- 6 -

 幼い日、泣いていた自分に黙って花を摘んでくれた彼に心を奪われた理由は、彼女自身もいまだにわかっていない。


 ただ、彼のあの時の微笑みを、死ぬまで隣で見ていたいと思った。


 ただそれだけで、十年以上も彼を慕ってきた。彼だけを見てきた自分の気持ちを、彼女は間違いだったとは思っていない。それは、自分で決めたことだから。


 そして、彼のもとを去ると決めたのも。


 ふり向かないエレオノーラの背中に、その時のブライアンはついに声をかけることができなかった。


 ******


「自信が、なかったんだ」


 うろたえるエレオノーラを見ながら、ブライアンははっきりと言った。普段寡黙な彼には珍しいことだ。


「どれほど君が想ってくれても、俺はただの騎士だ。君のように頭もよくないし、できることといったら、この体と剣で闘うことくらい。こんな俺に、公爵家の令嬢を迎えることなどできないと思っていた。だが、君が実際にキリノアに行ってしまって……俺はようやく、自分の気持ちと向き合うことができた」


「ブライアン……」


「俺は、たとえ相手が王太子でも国王でも、君を渡すことなどできない。君を……愛している」


 エレオノーラの目が、大きく見開かれた。硬直するその白い手を、ブライアンはそっと握る。


「だから、俺は俺にできることをしようと思った。君の兄上たち三人に決闘を申し込んで、今日、そのすべてに勝利した。メイスフィール公爵には許可をもらったよ。君と結婚して俺がメイスフィール公爵家を継ぐことを、公は許してくださった」


 鬼気迫るブライアンの形相とこてんぱんにのされてしまった自分の息子たちを目の前にして、だめと言えるほどメイスフィール公爵は剛毅な人物ではなかった。


 その一方で、エレオノーラの才能をいち早く見抜き、彼女が女性であることを心から残念に思っていた公爵は、筋肉だけで動いているようなブライアンをエレオノーラがうまく後ろから操って公爵家のために動いてくれるだろうという計算もちゃっかりとしていた。


「そ、そんなこと、私は望んでは……!」


「君が望んだことだよ、エリィ」


 騎士は、うろたえるエレオノーラの手をしっかりと握った。


「今度は、俺から言おう。エレオノーラ・メイスフィール。俺と、結婚してくれ」


 真っ赤な顔で固まっていたエレオノーラは、長い沈黙のあとで震えながら言った。


「……それほど頼むなら、あ、あなたの妻になってさしあげてもよろしくてよ……?」


「ありがたい」


 するとブライアンは、ひょい、とエレオノーラの体を両手で抱き上げた。


「ちょ……!」


「執事殿、エレオノーラ・メイスフィールは、今このときを持って王宮を辞することを殿下にお伝えいただきたい」


「承知いたしました。どうぞ、お幸せに」


 黙ってその様子を見守っていたルースは、軽く頭を下げた。


 ブライアンは、まだごちゃごちゃ言っているエレオノーラを抱えて部屋を出て行ってしまう。


 残されたアディとポーレットは、唖然としたままその姿を見送った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る