第16話

 波止工業の事務室。その応接スペースで緊急会議が開かれている。

 手前のソファに沖野。壁際のソファに田島と片岡。いずれも腕を組んで難しい顔をしている。沖野の横には、居酒屋から一緒に戻ってきたみゆきが座っている。

 その日、宿直当番だったアル美は、応接セットから一番近い事務机に浅く腰掛けて話を聞いている。

 居酒屋で突っ伏して寝ていた武藤は、いったん目を覚ましたものの、酩酊状態がすぐに解けるはずもなく、片岡の判断で帰宅させた。いや、帰宅させたというのはかなり穏やかな表現で、実際は、巨体を引きずるように店の外に引っ張り出すと、そのままタクシーに蹴り込んだ、という方が正しい。おそらく今頃は、自宅の布団で大きなイビキをかいているに違いない。

 社員一同による会議……というより、場の空気は、沖野を取り囲んでの取り調べに近かった。事情聴取程度の生易しい雰囲気でないことは、一同の表情からも読み取れる。

 これまで聞いた話をまとめるため、田島が沖野に問い掛けた。

「つまり原因は、データの行き違いにある、ということだね?」

 会議の間中、うつむいたままほとんど顔を上げられなかった沖野だったが、田島から直接語りかけられたそのときは、パッと顔を上げ、改めて謝罪の言葉を口にした。

「は、はい……。すみません」

「故意にやったわけではないんだね」

 田島に念押しされ、再び「はい……」と言ってうつむいてしまう沖野。

 反省していることは誰の目にも明らかだったが、それでも片岡は容赦なかった。小さくなっている沖野を、さらに小さくさせるような言葉をぶつける。

「故意かどうかはともかく、これは会社の存続にかかわるくらい、大変な事態だぞ」

 沖野は、このまま消えて無くなってしまいたい、と本気で思った。自分のせいで波止工業が消滅する……!? 最悪の状況が頭をよぎる。

 ただ、今回の一件は、完全なる事故だった。

 沖野が語った経緯はこうだ。

 チェック用の仮サイトには、データ容量をなるべく小さく圧縮したデモ動画を使っていた。それは、ブルバスターとブルローバーが、波止社屋前の空きスペースで準備運動のようなデモンストレーションを行う、何てことない動画。田島や片岡も仮サイトでそれを確認し、OKを出していた。

 しかし、問題は次の行程で起きた。本番用の動画に差し替えるため、サイトのオープン直前にデザイン会社がデータを引き取りに来たのだが、沖野が渡すべき動画と、自撮りして保存しておいた〝自己満足用の動画〟を同じファイル名にしていたため、取り違いが発生してしまったのだ。

 沖野自身、機械に精通した自分が、まさかそんな初歩的なミスをするなんて思ってもみなかった。が、その己への過信こそが、取り返しのつかない凡ミスを誘発させた、最大の要因に違いなかった。

 ちなみに、問題のファイル名はどちらも、『okino_go』にしていた。

 ともあれ、このご時世、一度ネットで公開してしまったものを、〝なかったこと〟にするのは不可能と言っても過言ではない。波止工業の新サイトが、一般に晒されていたのは、一時間にも満たない短い間で、沖野の連絡を受けたドットエムピーによってすぐさまクローズ措置が取られた。だが、それでも問題の動画だけは、映像のインパクトもあって、すぐさまネット上に拡散してしまった。

 いったん、応接セットを離れた片岡が、自席の引き出しから一枚の書類を取り出して戻って来た。ソファに座り直すや否や、書類を沖野に突きつける。

 タイトルは、『雇用契約書』。見覚えのある手書きの文字が、ビッシリと並んでいる。下部には、沖野の名前の三文判。確認するまでもなく、それは沖野が最初の出撃の間際、はんこをついた契約書だった。

 沖野の脳裏に当時の状況がよみがえる。

 あのときは確か、プリンターの調子が悪くて、急きょ片岡さんが書面を書き写したんだ。で、オレがはんこを蟹江技研に忘れてきたとかいろいろあって、結局、内容はザッと読み飛ばしてしまった。

 沖野が一瞬の回想から戻り、突きつけられた書類に視線を向けると、下の方に『特記事項』と書かれた一画があることに気づいた。

 片岡が、細かい文字で書かれたその項目の一文を指で示しながら言う。

「ほら、ここにあるだろう。『害獣についての詳細は、社外に口外しないこと』。説明しなくても意味は分かるよな? 巨獣については、必要な場合を除いて、第三者には伝えてはならないってことだ。読んでいませんでしたじゃ済まされないんだぞ!」

 記憶をたどると、それっぽいことが書かれていたような気がしないでもない。

 もちろん、その特記事項をはっきり認識していなかったとしても、自撮りした正体不明生物の映像を、出向先の公式ホームページに掲載することが、どんなに非常識なことかくらい、沖野にも分かっている。

 つまりは、過失である。ただ、その過失の度合いがとてつもなく大きかったという話だ。

 そもそも、あの自撮りの動画は、「いつか自分のSNSにアップしてやろう」と企んでいたものである。目的は、たくさんの『いいね』をもらうため。ブルバスターのすごさを、みんなに褒めてもらうため。要は、自分がいい気分になるためのものである。それを不純な動機と言わずして、何と言えばいいのか。

 沖野は、そんな後ろ暗さもあって、ただただ謝るしかなかった。

「すみません……」

 この夜、何度同じ言葉を口にしただろう。ただ、何度謝罪の言葉を口にしても、取り返しのつかない状況であることに変わりはなかった。むしろ、時間がたてばたつほど、自分が犯した過ちの大きさが心に強くのしかかってくる。問題発覚当初に感じた手の震えは、いまや太股から爪先にまで広がっていた。

 しかし、生まれたての子鹿のようになっている若者に対しても、片岡の杓子定規な物言いに変わりはなかった。

「ここは、就業規則に則って、懲戒処分は避けられないぞ」

 それを聞いた田島が、即座に異論を唱える。

「いや、片岡さん、ちょっと待ってください。守秘義務のことを、きちんと説明していなかったのは、こちら側の問題でもあります。入って間もない沖野君に、懲戒処分っていうのは、賛同しかねます」

 沖野は、田島が身をていして自分をかばってくれていることが、申し訳なくて仕方なかった。子供のころ、ケンカでたたいてしまった子の親に、自分の母親が謝ってくれているような、いたたたまれなさがある。

 ただ、片岡は容赦なく、田島の言葉尻を捉えて反論した。

「入って間もないからこそ、厳しくする必要があると私は思うがね! これはウチだけの問題じゃないんだよ。塩田にはどう説明するつもりなんだ?」

 片岡が気にしているのは、波止工業の運営資金の九割を担っている塩田化学にどう報告するかという問題だった。

 塩田化学は、日本を代表する総合化学メーカーだ。上場企業である以上、何か不祥事が起きた際には社会的な責任を免れない。波止工業だけの問題であれば、対処のしようもあるが、塩田化学にまで飛び火するような事態になれば、収集がつかなくなる。片岡は、そのことを懸念しているのだ。

「一応、迅速に対応した、という体裁だけでも取っておかないと、後々面倒なことになりかねないよ」

 沖野は、自分が謝罪したくらいでは、事が収らないことを知り、ますます萎縮する。ただ、田島はあくまで責任の所在は会社にあると主張した。

「これは過失なんです! 沖野君だって故意にやったわけじゃない」

 故意じゃなかった……というところに、沖野自身が引っ掛かってしまった。本当に故意じゃなかったのか。誰かに自慢したい気持ちなどまったくなかったと、全力で自分を守ろうとしてくれている田島に言えるだろうか?

 沖野の中に、謝罪の気持ちと、田島への忸怩たる思いが膨らんでいく。

 それでも片岡は、自分の見解を引っ込めようとしなかった。

「本人にどういう意図があったかなんて、そんなことは問題じゃない! 世間に会社がどう見られるかが問題なんだよ! 最低でも減給処分!」

 沖野は、まな板の鯉の心境で、いっそのこと一番重い処分を下してほしいと心の中で願っていたが、田島はまるで我が事のように沖野をかばい続けた。

「何を考えているんですか! 沖野君は出向の身なんですよ」

 片岡は、またも田島の言葉尻を捉えて反論した。

「出向かどうかなんて、外の人間には関係ないだろうが! ウチの不祥事ってことで、責任を問われることになるんだ。それだけならまだしも、万が一、騒ぎが大きくなったら、塩田もしらを切ってはいられなくなる。先方の株主連中だって騒ぎ始めるかも知れないんだぞ!」

 つまり、こうこう構図が予想されるということだ。

①害獣駆除の名目の下、奇妙な生物の存在を隠して活動していた怪しげな建設会社がある(すなわち波止工業のこと)。

②その怪しげな会社の裏で糸を引いているのは、どこのどいつだ? 詮索の結果、二割の資本金と運営資金を出しているのが塩田化学であることが明らかになる。

③塩田化学に責任説明が生じ、社会的な批判は免れない状況に陥る。

④株価は暴落。株主が、塩田化学の経営者に波止工業との関係精算を要求。

⑤塩田化学からの出資運営資金がストップ。波止工業の経営が立ちゆかなくなる。

 田島も、最悪の場合、そういう展開も十分にあり得ることは重々承知している。それを踏まえた上でも、沖野一人を処分することに反対しているのだ。

 ただ、沖野にしてみれば、いずれにせよ立つ瀬がない。このわずか数十分の間に、五キロくらい痩せたんじゃないかというくらい、小さくしぼんでいる。

 横に座ったみゆきも、口を挟めるような状況ではなく、今にも泣き出しそうな顔でうつむいている。

 重苦しい空気が場を支配する中、片岡が再び、「とにかく、会社の方針としては」と話し始めたところで、ガタンという大きな音が、事務机の方から聞こえてきた。

 一同が驚いて音のした方に目を向けると、そこには、拳を握りしめて立ち尽くす、アル美の姿があった。

「いい加減にして!」

 アル美は、誰とも視線を合わさず、壁の一点を見詰めている。その瞳は、悲しみとも怒りとも取れる光に揺れている。

「さっきから聞いていれば、会社のことしか考えてないじゃない!」

 アル美の声に真っ先に反応したのは片岡だった。何を今さらという口調で、アル美の顔をねめつけながら言った。

「……そりゃ、そうだ。私はそういう立場の人間なんでね。文句あるか?」

 アル美は、壁の一点を見詰めたまま、つぶやくように返した。

「島民の気持ちはどうなるの?」

 片岡が息を飲むのが分かった。波止、塩田、世論。片岡の頭の中は、その三つで占められていて、アル美が口にした、第四の視点がすっぽりと抜け落ちていた。ゆえに反論の言葉が出てこない。

 ただ、アル美にはそもそも、片岡や田島と議論するつもりはなかった。あらぬ方向に進んでいる処分話に黙っていられず、つい胸の内を吐露したのだ。

「もっと先に考えることがあるんじゃない?」

 アル美はそう言うと、ツカツカと外に続く扉に向かった。

 と、ずっとうなだれていた沖野が不意に立ち上がり、クルリとアル美の方に向き直ると、その背中に向かって頭を下げ、「すみませんでした!」とかすれた声を張り上げた。

 田島と片岡の言い争いを前に、ただ下を向いていることしかできなかった。沖野の後悔の念は、もはや破裂寸前まできていた。そこにきてのアル美の言葉。突然の謝罪は、沖野の心と体が、考える前に反応した結果だった。

 しかし、アル美は足を止めることもなく、沖野を完全に無視して出て行ってしまった。

 この構図、島の廃墟で撮影すると言って、アル美を怒らせたときとまったく同じだ。いや、口を滑らせたあのときと、実際にやらかした今回、どう考えても今回の方が深刻だ。沖野はますます責任を感じて肩を落とした。

 再びの沈黙。全員がうつむいて口を開けずにいる。

 どれくらいその状態が続いただろうか。沖野には、それが三十分にも一時間にも感じられたが、実際は一分程度のことだった。

 田島が、ふうーとため息を漏らしながら、そっと話し始めた。

「沖野君……」

 床に視線を落としていた沖野が、呼び掛けられて顔を上げると、田島が厳しさの中にも優しさを宿した目でこちらを見ていた。

 田島は、沖野の視線をしっかりと受け止めながら言った。

「なぜ、巨獣のことを口外してはいけないのか、きちんと説明しておけば良かったな」

 そう言うと、田島はスッと立ち上がり、海側の窓辺に向かった。その姿を目で追う沖野。田島は、龍眼島の方角に視線を向けながら話を続けた。

「島には、龍眼島伝説という、代々語り継がれる言い伝えがあってね」

 そこでいったん言葉を句切り、頭の中を整理する田島。それは、これから語る話の性質上、なるべく事務的に、かつ予断を与えないように、話の本質を伝えるためだった。田島は、軽く呼吸を整えると、説明を再開した。

「大昔、島の漁師が森の中で人を丸呑みにできるほどの大蛇に出くわした。漁師は、村を守るために、持っていた短刀を抜いて立ち向かった。命懸けの壮絶な戦いの末、漁師は大蛇を仕留めた。漁師は、その死骸を湖に運んで沈めた。だが、その直後、大蛇の呪いによるものか、龍のような姿をした竜巻が起きて、たくさんの島民が命を落とした。……そういう話だ」

 騒動の渦中でなかったら、沖野も少なからず興味を引かれただろう。ただ、今は、この言い伝えが巨獣のことを口外してはいけない理由とどう繋がるのか、それを考えるだけで精一杯だった。

「よくある伝説の類いだよ。それと巨獣が関係ある科学的根拠はない」

 片岡の補足を受け、田島がさらに踏み込んだ説明を加える。

「しかし、島の古い人たちは、その言い伝えを今でも信じている。高齢者の多くは、巨獣が現れたのは、龍眼島伝説で伝えられているような祟りで、何か悪いことをしたからバチが当たったに違いないと考えているんだ。それは恥ずべきことだから、決して口外するな、ということらしい」

 隠蔽体質はどこにでも存在する。歴史的経緯から見ても、それが日本人本来の気質だと言っても、言い過ぎではないだろう。ましてや、島という閉鎖空間で過ごしてきた人たちだ。〝身内の恥〟を隠したくなるのは理解できる。

 説明が沖野に伝わったことを読み取って、田島が続ける。

「島は年配の人の意見を大切にしているから、自治会としては、巨獣のことは島内だけの秘密にしておこうというスタンスを取っている。我々も、島民の意向を尊重して、世間に知られないように気をつけてきたんだ」

 そういえば……、と沖野は思い出す。初出動の後、巨獣の死骸をシオタバイオの研究所に運んだ帰りのトラックで、武藤と交わした会話。なぜ国や自衛隊が絡んでこないのか、尋ねたことがあった。「国はあくまで、龍眼島にいるのは、クマなどの害獣という認識だからだ」と武藤は言っていたが、それはこういう背景があってのことだったのか。

 沖野は、今さらながら合点がいった。ただ、情報社会と言われるこのご時世。巨獣のことが外部に漏れるのを、島の長老たちの思惑だけで完全に防ぐことなどできるものだろうか? 情報を漏らした張本人である自分が言うのも変な話だが、跳ねっ返りの若者がSNSなどに投稿し、それが拡散された……なんてことはなかったのだろうか?

 沖野の中に新たな疑問が生じたが、それこそ〝島民でなければ分からない感情〟というものがあるのかもしれないと思い直した。何より、今はそんなことを考えているような場合ではない。片岡が、改めて沖野に現実を突きつけた。

「島民の意向の尊重。それにまつわる今までの努力を、君はたったひとつの動画で壊してしまった」

 それを言われたら、やはり謝るより他ない。

「すみませんでした。僕……責任、取ります」

 それは、沖野に見せられる精一杯の誠意だった。が、片岡は、怪訝そうな顔で、沖野の覚悟を一蹴した。

「責任って、どう取るつもりかね?」

 確かに、軽々しく言っていい言葉ではない。仮に自分のような若造が謝罪行脚に出ても、「責任者を出せ」と相手にされないのがオチだ。

 改めて、自分には責任を取ることさえできないんだと思い知らされる沖野。今度こそ黙るより他なかった。


東京。塩田化学本社。

 そのビル内の一室。応接用のソファに、スーツ姿の田島と片岡が背筋を伸ばして座っている。

 波止ではいつも作業着姿の二人。着慣れないジャケットを無理やり着ている感があり、窮屈そうに見えるが、ネクタイを緩めようとしないのは、そこにいる理由が理由だからだろう。

 唯一の救いは、ソファの弾力だ。波止のなんちゃって応接セットのソファの硬さをフランスパンとするならば、今座っているソファはヤマザキのダブルソフト。体を包み込むように受け止めてくれる。

 二人の前には、六十代半ばと思われる白髪に眼鏡の男性。仕立ての良いスーツをさりげなく着こなしていることから、セレブな人種であることが分かる。

 塩田化学の総務部長・鹿内信也。塩田化学時代の田島の上司である。

 鹿内の背後には、壁一面の窓。外には大都会のビル群が見える。建物は、近くにも林立しているのだが、それでも圧迫感がないのは、今居るビルが周囲のそれより頭一つ抜けている上、この役員用の応接室が上層階にあるせいだろう。

 成功者だけが味わうことのできる景色。もちろん、借りてきたネコよろしく、かしこまっている田島と片岡に、そんな優越感に浸る余裕はない。むしろ、傾き掛けた午後の日差しによって色濃く現れた影の方に、自分たちの現状を重ねていた。

「わざわざ、ご苦労だね」

 ソファに深く腰掛けた鹿内が、鷹揚に言う。

 田島は、居住まいを正し、頭を下げながら、謝罪の言葉を口にした。

「この度は、誠に申し訳ございませんでした」

 横に座った片岡も、田島の声に合わせて頭を下げる。

 このやり取りだけでも、両社の力関係は明白だろう。塩田化学は、波止工業にとって、運営資金の九割を出してもらっている絶対的な存在。最敬礼で応対しなければいけない相手だ。しかも、謝罪のために訪れたとなればなおさらである。

 ホームページ上に不適切な動画をアップさせてしまったことが発覚した、あの夜。沖野を帰した後、田島と片岡が最初に話し合ったのは、自分たちはどう動くべきかだった。

 田島は、アル美が指摘したように、島民への謝罪を優先するべきではないかと考えた。が、「社としての方針さえ定まらないうちに島民と会うのは、むしろ礼を失する」という片岡の意見も一理あると感じた。塩田におうかがいを立てない限り、今後の波止の行動方針が固まらないのは確かなのだ。

 結局、片岡に押し切られるかたちで、田島は東京の塩田本社行きを優先させることを決めた。

 片岡が、すでに実行した処分について報告する。

「事が事だけに、当該社員には、一週間の出勤停止という懲戒処分を下しました」

 これについては、田島と片岡で夜通し議論し、決めたことだった。

 懲戒処分はいくら何でも重過ぎるという田島と、厳しく罰しなければ塩田も納得しないだろうと主張する片岡の間で、激しい口論になった。

 その後も、結論が出ないまま話し合いは平行線をたどったが、深夜になって現れた、思わぬ訪問者によって、議論は予想外の方向に向かう。

 やってきたのは、蟹江のぶ代。出向社員が起こした問題、ということで、片岡が蟹江の留守電に一報を吹き込んでいたのだ。多忙な蟹江は、それをなかなか再生できなかったようなのだが、聞くや否や、事態の重大さを察し、やっていた仕事を放り出して波止に駆けつけたらしい。

 自身の肝煎りで出向させた沖野が問題を起こしたことに責任を感じた蟹江は、迷惑を掛けてしまったことを土下座せんばかりの勢いで詫びた後、「アイツをクビにしてやってくれ!」と主張した。

 その提案には、さすがの片岡も、「そこまで厳しくすることはないでしょう」とブレーキを掛けた。逆に「〝出勤停止〟ということで、我慢してくれませんか?」という妙な妥協案を持ち掛けたのだった。

 結果、沖野を一週間の出勤停止処分にするということで話はまとまった。

 しかし、湯気の立った緑茶をすすりながら処分内容を聞いていた鹿内が、意外なことを口にした。

「懲戒処分か。随分と厳しいね」

 片岡は、思い掛けない反応に、思わず「は?」と目を丸くした。

 それを聞いた鹿内が、厳しいと感じた理由を語る。

「君から電話をもらって、すぐにウチの危機管理室に相談したんだが、まあ、大騒ぎするほどのこともないだろうって。思ったより、あの動画は拡散されていないし、個人的にも大事にはならないと見ているよ」

 やや拍子抜けという顔で、片岡は「はあ……」と肩を丸める。

 田島も恐縮して頭を下げた。

 実のところ、騒動の火消しがうまくいったのは、田島と片岡の立ち回りの成果ではない。ホームページの制作と管理を依頼しているデザイン会社ドットエムピーの差配によるところが大きかった。

 前日の夜、沖野から連絡を受けた同社は、即座に動画が転載されてしまった主要なSNSサイトに削除要請をかけ、すべての動画を消去させた。

 それと同時に、「あの動画はフェイクだ」という情報を、手際よくネットに流した。その結果、一部のサブカル系サイトでちょっとした盛り上がりを見せたくらいで、大手マスコミにまで火の手が回ることはなかったのである。

 今のご時世、世の中にはフェイク動画があふれている。CGを駆使して作ったモンスター動画を、たまたまカメラを回していたら撮れちゃいました……というテイで公開し、再生数を稼ぐという輩も少なからず存在する。

 ドットエムピーが巧みだったのは、これ見よがしに〝企業PRの一環だ〟と打ち出したところである。削除依頼を掛けるなどして、必死に隠そうとすればするほど、ネット民たちは過剰に反応する。しかし、「どうですか、ウチのCG技術すごいでしょ? 騙された人もいるんじゃないですか?」とやれば、彼らは途端に冷める。そんな、ネット民特有の天邪鬼な性質を利用したのだ。

 ともあれ、田島と片岡の覚悟とは裏腹に、鹿内の対応は驚くほどあっさりしたものだった。もはや、動画の件など歯牙にも掛けていないようにも見える。その証拠に、謝罪話に一区切りつけ、まったく違う話題を持ち出してきた。

「それより、どうだい? 首尾の方は。会社はうまくいっているの?」

 田島は、多少の戸惑いを感じたものの、頭を切り換えて応じた。

「ええ、まあ」

 そう答えたものの、もちろんうまくいっているはずはない。今まで島への渡航用に使わせてもらっていた漁船の返却期限は迫っているし、新たな船の調達メドも立っていない。何より、会社の経理は、自転車操業を通り越して、火の車状態である。

 追加で資金援助をお願いできないか。そんな言葉が、喉までせり上がってきたが、田島はすんでのところでそれを飲み込んだ。今回の目的は、あくまで報告と謝罪。欲をかいてはやぶ蛇になりかねない。

 いっぽう、うつむいた片岡の視線の先には、応接机の上に置かれた、菓子折があった。それは、田島と片岡が持参した手土産で、波止の地元が誇る銘菓なのだが、購入にあたって、そこでもひと悶着あった。

 田島は、当然のことのように、領収書無しで菓子折を購入したのだが、それを目ざとく見つけた片岡は、なぜ自分に相談しないのかと詰め寄った。結局、一人で買おうと思っていた田島は、片岡の勢いに押し負けて、購入費用を一円単位で折半することになった。

 ちなみに、片道二万円を超える新幹線代も自腹である。

 そんな苦境を知る由もない鹿内が、軽いトーンで無茶な指令を口にする。

「そろそろ儲けを出してもらわんとね」

 それを聞いた田島の頭にハテナマークが浮かぶ。儲け?

「はあ。しかし、儲けるためにやっているわけではありませんので……」

 今度は、鹿内の方がキョトンとする番だった。小さな会社とはいえ社長を務めている人間が、今さら何を言っているんだとばかりに返す。

「そりゃ、困るよ。利益を出してもらわないと。会社なんだからね。ボランティアでやってるんじゃないんだ」

 反論しようと口を開きかけた田島だったが、片岡がそれを遮った。

「そこのところは、現状、頑張っているところでありまして……」

 慌てて口を挟んだので、要領を得ないしどろもどろの発言になってしまう。それを聞いた鹿内は、明らかに表情を曇らせた。

「頑張るとかいう話じゃないんだよ。巨獣退治は絶対に儲かるって聞いたから、私も役員会議に掛け合ってやったんだ。そこはきっちりやってもらわないと」

 田島にとって、それは寝耳に水の話で、「は?」と反応するのが精一杯だった。少なくとも、自分は一言もそんなことを言った覚えがない。だとすれば……。

 横に座った片岡の方をチラ見すると、こちらに一瞬動いた目が、「そういうことだから」と言っていた。

 すなわち、片岡が塩田化学に出資と運営資金の捻出を依頼しに来た際、そういうハッタリをかましていたということだ。

 田島も、その事情はすぐに理解したが、にしても、とんでもない風呂敷を広げてくれたな、と恨み言をぶつけたくなる。

 もちろん現実問題として、新規事業を立ち上げるには、〝利益が見込める〟ということが大前提であるのは、田島も十分過ぎるほど分かっている。そうでも言わなければ、出資と運営資金を引き出すことなど到底できなかったのだろう。

 波止の財布を預かる片岡にしてみれば、必要悪のハッタリであったに違いない。とはいえ、現状の仕事で、利益なんてものを、どこからどうやってひねり出すというのか。そのへんの事情をさっぱり聞いていない田島は、片岡の次の言葉を待つより他なかった。

「市からも予算をいただいております。来期はもう少し出してもらえるように、鋭意交渉を続けているところです」

 片岡が言うように、龍眼島を管轄する市から『害獣駆除費』の名目で、年に一千万円の予算が回ってきている。ただ、それを増やしてもらえるとは、田島には到底思えなかった。要するに、これも片岡のハッタリということだ。

 なお、役所の担当者への報告と謝罪は、東京への出掛けに済ませている。役所に関しては、デザイン会社が制作したPR用のフェイク動画ということで押し通したので、それほど問題視されず、謝罪はすんなりと受け入れられた。

 市の予算の話から、片岡の口上がさらに続く。

「また、それ以外のクライアントも増えてきておりまして……」

 さすがは商売人と言うべきか、鷹揚に構えていた鹿内だったが、新規クライアントと聞いて、「ほう、どんな?」と身を乗り出してきた。

 片岡は、そんな鹿内の反応に手応えを感じたのか、人差し指で眼鏡を押し上げながら、いい投資話でも持ち掛けるように答えた。

「避難島民の方々からの契約金です」

 片岡の営業トークを黙って聞いていた田島だったが、その言い回しは、さすがに聞き流すことができず、片岡の方をキッとにらんだ。

 島民たちは、契約者やクライアントではない。彼らは、島に戻れる日を思い描きながら、生活費を削り、善意で資金援助をしてくれているのだ。

 その額は現在、月に一五万円ほど。確かに、多い額ではないが、田島はだからこその重みがあると感じていた。

 そもそも、田島が自身の立場をなげうって波止工業を立ち上げたのは、金儲けのためではないし、塩田時代に担当していた淡水化プロジェクトを復活させたいというエゴのためでもない。片岡が鹿内に語っている話は、それらの思いを踏みにじるものだった。

 ただ、片岡も片岡で、思うところがあった。ここまでして金銭面にこだわっているのは、会社を守りたいとか、島民のことを思ってというのもあるが、それより何より、〝自分の職務を最大限まっとうしたい〟という片岡自身の信条によるところが大きかった。

 田島も、片岡に悪意がないことは分かっている。だからこそ、それは違うと言いたいのをこらえて、黙ったままでいるのだ。

 島民からの資金提供について、片岡が、

「そのへんは、もう少し営業を続けて、新規を獲得していきたいなと……」

 と続けても、口を真一文字に結んで、うつむいたままでいた。

 わざわざ自分の方を振り返り、「だよな?」と念を押してきたのには、さすがの田島も反論しかけたが、それもグッとこらえて飲み込んだ。

 鹿内は、田島の内面の葛藤になど気づく様子もなく、元部下におおらかな笑みを向けながら言った。

「まあ、頑張ってくれよ。それより、どうだ? 今晩、久しぶりに一杯」

 そういう誘いは、多少無理をしてでも、ふたつ返事で応じるもの。それがビジネスマンの鉄則だが、今の田島にそんなゆとりはなかった。

「すみません。今日は、トンボ返りなもので」

 嘘ではない。結果的に後回しになってしまったが、この日のうちに、島民に事情を説明しなければならない。今日、というのが、田島が見せられる最大限にして最低限の誠意だった。

 鹿内は、「えっ? 何、日帰り?」といぶかしそうな顔をしていたが、田島はもう一度、深々と頭を下げると、片岡と共に応接室を辞去した。

 フカフカの絨毯が敷かれた廊下を歩きながら、改めて田島は思う。

 島を取り戻すために汗を流している当事者と、ビジネスとして考えている出資会社とでは、こんなにも温度差があるものなのか。

 とはいえ、これでひとつめの山は越えた。田島の頭はすでに、島民たちに納得してもらうにはどうしたらいいか、地元での会合に切り替わっていた。


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