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 アディにからかわれたクレムは、気まずそうに視線を泳がせた。


「今日、兄上が帰ってくるんだよ」


「お兄様って……確か、王宮に勤めていらっしゃるって言ってた?」


「ああ。最近、王宮の友人とかも連れて頻繁に帰ってきてくれるんだ。もしかしたら、ロザーナの支部に配置換えになるのかもしれない」


 クレムは、年の離れた兄が大好きだった。その兄が首都キノリアにある王宮に務めているのが、彼の自慢だ。アディは、会ったこともないその兄の話を、いつも得意げに聞かされていた。


 なかなか会えなかった兄が地元に勤めるとなれば、クレムもさぞ嬉しいことだろう。


 だが、アディは別のことが気になった。


「王太子殿下のご様子は、どうなの?」


 アディが聞くと、クレムは少しだけ眉をひそめた。


「あまりよくはないらしい。兄上はなにも言わないけれど、こっちに配置換えになるのも、ひそかに王宮の人事を一新し始めたからなんじゃないかな」


 クレムがあいまいに口にしたのは、現在のキリリシア王国一番の関心事だ。


 病弱の王太子には兄弟がいない。もし王太子に何かあれば、次はそのいとこが王太子としてたつことになる。


 王太子が国王の実子ではなくその甥に代わるとなれば、王宮の勢力も大きく動く。王宮どころか、キリリシア王国全体が大騒ぎになるだろう。


 表だって話題にできることでもないので、クレムもそれ以上はその話を打ち切って、手元の袋に視線を戻した。


「これ、兄上の好物なんだよ。王宮ではいろいろ苦労しているだろうし、今日も誰か一緒に来るっていうから、用意しておいてやろうと思って」


 照れくさそうに言った少年の笑顔につられて、アディも微笑む。


 家の使用人に言えばビスコティくらい買ってきてくれるだろうが、クレムの性格上、兄のためにとは言いづらかったのだろう。それでも兄にビスコティを食べさせたくて、一人でこっそりと買いに来たに違いない。


 素直じゃないんだから、とアディは心の中でだけ言った。


「きっとそのお客様も喜ぶわ」


 ちらりとアディを見たクレムは、がさがさと紙袋からビスコティを二つ取り出した。


「やるよ。一応助けてくれた礼だ」


 アディは、目を丸くする。


「いいわよ。お兄様のでしょ?」


「たくさん買ったから。どうせお前みたいな庶民は、こんな高価な菓子、食ったことないだろう?」


 う、とアディが顔を引きつらせる。そのビスコティは、アディにとっても好物のお菓子だ。一部クレムの言ったことに異論はあるが、めったに食べられないことは否定できない。


 ぐい、とクレムはそれをアディに押し付けた。

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