第21話

四章「今そこにある危機」


 朝。波止工業、管制室。

 開け放たれた窓から、初夏の爽やかな風が吹き込んでいる。

 しかし、その清々しさとは裏腹に、部屋には穏やかならざる空気が漂っていた。アル美、田島、武藤が、作戦会議用の机を囲み、深刻な表情で話し込んでいる。

「ってことは、だいたいイノシシくらいの大きさってことか……」

 田島の言葉に頷くアル美。

 龍眼島から戻ったのは、三時間ほど前のこと。

 小型の巨獣と遭遇したものの、なぜか水中銃の引き金が引けず、一時は茫然自失の状態に陥ってしまった。そこから気持ちを立て直し、周辺を捜索したのだが、問題の個体は見つからなかった。

 仕方なく帰還しようと水上バイクを乗り捨てた砂地に戻ったころには、空が白み始めていた。

 アル美が自転車で波止に帰り着くと、社屋の前には険しい表情の田島が立っていた。アル美の姿を見つけた途端、心底ホッとしたような顔に変わったところを見ると、どうやら一晩中、アル美が帰って来るのを待っていたらしい。

 アル美は、戻るや否や、島での出来事を報告しようとしたが、田島はそれを制した。まず、アル美に怪我がないことを確認し、大丈夫だと分かると、まだ乾き切っていない服を着替えて、宿直室で仮眠を取るよう指示した。

 一刻も早く報告を、と気が急いていたアル美だったが、田島の言葉で冷静さを取り戻し、自分でも少し頭を整理してからと思い直して、素直に指示に従うことにした。

 仮眠を取り、宿直室を出ると、すでに早番の武藤が出勤していた。

 田島は、改めて体調に異変がないことを確認すると、武藤も同席させ、アル美から昨晩の報告を聞いたのだった。

 それを受け、武藤は自身が抱いた第一印象を口にした。

「そのアル美が見たってちっこいヤツ、巨獣の子供なんじゃないか?」

 田島も同じイメージを持ったようで、「うむ」と同意する。

「巨獣が交配して、子供を産んでるんだ。だから増え続けてる」

 武藤が言ったその推論にも同意だったようで、田島は思案顔でつぶやいた。

「その巣を突き止められれば、全滅させられるかもしれないな……」

 三人が各々、今後のことについて思いをめぐらせ始めたとき、管制室のドアが勢いよく開けられ、片岡がドカドカと入ってきた。

 朝のあいさつをしようと、口を開き掛けた一同だったが、機先を制するように片岡が口火を切った。

「二階堂君、困るじゃないか!」

 怒気をはらんだ声を、アル美にぶつける片岡。何のことだか分からず、困惑したアル美が眉根を寄せる。それを見た片岡は、とぼけるんじゃないとばかりにまくし立てた。

「社長からのメールで知ったよ。昨日の夜、あんなにしけた海を水上バイクで渡ったんだって? 言語道断だよ、まったく!」

 そのことか、と合点がいったアル美は、いきさつを報告しようと片岡に向き直った。が、アル美が話し始める前に、今度は悪巧みでも相談するような声で、片岡が尋ねてきた。

「誰にも見つかっていないだろうな?」

 アル美は、片岡の意図を察しかねて、「は?」と戸惑いの声を発する。

 片岡は、いら立ったように、同じことを問い直した。

「水上バイクで夜中に出て行ったところを、誰にも見つかってないかと聞いているんだ!」

 アル美は、それでも片岡の意図が掴めなかったが、事実は事実として「はい」とだけ答えた。

 すると片岡は、田島の方に向き直り、妙なことを聞いた。

「海上保安庁からも、連絡はないね?」

 田島も、片岡が何を確認しようとしているのか分からなかったが、とりあえずの状況として、「はい。今のところは」と返した。

 それを聞いた片岡が、ふぅ~と大きなため息を漏らし、質問の意図を説明した。

「まったく、不幸中の幸いだったな。水上バイクでの夜間航行は、法令違反だ。誰かに通報でもされてたら、一巻の終わりだぞ。監督不行き届きを問われて、最悪、業務停止だ」

 田島とアル美は、そこでようやく片岡が言わんとしていたことを理解した。が、今はそんな些事にとらわれている状況ではない。田島は改めて片岡の小言を封じようと口を開き掛けたが、その前に武藤が食って掛かった。

「あの~、経理部長殿、お言葉を返すようですがね」

 そこに慇懃無礼なニュアンスを感じ取った片岡が、武藤をにらみつけながら問いただす。

「何だね?」

 武藤は、高圧的な物言いにひるむ様子もなく、片岡をにらみ返しながら問い掛けた。

「おたくの会社の現場作業員がですね、業務を遂行するため危険を顧みずに、夜の海に出て行ったんですよ。まずは、無事だったかどうかを確認するのが、筋ってもんじゃないでしょうかね?」

 片岡は、アル美の方に顔を向け、わざとらしく視線を上下させると、フンッと鼻を鳴らして言った。

「どこも怪我してないじゃないか。無事かどうかなんて一目見りゃ分かる。そうだろ?」

 最後の「そうだろ?」は、アル美に向けた念押しだったが、反応したのは武藤だった。

「はぁ!?」と言って立ち上がり、つかみ掛からんばかりの勢いで片岡に近づく。しかし、アル美がそれを遮るように立ち上がり、片岡の目を見据えながら言った。

「責任は取ります。懲戒処分にでも何でもしてください」

 すると、今度は田島が割って入った。

「いや、私が命令したんです! 私の責任だ」

 片岡は、ふぅ~と再び深いため息を漏らすと、空いていた席に腰を下ろし、机の一点を見詰めながらブツブツと言った。

「何だよ……。みんなして寄ってたかって、俺一人が理不尽なことを言っているみたいじゃないか。田島さん、アンタがそんなことじゃ困るんだよ。万が一、二階堂君が怪我をしたり、船舶免許取り消しにでもなったら、どうやって仕事を回していくんだ?」

 片岡の言い分はもっともだった。田島が何も言い返せないでいると、内省するような重いトーンで続けた。

「沖野君が出勤停止。二階堂君も離脱となれば、武藤君一人で回さなきゃならないんだぞ。おまけに島に渡る船もなくなっちまったんだ。これ以上、厄介事を増やさないでくれよ……」

 片岡がうなだれ、場に嫌な空気が流れる。

 その沈黙を破るように、管制室のドアが勢いよく開いた。入ってきたのはみゆき。手には一枚のコピー用紙を携えている。

「社長! 見積もりが出ました!」

 そう言いながら、持ってきた用紙を田島に手渡す。

 と同時に、経理用語に反応した片岡が顔を上げた。

「ん? 見積もり!?」

 その疑問に田島が答える。

「捕獲用の箱罠の見積もりです」

 捕獲用? 箱罠? 田島の口から耳慣れないワードが出てきて、片岡の疑問はむしろ大きくなった。

「聞いてないが……」

 口うるさい片岡にこそ、順を追ってしっかり説明しなければならないと考えていた田島だったが、行き掛かり上すっかり逆になってしまった。しかし、こうなっては仕方ない。事の成り行きを、さかのぼって説明する。

「二階堂さんが、島で巨獣の幼体と見られる個体を目撃したんです」

 田島の口からまたも発せられた耳慣れないワードを、片岡がそのまま返す。

「幼体?」

「体長一・八メートルほどで、毛が無く、巨獣そっくりの外見をした生物です。それが、巨獣の子供ではないかと」

 田島に、「だよな」と振られたアル美が、コクリと頷く。

 片岡に食って掛かるのをアル美に止められた後、手持ちぶさたに突っ立っていた武藤が、元のイスにドカッと腰を下ろし、中空を見上げながら言う。

「そんなに小さいヤツは初めてだ。それなら生け捕りにできるかもしれない」

 アル美から報告を聞くため、管制室に社員が集められた際、実は最初だけみゆきも同席していた。しかし、おおよその経緯を聞いたところで、田島はかねてから懸案事項であった生体捕獲のチャンスだと思い至り、みゆきに罠の見積もりを取るよう指示を出していたのだ。

 事のいきさつは理解したものの、片岡は納得したわけではなかった。田島が机に置いた見積書をひったくるように奪った片岡が、険しい表情を浮かべながら中身を吟味する。そこには、おおよそ次のようなことが書かれていた。

 アニマルトラップ(捕獲檻)。イノシシ、シカ等、大型獣用箱罠を、二メートル超級にも対応可能に調整。補強・加工費など含め、良心特価五十万円(税別)。

 経理を担当する自分のあずかり知らないところで、具体的な見積もりを出すまで話が進んでいることに驚いた片岡が、ストップを掛ける。

「ちょっと待ってよ! 私の承認なしに物事を進めて、通ると思ってるの?」

 しかし、指示を出した張本人である田島は、強引にでも話を進める腹積もりのようで、一歩も引く気配はない。

「生け捕りにできれば、正体を解明できるかもしれないんです!」

 武藤も、現場の人間として、田島の意向を後押しする。

「シオタバイオの猪俣のおっさんも言ってたんだ。生体さえあれば、ってな」

 実際のところ、猪俣は生体の解析を確約したわけではなかったが、そうでも言わないと片岡には伝わらないと思い、武藤は多少、話を盛った。それでも、片岡は首を縦に振ろうとはしなかった。

「今のウチに、そんなモノ作ってる余裕があるわけないだろ!」

「何とか見繕いましょう」と、田島が提案しても、取り付く島がない。

「金があるなら、今は船を借りる方に回すべきだろう。第一、その箱罠とやらを、どうやって島に持って行くんだ」

 田島たちに落胆が広がる。希望が見えていただけに、ショックは小さくなかった。そんな雰囲気などお構いなしに、片岡がさらなる追い打ちを掛ける。

「生け捕りうんぬんの前に、島に渡ることさえできないじゃないか。罠の前に船。船の前に金。結局、金が無かったら、何もできないんだ」

 田島は、グウの音も出なかった。「何とか見繕いましょう」と言ってみたものの、実際にあてがあるわけではまったくなかった。

 個人的な貯金は、波止工業設立のために使い果たしてしまったし、現在の財務状況では、金融機関から新たな融資を受けられるとも思えない。また、問題を起こして謝罪に出向いたばかりの今、親会社に援助を請うのも難しかった。

 すなわち八方塞がり。短気な武藤が、やり場のない怒りを吐き出す。

「金、金、金かよ、クソッ!」

 片岡を中心に経費の件が話し合われている間、アル美は、心ここにあらずといった顔で、ずっと黙り込んでいた。それに気付いた田島は、小型巨獣について、何か他に気がかりなことがあるのかと尋ね掛けたが、口を開く前に思い留まった。利発なアル美が、ぼんやりと考え込んでいるということは、考えがまとまっていない証拠だ。今、問いただしても意味がない。

 それよりも、目下の懸案事項に向き合うのが先決だ。田島が重い口を開く。

「片岡さんの言う通り、まずは船を何とかしないと」

 しかし、起死回生の打開策が、天から舞い降りてくるはずもなく、場に嫌な沈黙が流れる。そんな重い空気を変えたのは、みゆきの意外な発言だった。

「私、今日のお昼は、いつものお弁当に杏仁豆腐のデザートを付けようと思います!」

 突然何を言い出したのかと、あ然とする一同。そんな空気などお構いなしに、みゆきは続けた。

「だって、これからもうひと頑張りするんですから、それくらいのご褒美がないと!」

 みゆきはそう言うと、スクッと立ち上がって、事務室に続くドアに向かった。

 それは、折れかけていた一同の気持ちを奮い立たせるための、みゆきなりエールだった。その場にいた全員が、それに気付き、自分が今、やるべきことに動き出す。

 田島は、みゆきの気遣いに感謝しつつ、頬をパンパンとはたいて、萎えそうになっていた自分に活を入れ直した。


 海沿いの道。

 昨晩降った雨が、歩道のところどころに水溜まりを作っている。

 いつもだったら、ただ走り抜けていくだけの場所だったが、この日のアル美はそんな気分になれず、愛車のクロスバイクを押して歩いていた。

 別に、自転車に乗れないくらい強い眠気に襲われているわけでも、体調が悪いわけでもない。ただ、アパートに戻る前に、自分の中で考えをまとめておきたいという思いがあり、あえて歩いているのだった。

 視線の先には、沖合に霞む龍眼島の島影。

 昨晩の出来事が脳裏に浮かぶ。

 朽ち果てた自宅の裏庭で遭遇した小型の巨獣。頭部に合わせた水中銃の照準。必中、必殺の間合い。引き金さえ引けば、確実に仕留められたはずだ。

 では、なぜあの時、そんな簡単なことができなかったのか。

 もう一度、問題の小型巨獣の姿を思い出してみる。

 体毛がなく、表皮はヌメヌメと濡れ光っていて、口からは鋭い牙がのぞいていた。そして、……そう、片目が潰れていた。

 そこで、ふと別の記憶がよみがえった。確か、沖野が龍眼島に初出動した際、学校で合流する直前に、奇妙な小動物を見掛けたと言っていなかったか? しかも、その生物の顔には、傷があったように見えた……と。

 もしかしたら、同じ個体なのかもしれない。

 そう考え至ったアル美は、途端に落ち着かない気持ちになってしまった。今すぐに確かめたい。その手段はひとつだけだ。

 やめておいた方がいいのではないか、という思いが浮かばないではなかったが、それ以上に確認せずにはいられないという衝動の方が勝っていた。

 アル美は、押していた自転車にまたがると、自宅アパートとは違う方向にペダルをこぎ出した。


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