第12話

 蟹江技研の格納庫。

 前日、感慨深くこの仕事場を旅立った沖野だったが、なぜか今日も〝元の職場〟に朝一で姿を見せていた。

 腕組みをしながら見上げた視線の先には、ブルローバーがデンと置かれている。

 実は、沖野たちが巨獣を倒した後、死骸の回収作業が終わると、入れ替わるように、片岡が手配したブルローバー回収チームが龍眼島に派遣されていた。チームと言っても、重機の操縦、大型トラックの運転、小型船舶の操船ができる日雇い労働者の混成集団なのだが。

 ともあれ、故障して島の小学校で動けなくなっていたブルローバーは無事回収され、蟹江技研に運び込まれた。無論、修理のためである。

 一人の作業員が、エンジンハッチの中に上半身を突っ込んで何やらゴソゴソやっている。沖野は、尻と足だけ見えているその作業員に向かって呼び掛けた。

「亀山さん、どうですか? 直りそうですか?」

 しかし、二十秒待っても返事はなく、ハッチの中からは、カチャカチャと機械をいじる音だけが聞こえてきている。

 しびれを切らした沖野が、ボリュームをやや上げて、再び呼び掛けた。

「亀山さん!」

 それでも返事は返ってこない。

 沖野はさらに大きな声を張り上げようと、目一杯息を吸い込み、腹から息を吹き出しながら、問題の人物の名を叫んだ。

 が、それは「か~め~や~」と途中まで言い掛けたところで遮られた。

「聞こえてるよ! うるっせぇ~な!」

 ハッチから上半身を抜いて姿を見せたのは、七十を超えているであろう、小柄な老人だった。

 亀山嘉(よし)。蟹江技研技術部のベテラン技師である。

 小学生のような華奢な体をしているが、表情には職人の厳しさが刻まれており、眉間には常に皺が寄っている。それでも、赤みが差したほっぺたと、ダンボのように大きな耳が、何とも言えない独特の愛嬌に繋がっている。

 薄汚れたツナギにスニーカー。そして、頭に装着したクラシカルなゴーグルも、亀山ならではのファニーな印象をかたち作っている要素だった。

 沖野にとっては、頭が上がらない大師匠にあたる人物。ロボット業界ではカリスマの呼び声も高い技師で、弟子たちは今、一流企業のトップエンジニアとして活躍している。

 沖野は、そんな亀山の弟子であることに誇りを持っていたが、下について三年、結局、出向になった今でも、頑固一徹な師匠の言動に慣れることはできなかった。

 この日も、うるせぇと一喝され、途端に「スイマセン……」と縮こまってしまう。

 それでも、手ぶらで帰るわけにはいかず、新しい職場で申しつけられた用件をおずおずと切り出す。

「あの~、波止の田島社長がですね、ブルローバー、いつごろ直るのかって気にしていまして……」

 しかし、亀山は沖野を怒鳴りつけた後、再びハッチ内の作業に戻ってしまい、返事を返してくれる様子はなかった。

 いったん、こうなってしまっては、テコでも動かないのが亀山である。作業に没頭している最中は、人に話し掛けられることを極端に嫌うのだ。沖野はそれをよく知っていたが、返却予定日を聞かないまま帰るわけにはいかない。

「亀山さ~ん!」を再び連呼し始めたが、今度はそれを別の声に遮られた。

「ちょっと、アンタ! さっきから携帯鳴ってるよ!」

 声の方向を振り返ると、そこにはドーンと仁王立ちした蟹江の姿があった。

 見れば、丸々っとした腕を水平に上げ、壁際に設置された工具ラックの方を指差している。

 視線を移すと、そこに置かれたスマホが、ブルブルと震動していた。

 あ、そっか! さっき亀山さんに言われて三角レンチを取りにいったとき、棚に置きっ放しにしちゃってたんだっけ。

 沖野は、小走りで工具ラックに駈け寄り、スマホを手に取ると、画面を確認する。

 発進相手は、新しいボス、田島だった。

 慌てて画面をタップし、回線を繋ぐ沖野。

「あ、スイマセン! 田島社長。ブルローバーの修理の件ですよね? あのですね……」

 思い掛けない社長からの直電に、しどろもどろになってしまう沖野。しかも、修理のメドは立っておらず、色良い返事はできそうにない。

 沖野は、ブルローバーに半身を突っ込んだままの亀山の方に視線を向けながら、口ごもる。しかし、田島の用件は思っていたものと違っていた。

「えっ? あ、は、はい……」

 最初、困惑したような表情を浮かべていた沖野だったが、スマホに耳を当てるうち、みるみる顔が明るくなっていき、最後には満面の笑みを浮かべていた。

「本当ですか! はい、すぐに段取らせていただきます!」

 元気良くそう言うと、相手には見えていないにもかかわらず、深々と頭を下げて電話を切った。

 その様子を怪訝そうに見ていた蟹江が、口をすぼめながら問い掛ける。

「どしたの?」

 沖野は、我が意を得たりとばかりに胸を張り、高らかに言い放った。

「やりましたよ! 動かしました!」

 蟹江はますます怪訝そうな顔になり、重ねて聞く。

「何を?」

 意気揚々と沖野が答える。

「波止ブランド化計画ですよ! 僕が提案したヤツ。やってくれるんですって!」

 蟹江は、思い掛けない展開に、「あれま……」と目を丸くした。

 沖野は、「よ~し、忙しくなるぞ~!」などと独り言を言いながら、思考をめぐらせているのか、その場をグルグルと歩き回っている。蟹江は、新天地で張り切る若者の姿を、どこかくすぐったいような、まぶしいような目で見詰めた。


 それから一週間後、波止工業の応接コーナーは、いつになく騒がしかった。

 上座に見慣れない顔がある。一人は、いかにもただ者ではない雰囲気を醸し出しているロン毛にオシャレ髭の男性。もう一人は、ライダースジャケットにホワイトジーンズという、とがったファッションに身を固めた若い女性

 二人とも、センスのかけらも見られない波止の応接コーナーには場違いな、クリエイター然とした空気をまとっている。

 その向かいに、田島と片岡。目の前に置かれた名刺には、『ドットエムピー』という社名が書かれていて、男性の方には、『ホリウチ・ケンイチ』という名前と、『代表取締役社長』という肩書きが記されている。いっぽう、女性の名刺の名前の上には、『デザイナー』の文字。二人は沖野が連れて来た、デザイン会社の人間である。

「ホリウチさんは、高校時代の同級生の先輩で、一度、飲み会で一緒になったことがあるんです」

 事務デスクから拝借してきたイスにチョコンと腰掛けた沖野が、男性との馴れ初めを説明した。紹介を受けたホリウチは、改めて沖野の方に向き直り、社長ならではの鷹揚な態度で応じる。

「鉄ちゃん、全然変わんないよね~」

 取引先の社長と重役、しかも年長者である二人を前に、その話し方は普通であれば〝なし寄りのなし〟なのだが、ホリウチには不思議と失礼に思わせないカラっとした明るさがあった。ハーフタレントが、先輩芸能人にため口をきいても許されるような、生来のフレンドリーさのせいだろうか。

「いやぁ、ホリウチさんこそ、全然変わんないじゃないですか。学生時代から、ずっと長髪なんですよね?」

 これまでのやり取りは、いわば無駄話でしかない。それは、沖野自身も重々分かっているのだが、場の空気を温めるため、あえて軽口を叩いているところがあった。

 というのも、この打ち合わせに至るまで、それなりの紆余曲折があったからである。

 沖野が、元の職場である蟹江技研に〝日帰り出張〟し、ブルローバーの修理の進捗状況を聞きに行ったのがちょうど一週間前。そのとき、技師の亀山に告げられたのは、「元通りにするまで二週間は掛かる」という厳しい現実だった。

 亀山さんで二週間掛かるなら、オレだと三週間? いや、それ以上掛かっちゃうかも……。亀山の技術力とストイックさを知っている沖野だけに、「もうちょっと早く上がりませんか?」なんて、口が裂けても言えなかった。

 結果、それから今に至る一週間は、新型機のトレーニングタイムとなった。

 本来であれば、巨獣の出現を見なくても、島の環境調査やパトロールはしなければならない。だが、ブルローバーは稼働できず、沖野以外はブルバスターの操作もおぼつかない。ゆえに、調査などの通常業務は一時中断し、ここ一週間は、ブルバスター操縦訓練、強化週間に当てているのだった。

 沖野の初出動以来、一度も巨獣は姿を見せておらず、不気味なまでの沈黙を保っていることも幸いしていた。

 そんなこんなで、波止の社内には、次のステップに行けない停滞ムードが漂っていた。もちろん、操縦技術の習得は、未来に繋がる重要なファクターではあるが、それでも〝出動自体できない〟といういら立ちは、社員それぞれにあった。

 沖野は、今回のブランド化計画で、その重い空気自体を吹き飛ばしたいと考えていた。だからこそ、打ち合わせとは直接関係ない軽口で、場を盛り上げようと躍起になっているのだ。

 と同時に、自分が連れてきたクリエイターを、〝とってもいいものですよ〟と上司に印象づけるセールストークにも余念がなかった。

「ホリウチさんの会社は、アニメ関係のお仕事が多くて、イケてるデザインをバシバシ生み出しているんです。で、普通なら引き受けてもらえないような案件なんですけど、知り合いのよしみで是非!っことで、無理を言ってお願いしちゃったんです」

 沖野の売り込みを真に受けたわけではないが、今回のプランにはそれなりに前向きのようで、田島も同調する。

「見積もりの方も、かなりご配慮いただいたようで、ありがとうございます。ね、片岡さん」

「まあ、ねえ……」

 腕組みの姿勢で難しい顔をしている片岡。

 実のところ、今回のブランド化計画について、田島と片岡の間でひと悶着あった。少しでもコストを抑えたい片岡は、「企業CIの変更ブランディングなど無駄以外の何物でもない」という立場を崩さなかった。ただでさえ、自転車操業どころか、火の車状態に陥っている波止工業の資金繰りである。これ以上の出費は命取り、と考えるのは経理担当者としてもっともな判断と言えた。

 しかし、田島は、ピンチをチャンスに変えることこそ、経営者の手腕の見せどころだと考えていた。まずは、建設会社であるという誤解を解き、怪獣駆除会社として生まれ変わったことを、大々的にアピールする必要がある。今回の場合、社のイメージを変えることで認知度をアップさせ、結果的にそれが融資の増額に繋がるという皮算用を抱いているのだ。

 片岡は、その目論見を聞いても、完全には納得していなかったが、社長である田島があまりにも熱心に取り組んでいることがひとつ。さらに、ホリウチが沖野の知り合いのため、〝お友達価格〟でやってくれそうだと説き伏せられ、「話だけは聞こう」と折れざるを得なかったのだった。

 ただ、打ち合わせに現れたデザイン会社のトップが、名刺の自分の名前を片仮名で書くというセンスには、眉をひそめずにはいられなかった。

 そんな片岡の胸中など知る由もない片仮名ユーザーのホリウチは、田島の社交辞令に応じつつ、自信満々の様子で話を進めた。

「いや~光栄です。で、さっそく考えさせてもらったんですが」

 その言葉に促され、横に控えていた女性デザイナーが、二つ折りになった紙をファイルから取り出し、その表面を伏せたまま応接机に置いた。

 沖野はそれを見て、パッとホリウチの方に視線を向ける。

「えっ!? もう作っちゃったんですか?」

 沖野としては、今日はデザインの方向性をざっくり決めるプレ打ち合わせくらいのつもりでいた。できれば、何案か出してもらって、それを先に自分が見た上で、良さそうなものを社長たちに提案する。そんな流れを想定していたのだが、沖野の意図は、ホリウチには伝わっていなかったようだ。

「早い方が良いって言ったの、鉄っちゃんじゃない?」

 そう言われては、返す言葉がない。

 沖野は、考えていた流れとは違っちゃったけど、要はイケてるデザインが上がってきてれば問題なし! と切り替えて、机に置かれた紙に視線を戻した。

 それを見計らったように、女性デザイナーが恭しく伏せられていた紙を開く。

 そこには、『NAMIDOME』とアルファベットで書かれた、シンプルなロゴデザインが記されていた。

 一同の視線が集まる中、ホリウチがすかさずデザイン意図を説明する。

「従来の建設業って、どこかゴツゴツしたいかついイメージがあるじゃないですか。それを払拭したいというのが狙いです。そこで、あえて漢字をやめまして、アルファベットで表記してみました」

 その〝ご提案〟に、最初に反応したのは沖野だった。

「あれ? 僕が作っておいたヤツは?」

 田島が、「ああ」とばかりに、最初に沖野から渡された『波止工業 ブランディングのご提案』を手に取り、ロゴデザイン案のページを開いて言った。

「これ?」

 そこには、付け焼き刃の知識で作ったと思しき仰々しいデザインが描かれていた。

「そうです! 僕のイメージラフ案をもとに、これをブラッシュアップしてもらえれば良かったんですけど……」

 ホリウチは一瞬、えっ!? という表情を浮かべたものの、すぐに〝社長の余裕スマイル〟に戻って返した。

「いや~、待ってよ、鉄っちゃん。マジでこのロゴでやろうとしてたの?」

 それの何が悪いのか、と口を尖らせて沖野が応じる。

「そうですけど」

 ホリウチは、顔に張り付いたような微笑を崩さないまま、ピシャリと言った。

「これ、機動戦機ガンゲリオンのモロパクリじゃない」

 社長の太鼓持ちという意味合いもあるのか、デザイナーの女性が大笑いする。

 逆にホリウチの方は真顔になり、子どもを諭すように言った。

「これやっちゃったら、ウチの会社、訴えられちゃうよ」

 沖野は、想定外の指摘に相当ショックを受けたようで、「そんな……」と絶句してしまった。

 場の空気が凍りついたのを察したホリウチが、

「マジだとは思わなかったよ」と言って笑ってみせたが、今度はそれに追随する者はいなかった。

 ホリウチは、やれやれとでも言いたげな表情を見せたが、すぐに気持ちを切り替えたようで、田島の方に体を向けると、改めて〝商談〟を仕切り直した。

「建設会社ではなく、害獣退治を主にやっていらっしゃるということなので、あえてシンプルかつ清潔感のあるロゴにして、クリーンなイメージを定着させた方がいいと思いまして」

 それを聞いた沖野が、

「だったら、もうちょっと、その、何て言いますか、ヒーローっぽい感じというか……」と再び割って入った。

 が、プラン全否定のショックを引きずっているせいか、モゴモゴと口ごもるばかりで、要領を得ない。

 そんな中、思わぬところから天の声が降ってきた。

「いいじゃないですか。私、これ、スキです!」

 そう言ったのは、ポットを手に、応接セットに歩み寄っていたみゆきだった。気を利かせて、お茶のお代わりを注ぎに来たのだ。彼女が指差している先には、『NAMIDOME』と書かれたホリウチ案のロゴがあった。

「えっ!?」

沖野がポカンと口を開けて固まる。

 ホリウチは、思わぬ援護射撃に素直に応じた。

「ありがとうございます!」

 打ち合わせのメンバーでもないみゆきが、「突然シャシャリ出てきた」という悪い印象を与えないのは、持ち前の愛嬌によるところが大きい。それぞれのカップにお茶を注ぎ足しながら、自身の見解を付け加える。

「スッキリしていていいと思います。あんまりガチャガチャしていると、パチンコ屋さんとか、水商売のお店みたいになっちゃって、恥ずかしいじゃないですか」

 それは暗に、ゴテっとした自分のプランを否定しているのか? と勘ぐって、悲しげな表情になる沖野。屈託のなさがみゆきの魅力のひとつではあるが、このときばかりは、その素直な物言いが沖野のプライドを傷つけた。

 自分の意見に助け船を出す人はいないのかと、周囲に視線を走らせる沖野。と、田島は、納得しているような、していないような、微妙な顔をしているのが目に入った。さては、ホリウチ案にピンときてないな。沖野は、強力な味方を得たと感じた。が、その期待は田島の次の言葉で一瞬にして砕け散った。

「白金君の言う通りかもしれないね。シンプルな方が、嫌味がなくていいと思う。ねえ、片岡さんは、どう思います?」

 沖野の落胆など知る由もなく、意見を求められた片岡は、相変わらずの仏頂面で否定的な意見を述べる。

「私は、こういうのはからっきし分からないんだが、全部アルファベットというのは、やっぱり気になるね」

 それでも、田島はすでに腹をくくっているようで、主張を変える気配はなかった。

「イメージを変えるには、これくらいやらないとダメでしょう」

 片岡に納得した様子はなかったが、場の流れには従わざるを得なかった。

「若いもんがいいって言うなら、ま、いいんじゃないの」

 それを経理担当者の承諾サインと受け取って、田島がホリウチに正式なゴーサインを出す。

「じゃ、この方向でお願いします!」

 別プランを要求されることもなく、すんなり決まったのがよほどうれしいのか、ホリウチは今日一番の満面の笑みで礼の言葉と今後の進行について言及した。

「ありがとうございます! そうしましたら、このコンセプトでウェブサイトのデザインも進めさせていただきます」

 その言葉に、「よろしく」と頷く田島。

 一人蚊帳の外に放り出されてしまった沖野は、口をへの字に曲げて不満そうな表情を浮かべていた。しかし、今から何を言っても、決定は覆りそうにない。

 残念ではあるものの、ロゴの件はスッパリあきらめて、別の部分で自分のアイデアを押し通すしかない。さしあたっては、会社の公式ウェブサイトの構成だ。沖野は次なるプランに向けて、人知れず気持ちを切り替えていた。

 ともあれ、これにて一歩前進。ブランディング計画は、いよいよ本格的に動き始める。が、夢見がちな一同を尻目に、片岡が現実的な話を切り出した。

「で、コッチの話だけど」

 親指と人差し指で輪っかを作っている片岡。ホリウチは、それに「はい」と頷くと、鞄から書類を取り出し、机に置いて田島たち方にスッと滑らせた。

「企画費にデザイン費を組み込ませていただきまして、コチラの金額でやらせていただこうと思っています」

 身を乗り出して、書類をのぞき込む田島と片岡。『請求書』と題されたその書類には、『企画費として』という項目の横に、『十万円(税抜)』という金額が書き込まれていた。

 それを見た片岡は、弾かれたように顔を上げ、「えっ!? 嘘でしょ?」と、ホリウチに視線を向ける。

 その反応に満足げなホリウチ。どうだと言わんばかりの笑顔で頷く。

「かなり勉強させていただきました」

 しかし、その後の片岡のリアクションは、ホリウチが予想していたものとは正反対のものだった。再び書類に視線を戻した片岡が、険しい表情で数字をにらみながら言う。

「いや、何でこんなに掛かるのよ」

 ホリウチが、「は?」と目を丸くする。片岡は、その驚きなど意に介した様子もなく、金額の根拠を問いただした。

「看板とか、新しい名刺とか、そういったモノに掛かるお金は、それぞれの業者にウチが実費を払うわけでしょ? それなのに、何でこんなに掛かるの? 企画だけで」

 あまりの物言いに、いつもは饒舌なホリウチも、さすがに口ごもる。

「そ、それは、コンセプトのプランニングをはじめ……」

 ホリウチがしゃべり終わる前に、片岡がオウム返しする。

「ぷらんにんぐ?」

 それは、音で聞いても〝平仮名で言った〟と分かるくらい、本来のビジネス用語とはかけ離れた発音だった。

 ホリウチは、ますます動揺し、しどろもどろになる。

「はあ、いや、あの……、通常ですと、その金額の倍以上はいただくのですが、今回は、沖野くんからのご紹介ということもあって、特別に……」

 そう言葉を繋いだホリウチの額には、ジワリと脂汗が浮き始めている。

 それを見た沖野は、紹介者として黙っていられず、口を挟んだ。

「片岡さん、何か勘違いしているみたいですけど、この見積もりって、かなり破格なんですよ」

 それでも片岡には、折れる様子がなく、

「だから、実費は全部、ウチで……」

 と反論を続けた。が、再び沖野がそれを遮った。

「企画っていうのは、タダじゃないんですって!」

 ビジネスマンなら誰もが分かっている話。無論、片岡だってそのくらいは知っている。それでも、片岡には片岡の言い分があった。

「要は言い値ってことでしょ? プランニングだ何だって格好つけたって、実際どれくらいの時間考えてるかなんて、分からないじゃない」

 それを言っちゃあおしまいよ。片岡以外の全員が、そう思ったが、すっかりかたくなになってしまった経理担当者に、物申せるのは社長の田島しかいなかった。

「片岡さん、プランニングを時間換算で考えるなんて、あまりにも乱暴な話ですよ」

 しかし、片岡はますます感情を高ぶらせ、語気を強めてまくし立てた。

「知り合いだから安くできるって言うんで、この話を受けたんだよ。せいぜい一万円か、もうちょっと安いかって思うじゃない。それがどうよ? ゼロが一個多いでしょ。これ、ふっかけられてんじゃないの?」

 その言い草に、いつも飄々とした田島もいら立ちをあらわにし、片岡をにらみつけながら言った。

「じゃあ、片岡さんが時間を掛けて考えれば、これ以上に会社のイメージを良くするデザインが思い浮かぶって言うんですか!」

 片岡は、そう詰め寄られてなお、まったくひるまず、眉根を寄せてにらみ返した。

 つかみ合いになりかねない、一触即発の雰囲気。沖野もホリウチも、二人の応酬にオロオロするばかり。

 ただ、そこは人格者の田島。片岡から視線を外すと、ホリウチに向き直り、非礼をわびるように言った。

「すみません。お支払いは、きちんとしますので」

 一瞬、田島から目をそらした片岡だったが、その発言を聞いて、再びキッと田島に視線を向ける。

「ちょっと! いくら社長だからって、経理のことを勝手に……。どうしても、言い値通りに払うっていうの?」

 田島は、チラリと片岡を見て言った。

「もちろんです」

 フルフルと首を振りながら、あり得ないとばかりに返す片岡。

「いやいやいやいや、待ってちょうだいよ!」

 それでも田島は、断固として譲らない強い態度で宣言した。

「私がやると言ったら、やるんです!」

 社長の強権発動。会社発足以来、一度も行使していなかった権限を、このタイミングで使ってくるとは……。あ然とする片岡。

 言いたいことはあるものの、会社のトップである田島の強い意思表示には、従わないわけにはいかなかった。

 打ち合わせは思い掛けず紛糾したものの、結局、プランニング費用は、ホリウチサイドの提示通り、十万円で手打ちとなった。


 それから三日後、波止工業社屋の一階部分。倉庫内のだだっ広い空間で、ブルバスターが奇妙な反復運動を繰り返していた。

 パイロットはアル美。奇妙な動きは、操縦訓練の一環のようだ。

 歩行モードで前後左右に動いていたと思ったら、素早く装輪走行モードに切り替えて、倉庫内をグルリと一周したりしている。アームで物を掴む動作は、まだどこかぎこちなさが見えるものの、操縦そのものにはかなり慣れてきているのが見て取れる。

 ブルローバーにはなかったARのインターフェースにもかなり慣れてきた様子で、フリックやスワイプといった動作もスムーズに行えている。

 ただ、訓練を積むべきもう一人のパイロット、武藤の姿はそこになかった。

 そのひとつの原因は、ブルバスター専用のパイロットスーツにある。

 今から一週間前。ロゴの打ち合わせのさらに四日前だが、波止の社内でちょっとした事件が起きていた。

 ブルバスターに搭乗する際のパイロットスーツは、それ専用にカスタマイズされた仕様になっている。裏を返せば、ブルバスターを操作するには、そのスーツを装着している必要があり、着ていないとマシンを立ち上げることさえできない。

 そんなわけで、沖野はアル美と武藤を引き連れて蟹江技研を訪れ、スーツ担当の技術者に採寸を依頼した。二人それぞれに、専用のスーツをあつらえるためである。体のサイズによっては、貸し借りできないこともないのだが、沖野やアル美のスーツを、百八十を超える武藤が借りるというのは不可能だった。

 ともあれ、その日の採寸は滞りなく終え、あとは完成を待つばかり。

 ところが、それから数日後、新品のスーツが届き、いよいよ初訓練! という段になったとき、更衣室兼宿直室から武藤の怒号が聞こえてきた。

「ぬぁ~! サイズが! サイズが合わねぇ!!」

 外で待っていた沖野が、部屋に飛び込むと、そこには腰までスーツを着込んだものの、それ以上、上げられないで愕然と肩を落とす武藤の姿があった。

 ちょっとサイズが合わないとか、ややピチピチ……といったレベルではなく、絶対に着られないというミスマッチぶりである。

 そのときの武藤の荒れようは、すさまじいものがあったが、沖野は何とかそれをなだめ、蟹江技研の技術部に再調整の発注を掛けた。しかし、特殊な素材を使っていることもあって、どんなに急いでも一週間は掛かるとのこと。

 その間、武藤はまんじりともしない状態で、無益な一週間を過ごすことになってしまった。いっぽう、その日から予定通り搭乗訓練に入ったアル美は、日々上達。指をくわえてそれを見ているしかなかった武藤は、ますますふてくされ、ついにはアル美が訓練している様子を、見学さえしなくなってしまった。

 そんな騒動など、我関せずといった様子で、この日も一人、アル美は倉庫内での訓練に励んでいた。そこに、沖野が姿を見せた。

「アル美さん!」

 その声に呼応するようにブルバスターが動きを止め、バカン、プシューという音と共にコックピットのハッチが開いた。バカンはハッチが開く音そのもの。プシューは密閉されていたコックピットを開いたことで、気圧を高めていた空気が外に抜けた音である。

 ブルバスター専用パイロットスーツに身を包んだアル美が姿を見せ、最小のワードで沖野の呼び掛けに応じた。

「何?」

 沖野は、小走りでマシンに近づくと、搭乗時に使うステップに足を掛けた姿勢で下を見下ろしているアル美に向かって、

「今、ちょっといいですか?」と、降りてくるよう促した。

 訓練を中断された不満もあるのか、その要請には特に言葉を返さず、無言でマシンから降りてくるアル美。倉庫の地面に降り立つと、左手を腰に当て、早く用件を言えとばかりに沖野と目を合わせる。

 が、肝心の沖野は、アル美の〝目ではない部分〟に、目を奪われていた。

 タイトなスーツが、アル美のスリムなボディーラインを際立たせている。当然、これまでの訓練で何度となく、その姿は目にしているのだが、改めてこうやって向き合うと、沖野はいまだにドギマギしてしまう。女性に対する免疫のなさが、完全に露呈しているのだった。

 いっぽう、アル美の方は、それに気付いているのかいないのか、相変わらずクールな表情のままでいる。

 沖野は、内心の動揺を隠すように、あえて軽いトーンでご機嫌をうかがった。

「操縦、いい感じみたいですね!」

 しかし、アル美は、それにも言葉を返さず、わずかにあごを上げ、左の眉を動かしただけで応じた。それが、「まあまあだ」という意思表示らしい。

 沖野は、そんなアル美の無反応にも慣れてきているのか、特にひるんだ様子もなく、言葉を続けた。

「スーツのサイズに違和感があったら、すぐに言ってください。ちょっとでもユルいと、細かい操作に影響しちゃうんで」

 無理やり作り笑顔を浮かべる沖野。心の中では、年上であり、会社の先輩でもあるアル美にアドバイスを送れることに、ちょっとした優越感を感じていた。

 特に訓練開始当初は、沖野が付きっきりで操作方法を指南するという時間があった。アル美が、ここまで短期間にある程度、操縦をマスターできたのは、自分が指導者として優れていたからだと自負している。

 余談ではあるが、沖野は先ほど、倉庫に入ってきてすぐの呼び掛けで、アル美のことを、シレっと「アル美さん」と呼んだ。その背景には、沖野のある野望があった。

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