第6話

 龍眼島東端の港。東側は岩礁帯が屈曲して西の方向にせり出し、西側は消波ブロックが積まれた防波堤がガードしているため、湾内はほとんど波の影響を受けない。よほどの嵐でもない限り常に凪いでいる。

 この日も、船は荒波に揉まれることもなく、開口部を抜け、港に到着。アル美の操船技術もあって、えい航されてきた艀も静かに接岸した。

 沖野は、気がはやっているようで、艀の揺れが完全に収まる前に機体を立ち上がらせ、龍眼島に初めの一歩を踏み出した。

 いよいよ、始まる。後戻りはできない。

 いっぽう、アル美と武藤は落ち着いた様子で小型船を降り、出撃の準備を始めた。船の中に備えてあったのだろう、アル美の手には水中銃が握られている。照準をのぞき込み、ちゃんと動作するか確認しているようだ。

 武藤は、小型船を岸壁の突起物にもやっている。作業を終えると、ヘッドセットの感度を確かめながら、周囲を見回し始めた。全島避難後も、この場所には何度も来ているため、わずかな空気の違いにも敏感になっているようで、

「やけに静かなだな……」と、肌で感じた異変をつぶやいた。

 サロペットのポケットから、スマホを取り出す武藤。地図アプリをタップすると、即座に周辺のマップが映し出された。それを見ながら、ヘッドセットのマイクに向けて、声を吹き込む。

「新型、聞こえるか?」

 沖野は、自分が呼ばれているとはすぐに気づけず、二秒ほどタイムラグを作った後、ハッとして答えた。

「は、はい、聞こえます!」

 武藤は沖野の声音から緊張を感じ取り、大丈夫か? とブルバスターの方を振り返った。が、大丈夫でも、大丈夫じゃなくても、今はこの若造に任せるしかない。何せ沖野以外、操縦方法を知らない、まっさらな新型なのだから。

「このまま、この道をまっすぐ進め」

 武藤が指さしているのは、港から北西へと向かう二車線の道路だった。沖野は初見だが、どうやらそれが、この島のメーンストリートらしい。

「二百メートル行くと、右手に公園がある。その辺りに敵が潜んでいるかもしれんから警戒しとけ!」

 コックピットの沖野は、そんなアバウトな! と思ったが、その不満はおくびにも出さず、「了解です!」と短く答えた。

 龍眼島の中央通りを進むブルバスター。

 沖野が初めて目にする島の光景。

 人がいないと、こんなにも寂寥感が漂うものなのか……。

 抜け殻のような街。

 動くのは風にそよぐ草木ばかりで、時が止まっているかのようにさえ感じる。

 おそらく、避難指示が出される前は、それなりのにぎわいを見せていたであろう商店もシャッターが閉じられ、海風だけが通り過ぎていく。

 デラシネ(西部劇で荒野をコロコロしているアレ)でも転がってきそうなほど、殺伐とした雰囲気である。

 沖野は、スクリーン越しに見える周囲の実景と、自身の位置が表示されるカーナビ的な地図に交互に目をやり、現在地を確認しながら進んでいった。

 マシンは、長距離を移動するための装輪走行モードに切り替えている。ブルバスターの足の裏には車輪が内蔵されており、必要に応じてそれを格納・展開する仕組みになっている。

 モードによって、コックピット内でのパイロットの姿勢も変わる。出発時に用いた歩行モードの場合、直立した体勢でブーツと足元のペダルを接続。自身が歩いているような感覚で、マシンを前進させることができる。

 いっぽう、装輪走行モードの場合、車を運転しているような感覚になる。スーツに付随した臀部の補助外骨格は座った姿勢でロックすることで、シートに早変わりする。なお、歩行モードとは異なり、足元のペダルはアクセルとブレーキの役割を果たすことになる。

 どちらのモードでもハンドルの代わりになるのが、左右で独立したリング型のグリップ。パイロットに負荷のない前方位置にそれぞれ固定され、リング中央部に設けられた操縦桿でマシンを操作する。

 装輪走行モードによるドライブは快調。やがて、島の繁華街を抜けると、周囲は一戸建ての家が建ち並ぶ、住宅街に変わった。人口は三百人ほどいたというから、マンションとは言わずとも、アパートくらいはある……と想像していたが、建物のほとんどは一階建ての平屋、あるいは二階建ての木造家屋で、ビルと呼べるようなものは見当たらなかった。

 そんな日常的な光景の中にあっても、沖野は、異世界にでも迷い込んだような、言いようのない不安を感じ始めていた。

 いっぽう、沖野の背中、正確にはブルバスターの背中を見送っていた武藤は、出撃準備を整えたアル美に、今後の行動について自身の考えを伝えた。

「俺は海沿いを西回りに北上して、小学校に向かう。置き去りにしちまったブルローバーを動かすつもりだ」

 アル美は、相変わらずの無表情で、「今から?」と問い返した。

 武藤は、ブルバスターの背中に視線を戻し、眉根を寄せながら言った。

「あの小僧一人じゃ、どうもあてにならん。ローバーは電気系統がやられただけだと思う。プラグを交換すれば、動くはずだ」

 そう言うと、船から持ち出してきた、工具箱を掲げて見せた。

 アル美は、その言葉には反応せず、辺りに視線を走らせた。

 と、野ざらしになった一台の軽トラックを発見。それを指さして、

「じゃあ、アレで行きませんか?」と提案した。

 遠目にも現役とは思えない、くたびれた車体。武藤は、いやいやアレは無理だろ、というニュアンスを込めて聞いた。

「動くのか?」

 そう問われたアル美は、ある程度の確信があるのか、無言で頷いた。

 波止工業の古株である武藤にしてみれば、アル美は入社一年程度の新参者だ。年齢だって三十以上離れている。アル美の不遜な物言いは、先輩として厳しく叱責してもいいレベルである。

 それでも、武藤はそんなアル美の態度をまったく気にしていなかった。この子はそういう娘。慣れてきた、というより最初から割り切っている。

 その諦観の背景には、グレた高校生の娘の存在があるのだが、武藤自身もそれに気づいていなかった。

 ともあれ、二人の行動方針は決まった。

 武藤はヘッドセット越しに、沖野に呼び掛けた。

「おい、新型!」

「……は、はい」

 沖野は、なぜ名前で呼んでくれないのかと不満に感じながらも、他方、そう呼ばれることに心地良さも感じていた。

 というのも、沖野にとってフェイバリットな例のアニメでも、主人公の乗るロボットは、敵からそう呼ばれていた。赤がトレードマークのあの大佐も、そう呼んでいたことがあったはずだ。「新型」という言葉の響き自体、嫌いではない。

 沖野がそんな空想を広げているとは露知らず、武藤はブルバスターの背中に指示を出した。見れば機体は、海岸付近の平地部分を越え、ゆるやかに続く登り坂に差し掛かっていた。

「そのまま坂を上がっていけ。こっちは西回りで行く。公園で落ち合おう」

 その指示を受け、沖野はマップ上で再度、公園の位置を確認した。指定された場所は、メーンストリートを北上し、二股に分かれた道を左に進んだところにある。

 決戦の時は近い。

 沖野は、「はい!」と答えると、不安をぬぐい去るように表情を引き締めた。

 いっぽう、アル美は武藤を尻目に軽トラに駈け寄っていた。

 ドアを開けると、運転席に体を滑り込ませる。思っていたとおり、エンジンキーはつけっぱなしになっていた。以前、アル美が一人で島に出動した際、拝借したときのままだ。

 キーをひねると、ブルルンと車体が震動し始めた。最後に乗ってから数週間経っていたため、もしかしたら動かないかもと、若干の不安があったが、それは杞憂に終わった。普段は無表情のアル美の顔にも少しだけ。ほんの少しだけ、安堵の色が広がった。



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