第17話
波止工業の社屋から、車で十分ほどの場所にある、地域のコミュニティーセンター。畳敷きの大広間に、四十人ほどの老若男女が集まっている。
時計の針は、夜の八時を少し回ったところ。
集まっているのは、龍眼島から本土に避難してきた島民たちである。用意された座布団に、それぞれあぐらや横座りで腰を下ろし、部屋の正面に視線を向けている。
彼らと対面しているのは、田島と片岡。塩田化学の本社を出た後、すぐ新幹線に乗り込み、町に戻ってきた。
その道中、二人は一言も言葉を交わすことがなかった。早朝からの謝罪行脚と長距離移動にお互い疲れていたためである。ただ、田島の方は、鹿内への片岡の言動にいら立っていたという理由もそれに乗っかっていた。
道すがら、田島の頭を占めていたのは、やはり島民たちにどう説明したらいいかということだった。思考は堂々巡りし、正直のところ島民たちを前にした今でもまとまっていない。
開始予定時刻の三分前になったところで、田島は再び集まった人々の顔触れに目をやった。青年団の団員、主婦、高齢者など、淡水化プロジェクトの件で深く島民たちとかかわった田島にとっては、ほとんどが見知った顔である。
四十人ほどという少ない人数ではあるが、彼らを島の代表者と考えれば、ここでの決まったことは島の総意とも言える。
島民たちの後ろ。田島と片岡から一番離れた部屋の隅には、沖野とみゆきの姿があった。二人とも座布団を敷かず、畳の上で直に正座し、小さくなっている。
島民たちが集まる前、沖野は田島に、「自分がやってしまったことだと、島民の方々に直接謝りたい」と直談判したのだが、即座に却下されてしまった。こういうことは、会社の代表が話をしないと収まりがつかないという理由である。
自分のような責任のない若造が、どんなに謝ろうとも会社としての誠意は伝わらない。社会の常識に照らし合わせれば、確かにそうだ。
ただ、当事者である自分が、謝ることさえできずに、ただ部屋の隅で傍観しているしかないという状況こそが、沖野には一番辛いところだった。
八時十五分。遅れて来る者がいないことを確認すると、正座の状態からおもむろに立ち上がる田島。片岡と共に深々と頭を下げ、経緯の説明を始めた。
一通りの報告が終わると、今度は畳に手をつき、土下座の体勢で、改めて謝罪の言葉を口にした。
「誠に、申し訳ございませんでした」
それを見た最前列の男が、すぐさま二人に声を掛けた。
「いやいや、よしてちょうだいよ、田島さん。かしこまっちゃって。イヤだなぁ」
田島が顔をあげると、それはプラントの件で何度も話し合いの場を持った、青年団の団長だった。青年団と言っても、四十代半ばというそれなりに年齢を重ねた人物で、島のリーダー的な存在である。漁で日焼けしたと思われる精かんな顔付きが、無骨ながらも頼れる男という印象を持たせる。
団長は、田島の目を見ながら、こう続けた。
「結局、もう問題はないってことなんだろ?」
その視線を真っ直ぐに受け止めながら、田島が答える。
「はい。メジャーなSNSなどは、すぐに削除依頼しましたので」
自分が聞きたいというよりも、高齢者などほかの出席者にもはっきり分かるようにということだろう。団長が念押しの質問をする。
「化け物のことは、世間に知られてないって認識でいいんだよな?」
しかし、嘘がつけない田島の歯切れは悪い。
「ええ……。ただ、削除する前に、誰かが動画をダウンロードした可能性がありまして、そうなってしまうと、こちらとしては対処のしようがなく……」
団長の横に陣取っていた同年代の男が、さらに話を続けようとしていた田島を、鋭く遮った。
「そいつは問題だぞ!」
田島は、男に向き直り、再び頭を下げる。
「申し訳ございません」
片岡もそれにならった。だが、男は追及の手を緩めず、二人が頭を上げる前に、懸念される問題を問いただした。
「その誰かが、テレビ局か何かに売っちまったら、大騒ぎになるんじゃないのか?」
興奮気味の男に、田島はあくまで冷静に答える。
「確かに、その可能性はありました。ですが、その動画がフェイク動画だという情報を、同時に流しましたので……」
同じ男が、再び田島の話を遮った。
「つまり、嘘の情報を流したってことか?」
その指摘を受け、腕組みをしながら黙って話を聞いていた老人が、眉間に皺を寄せた難しい顔で言った。
「それは良くねえな。嘘をつくってのは良くねえ」
事態を迅速に収拾するための緊急措置だった。しかもそれは、もっとも有効であると思われる対策だった。だから田島は、ケツ持ちは自分でするという覚悟の下でゴーサインを出した。
しかし、老人の言っていることは正しい。田島は頭を下げるしかなかった。
「申し訳ございません」
片岡と二人揃っての土下座。この日、何度となく繰り返されてきた光景である。
それでも、田島と片岡にできることは、もはやそれだけだった。今は、何をどう言っても、言い訳にしか聞こえないだろう。頭を下げ続ける二人。
やがて、しびれを切らした一人の中年女性が、おもむろに口を開いた。
「いったい、いつになったら島に戻れるんかね?」
それに同調するように、後方にいた中年男性が質問を重ねる。
「化け物の正体は、まだ分かんねえのか?」
問い掛けられた田島が、顔を上げて答えようとしたが、島民を満足させられるような材料を、何ひとつ持っていないことに気づいて口ごもる。
「それにつきましては、ただいま調査中でして……」
煮え切らない波止サイドの対応に、さっきとは別の中年女性がこぼす。
「やっぱり、祟りじゃないかね。ウチのばあちゃんは毎日、島に向かって拝んでんぞ」
その発言が呼び水となり、島民たちは堰を切ったように、口々に不満の声を漏らし始めた。
「分からねえ、分からねえって、それじゃ、まったく話にならねえだろ!」
「戻れるメドさえ立ってねえってことだよな? 時期さえはっきりすりゃ頑張りようもある。だが、それさえ見えてねぇっていうことじゃ、こっちは我慢のしようがねぇんだよ! いい加減にしてくれ!」
「俺ら島の人間は、本土に来てから、アルバイトやパートで食いつないでいるんだ。それでも、生活費を切り詰めて、あんたらに金を工面してやってる。もっとしっかりやってくれよ!」
もはや、動画流出の件はどこかへ行ってしまった。島民たちは、やり場のない日頃のストレスをぶつけるように、田島たちを責め立てた。
うつむいて、ただその責苦に耐えるしかない田島と片岡。
しばらくその状態が続いたが、このままではらちが明かないと感じた青年団の団長が、やにわに立ち上がって振り返り、島民たちを一喝した。
「おめぇら、みんな落ち着け!」
その声の迫力で、収拾がつかなくなっていた部屋が、一気に静まり返った。
場に冷静さが戻ると、団長はトーンを落として、島民たちに語りかけた。
「怒ったって始まらねえ。うめぇこと化け物が退治できたとしても、ガスを何とかしなけりゃ、どうせ島には戻れねえんだ。俺らの不満を、波止にぶちまけるってのは、筋違いってもんだ。そうだろ?」
島民たちは、顔を見合わせながら、団長の言い分が正しいか否か吟味する。が、冷静になってみると、それが正論であることが分かり、今度は島民たちがうつむいてしまった。
居心地の悪い静寂が漂う中、田島はまったく別のことを考えていた。
それは、天恵のように舞い降りてきた、直感のようなものだった。
ガスが巨獣を生んだのではなく、巨獣がガスを生んでいるのではないか。
経緯をさかのぼれば、巨獣が島民を襲う事件が発生した直後、ガスの発生が明らかになり、島民たちは避難を余儀なくされた。
ゆえに当初から〝ガスが巨獣を生み出した〟という仮説が有力視されてきた。フィクションではあるが、〝放射性廃棄物によってゴジラが生まれた〟というのと同じ構図である。
実際、大半の島民が、そうに違いないと考えていた。
ただ、不可解な点はある。そもそも龍眼島は、火山島ではない。そのような地形的条件で、ガスが噴出すること自体が、レアケースである。古来の文献を紐解いてみても、龍眼島が、ガスやそれに類する有毒気体に覆われたなどという記述は、まったく見当たらなかった。では、ガスの正体は何なのか?
その点が気になり、田島は巨獣の調査を依頼しているシオタバイオに、ガスの成分を分析してくれるよう依頼したことがあった。
そのときに出された成分の割合は、次の通りだった。
窒素=六十七パーセント
二酸化炭素=十八パーセント
酸素=九パーセント
二酸化硫黄=五パーセント
その他=一パーセント未満
最後にある〝その他〟の項目は、割合が少ないものを一緒くたにして示したもの。田島は最初、そう解釈した。しかし、分析を担当した研究者に詳しく尋ねたところ、そうではないことが分かった。
現代の科学では解明できない、あるいはまだ誰も発見していない、未知なる物質の可能性がある成分。つまり、何だか分からないので、苦肉の策として〝その他〟という項目を作ったというのだ。
島を覆う未知の物質と、突如現れた未知の生物。ガスが巨獣を生んだという仮説は、そのふたつを結びつけて立てられたものだが、田島は現在の通説とまったく逆の可能性があることに気づいたのだった。
コミュニティーセンターの大広間。田島が一点を見詰めて、考え込んでいる。
よほど深く潜っているのか、盛んに青年団の団長が、「田島さん!」と名前を連呼していたが気づかず、五度目の呼び掛けでようやく目の焦点が定まった。
それを、思い詰めてのことだと勘違いした団長が、田島の肩に手を掛けながら、しみじみと語り掛ける。
「田島さん……。俺はアンタのそんな姿を見たくねえ。俺はな、島のために張り切って働いてくれていた、アンタが好きなんだよ」
なぜ急にそんなことを言い出したのか、自身の思考にとらわれていた田島には分からずキョトンとする。そんな田島の内心など知らない団長は、そのままの体勢で、今度は自身の思いを吐露した。
「化け物のことで、世間に好奇の目を向けられるなんてまっぴらだ。早く島に戻って前と同じ暮らしがしたい。俺たちの願いはそれだけだ」
その言葉を聞いた田島の目がキラリと光った。
肩に置かれた手を振り払うように突然立ち上がり、島民たちを見回すと、演説中の政治家のように気勢を上げた。
「任せてください! 皆さんを島に戻してみせます!」
島民たちは、しょげ返っているように見えていた田島が、いきなりひと演説ぶったことに驚いた。それ以上に、発言内容が唐突過ぎて、意味が飲み込めず、あ然とするしかなかった。
片岡も、田島がいきなり何を言い始めたのか、あっけに取られるばかり。
そんな空気などお構いなしに、田島はさらに煽り立てた。
「巨獣を倒せば、ガスもなくなるはずです!」
それをいぶかしげに聞いていた青年団の団長が、おずおずと尋ねた。
「……その根拠は?」
田島は、団長の方に向き直ると、確信に満ちた表情で答える。
「勘です」
その思い掛けない回答に、団長が思わずオウム返しする。
「勘!?」
最高潮まで高まっていた場の緊張が、一気に弛緩した。島民たちに苦笑が広がる。よりによって、島の未来を左右する方針の根拠が勘? 目の前の男は、ふざけているのか。もしくは、おかしくなってしまったのか……!?
しかし、当の田島は大真面目であり、正気を失っているわけでもなかった。
「巨獣さえ殲滅すれば、島を取り戻せるはずです!」
その熱は、田島が海水の淡水化プロジェクトを携えて、初めて島民たちの前に現れたときとまったく同じだった。
当初、島民たちは、詐欺師でも見るような目で田島を蔑み、拒絶した。しかし、それでも田島は折れなかった。足繁く島に通い、島民たちと話し合い、まるで自分の故郷の町おこしに尽くす青年のような熱量で、プロジェクトが島にもたらす恩恵を説き続けた。
やがて、島民たちは田島を〝仲間〟として受け入れ、プロジェクトは実現した。結果、長年島民たちを悩ませていた水不足は解消され、島の暮らしは以前よりもはるかに恵まれたものになった。
実際、淡水化プラントができるまでの、龍眼島の水不足は深刻なものだった。意外と知られていないが、現代日本でも、離島での水不足は大きな課題になっている。面積の小さい島では、雨水があっという間に海に流れ出してしまうし、季節によって降水量もばらつく。離島の住民にとって、真水は高級品なのだ。
その大問題の解決に尽力してくれた田島が、今再び、自分たちに希望を授けようとしている。島民たちは、別に田島のことを神格化しているわけでも、教祖のように信奉しているわけでもない。ただ、信用するに足りる人物であることは、はっきり分かっていた。
何より、島民たちに今必要なのは、未来の希望に繋がるよりどころだった。田島の熱を帯びた言葉は、十分それになり得るものだった。
事の成り行きを、ただ傍観することしかできないでいた片岡だったが、島民たちの顔付きが、口々に不満を爆発させていたときとは別人に思えるほど、穏やかになっていることに気づいた。
それと同時に、田島がいかに島民たちの心を掴み、〝思いを同じにする者〟として彼らの中に溶け込んでいるかを実感した。
いっぽう沖野は、田島の人間力を目の当たりにするにつけ、改めて自分の不甲斐なさを痛感。ガックリとうなだれていた。
その視界の隅に、チラリと見切れるものがあった。ふと、そちらに目を向けると、大広間からセンターの出入口に繋がる廊下の暗がりに、アル美の姿があった。
田島と島民たちの一連のやり取りを、そこでひっそりと見守っていたらしい。
ということは、当事者である自分が、何もできずにただ下を向いていたことも当然知っているだろう。面と向かって怒鳴りつけられるならまだいい。それなら反論したり、謝ったりもできる。でも、存在自体を見限られたらおしまいだ。
今のアル美は……、田島や片岡は、自分のことをどう思っているだろう?
沖野は、情けなさと自己嫌悪で、爪が食い込むほど、両手を強く握りしめた。
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