第1章 組織の新たな憂鬱①

 夕日に照らされたアスファルトを、一台の大型トラックが走り抜けていく。

 ハンドルを握っているのは、二階堂アル美。

 ショートボブのヘアスタイルに切れ長の目。前髪で眉毛が隠れているため、表情は読み取りにくいが、この日はいつものクールな印象はなりをひそめ、どこかうれいを帯びているように見える。

 それでも、運転に迷いはない。手慣れた様子でシフトチェンジを繰り返し、片側二車線の道路を走る乗用車を、縫うようにして追い抜いていく。

 アクセルを踏み込む力強さから、少なからず先を急いでいるのが見て取れる。

 アル美の隣、助手席の真ん中のシートには、沖野鉄郎の姿がある。

 鼻の周りに散ったそばかすや、華奢きゃしゃな体つきに少年の面影を残す沖野。何も考えていないようなカラっとした明るさが持ち味だが、表情はいつになく硬い。

 窓際の席には、田島鋼二たじまこうじが難しい顔をして座っている。

 ハの字型の眉毛のせいで、困ったような表情がデフォルトの田島だが、今は眉間に皺を寄せた厳しい表情で、無精髭をなでている。その姿は、見ようによっては怒っているようにさえ見える。

 と、前方を見据えていた田島が一瞬、運転席のアル美に視線を向けた。

 普段から感情を読み取るのが難しいアル美だが、今は田島にもはっきりと彼女が焦燥感に駆られているのが分かった。

 それでも、細身の体で大型トラックを操り、法定速度ギリギリで安定した走りを続けているアル美の精神力には、感心せずにはいられなかった。

 それと同時に、情けないような、申し訳ないような気持ちもわきあがってくる。

 現在、大型免許を持っているのは、波止工業の社員六名の中で二名。波止工業が建築会社の時代から大型を乗り回していた武藤銀之介むとうぎんのすけと、入社後、必要性を感じて率先して取得したアル美だけである。

 さらに言えば、波止で船舶免許を持っているのも同じ二人だ。

 本来なら、社長である自分が範を示すのが当然……とは思っているのだが、会社設立以来のバタバタで、そんな余裕などなかったというのが実際のところだった。

 ただ、それも言い訳にすぎないことも承知している。現に、主要取引先である蟹江技研かにえぎけんの社長である蟹江のぶは、大型トラックを当たり前のように駆り、自ら自社製品の〝配達役〟を買って出ることも少なくない。

 田島の口から、ふうっという小さなため息が漏れる。こんな非常事態だからこそ、移動中くらいは若い社員を休ませてやりたいのだが、それができないのが何とも歯がゆかった。

 それぞれに思うところがあり、空気は重い。会話はなく、車内には大型トラック特有の低いエンジン音と、重い荷物を積んでいることを示す地響きのようなロードノイズだけが聞こえている。

 田島同様、真っ直ぐ前を向いていた沖野だったが、ふと気になってチラリと頭上のバックミラーに視線を合わせた。

 ブルーシートにくるまれた四角い物体が、荷台に積まれているのが見える。それを目にした沖野の表情が、ますます硬く不安げになる。

 やがてトラックは、沖野にも見覚えのある交差点に差し掛かった。アル美が、ウインカーを出しながら、船の舵を切るようにハンドルをグルグル回す。

 右折するとすぐ、急勾配の坂の上に、コンクリートで覆われた特徴的な建物が見えてきた。


 株式会社シオタバイオ。

 その社名が掲げられた正門から敷地内に入ったトラックは、三階建ての社屋の横をすり抜け、別棟になっている倉庫の前でタイヤを軋ませながら急停車した。

 と同時に、運転席のアル美が掌底でクラクションを押し込む。

 ファーンというけたたましい音が、静まり返った敷地内に拡散していく。

 時計の針は五時三十五分を示している。

 九時五時の会社であれば、就業時間は過ぎていることになるが、完全に宵闇が訪れていない夕暮れどき。会社全体が、もぬけの殻になっているような時間帯でもない。

 社屋の通用口と倉庫の出入り口に交互に視線を向けながら、握ったハンドルをトントンと人さし指でタップしていたアル美だったが、三十秒ほど待っても動きがないことに業を煮やし、再び手のひらをクラクションにグッと押しつけた。

 ファーン。アル美たち三人のいら立ちを代弁するかのような警笛音だけが、構内にむなしく響く。

 もう三十秒待ってみたものの、やはり動きはない。

 待ち切れなくなった田島が、助手席のドアを開け、トラックを降りる。沖野もそれにならった。

 地面に降り立った田島は、仁王立ち状態で腕組みをしながら出入り口を注視したが、やはり人が出てくる気配はない。とはいえ、窓には明かりがともっているので、無人というわけではないだろう。沖野は、窓の内側に人影がないか、キョロキョロと見回している。

 その間、アル美はクラクションを鳴らし続けていた。

 すると不意に、事務棟の窓が開き、一人の中年男性が顔をのぞかせた。

 それに気づいたアル美が、ようやくクラクションの連打を止める。

 姿を見せたのは、波止工業との連携を取り仕切っているシオタバイオ総合研究所の獣医薬部で部長を務めている猪俣充。しかし、現れはしたものの、その表情は遠目でも分かるほど不愉快そうに歪んでいる。

 距離があるので実際に聞こえたわけではないが、田島たちには、猪俣がいまいましげに舌打ちしたのが分かった。

 それでも、建物から出てきて、話くらいは聞きに来るだろう。そう高をくくっていた田島だったが、猪俣はシッシッと野良犬でも追い払うような仕草をすると、そのまま窓を閉めてしまった。

 その態度を見た沖野が沸騰して声を上げた。

「ちょっと! こっちは用があるから来てるんですよ! 話を聞こうとさえしないなんて、あり得ないでしょう!」

 しかし、聞こえていないのか、聞こえていて無視しているのか、建物内の人間からリアクションはない。

 田島の顔をチラリと盗み見た沖野は、その悲哀に満ちた表情にやるせなさを感じ、さらに大きな声で呼び掛けた。

「こっちは社長が自ら出向いて来てるんですよ!」

 それを手振りだけで追い返そうとするなんて、社会人として、いや人間としておかしい! 沖野は、そんな思いで発言したのだが、田島が慌ててたしなめた。

「いや、沖野君。今は、社長が来たからどうって話ではないから……」

 田島の言葉には、シオタバイオと波止工業の格の違いも暗に込められていた。田島の中には、企業間のパワーバランスとして、これくらいの扱いを受けても仕方ないというあきらめの感情があるのかもしれない。

 とはいえ、沖野は納得できなかった。事務棟に怒鳴り込む勢いで一歩を踏み出す。が、アル美がドンと拳を打ちつけて鳴らしたクラクションの音に驚き、その場で立ち止まった。

 見ると、奥に引っ込み掛けていた猪俣が振り返り、不愉快極まりないという顔付きでこちらを見下ろしている。

 そんな表情などお構いなしに、再びクラクションを連打し始めたアル美。

 そのいら立ちは、沖野にも理解できた。むしろ、もっとやれと応援するような気持ちさえわいてくる。

 いっぽう、表情を歪めていた猪俣は、大きなため息をつき、窓際に戻ってきた。しかし、それでも窓を開けようとせず、左腕を胸の前に持っていき、腕時計を指差すジェスチャーを見せた。本日の業務は終了。明日出直して来いということのようだ。

 しかし、この日ばかりは、大人しく引き上げるわけにはいかなかった。

 田島は、猪俣の視線がこちらに向いている間が勝負と判断し、荷台に飛び上がると、四角い物体を覆っていたブルーシートを剥がしに掛かった。沖野も田島の意図を察し、手伝いに入る。

 その様子を、興味なさそうに眺めていた猪俣だったが、中身が見えると、ギョッとして大きく目を見開いた。

 荷台に乗せられていたのは、檻状の箱罠。その中で、得体のしれない生き物がうごめいている。

 体毛がない表皮。剥き出しの牙。つぶれてふさがった片目。

 それは、沖野とアル美が、龍眼島で捕獲した小型巨獣だった。

 体長は一メートルほど。高さ一・五メートル、奥行き二・五メートルの箱罠の中を、窮屈そうに徘徊している。

 事の発端は一年前。

 本土から沖合三キロメートルにポツンと浮かぶ孤島・龍眼島に、正体不明の巨大生物が出現し、八九名もの島民が殺害された。

 その事件の直後、島の北西部の森林から有毒ガスが発生。島民たちは全員、本土への避難を余儀なくされた。

 そこで立ち上がったのが、海水淡水化プラントの責任者を務め、島と深くかかわっていた田島だった。開店休業状態になっていた建設会社、波止工業を引き取り、謎の生物=巨獣の対策と島のインフラ維持に乗り出した。

 そして今、巨獣出現メカニズムの解明に役立つと思われる小型の巨獣を捕獲し、分析を担当しているシオタバイオに運び込んだのだった。

 耳障りなクラクションが消え、静寂が戻った周囲に、小型巨獣が体を鉄製の柵に打ちつける、ガシャン、ガシャンという衝突音だけが響いている。

 猪俣は、茫然自失といった様子で一度閉めた窓を開けると、引きつった表情で小型巨獣に視線を向けている。

 今がチャンスと判断した田島が、声を張って猪俣に呼び掛けた。

「今すぐに調べてください!」

 その声は、猪俣の耳にも届いたはずだが、反応はなかった。猪俣の目は、檻の中で動き回る不気味な生物に釘付けになっている。

 猪俣の無反応ぶりにいら立った沖野は、詰問口調で呼び掛けた。

「言いましたよね! 生きた状態で連れて来ることができれば、巨獣の正体が分かるかもしれないって!」

 普段の猪俣であれば、突っ掛かってくるような沖野の口ぶりを耳ざとく感じ取り、ネチっこく嫌みで応じてくるところだが、このときはまったく反応できずにいた。

 死骸は何度も目にしている猪俣だったが、生きて動き回っている巨獣を見るのは初めて。その衝撃で思考停止状態に陥っているのだ。

 それを見たアル美が、猪俣の許可を待たずに、トラックを倉庫の搬入口へと進めた。その行動には、驚いて固まっている暇などない。事態は一刻を争う、という抗議の意味も込められていた。

 しかし、猪俣が我に返るのは、それからたっぷり数分たってのことだった。

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