ブルバスター

原作:中尾浩之 /小説:海老原誠二/エンターブレイン ホビー書籍編集部

ブルバスター始動!

第1話

二〇××年皐月。

 倉庫のような建物を、力強さを増し始めた五月の朝日が照らしている。

 そこは、翼を広げたジャンボジェットが丸々一機入りそうな横幅と奥行きを備えた格納庫。

 ドーム状の丸みを帯びた天井まで、六、七メートルあるだろうか。建物全体のずんぐりとしたシルエットは、板に乗ったかまぼこを思わせる。建物の外壁はおおむね、校舎のように淡いクリーム色で塗られている。

 屋根のちょっと下、かまぼこで言うところのピンクの部分には、黒い文字で『蟹江技研』と書かれている。そのすぐそばに赤で記された『安全第一』の文字の方が、社名よりも目立っているのは、社員思いの会社である証拠か、単なる対外アピールの格好づけかは分からない。

 そんな格納庫を、一人見上げる作業着姿の青年。

『蟹江技研』の文字を見詰めるその表情は、どこか感慨深げにも見える。

 青年は、振り仰いだ視線を水平に戻すと、格納庫の壁面に据え付けられた小さな箱状の装置に足を向けた。

 作業着のポケットに押し込んでいた鍵束をジャラリと取り出すと、慣れた手つきでそのうちの一つをつまみ、装置の鍵穴に差し込む。そのまま鍵を右に回すと、カチッという小気味良い音と共に装置のふたが開いた。

 青年が、中にあった『開』のボタンを押し込むと、格納庫の天井付近から、ガシャンという重い音が聞こえ、シャッターがゆっくり左右に開き始めた。

 朝日が格納庫の内部に差し込み、徐々にその全景があらわになっていく。

 だだっ広いスペース。青年を除いて、そこに人の姿はない。

 壁際には、工具や資材が整然と並べられている。単なる格納庫でなく、整備場も兼ねているのだろう。内部には、錆びた鉄の臭いと機械油の臭いが染みついている。

 ただ、それが鼻をつまみたくなるほどキツイ感じがしないのは、作業員たちの日頃の行いの賜物だろう。夜中、閉鎖空間に溜まっていた密度の濃い臭気は、スルリと吹き込んできた朝の風が、どこかに運んでいってしまった。

 スペースの中央に、一台の大型トラックが停められている。荷台はシルバーのシートですっぽり覆われていて、何が積まれているのかは分からない。ゴツゴツとしたシルエットから、重機の類いであることは何となく見て取れるものの、シャベルカーやブルドーザーとは少し違うように思える。

 その〝鉄の塊〟らしき物を、誇らしげに見上げる青年。

 沖野鉄郎。二十一歳。

 蟹江技研の開発部に籍を置く、入社三年目の社員だ。

 ただ、それなりに聞こえる肩書きとは裏腹に、顔には少年の面影が色濃く残っている。鼻の周りに散ったソバカスやいたずらっぽい目からすると、青年と呼ぶにはまだ早いように思える。

 そんな童顔体質を気にしてか、髪にはふんわりとしたデザインパーマをあてているようだが、それが大人の男感に繋がっているかといえば、首を傾げざるをえない。一応かたちになってはいるものの、大リーグに行った日本人選手が移籍した途端にヒゲを伸ばすような、そこはかとない違和感、無理やり感を漂わせている。

 本人にとっては、それはオシャレでやっているというより、「舐められてたまるか!」という男の意地や見栄に近いものなのかもしれない。

 男臭さとはほど遠い、線の細さも特徴だろう。きゃしゃな体型をカバーしようと、わざわざブカっとしたツナギ状の作業着を着ているようだが、それがむしろ体の細さを際立たせてしまっている。

 イマドキっぽい容姿と言えばその通りだが、子供っぽさやきゃしゃな体つき、それらすべてがある種のコンプレックスだった。


トラックの荷台に積まれた積載物を見上げていた沖野は、無意識の内にそれを覆っているシートに手を掛けそうになった。が、慌てて手を引っ込めた。

 沖野は、その積載物の中身がどんなものか知っている。しかし、今、そのベールを剥いでしまっては、後の楽しみが半減してしまうことも、また知っていた。プレゼントを渡すより先に、それに自分の手垢が付いてしまっては、興ざめである。喜びの瞬間は、この品を発注したクライアントと共有したい。

 沖野は、その光景を想像して、一人ニンマリした。

 わざわざ早起きして、誰もいない格納庫に足を運んだのは、トラックの荷台をのぞき見るためではない。格納庫の内部、自分が同僚たちと汗を流して作業に勤しんだ、この仕事場の光景を目に焼き付けるためだった。

 というのも、沖野が二〇××年の入社以来、三年間通い詰めた場所に日参するのは、この日が最後になるからである。今日、二〇××年五月一日をもって、納入品と共にクライアントへ出向の身となるのだ。

 三年間、世話になった部室を後にするような感慨がある。しかし、決して感傷的な気分になっているわけではなかった。

 むしろ、社長から直々に出向を命じられた瞬間は、小躍りしたくなるほどうれしかった。なぜなら、出向先での業務が、願ってもないものだったからである。子どものころからの夢は、今の会社に入ったことで半分はかなった。残りの半分は、出向先の会社でかなえることができる。

 沖野は、自身の恵まれた境遇に、改めて感謝した。


 三年前、高校卒業後、蟹江技研に就職した沖野は、希望通り開発部に配属された。それから今に至る時間は、文字通りあっという間に過ぎ去った。

 ほとんどの時間は、見て学ぶ、やって学ぶ、失敗して学ぶことに費やされた。トラックの積み荷は、入社二年半を過ぎ、初めて開発リーダーを任された代物だ。

 その抜擢は、異例中の異例だったと言っていい。製造のライン責任者くらいなら、二十歳そこそこの若造が就いた前例はある。が、開発リーダーとなると、蟹江技研創業以来、初めての大胆な人事だった。

 もちろん、沖野自身に才能があったことは言うまでもない。先輩や同期を押しのけて、その任務を与えられたのは、単なる〝好き〟を超越した、沖野自身の実力によるところが大きかった。背景には、年功序列を拠り所にしない、あっけらかんとした社風もある。

 現在の時間は、朝七時をちょっと回ったところ。フレックスタイム制が導入されている蟹江技研で、沖野は普段、十一時ごろの出社を日課としている。いつもより四時間近く早いのは、巣立ちの時を迎えた職場で一人感慨にふけるためと、もうひとつ、それとは比べものにならないくらい大きな理由があった。

 トラックの荷台に積み込んだ商品を、朝一でクライアントに届ける手はずになっているのだ。

 思い起こせば、ここに至るまで、楽な道のりではなかった。開発の難しさ、手間、労力は、最初から覚悟していたこともあって、特段語るようなことはない。むしろ、沖野個人からすれば、幼少期から思い描いてきた空想を、現実のものにするという高揚感の方が勝っていた。開発を任されてからの半年は、沖野にとって至福の時間だったと言える。

 ただ、唯一計算外だったのは、クライアントが直前になって納品を急かしてきたことだった。当初、納期は来週の予定だったのだが、急きょ「一週間早めてほしい」と打診されたのだ。

 それでも、沖野のモチベーションは下がらなかった。というより、むしろ上がった。文化祭前日にクラスみんなで徹夜するようなワクワク感さえあった。

「オレがどんだけ無理ゲーをクリアしてきたと思ってんの? やれるに決まってるっしょ!」

 納期の前倒しを受け、そんな独り言を口にしたことを思い出す。

 実際、沖野は今回の無理ゲーも余裕でクリアした。ここ数日、徹夜状態でソフトウェアのデバッグを行い、その合間を縫うように電気系統の最終調整を行った。が、疲労感はまったく感じていなかった。

 準備は万全。あとはモノをトラックでクライアントに届けるだけ。大型免許を持つ運転手は、八時にはここに現れることになっている。朝の渋滞を考慮しても、クライアントのもとに九時前に到着できる算段だ。

 沖野は、トラックに同乗し、クライアントに商品をお披露目。そのまま出向初日を迎えることになる。

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