第23話

 波止事務室。田島が電話と格闘している。

 無論、破格値で船を貸し出してくれる所有者を探しているのだ。

 片岡は、自席にかじりつくようにしてデスクトップパソコンと向き合っている。電話番号が分からない会社や個人のオーナーに、メール攻勢を掛けているのだ。近視と老眼のダブルパンチで、アドレスの小文字を判別するのに難儀している。

 そこに、レジ袋を提げたみゆきが戻ってきた。袋の表面には、『あったか亭』のロゴ。どうやら、昼食の買い出しに行ってきたところのようだ。宣言した通り、杏仁豆腐のカップが、弁当とは別の袋に入れられている。

 ただ、普段であれば、みゆきは弁当とお茶を席に届けたついでに、一言二言、愛想良く雑談を交わしていくのだが、今日は気もそぞろの様子で、弁当をそれぞれの席に持って行った後は、窓の外ばかり見ている。

 しまいには、窓際の壁に身を寄せ、張り込み中の刑事よろしく、階下の様子をうかがい見るようなことまでし始めた。

 みゆきの不可解な行動に気付いた田島が、弁当のふたを開けながら問い掛ける。

「白金さん、何かあった?」

 田島の声は耳に届いているはずだが、当のみゆきはそれどころではないようで、社屋から二十メートルくらい離れた電柱のあたりに目をやりながら、「やっぱり……」などとつぶやいている。

 いよいよ気になった田島が、のり弁の揚げ竹輪をかじりながら、窓辺にいるみゆきの方に歩み寄っていった。

 真横までやってきた田島が、改めて「どしたの?」と問い掛けると、窓の外を指差しながらみゆきが答えた。

「あの人、ちょっと怪しくないですか?」

 示された方向に視線を向けると、電柱の影に隠れたうさん臭い男の姿があった。マスクに帽子にサングラスの〝不審者三点セット〟を身につけている。それはもはや、警察官から職務質問されるのを待っているかのような出で立ちである。

 片岡もシウマイを頬張りながらやってきて外を見る。場所を教えてもらわなくても、怪しい男はすぐ目についた。

 みゆきが、眉を寄せながら、不安そうに説明する。

「あの人、『あったか亭』のあたりから、ずっとついてきたんです」

 バス停付近からとなると、三分近くずっと後をつけてきたことになる。しかも、波止工業の敷地付近には、この会社以外に目的地になりそうな施設はない。隣の会社に届け物があってとか、ちょっと道に迷ってしまって……なんて言い訳は通じない立地である。

「あの男に見覚えは? ストーカーじゃないだろうね?」

 みゆきには、まったく身に覚えがないのだろう。片岡にそう問われても、難しい顔で首を傾げるばかり。

 いずれにせよ、会社として見過ごしていい問題ではない。

 田島は、「ちょっと行ってくる」と言うや否や、外に飛び出して行った。

 あまりにも迅速な行動に、不審者情報の発信源であるみゆきでさえ目を丸くしている。

 片岡も、田島の後に続こうと思ったが、一瞬〝警察沙汰〟という四文字が頭に浮かび、その場に留まることにした。ただでさえ、映像流出という問題を起こしたばかりだ。事情も分からないまま大の大人が二人、雁首揃えて飛び出して行ってトラブルを大きくすることはない。

 ……というのは、自分に対する言い訳で、田島の行動力についていけなかったというのが正直なところだった。


 事務室を出ると、田島は一段抜かしで外の鉄階段を駆け下り、猛然とマスク男に突進していった。

 その決断力、瞬発力こそが、田島の武器ではあったが、それと同時に短所でもあった。猪突猛進の行動による失敗談は枚挙に暇がない。

 電柱の影に隠れていた男は、駈け寄ってくる人影に気づくと、そのあまりの勢いに、思わず二、三歩後ずさった。

 それを、逃げ出したと勘違いした田島が、男に飛びつき、羽交い締めにする。

 その腕を振りほどこうともがく男。

 ただ、男の方は突然のバトルに戸惑っているようで、「あ、ちょっ……」と、言葉にならない声を発した。

 田島も特段、ケンカ慣れしているわけではないので、腕をひねり上げたり、地面に押さえつけたりすることはできない。

「逃げるな!」と一喝してみたものの、男の動きを止める効果はなかった。

 最終的には、子供同士のケンカのようなつかみ合いになってしまう。

 やがて、もみ合ううちに男の帽子がはじき飛ばされ、頭部があらわになった。

 社屋の窓から事の成り行きを見下ろしていた片岡が、それを見て、「ん?」と疑問符を発した。何か引っ掛かりを覚えたようだ。

 いっぽう、みゆきはオロオロするばかりで何もできないでいる。

 現場では、田島と男の小競り合いが続いていた。

 流血ざたを避けるため、田島はある程度、手加減していたのだが、このままではらちが明かないと思い、相手の顔だけでも先に確かめておくことにした。

「お前は、誰だ!」

 と、男のサングラスとマスクに手を伸ばし、まとめて剥ぎ取る。あらわになった顔を見て、田島がハッとするのと、社屋の窓から片岡が叫ぶのが、ほぼ同時だった。

「成瀬さん!!」

 みゆきから不審者扱いを受け、片岡にストーカー疑惑を掛けられ、田島と乱闘を演じたマスク男の正体は、今月まで波止工業に無償で船を貸してくれていた恩人のタコ壺漁師だった。


 事務室の応接コーナー。

 恐縮しながらソファに腰掛けている初老の男。成瀬である。

 膝の上には、キャップ、サングラス、マスクの〝不審者三点セット〟がまとめて握られている。

 キャップを取った毛髪は、白髪交じりの五分刈りで、いわゆる〝ゴマ塩頭〟。日焼けした顔には、年季の入った皺が刻まれている。年齢は、六十代半ばといったところか。いかにも漁師といった風情である。

 成瀬の前には、田島と片岡。

 そこにお盆を持ったみゆきがやってきて、「どうぞ」と三人分のお茶を並べた。

「あ、こりゃどうも……、お構いなく」

 来賓としてのもてなしに、ますます恐縮する成瀬。

 田島の方に向き直ると、改めて頭を下げた。

「さっきは、本当に申し訳なかった」

 今度は、田島が恐縮する番だった、ろくに相手も確かめず、飛び掛かっていったのは田島の方だ。成瀬の抵抗は、正当防衛と言ってもいい。

「こちらこそ、申し訳ありませんでした」

 田島は、両手を太股について、成瀬以上に深々と頭を下げた。

 事の発端を作ったみゆきも、謝罪の言葉を口にする。

「ごめんなさい。私がヘンなこと、言っちゃったものですから……」

「変なこと?」

 キョトンとする成瀬に、片岡が説明する。

「てっきり、ストーカーか何かかと……」

 成瀬は、ああ、と納得した様子で苦笑いを浮かべる。

「いや、無理もないです。こんな格好してたんだから」

 そう言いながら、手にしていた例の三点セットを掲げて見せた。

 互いに謝罪が済んだところで、田島がおずおずと来訪の理由を尋ねた。

「で、どのようなご用件で?」

 成瀬だって暇じゃないだろう。理由もなく、しかも変装までして波止の周辺をうろついていたのには、それなりの理由があるはず。みゆきも気になり、お盆を胸の前で抱えたまま、空いたソファに腰を下ろした。

 成瀬は、バツが悪そうに、ゴマ塩頭をかきながら答える。

「いや、面目ない! コソ泥みたいに勝手に船を持ち帰るようなまねしちまって。この通りだ、許してくれ」

 またも成瀬が頭を下げる。驚いた田島が、慌てて取りなした。

「いや、ちょっと成瀬さん、やめてくださいよ」

 それでも成瀬は頭を上げようとしない。困り果てた田島は、片膝立ちの状態になって、成瀬の顔を下からのぞき込むように語り掛けた。

「お顔をお上げください、成瀬さん! そもそもあの船は、無理を言って無償でお貸しいただいていたものですし、私どもも成瀬さんの事情は十分に理解しておりますから」

 田島の言葉を受けて、ようやく顔を上げた成瀬だったが、まだ気は済んでいないようで、テーブルの上に視線をさまよわせながら心情を語った。

「お宅から船を引き上げたものの、断りもなく持ってきちまったもんだから寝覚めが悪くて仕方ねぇ。俺は元々、強い人間じゃねえからな。まあ、胸張って言えるようなことじゃねえんだが」

 自嘲気味に顔を歪める成瀬。何を言わんとしているのか、話の行き先が見えない。田島は、成瀬と目を合わせることで、話の先を促した。

 成瀬は、そこでいったん間を置き、出されたお茶をすすると、おもむろに話を続けた。

「例えば、地元の会合。話し合いで、何だかおかしいと思うようなことがあっても、みんながそう言うならまあいいか、なんて流されちまう。ガキのころからの性分だから、しょうがねぇと言えばそれまでなんだが。今回も、組合の連中が、お宅に船を貸すのはいい気がしねぇ、なんて盛り上がっているのを聞いたら、一緒になって、そうだそうだ! なんて同調したりしてな。心ん中じゃ、そんなこと思ってねぇのによ。それで、後になって後悔するんだ。俺は何てひでえヤツなんだって。自分を責めたくなる。年を取ったらよ、自然と人間丸くなる、ってわけぇころには思ってたんだよ。でも、実際はそうじゃねぇ。もうちっとマシな人間にならねぇと、いつかはバチが当たる。そんなことを考えてる自分がいるんだ」

 大演説だった。しかし、いまだに話の先行きは見えてこない。

 田島は、「はあ……」と、間抜けな相槌を打つことしかできなかった。

 ただ、成瀬の方は、話が脱線していることにまったく気付いていないようで、目の前のお茶で舌を湿らせると、演説を再開させた。

「ホームページを見たんだよ、お宅の。島がそんなに荒らされているなんて知らなかったし、アンタらが害獣駆除に体張ってるってことも正直よく分かっていなかった。政治家の視察みたいに、適当に現場に顔出して、それでしまいくらいに思っていたんだ。そうやって勘違いをしていた自分が、急に恥ずかしくなっちまってな。一度、あいさつに来た方がいい……というか、頭を下げねぇと自分の気が済まねぇと思い立ったんだ。でもよ、地元の連中の手前もある。ここに来たのがバレたら、何を言われるか分からねぇ。で、変装までして、コソコソやってきたってわけだ。いい年して、本当に面目ねぇ!」

 成瀬は、胸の淀みをすべて吐き出したせいか、スッキリした表情でガバッと頭を下げ、今度はすぐ元の姿勢に戻った。

「そうでしたか」と柔らかい表情で成瀬の独白を受け止めた田島。

 話はそれたものの、最終的にはほっこりするような着地を迎え、片岡とみゆきも安堵の表情を浮かべている。

 ただ、成瀬は単に謝罪に訪れただけではなかった。話には続きがあるようで、再び口を開いた。

「それでな、おわびの印と言っちゃ何なんだが……」

 そう言って、ソファから身を乗り出す成瀬。

 田島が、何事かと「はい?」と首を傾げると、成瀬が思ってもみないことを言い出した。

「アンタらに船を借りてもらいてぇんだ!」

 即座には言葉の意味が理解できず、顔を見合わせる田島と片岡。みゆきもキョトンとして固まっている。

 ただ、成瀬の方は、驚きを隠せないでいる三人のリアクションなど気になっていないようで、マイペースに話を続けた。

「と言っても、ウチの船を貸すわけじゃない。組合の目もあるからな。ヘタ撃つと、仕事がやりにくくなる」

 方向性がようやく見えてきた田島が、話の腰を折らないように相槌を打つ。

「ごもっともで」

「そこで俺もいろいろ考えてな」

「はあ」

「遠い親戚なんだが、貿易関係の仕事で一発当てた金持ちがいてな、そいつが船を持ってるって思い出したんだ。で、久しぶりに連絡してみた」

 片岡も田島にならい、「ほう」と話の邪魔にならない合の手を入れた。

 二人の太鼓持ちによってリズムが出てきたのか、先ほどまでの脱線トークとは打って変わって、成瀬の話はトントン拍子に進む。

「でな、お宅のホームページを見てもらって、龍眼島の事情を知ってもらったら、ふたつ返事で協力したいって言うじゃねぇか」

 田島と片岡の口から、同時に「おお!」という感激の声が飛び出す。

 それは、話の先を促す合の手というより、心から出た喜びの声だった。

「なぁに、船そのものは、金持ちが気まぐれで買った、道楽品のようなもんだ。本人も〝乗る暇がなくて宝の持ち腐れだ〟なんてぬかしてやがる。役に立ててもらえるんだったら、タダで使ってくれって話だ」

 船を借りるあてがついただけでなく、無料で提供してもらえる!?

「本当ですか!」と、田島が声を弾ませる。

 成瀬は、田島たちの喜びようにすっかり気を良くしたようで、自分の胸をドンと叩きながら言った。

「船乗りは、嘘は言わねぇさ」

 田島たちは、揃って成瀬に頭を下げ、「ありがとうございます!」と、心からの感謝の気持ちを伝えた。

 満面の笑みを浮かべながら、顔を見合わせる三人。珍しく興奮した片岡が、成瀬に握手まで求めている。

 成瀬もうれしかったようで、照れくさそうにゴマ塩頭をさすりながら、差し出された手をガッチリと握った。

 マスク男の出現以来、ほぼ手つかずのまま忘れ去られていた『あったか亭』の弁当は、すっかり〝あったか〟ではなくなっていたが、今の三人にとって、そんなことは完全にどうでもよくなっていた。


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