- 6 -

「あら、クレム、お迎えよ」


 アディが言うと、クレムは握っていたアディの手を離して思い切り眉をしかめる。名残惜しそうにアディから離れると、さりげなく紙袋を背中に隠した。


「クレメント様! そのお顔は!」


 アディと一緒に立ち上がったクレムは、悲鳴をあげた執事から、あわてて赤くなった頬を背けた。


「なんでもない」


「ご用がありましたら、私に申し付けて下さればようございましたのに。一体、どうなされたのですか?」


「……まあ、ちょっと」


 それ以上は聞かずに、執事はにこりと笑った。


「向こうに馬車を待たせてあります。さあ、帰りましょう」


「じゃあね、クレム。その顔、早く冷やした方がいいわよ」


 これ幸いとアディも手を振る。そのアディに、ぐいとクレムはビスコティを押し付けた。


「とにかく! 王宮になんか行くな!」


「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないのよ」


「何でもだ! 王宮のメイドになるくらいなら、俺のよ……じゃなくて、俺が雇ってやる! じゃあな!」


 それだけ言うと、クレムはすたすたと背を向けて歩き出す。アディがその背を見送っていると、数歩いったところでくるりと振り向いた。


「この街から離れるなんて、絶対考えるなよ! わかったな!」


 それだけ言うと、もう後ろも見ずに行ってしまった。執事がそのあとを追う。


 二人が馬車に乗るのを見て、アディもスーキーと家に向かって歩き始めた。


「お嬢様が王宮にあがること、クレメント様にお話されたのですか?」


 歩きながら、スーキーが首をひねる。


「話したというか……つい口がすべって王宮に行くって、言っちゃったの。私が王宮へ行こうがどうしようが、クレムに反対されるようなことじゃないわよね」


 なぜクレムが反対するのか。その気持ちに気づいているスーキーは、心底彼に同情した。


「きっと、お寂しいのですよ、お嬢様がキリノアに行ってしまわれるのが」


「寂しかったら、早く結婚でもなんでもすればいいのに。彼、あんなんでも結構もてるのよね。なのにいまだに正妻もいないし、内妻ですら一人もいないのよ? もったいないわよね」


 まったくクレムの気持ちに気づいていないアディは、あっけらかんとしたものである。


 妻の他にも女性を娶ることが公に許されているこの国では、正妻はともかく、内妻は若いうちから何人か持つのが普通だった。今年十九歳になったクレムはお年頃ど真ん中なので、もう内妻くらいいてもおかしくはない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る