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 レースの向こうにうっすら見えた影は、思ったよりも小さく細かった。結局アディは王太子の声すら聞いていない。確かにベッドからアディたちの位置までは距離があったが、数歩ですむその距離でさえ彼の声は欠片も届かなかった。


「見目はよろしかったですの?」


 興味津々で聞いてくるスーキーに、アディは王太子の様子や、これから始まる王太子妃教育のことなどをぽつぽつと話した。アディが話すにつれて、スーキーの顔も次第に曇ってくる。


「そんなご様子なのですか。……王太子様は、大丈夫なのでしょうか?」


「王太子妃選びを急いでいるのも、もしかしたら王太子殿下の先行きが短いからかも…」


 今回のお妃選びは、先行きの少ない王太子の思い出作り目的説が濃厚のような気がしてくるアディである。


「急いで跡継ぎを用意する必要があるなら、男爵令嬢かなあ」


「他の王太子妃候補の方ですか?」


「ええ。多産系の男爵令嬢と、堂々とした態度の公爵令嬢。私、一番だめかも」


 二人が話していると、ほとほとと扉をたたく音がした。はい、とスーキーが答えると、扉の向こうから落ち着いた声が聞こえた。


『アデライード様、お約束のお時間でございます。ご準備は整われているでしょうか』


「はい。お待ちくださいませ」


 聞いていたアディは、あわてて立ち上がる。時間を確認すると、ルースに言われた一刻がわずかにすぎていた。


「いけない! じゃ、スーキー、行ってくるわ」


「はい。お茶を用意してお待ちしてますね」


 アディはスーキーに言うと、扇で顔を隠して部屋を出た。そこで待っていたルースに軽く頭を下げると、彼について歩き出す。


 廊下を歩きながら、ルースがため息をつくのが聞こえた。


「アデライード様」


「はい」


「私は、一刻後、と申しませんでしたか。約束を守ることは王太子妃以前に人として最低限のマナーです。今後ぜひお気をつけください」


 確かに彼の言う通りだ。時間に気づかなかったことに、アディは心から反省した。もしアディがこの場に一人だったら、ドレスの裾をからげて思い切り廊下を走っていたことだろう。


「申し訳ありません。つい、侍女と話し込んでしまいまして……」


「いい訳は結構です」


 説明をしようとしたアディの言葉を、ルースはぴしゃりと遮った。


「できるかできないか。それだけで結構です」


「でも……」


「そのような浮ついた状態では、レッスンをする価値もありませんよ。仮にも王太子妃を目指す方が、そのような軽い心構えでは困りますね。あなたは遊びにここへきているわけではないはずです。以後、よくよく自重してください」


「はい……」


 扇を持つアディの手が、ぷるぷると震える。

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