第26話

 龍眼島東端の港に、武藤が舵を握るプレジャーボートが着岸する。

 防波堤に飛び移った武藤が、下ろしたロープを係留柱にくくりつけ、船を固定した。親指を立てて、ブルバスターにOKサインを送る。

 重心を安定させるために、艀の上で腰を落としていたブルバスターが立ち上がり、箱罠を持ち上げて防波堤に降り立つ。

 その間に、武藤がヘッドセットで交信を始めた。

「こちら武藤。本部、聞こえるか?」

 イヤホンから田島のクリアな音声が届く。

「こちら本部。問題なく聞こえます」

「島に上陸した。次の段取りに移行する」

 次の段取りとは、アル美が一人、ブルバスターを操縦して、二階堂家に罠を仕掛けに行くということである。

 ヘッドセットは当然、アル美も装着している。田島は、武藤とアル美の双方に伝える意図で、慎重な行動を促した。

「暗い中での作業になるから、くれぐれも注意してくれ」

 二人は、「おう!」、「はい」と同時に答えた。

「じゃ、アル美、頼んだぞ!」

 武藤の呼び掛けに「了解」と短く応じたアル美が、ブルバスターを発進させる。

 その姿を、船のそばで見送る武藤。作戦会議では、沖野の初陣の時のように、軽トラで伴走するという案も出されたが、却下された。緊急事態に備え、退路の確保を優先すべきだ、との判断である。天候が荒れる見込みのため、残った者が海の様子を常に把握しておくというのも理由のひとつだった。


 箱罠を抱えたブルバスターが、島のメインストリートを走り抜けていく。

 周囲は、耳鳴りがするほど不気味な静寂に包まれている。そのため、走行音だけが異様に大きく聞こえていた。

 本来、ブルバスターの装輪走行モードは、電気自動車並みの静音設計なのだが、この日は自重の上に箱罠の重量も加算されているため、舗装路を進みながらドゥゥーンというような重低音を響かせてしまっているのだった。

 走行中の視界は、機体の前面に装備されたライトが放つ光の範囲に限られている。しかし、アル美はそれで問題なかった。地理や道の状態を把握しているのは、元島民の強みである。

 市街地を抜けた先の分岐点。北に延びる道に進路を取る。

 緩やかな傾斜を上った先には、二階堂家を含む集落がある。

 アル美は、前方に倒壊した家屋群が見えてくると、ライトを消し、暗視モードに切り替えた。

 前面のスクリーンが、赤外線カメラのような緑がかった映像に変わる。色を失った景色に見づらさを感じるが、そこは慣れるしかない。

 ブルバスターは、いよいよ二階堂家付近まで到達した。

 しかし、アル美はそこでいったんブレーキを掛け、機体を九十度旋回させた。その場で歩行モードに切り替え、目の前の月極駐車場に入っていく。

 ブルバスターの巨体では、二階堂家と隣家の隙間を通り抜け、裏庭に回り込むことができない。そのため、三軒手前にある、この駐車場から裏手に回り、茂みを突っ切って裏庭に出ようというのだ。

 藪をかき分けて進んでいくブルバスター。なるべく物音を立てたくなかったが、半年以上も人の手が入っていないため、草木は伸び放題で、一歩進むたびに、ガサガサ、パキパキという音を発してしまう。

 茂みを抜けると、開けた場所に出た。二階堂家の裏庭である。

 先日の雨にもかかわらず、花壇には、いまだに巨獣の大きな足跡が残っていた。庭の隅には、ひっくり返された犬小屋が転がっている。

 それらを目の当たりにして、アル美の中で再びやり切れない思いが膨らんでいった。時間を巻き戻すなんてできないことも、悲しみを抱えているのが自分だけでないことも分かっている。ただ、それでも幸せだったころの痕跡を目にすると、家族と共に過ごした時間を思い出してしまう。

 しかし、今はそんな個人的な感情にとらわれている場合ではない。

 アル美は、感情を切り捨てて、やるべき仕事に取り掛かった。

 箱罠を、元々犬小屋があった場所に設置する。回収のことを考えれば、庭の真ん中辺りに置くのが上策かもしれないが、アル美にはその場所こそふさわしいと思えた。

 罠のセッティングを終えると、アル美は周囲を警戒しながら、コックピットを出た。手には、ドッグフードの袋を手にしている。

 それは、シロの大好物だった銘柄。作戦会議では、本当にそんなものでおびき寄せることができるのか、議論になった。片岡からは、生肉や臭いの強い生魚などの方が、効果があるのではないかという意見も出されたが、結局のところアル美が提案したドッグフードに落ち着いた。

 今回の作戦では、元々はイヌだったことが確定している個体を確保することに意味がある。それを分析することで、謎の多い生態を一気に解明できる可能性がある。ただ、同じ小型タイプの巨獣でも、別の個体が入ってしまっては、元の生物組成が分からないだけに、解析の期待は半減してしまう。

 好物のドッグフードを選択したのは、シロをピンポイントで捕獲したいという狙いがあってのことだった。

 アル美としては、他の餌ではなく、それにこそ反応してほしいという思いがある。もし、食べに来てくれるのであれば、少なからずシロに昔の記憶が残っているということ。そう信じたいのだった。

 箱罠の中に入り、床にドックフードを広げていくアル美。本当なら、シロが使っていたフードボールにでも入れてあげたいのだが、二メートル近い巨体になってしまった今、サイズ的に無理がある。

 餌をまくにつけ、アル美の鼻腔を懐かしい匂いがくすぐった。それはまだ、シロがこの庭を元気に走り回っていたころの記憶。縁側には、父、母、弟。温かい家族の団らんが、ここにはあった。

 アル美は、作業を終えると、優しい記憶を振り切るように、ブルバスターに駆け戻った。

 相手は、臭いで人間の存在を感知している可能性がある。警戒心を与えないため、ブルバスターはいったん、港まで戻る段取りになっている。天気を見ながら、ギリギリまでそこで待機するつもりだ。

獲物が入って扉が落ちれば、機内のアラームが鳴る。それを待つしかない。

「こちらブルバスター。箱罠の設置、完了しました。今から港に戻ります」

 アル美からの通信に、港で待機中の武藤が、「了解」と答えた。


 武藤は手持ちぶさただった。

 アル美から通信があった後、船の横で一人、海を眺めているしかなかった。

 その海も、見始めて数分で飽きてしまほど凪いでいる。風も波も無いため、周囲は異様な静けさに包まれている。

 明日、天気が崩れるなんて嘘なんじゃないかとさえ思えてくる。

 時計を見ると、時刻は午後十時前。

 日付が変わる前に、罠に掛かってくれればラッキーなんだが。武藤がそんなお気楽なことを考えていると、遠くからブロロロロ~という耳慣れないエンジン音が聞こえてきた。

 音の方向に目を凝らすと、南東の岩礁帯に接岸する小型船が見えた。

 手漕ぎボートの後部にエンジンを無理やり付けたような、簡素な船であることが遠目からも見て取れる。

 釣り人だろうか? クーラーボックスらしい荷物を肩から提げ、岩場に飛び移るシルエットが見えた。

 武藤は、船の収納庫から懐中電灯を引っ張り出すと、足元を照らしながら人影の方に向かった。夜の岩場は予想以上に歩きにくかったが、追い掛けないわけにはいかない。ヌルつく地面によろけながら、アル美に一報を伝えた。

「おい、アル美、聞こえるか?」

 装輪走行モードで港に帰還中のアル美が、「はい」と応じると、武藤が状況を説明する。

「島の東側の岩場に、不審船が着岸した。恐らく釣り人だと思う。この島、立ち入り禁止だっての知らねぇのかな。今、警告に向かっているところだ。そっちは異常ないか?」

 持ち場を離れることになるので、念のための確認だった。それに対して、アル美は問題ないとばかりに簡潔に答えた。

「異常なし。あと十分で港に戻れると思います」

「オーケー。何かあったらすぐ知らせてくれ」

 武藤は、そう念を押してから、今度は田島に呼び掛けた。

「本部、今の聞こえてたろ? これから不審者に接触する」


 波止工業、管制室。

 武藤からの通信を受け、田島が「了解。慎重にお願いします」と応じた。

 田島がそう要望したのには、ふたつの理由があった。

 ひとつは、不用意に大きな物音を出して、周囲に潜んでいるかもしれない巨獣を刺激しないようにという配慮。一般人が襲われたとなれば大問題だ。

 それについては、武藤も承知しているに違いなかった。上陸しようとしている人影に大声で呼び掛けなかったのは、そのためだろう。

 もうひとつは、問題の不審者が、本当に不審である点。武藤は、単なる釣り人と思い込んでいるようだったが、それにしては行動に不可解な点があることに、田島は気づいていた。

 問題の人物は、なぜ目と鼻の先にある港を利用しなかったのか。釣り人であれば、夜の岩場に船を着けるのがどれほど危険なことかくらい知っているはずだ。港に設置されている監視カメラを避けるため、とも考えられるが、リスクとリターンの需給が釣り合わない。

 田島には、他に目的があると思えて仕方なかった。だからこそ、「慎重に」と警告を発したのだが、その意図が武藤に伝わっているか心配になる。

 不安げなのは、田島ばかりではなかった。

 沖野、片岡、みゆきも、管制室に詰めていたが、今は黙って、作戦が無事に成功するよう祈るしかなかった。

 ちなみに、〝黙って〟というのは、文字通りの意味である。現場が混乱するのを避けるため、本部から通信を行うのは、基本一人。また、その一人も、監視カメラから読み取った情報など、現場に即、影響が出るような重要な用件以外、極力通信を行わない決まりになっている。

 要するに今、管制室でマイクに向かって声を発していいのは、田島だけなのだ。

 それが分かっているだけに、沖野は落ち着かなかった。何も見えないのは分かっていても、つい窓の外の龍眼島にばかり目がいってしまう。

 みゆきは、田島の隣に立ち、心配そうな表情を浮かべている。祈りを捧げるように胸の前で組んだ両手は、小さく震えているようにも見える。

 片岡は、モニター前に陣取り、パイプイスにドカッと腰を下ろしている。その場にいる者の中では、一番落ち着いているように見えるが、先ほどからずっと組んだ足の爪先が小刻みに揺れていた。

 武藤が向かっている東側の岩場、及び斜面の茂みには、監視カメラが配置されてない。本部が受け取れる情報は、武藤からの音声のみだった。

 田島は、背中にジットリと嫌な汗が浮いてくるのを感じた。


 男は、凪いだ海を一瞬振り返って、自分にツキが残っていたことに感謝した。

 実際、ここに至るまでの自分は、不運の連続だった、と思う。

 今思えば、すべての始まりは、動画サイトに気まぐれで投稿した事故映像。好きなアーチストのポスターを街で見つけて、たまたまスマホのカメラを回し始めた時、目の前で派手な交通事故が起きた。その動画を何の気なしに撮影し、投稿したところ、再生回数は一万を超え、グッド評価もそれなりに付いた。

 いくばくかの収入も得られ、完全に調子に乗ってしまったのが運の尽きだった。通っていた美容師の専門学校を辞め、『ナイロン』という意味の分からないアカウント名で、ユーチューバーを目指したのが三年前。

 その後の自己紹介は、実に簡単だ。鳴かず飛ばずのまま、今に至る。これだけでいい。

 黒縁メガネに茶髪をトレードマークにしているが、それをトレードマークと思っているのは本人だけである。ネット広しといえど、今、ナイロンの動向に注目している者など、誰一人としていなかった。

 龍眼島への上陸は、本人にとって起死回生の一手だった。

 火山性ガスによる全島避難。島はもぬけの殻でゴーストタウン化。しかも、フェイク動画とされる未確認生物の〝衝撃映像〟が拡散されたばかり。龍眼島は今、ネット民の間で、ホットな島として注目を集めている。

 男は、そこに目を付けたのだった。上陸に夜間を選んだのは、映像に臨場感を加えるため。釣り人を装っているのは、海上保安庁などの公的機関にとっ捕まったとき、言い訳をするためである。

 岩場から続く斜面の茂みを半分くらい登ったところで、男はクーラーボックスからビデオカメラを取り出した。ナイトビジョンなら、眼下の海や荒々しい岩肌も捉えることができるだろう。こうしたインサート映像も、雰囲気を盛り上げるのに一役買ってくれるに違いない。再生数がうなぎ登りに上昇していく様が思い浮かび、思わずニンマリする。

 はやる気持ちを抑え、手にしたカメラの電源に指を掛ける、その時、不意に斜面の上から物音が聞こえ、ビクっと手を止めた。

 最初、船のエンジン音かと思ったが、そんなものが斜面の上から聞こえてくるはずがない。空耳であってほしいと思いつつ、念のため耳を澄まして様子をうかがう。

 すると、今度はさっきよりも近い場所から、グルルルルゥ~という、明らかに生き物が発したと思われる、うなり声が聞こえてきた。

 カエルか何かだったらいいな……と思ったが、それはすぐに希望的観測であることが分かる。音がした方に目を向けると、カエルとは比べものにならないくらい〝大きな何か〟が、ガサガサと茂みを揺らしながら近づいてくるのが分かった。

 野犬かイノシシか、最悪クマだ。

 男は上陸前、野生動物と遭遇できればラッキー! などと安易に考えていた。しかし、今になってようやく、自分の目論見がいかに無謀なものだったのか肌で感じていた。動画など撮影している場合ではない。

 恐怖なんて言葉では表現しきれない感覚に襲われ、全身が硬直する。脳みそは、さっきからずっと、海まで駆け下りろ! と指令を出しているのだが、体がまったく言うことを聞かない。駆け下りるどころか、後ずさりをした途端、その場に尻餅をついてしまった。

 そうこうするうちに、不気味なガサガサ音は、目の前まで迫っている。

 やられる!

 そう感じた瞬間、背後から肩をつかまれた。

 驚いて振り向くと、そこには鬼の形相をしたスキンヘッドの大男がいた。

 武藤である。

 男の喉元から「ヒッ!」という声にならない悲鳴が漏れた。武藤は、その反応を無視して男の肩をグッとつかむと、持ち上げるようにして立ち上がらせ、体を海側にクルッと反転させる。

「バカ野郎! 早く逃げろ! クマだ!!」

 そう叫ぶと、男の背中をドンッと押し、斜面を走り降りるよう促す。

 武藤には、敵がクマではないことが分かっていたが、こんなところで守秘義務を破るわけにはいかない。男に逃げる気を起こさせるのに、もっとも適した野生動物がクマだ、と瞬間的に思いついたのだった。

 武藤は、いまだにモタついている男の背中を押しつつ、ヘッドセットを通じて緊急事態を知らせた。

「アル美! 敵だ、敵が出た!」

 通信でも〝巨獣〟という単語を使わなかったのは、もちろん目の前を走る不審な男の耳を気にしてのことである。

 その間も、巨獣は背後から迫ってきていた。

 しかし、二人の敵は巨獣だけではなかった。巨獣が移動時に立てる震動により、斜面が土砂崩れを起こし掛けている。

 先ほどから、武藤たちを追い越すように、パラパラと小石が転がり落ちていた。と、一際大きな石が茂みから飛び出し、避ける間もなく男の右足に直撃した。

 男は転倒した拍子に、側頭部を岩に打ちつけ、そのまま気絶してしまう。

 それを見た武藤は、「クソッ!」と悪態をつきながら、男を担ぎ上げて再び走り出した。

 ヘッドセットからは、ずっと「武藤さん! どこ!?」というアル美からの呼び掛けが聞こえている。しかし、今はそれに応じる余裕がなかった。

 このまま斜面を降りるのは危険だ。そう判断した武藤は、方向転換し、島の南側に進路を取った。

 斜面に沿うように茂みを抜ければ、港がある防波堤に突き当たるはずだ。

 暗いせいもあって、巨獣の姿そのものは、まだ確認できていない。が、方向転換した後も、着実に追ってきているのは分かる。

 ただ、敵も一瞬こちらの姿を見失ったのか、ほんの少しだけ距離を稼ぐことができた。その隙を逃さず、武藤がアル美に状況を伝える。

「東側! 岩場付近」

 そう言った矢先、目の前が急に開け、武藤は慌てて訂正した。

「いや、違う! 南の浜に出た!」

 龍眼島の南端は、湾曲した入江状になっていて、その奥に港が作られている。武藤は茂みを抜けるとすぐ、護岸された港に出ると思っていたのだが、予想に反して、内湾は小さな砂浜になっていた。港は見えるが、まだ百メートル以上先だ。

 視界が開けて、自分の現在地が正確に認識できたのはいいが、それは同時に、敵からも自分たちの姿が丸見えになっていることを意味していた。

 武藤は、瞬間的に善後策を練る。

 七、八十メートルほど離れた場所に、港の管理棟が見える。台風にも耐えられるように作られた、コンクリート製の頑丈な建物である。そこに逃げ込むことができれば、少なくともブルバスターの到着までは持ちこたえられるはず。

 即座にそう算段した武藤は、男を背負いながら、必死に砂浜を走った。

 そのとき、背後から、腹の底まで響くような、重い咆哮が聞こえてきた。

 グロロロロウゥゥゥ!

 恐怖で思わず振り返る武藤。見ると、茂みの中から、体長六メートルはあろうかという巨獣が、躍り出てくるところだった。

 両者の距離は、およそ二十メートル。

 向き直り、再び前に進むことに集中する武藤。しかし、振り返る直前、視界の隅で、巨獣が走りながら前屈みに体を沈み込ませるのが見えた。

 あの時と同じだ!

 武藤の脳裏に、校庭を軽トラで逃げ回った時の記憶が蘇る。あの時、巨獣は身を屈めた次の瞬間、大ジャンプして襲い掛かってきた。

 走行中の車でさえ、ひとっ飛びで軽々と追い越された。怪我人を背負い、生身で走っている今の自分が、その攻撃を避けられるとは思えない。

 武藤は、自分の心がポッキリと折れる音を聞いた。

 背後から、砂をズザッと蹴る音が聞こえ、巨大な何かが空気を切り裂き、頭上から近づいてくる気配を感じる。

 これまでか……!? 最悪の想像が頭をよぎる。

 ガシュッという音と共に頭から噛みつかれ、ボリボリと骨を砕かれ、ジュルジュルと内臓をすすられる。身の毛もよだつ空想。

 しかし、次に武藤の耳に届いたのは、まったく違う衝撃音だった。

 キュイィィン。シュパパパパッ!

 それは、聞き覚えのある発射音。

 ブルバスターの機関砲から次々に弾が吐き出される音である。

 武藤が振り返ると、襲い掛かろうと飛び上がっていた巨獣が、空中で腹に銃弾を浴び、そのまま真横の吹き飛ばされるところだった。

 音の発生源に目を向けると、五十メートルほど離れた砂浜の端に、ブルバスターの姿があった。

「武藤さん! 今のうち!」

 ヘッドセットから聞こえてきたアル美の声に弾かれるように、武藤は男を背負い直すと、「サンキュッ!」と言って再び走り始めた。

 ただ、目指す目的地は変更していた。ブルバスターが駆けつけてくれた今、向かうべき場所は、港に係留してある船だ。本部の田島に確認するまでもなく、一般人の救出が最優先される。

 砂浜を抜け、岩場を突っ切って港に向かう武藤。月明かりだけを頼りに、がむしゃらに前に進む。大人の男を背負っての逃避行。とうに体力は限界を超えている。次第に足元がおぼつかなくなり、岩を踏み外して、向こうずねを強打した。

 が、アドレナリンが噴出しているせいか、不思議と痛みは感じなかった。

 まだまだぁ~! 自分に気合いを入れ直す。

 武藤は、ブルバスターと巨獣の方を一度も振り返ることなく、全力でプレジャーボートに向かった。


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