第1章 組織の新たな憂鬱⑧
港の護岸。
腕組みをしながら、島のメイン通りを注視しているアル美。
先ほど、沖野から「ここでネズミを放します!」という一方的な通信があってから十分はたっている。問題がなければ、そろそろブルバスターの機体が、メイン通りの奥に現れてもいい頃合いだ。
現場の混乱を避けるため、余計な通信はしない決まりになっているが、音沙汰無しの時間が、さすがに長すぎる。
まさか、何かあったのではないだろうか。
気になったアル美が、ヘッドセットに呼び掛ける。
「ねぇ、聞こえる?」
数秒待ってみたものの、応答はない。
「こちら港の二階堂。ブルバスター、応答せよ」
返事はやはり返ってこない。アル美の表情が、さらに険しくなる。
様子を見に行くべきか。それとも、信頼して待つべきか。
しかし、もし何らかのトラブルが起きていたとしても、生身の自分が一人でノコノコ出て行って、助けになるとも思えない。むしろ、足手まといになったり、二重遭難のような状況になる可能性すらある。
あと十分だけここで待機してみよう。
アル美は、少しでも遠くが見渡せるように、一段高くなった護岸に駆け上って、ブルバスターの帰還を待つことにした。
鬱蒼とした森の中に、ポッカリと広がった小さな広場。
のように見える泥沼で、沖野とブルバスターの格闘は続いていた。
片足ずつ強引に引き抜こうとした結果、両足共により深く泥の中に埋もれてしまった。
ブルバスターの接地部分、すなわち人間で言うところの足の裏から甲にかけての部分は、巨体を支えるために幅広く設計されている。言うなれば、サイズの合わない鉄ゲタを履いているようなものだ。一度足を取られてしまったら、足を上に引き上げることですら容易ではない。
先ほどから出力最大で脱出を試みているが、前進することも、後退することもできないでいた。
いっぽう、外気の毒性を示す警告アイコンは点灯したまま。空気清浄フィルターは、稼働させ続けなければならない。
家電でいえば、エアコンと電子レンジとドライヤーを一気に使っているようなもの。バッテリーの消耗が激しい。
そうこうするうち、今度はプープープーという、別の警告音が聞こえてきた。ブルバスターの行動可能時間が、二十分を切った証拠だ。
少なくとも、今から五分以内にこの場を脱出できなければ、港に戻ることができない。
それどころか、もしこの場ですべての持ち時間を浪費してしまえば、空気清浄フィルターは動力を失って停止してしまう。その場合、コックピット内の酸素を吸い尽くすか、有毒ガスを吸い込むことを覚悟で外に出るか、絶望的な二択を迫られることになる。
沖野は、最悪の状況を想像して、ブルルっと身震いした。
考えろ、オレ! ひらめけ、ひらめけ、ひらめけ!
混乱する頭の中で、必死に善後策を模索する。
が、都合良く天恵が舞い降りるほど、沖野はラッキー体質ではなかった。どちらかといえば、日頃からついていない方だ。ちなみに、年始に引いたおみくじには、『末凶』と書かれていた。『大凶』のひとつ上らしい。
もはや沖野の頭の中は、混沌とした世界に突入していた。過去と現在の記憶が交錯し、ただいたずらに通り過ぎていく。
しかも、頭をよぎるのは、これまでの人生で経験してきた、思い出したくもない記憶ばかりだった。
ゲーセンでヤンキーに絡まれたときのこと。ちょっとHなアニメのフィギュアを母親に捨てられたときのこと。海で溺れかけて必死に流木にしがみついたときのこと。巨獣の動画を流出させて大騒動になったときのこと……。
これが、死ぬ前に見る走馬燈というやつだろうか。にしたって、この走馬燈、ラインナップが悲しすぎやしないか?
ん? ちょっと待てよ……。流木?
そこで、過ぎ去っていくだけだった走馬燈を、ちょっとだけ巻き戻してみた。
あのときは確か、両親に連れて行ってもらった海水浴で、調子に乗って沖に出てしまった。で、浮き輪の空気が抜けて、小学生だったオレは大パニック。たまたま流れてきた流木につかまることで、何とか九死に一生を得たんだっけ。
そのとき、身をもって学んだ物理法則。
木は浮く。……そう、木は浮く!
思わぬところから天恵を得た沖野は、ARディスプレーを操作して、改めて周囲を見回す。と、ブルバスターのアームが届きそうな距離に、直径五十センチほどの杉の木が生えているのが目に入った。
これは使える!
木を倒して、それを土台に脱出を図ろうというのだ。
しかし、アームを限界まで伸ばしても、目をつけた木に届かない。いや、届いてはいるのだが、ギリギリ表面の皮を削り取るのが精一杯で、切り倒すことはできそうにない。
あとブルバスターでできることは何だ?
フル回転を始めた沖野の頭脳が、ひとつの答えを導き出す。
機関砲ならやれる!
思いつくや否や、機体の上半身をよじって砲身を木の方に向ける。すぐさま根元に照準を合わせ、操縦桿のボタンを押し込んだ。
キュイィィンという作動音に続いて、シュパパパパッという発射音が聞こえ、猛烈な勢いで弾が吐き出されていく。
弾は狙い通りの箇所に着弾。周囲に木片が弾け飛ぶ。
やがて、足元の支えを失った杉の木は、ビキビキビキという断末魔の叫びを上げながら、ゆっくり傾いていった。
きっちり計算したわけではなかったが、幸いにも木はブルバスターの機体の真ん前で横倒しになった。
実のところ、ブルバスターの頭上に倒れ込んでくる危険性もあったのだが、沖野は、「さすがオレ。計算通り」と考えることにした。
しかし、そこである人物の顔が頭をよぎった。
「こんなことのために、弾を無駄遣いするとは何事だ! 機関砲のバイオ弾は、一発六百五十円もするんだぞ!」と怒り狂う、片岡の顔である。
沖野は、もやもやと浮かんできた口うるさい経理担当者の姿を、慌てて振り払った。
ともあれ、脱出の準備は整った。
沖野は、ブルバスターの両アームでガッチリと木を掴み、上半身のウエイトをそこに乗せるようにして、ぬかるみの中から右足を引き抜いた。と同時に、引き抜いた右足を木に掛け、斜め前に蹴り出す。反動を使って、左足を引き抜き、そのまま後方にジャンプしようというのだ。
かなりアクロバチックな脱出方法だが、短時間で効率的に、機体の負担を最小限に抑えるのは、この方法しかないという確信が、沖野の中にはあった。
結果、沖野のアイデアが正解だったことが証明される。
埋もれていた場所から、後方四メートルの位置まで跳躍したブルバスターは、登載された自立制御アルゴリズムの機能もあって、尻餅をつくこともなく二本足で着地した。
沖野は、土が硬くあってくれることに、初めてありがたみを感じた。
ARディスプレーに目をやると、活動可能時間は、残り十五分。森を抜け、港に戻ることを考えると、もはや一刻の猶予もなかった。
港でブルバスターの帰還を待つアル美。
先ほど、自身で設定した十分の待機時間が過ぎようとしている。あの後、ヘッドセットを通じて何度か呼び掛けてみたものの、応答はない。
やっぱり、何かあったんだ。
アル美は、居ても立ってもいられず、小走りで島のメインストリートに向かった。その路肩に、何度か拝借している軽トラックが停めっ放しになっている。それに乗って、様子を見に行くしかない。
沖野は無事だろうか。嫌な予感が頭をよぎる。
しかし、アル美が軽トラにたどり着く前に、メインストリートのなだらかな坂道を、こちらに向かって滑り降りてくるブルバスターの姿が見えた。
そして、ブルバスターの外部スピーカーから、沖野の声が聞こえてきた。
「アル美さ~ん!」
まだかなり距離があるので、届く音量は小さかったが、声のトーンから、沖野が単に、無事の帰還を伝えるために呼び掛けているわけではないことは分かった。
何事かと聞き耳を立てると、物騒なワードがアル美の耳に飛び込んできた。
「ガスです、ガス! こっちまで降りてくる可能性があります!」
事態を察したアル美は、すぐさま踵を返し、全速力で船に向かった。
早く言ってよ! という不満が漏れかけたが、これまでの経緯を考えると、沖野は沖野で、何かしらのっぴきならないトラブルがあったに違いない。
とにかく今は、島を離れることが先決だ。
アル美は港まで駆け戻ると、ヒラリと船に乗り込み、エンジンを始動させた。
それと同時に、収納ボックスに常備されている防毒マスクを装着する。
アル美が出船準備を進めている間に、ブルバスターは艀の横まで移動してきていた。沖野は機体を巧みに操作し、ブルバスターを護岸から艀に乗り移らせる。
それを目視で確認するや否や、アル美はアクセルレバーを限界まで倒し、猛スピードで船を発進させた。
船は、港を出るとさらに加速。アル美が背後を振り返ると、島は瞬く間に遠ざかっていった。
艀の上。コックピットの中。ひと心地ついた沖野がARディスプレーを確認すると、活動可能時間は、残り十七秒を示していた。
波止工業前の桟橋。
アル美が操船するプレジャーボートが接岸する。えい航してきた艀には、片膝立ちのまま固まっているブルバスター。電源自体が落とされている。
沖野は、手動でハッチを開けると、外の空気を肺一杯に吸い込んだ。
手塩に掛けたブルバスターのコックピット内にこもっているのも好きだが、閉鎖空間から抜け出し、新鮮な外気に触れるこの開放感もまた好きだった。
が、この日はいつもの清々しさを味わうことができなかった。
臭い。何が臭いって、自分自身が臭い。
異臭を放つ泥は半乾きとなり、パイロットスーツのみならず、沖野の顔や髪にもこびりついていた。
以前の調査で、島の土壌や草木から有毒ガスの成分は検出されなかったので、図らずも持ち帰ってしまった土が、すぐさま人体に害を為すわけではないだろう。しかし、今の沖野にとって、それは気休めにしかならなかった。
とにかく、一刻も早くシャワーを浴びたい。
コックピットから飛び降りた沖野は、係船作業に勤しんでいるアル美に、「お先です!」と一声掛けると、社屋に向かって一目散に駆け出した。
二階の事務室に保管されている鍵を取り、その足で一階の倉庫奥にあるシャワー室で汚れを洗い落とす算段だ。
外階段を駆け上がり、事務室のドアを勢いよく開く沖野。
「ただいま戻りました!」の「ただ」まで言ったところで、応接コーナーに見慣れぬ顔があることに気付いた。
龍眼島でのすったもんだで、すっかり忘れていたが、今日は大卒、船舶免許持ちの新人が来るんだった。
見ると、スラリと背の高い銀縁メガネの若者を、田島、片岡、みゆきが取り囲み、何やら話し込んでいる。
新人といっても、高卒の沖野より年齢は二、三個上。性格面もあるのだろうが、年齢以上に落ち着いているように見える。キリリと引き締まった眉に涼しげな目元。少年っぽさが残る沖野とは、正反対ともいえる〝大人の男〟という印象だ。あえて跳ねさせていると思われる後ろ髪が、イマドキなオシャレ感を演出している。
沖野は、そんな都会的容姿に、早くも反感を覚えたが、それ以上に気になったのが、場の雰囲気だった。
漏れ聞こえてきた言葉から、話は就業規則の確認であることがうかがえたが、田島や片岡は、いつになくにこやかに話しているように見えた。
えっ!? もうそんな感じ?
沖野の表情が途端に曇る。
と、沖野が戻ったことに気付いた一同が、一斉に振り返った。
その拍子に、バチッと新人と目が合った。普段、真正面から人と目を合わせるのが苦手な沖野だったが、このときばかりは意図的に視線を外さないようにした。先に目をそらせたら〝負け〟な気がしたのだ。
いっぽう、新人の方も一向に目をそらす様子はなく、澄ました顔で沖野を見ている。
そのクールな振る舞いが、余計に沖野をいら立たせた。背筋をピンと伸びした立ち姿も、銀縁メガネが醸し出す知的な雰囲気も、整えられた細い眉も、すべてが気に入らない。
思わず、苦虫を噛み潰したような顔になる沖野。それとほぼ同時に、なぜか応接コーナーの四人も一斉に顔をしかめた。
そこで沖野は、自分が今どんな状態にあるのかを思い出す。
事務室のドアから吹き込んでいる風が、沖野にまとわりついた臭気を、四人がいる応接コーナーまでせっせと運んでいるのだ。
沖野が全身泥まみれであることに気付いた田島が、「それ、どうしたんだ?」と問い掛ける。
〝ガン付け勝負〟をいったん保留にし、田島の顔に視線を移す沖野。事の顛末は、遅かれ早かれ責任者である田島に報告しなければならない。
しかし、思い返せば、ぬかるみにハマったのは、少しでも時間を短縮しようと焦った自分の判断ミス。話だけ聞くと、相当間抜けな失敗だ。
いったんは説明しようと口を開き掛けた沖野だったが、新人の手前もあって、モゴモゴと口ごもってしまう。すると、異臭の原因が沖野にあることを確信した片岡が、舌打ち混じりに容赦のない言葉を浴びせてきた。
「ったく、何やってんだよ。とにかく、そのドアを閉めて外に出ろ!」
当然といえば当然の指示なのだが、このときの沖野には、それが自分をひどく侮辱する言葉に聞こえた。
反射的に新人の顔に視線を戻す。と、新人は相変わらずクールな眼差しで、じっとこちらを見ていた。その凜とした雰囲気。
沖野は、自身のミスから泥だらけで帰還した惨めさも相まって、あくまでスマートな新人に、劣等感を抱かずにはいられなかった。
***
この続きは書籍「ブルバスター2」でお楽しみください。
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鉛というクセのある新人の登場に波止工業の面々は!?
そしてシオタバイオにあずけた“シロ”に起きた異変とは?_
ブルバスター 原作:中尾浩之 /小説:海老原誠二/エンターブレイン ホビー書籍編集部 @hobby
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