第7話

 武藤から公園での合流を指示されて五分後。

 ブルバスターは、島のメーンストリートの中ほどに差し掛かっていた。

 道は、港から北西に延び、やがて島の北側の海に突き当たるのだが、その間はずっとなだらかの上り坂になっている。

 途中の西北西に分岐する道を通り過ぎてからは、民家が明らかに少なくなっていた。西へ行くほど標高が高くなっていくという島の構造上、生活の中心はやはり港周辺、島の東側にあるようだ。

 沖野は、ブルバスターを操縦しながら、街並みに視線を走らせていた。初めて見る島の光景。表面上は、何の変哲もない、のどかで平和な田舎町に見える。が、静寂の中でマシンの走行音だけが響く特異な状況には違和感を覚える。人が忽然と姿を消したパラレルワールドに迷い込んだような感覚だ。

 繁華街ではあまり感じなかったのだが、町の中心部から離れると、人間の生活圏が草木に侵食されている様子が目につくようになってきた。

 そりゃそうか。と沖野は思う。全島に避難指示が出されたのは、今から十か月前のことである。一年近く人の手が入らなければ、自然は元の生息域を取り戻そうと、活動を活発化させる。これから夏を迎えれば、彼らの陣地はさらに増えていくだろう。そうなれば当然、害獣の活動領域も広がることになる。

 その被害を最小限に食い止めるのが自分の仕事なんだ。

 沖野は、自分に課せられた役割を改めて反すうし、気合いを入れ直した。

 やがて、視線の先に数件の民家が集まった集落が見えてきた。メーンストリートの道沿いには、所々にこうした集落が点在している。沖野もここに至るまでに、何度も同じような風景を見てきた。が、その集落に近づくにつれ、家々に異変が起きていることに気づいた。

 家屋は明らかに何者かによって破壊されていた。沖野が〝何者かに〟と思ったのは、壊されている箇所が、自然災害ではありえない状態で損傷していたからである。

 壁の一部は、シャベルカーのアームで剥ぎ取ったようにえぐられ、ひしゃげた金属製の雨戸は、強い力でねじ切られたように見える。

 被害の深刻さを目の当たりにし、ますます険しい顔つきになる沖野。しかし、どんなに活動を活発化させているとはいえ、野生動物がこれほどまでに硬い人工物を破壊できるものだろうか?

 そんな疑問が浮かび始めたとき、沖野は荒らされた民家の庭の一角に、気になる箇所を発見した。土が露出した部分はほとんど、伸び放題の雑草に覆われているのだが、そこだけ妙に視界が開けている。どうやら、動物がその上を通り、草を踏み荒らしたようだ。

 何の気なしにブルバスターの足を止め、ARディスプレーを捜査してその場所にズームする。どんな動物がつけた痕跡か、ちょっと確認しておこうと思い立ったに過ぎない行動だったのだが、映し出された映像を見て、息を飲んだ。

「何だよ、これクマか? デカイな……」

 踏み荒らされた場所には、害獣のものと見られる足跡が残っていた。しかし、それは沖野が予想していたものよりはるかに大きかった。しかも、よほど重量があるのか、土は足形に深く沈み込み、痕跡がありありと見て取れる。

 その生き物が、どれくらいの大きさなのか、足跡からだけでは想像できない。しかし、駆除すべき害獣が、イノシシやシカ程度のものではないことだけは分かった。

 沖野の中に生まれていた言いようのない不安は、さらに大きさを増し始めていた。


 同じころ、アル美と武藤が乗った軽トラは、島の西側、海沿いの道を走っていた。

 メーンストリートと違い、車線はひとつ。すれ違うには、どちらかが道の端に車を寄せなければならない田舎道である。だが今は、対向車に注意する必要はなかった。

 しばらく進むと、道は西北西に延びる海沿いの道と、東北東に延びる森側の道の分岐点に差し掛かった。迷うことなくハンドルを右に切り、森側に車を向けるアル美。元島民として、島の地理は熟知している。

 目指す小学校は、分岐点から数百メートル先にあった。

 程なくして目的地に到着。開けっ放しになった校門から、車のまま校庭に乗り入れる。そこは、アル美にとっても、武藤にとっても、思い入れの深い出身校。慣れ親しんだ校庭に車で乗り入れるのは、畳の部屋に土足で踏み込むような罪悪感があったが、今は行儀など気にしていられない。

 校庭の一角に軽トラを停めると、二人は周囲を警戒しながら車を降りた。わざわざ開けた場所に車を停めたのは、敵から不意打ちを受けないためである。対峙している敵は、予想以上に素早く、予想以上に狡猾だ。二人は、少しの油断が命取りになることを、これまでの経験で知っていた。

 校庭のすみに、重機のようなマシンが乗り捨てられている。

 故障して動けなくなっているブルローバーである。

 ゴツゴツとした黄色い車体は、重機そのものといった印象だが、重機にはない装備も見られる。二本のアームと肩口からのぞく砲身。アームの先は、上に三本、下に二本、かぎ爪状になっており、物を掴んだり、場合によっては対象物に突き刺せるような形状になっている。砲身は、中央に開いた射出口の形状から銃器の類であることが分かる。口径はかなりデカい。

 ブルバスターとの大きな違いは、足回りのキャタピラ。戦車のように、どっしりと大地を踏みしめているイメージだ。しかし、小回りは利きそうになく、倒木や瓦礫などの障害物を乗り越えるのは難儀するに違いない。

 向かって左手の後部には、煙突のように上に延びた排気口が見える。動力源はガソリンか軽油だろう。機体の重量感から考えても、燃費は相当悪そうだ。

 アル美は、軽トラを降りるとすぐさま、荷台に積んでおいた水中銃を手に取った。

「私、見張ってるんで、修理を」

 武藤は、「おう」と頷くと、工具箱を手に小走りでブルローバーに駈け寄った。

 アル美は、軽トラとブルローバーのちょうど中間くらいの位置に陣取っている。近すぎては視界が利かず、遠すぎては緊急事態に対応できない。様々な状況を想定しての守備的シフトである。

 いっぽう武藤は、ブルローバーの後部に回り込み、背面パネルを開いた。中をのぞき込むとすぐ、「やっぱりな」とつぶやく。

 予想したとおり、プラグが黒く焦げついていた。それを交換すれば、何事もなかったかのように動いてくれるはずだ。

 武藤は、壊れたプラグをマシンから外すと、工具箱から取り出した新品のプラグをはめ込んだ。

 簡単な修理なら、これまで何度もやってきている。建設会社だった旧波止時代から、長年に渡って重機を扱ってきた。それなりの知識は持ち合わせている。機体そのものの破損となれば、製造元である蟹江技研の整備場に持ち込むしかないが、部品の交換くらい自分たちでやれなくては話にならない。ここは戦場なのだ。

 応急処置を終えると、武藤は機体の正面に回り込み、キャタピラに足を掛けて運転席に体をもぐり込ませた。

 ポケットからエンジンキーを取り出すと、鍵穴に差し込む。機嫌を直してくれていれば、キーを右に回すだけで動き始めてくれるはずだ。武藤が期待を込めて、手首を右にひねろうとした瞬間、背後の茂みからガサッという物音が聞こえた。

 とっさに手を止め、音に集中する武藤。しかし、周囲には静寂が戻っている。

 数秒待った後、「聞こえたか?」と、アル美に確認した。

 問い掛けに頷くアル美。空耳ではない。

 アル美は、首に巻いているチョーカーの十字架に左手で触れた。チョーカーとは、首に密着した短いネックレスのこと。アル美が着けているものは、一センチメートル程度の幅を持った革製で、中央に小さなクロスが付いている。

 それに触れ、短い祈りを捧げるのが、アル美にとって戦う前のひとつの儀式になっていた。祈ると言っても、目を閉じて神に捧げる言葉をつぶやくわけではない。少しだけ目を伏せ、無言で何かに思いを馳せるのだ。

 それを終えると、アル美の表情は一変した。獲物を狙うハンターの顔。目には冷たい炎が宿っている。

 手にしていた水中銃を、いつでも発射できるように目の高さに構え、音が聞こえてきた茂みの方に向ける。砲身を握る指先は白く変色していて、かなり力が入っているのが分かる。クールに見えて、アル美も少なからず緊張しているようだ。

 と、どこからともなく、ズン! という地響きのような震動が伝わってきた。

 低く重い音が校舎に反響し、広がってしまったせいか、正確な音の出所は分からない。

 水中銃を構えたまま、グルリと周囲を見回すアル美。武藤は、ブルローバーの運転席から身を乗り出し、背後の茂みや校庭の物陰に目を走らせている。

 一瞬の静寂の後、今度はヴフフフゥァーという地鳴りのような呼吸音が聞こえてきた。一斉に音の方向へ目を向ける二人。

 見ると、校庭の奥、森へと続く茂みの中から、一体の生物が姿をのぞかせていた。

 その姿は地球上のどの生物にも似ていなかった。体毛はなく、表皮はヘビやトカゲのようにのっぺりしている。しかし、ジメっとした湿り気も帯びており、強いて言えばカエルの肌の質感に似ていなくもない。

 特徴的なのは、口と見られる部分からのぞいた牙状の突起物と、手と思われる部分に備わった鋭い爪。そんな身体的な特徴から、攻撃的な生物であることが予想できる。

「出やがったな。やっぱりこの間のヤツだ!」

 武藤は、その生物に見覚えがあった。これまで、同じような生物を複数駆除してきた武藤だが、よく見るとそれらに個体差があることに気づいていた。何より、前回の戦闘時、武藤が一矢報いた痕跡、右手の爪の損傷が、〝この間のヤツ〟であることを物語っていた。

 今度は、この前のようにはいかない。

 数日前に、その生物と対峙した際には、戦闘中にブルローバーが故障し、やむなく機体を残したまま離脱しなければならなかった。いや、離脱というより、ほうほうの体で逃げ出したと表現した方が正しいだろう。武藤は、そのときの悔しさが忘れられず、今回の再戦には並々ならない意欲を燃やしていた。

 ただ、その圧倒的な巨体には、生物として畏怖を抱かずにはいられなかった。体長は、およそ六メートル。立ち上がれば、校舎の三階あたりまで達する大きさである。

 それでも、ひるんではいられない。

 武藤は、再び運転席に体を滑り込ませると、勢いよくエンジンキーをひねった。

 ところが、肝心のエンジンは、プスプスプスと頼りない音を発するばかりで、一向に掛かる気配がない。いったん戻し、改めてキーをひねってみるが、反応は同じだった。

 おいおい、プラグは変えてやっただろう? いい加減、機嫌を直してくれ!

 武藤の額に、どっと冷や汗がにじみ出す。

 いっぽう、アル美は完全に戦闘モードに入っていた。現れた生物のあまりの巨大さに一瞬ひるんだアル美だったが、大きさについてはあらかじめ武藤から聞いていた。気持ちはすぐに切り替えがついた。

 ブルローバーのエンジンがまだ掛かっていないことを察し、生物の意識を自分の方に引きつけるため、水中銃を構える。

 もちろんアル美も、自分が今、手にしている程度の武器で、目の前の巨大生物に致命傷を負わせることができるとは思っていない。しかし、手傷を負わせ、足止めすることくらいはできる。

 そのために、狙うべき場所は決まっていた。目だ。と言っても、正直、それが人間で言うところの目にあたる部分なのかは分からない。ただ、その器官が顔らしき部位にあり、そこから外部の情報を取り入れているように見えることから、アル美はそれを目のような役割を果たすものと認識していた。

 そこの狙いを定め、引き金に掛けた指に力を込める。

 放たれたシャフトが、ターゲットに一直線に向かっていく。

 狙い通り、生物の目らしき部分に着弾! と思いきや、シャフトが当たる寸前に、生物が体をよじり、急所への着弾を回避した。シャフトは生物の皮膚に突き刺さってはいるが、ダメージを受けているようには見えない。

「くっ!」

 アル美が悔しさで顔を歪ませる。その目は、絶対に逃がしはしないという、執念のようなオーラを放っている。

 いっぽう、エンジンキーと格闘していた武藤は、ようやく手応えを掴んでいた。キーをひねること十数回。ブロロロ~ン! という音と共に、ブルローバーの機体が、小刻みに震動し始めた。

 アル美は、目の端でそれを捉えつつ、水中銃に次のシャフトを装填した。狙いはやはり目。狙いを定め、引き金を引く。

 しかし、今度も目標を捉えることができなかった。生物がまたも着弾直前で身をかわし、急所……らしき箇所への直撃を避けたのだ。

 確かに、水中銃から放たれる矢に、銃の弾丸のようなスピードはない。が、これほどの至近距離から放たれた高速の物体をかわすには、相当な反射神経が備わっていないと不可能だ。この巨体にして、この俊敏性。生物としての能力の高さは、アル美たちにとって脅威以外の何物でもなかった。

 ただ、目は外したものの、二本目のシャフトも生物の表皮を貫いている。相変わらずダメージはなさそうだったが、攻撃を受けていることだけは認識したようで、漏れ出す呼吸音は激しさを増している。興奮状態にあるようだ。

 アル美が間を作ってくれたおかげで、エンジンの起動に成功した武藤は、ブルローバーの車体を旋回させ、生物の方に向き直った。

 すかさず、肩口に積まれた機関砲の照準をターゲットに合わせ、力任せに発射ボタンを押し込んだ。

 キュイィィンというモーターの作動音に続いて、シュパパパパッ! と射出口から勢いよく弾が吐き出されていく。

 小さな弾が、吸い込まれるように敵の胴体に着弾!

 こいつはいける! 武藤がそう確信した途端、プスプスプスンという情けない音と共に再びエンジンが停止。パワー全開だった機関砲も沈黙してしまった。

 武藤は、「くそっ!」と、操縦桿に拳を打ちつけた。しかし、昭和のブラウン管テレビでもあるまいし、そんなことで機能が復活するはずもない。

 見れば、新たな攻撃を受けていきり立った生物が、ブルローバー目掛けて突進してきている。武藤は、恐怖に顔を引きつらせながらも、必死にエンジンキーをひねった。が、今度はプスンプスンという前兆音さえ聞こえない。

「ぬあ~っ!」

 迫り来る生物との距離が十メートルを切り、武藤はたまらず運転席から転がり出た。

 アル美は、三本目のシャフトを装填し、発射。武藤の脱出を援護する。

 矢は胴体部分に突き刺さったものの、やはりダメージは皆無の様子。

 それでも一瞬の間を作ることはできた。

 アル美は、三十メートルほど先に停めたままになっていた軽トラに向かって駆け出した。武藤もそれに続く。

 巨大生物は、いったんブルローバーの方に向かい掛けたが、それがすでに〝抜け殻〟のようなものだと感じたのか、体を反転させ、アル美たちを猛然と追い掛けてきた。

 一足早く軽トラに到達したアル美が、運転席に飛び乗る。武藤も、二秒遅れで助手席に飛び込んだ。

 エンジンを掛け、アクセルを全開で踏み込むアル美。前日に降った雨のせいで、ぬかるんでいる校庭の土にタイヤがキュルキュルと空転したが、生物の鋭い爪が車体を捉える寸前、軽トラが動き出した。

 生物の真横をすり抜け、校庭を斜めに突っ切っていく。

 もはや、頼みの綱はブルバスターのみ。その性能がどれほどのものか分からないが、今は合流して体勢を立て直すよりほかない。アル美は、入ってきた正門に向けてハンドルを切った。

 ところが、生物はその逃走経路を、あらかじめ察していたかのように、進路上に立ち塞がった。敷地を離脱するには、いったん生物を引きつけ、正門付近から引き離すしかない。

 アル美は、再びハンドルを回し、正門に向けていた車体を、校舎側に切り返した。それを見た生物は、狙い通りに車を追いかけてくる。

 運転席のアル美が命懸けのカーチェイスを繰り広げている横で、助手席の武藤がヘッドセットに大声で呼び掛けた。

「新型! 聞こえるか?」

 突然聞こえた怒号のような大音量に驚いたのか、沖野の声がうわずっている。

「は、はい、聞こえます!」

 通信機越しでも、萎縮している沖野の姿が見えるようだったが、そんなことを気遣っている場合ではなかった。武藤は間髪入れず、最小ワードで状況を説明した。

「小学校の校庭だ! 敵が出た!」

 武藤がそう言って振り返ると、生物は軽トラのすぐ真後ろまで迫ってきていた。アル美は、相変わらずアクセルを全開まで踏み込んでいたが、ぬかるみにタイヤを取られて、思うようなスピードが出ていなかった。

 巨体ではありえない素早さで追いかけてくる生物が、走りながら一瞬、体を沈み込ませ、ジャンプの体勢を取った。

 荷台に飛び乗るつもりか!? 武藤が青ざめる。

 その悪い予感は、さらに悪い方に裏切られる。生物は力強く地面を蹴ると、大きく飛翔。そのジャンプ力はすさまじく、荷台に飛び乗るどころか、全速力で走行中の軽トラを軽々と飛び越していった。生物は最初から、車の前方に着地し、巨体そのもので進路を遮るつもりだったのだ。

 その動きを、バックミラー越しに見ていたアル美は、生物が飛び上がり、軽トラの真上に差し掛かったタイミングで急ハンドルを切った。正面衝突を避けるには、そうするしかなかった。

 ドリフトするように、校庭を横滑りする軽トラ。アル美の巧みなハンドルさばきで、横転することだけは免れたものの、地中に埋め込まれた遊具のタイヤにぶつかり、車は弾かれたようにクルクルとスピンしてしまう。

 ハンドルにしがみついて、何とか体勢を維持するアル美。いっぽう、シートベルトをしている暇もなかった武藤は、激しく体を揺さぶられ、むち打ち状態。その衝撃でヘッドセットが外れ、車外に吹き飛んでしまった。


 

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