体に傷など付けないよう、丁重に扱えというお達しだった。

 だが、武藤の運転はというと、片岡の忠告の正反対を行っている。ハンドルさばきは荒々しく、ブレーキの踏み方も蟹江以上に乱暴だ。

 沖野には、武藤が片岡への反発心から、わざとアウトローなドライビングをしているのではないかとさえ思えた。まだ人間関係が構築されていない今、本当のところを聞く勇気はなかったが、タイムリミットが近づいている状況にあっては、武藤の運転が、許容範囲を超えるほど荒っぽくなることだけは確かだった。

 トラックが交差点に差し掛かると、武藤はハンドルにてのひらを押しつけ、反時計回りにグルグルと回した。どうやら左折するようだ。事前にウインカーを出していたので、曲がる方向をあらかじめ察知していた沖野だが、それでも体が大きく左に傾く。乗り慣れない車のせいもあって、とっさに掴むところを見つけられず、体をドアにググッと引き寄せられて、そのままゴンと窓に側頭部を打ちつけてしまった。

 抗議の意味で武藤に視線を送ったものの、当のドライバーは知らん顔。沖野はため息をつきながら前に向き直り、目的地に着くまでの残り数十分は、窓の上のアシストグリップに、両手でしがみついていることにした。


 走ってきた国道を左に折れると、目の前に急勾配の坂道が現れた。

 武藤は、慣れた手つきでシフトをダウンさせ、アクセルを目一杯踏み込む。それでも、重い荷物を載せているだけに、減速は免れない。

 トラックがあえぐように上っていくと、坂の上に、コンクリートで覆われた三階建ての無機質な建物が見えてきた。

 入口の塀に掲げられた看板には、『株式会社シオタバイオ』という社名が書かれている。

 武藤と沖野の目的地である。

 シオタバイオは、日本でも指折りの総合化学メーカー『塩田化学』の傘下にあるグループ企業。主な業務は、バイオテクノロジーをベースにした医薬品の研究開発である。しかし、親会社の指示を受け、現在は生物学的な見地から、巨獣の解剖、分析も行っている。

 波止工業では、塩田化学との取り決めにより、巨獣を駆除した後、ここに持ち込むことが、業務の流れになっていた。

 ちなみに先ほど、武藤が口にした猪俣は、この件におけるシオタバイオ側の責任者である。

 坂を登り切り、トラックが入口に到着。最先端科学を扱った企業ということで、セキュリティーはそれなりに厳しいようだが、武藤が正門の守衛に書類を手渡すと、意外にもあっけなくゲートが開かれた。

 門を抜けたトラックは、そのまま三階建ての社屋に向かう。と思われたが、そのまま社屋の横をすり抜け、別棟になっている奥の倉庫に横付けされた。

 武藤の運転は相変わらず乱暴で、急ブレーキで前のめりになった沖野は、今度はフロントガラスに頭をぶつけそうになった。

 そんなことなど気にする素振りも見せず、クラクションに拳を押しつける武藤。フォーンフォーンという大音量が、倉庫の壁で反響する。

 しかし、倉庫からも社屋からも人が出てくる気配はない。

 いら立った様子で腕時計を確認する武藤。時刻は四時四十八分を示している。

 十秒ほど待った後、再びクラクションを鳴らしてみる。それでも誰も現れないため、しびれを切らした武藤が、クラクションを連射し始めると、ようやく社屋の方の通用口から、社員と見られる白衣姿の二名の若者が姿を現わした。どちらもだるそうに、ダラダラと歩いてくる。

 武藤は、サイドミラー越しに社員が出てきたことを確認すると、トラックを降りた。沖野もそれにならって、助手席から外に出る。

 荷台の横に立ち、社員二人が目の前までやってくるのを待ってから、武藤は親指で背後の積載物を示して言った。

「新しいブツだ!」

 その言葉に、社員二人は一瞬、舌打ちせんばかりの苦々しい表情を浮かべた。それでも、仕事をまっとうしないわけにはいかないのだろう。荷台の方に回り込み、ブルーシートの隙間から中をのぞき見た。

 その瞬間、鼻を押さえて体を仰け反らせる。沖野が巨獣を倒したのが、この日の午前中。死んでから既に六時間以上が経過している。季節は、温かくなり始める五月。少なからず腐敗が進んでいるようだ。

 臭気は風に乗って、トラックの横に立っていた沖野の鼻にも届いた。

「ぐへ~、くっさ!」

 鼻の奥までツーンとくる刺激臭に、たまらず咳き込む沖野。

 その臭いを何かで例えるなら、肉食獣特有の脂ぎった獣臭と、腐った魚が放つ生臭い腐敗臭を、足して二で割らなかったような、むしろ掛け合わせたような強烈な臭いである。

 未知なる臭気とのファーストコンタクトで、沖野はノックアウト寸前。いっぽう武藤は、慣れっこになっているのか、沖野たちのリアクションなど気に留めていない様子で、二人の社員に「後は任せた!」とだけ言い、社屋の正面玄関に向かった。それを見た沖野は、ハッと我に返り、慌てて武藤の後を追った。

 残された社員二人は、顔を見合わせ、うんざりといった様子で倉庫の方に向かう。シャッターを開けているところを見ると、運ばれてきた〝ブツ〟を中に移動させるようだ。二人の顔には、「終業間際に面倒な仕事を持ち込みやがって」という恨みの色がありありと浮かんでいたが、文句を言うべき相手は、すでに玄関の自動ドアの中に姿を消してしまっていた。



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