第33話、愛しい人


揺らいでいる。

息止まるほどの圧倒的な闇の気配を、その背中で翼としてはためかせている。


それは、人の形をした炎の塊だった。

はっきりと、女性の姿をしていると分かるそれ。



「完なるもの。再びあいまみえることになろうとは……」


そこに、何の感情も読み取れないような、ロウの呟きが聞こえる。

完なるもの……黒い太陽、これがそうなのだろうか。

そう思いサウザンが、その燃え盛る相貌を見据えた時。




「久々のうつつ、まだ慣れぬか……ふむ」

「……っ!」


それは、唐突に言葉を発した。

ロウにも似た古風な言葉遣い。

サウザンはそれを耳にし、びしりと固まる。

何人かの声が混ぜられたような女性の声。


だが、そのうちの一つは。

聞き間違えようのない人……母、スカーレットの声を聞いたからだ。


何故、どうして?

サウザンがそう思い、ふらりとそれに近付こうとした時。




「いかん、皆の者、離れろっ!」

(サウザン様、お身体お借りします! すみません!)


ロウの警告の叫び。

心の中から聞こえる、最近知り合ったばかりの、名を持つひとりの声。

瞬間、サウザンは身体がふっと浮くような感覚を覚えて。



その途端。

フロア全体に広がるは、辺りに漂うよりも尚黒い、それの纏う気配だった。

それは鋭く尖り、細い針のようになって辺りを蜂の巣にした。



その闇の気配は、敵味方関係なく蹂躙する。

その時サウザンがかろうじて見ることができたのは、闇のカケラの乗っ取りし偽物の一人……ヒバリの姿をしたそれが、なす術もなく全身を貫かれ、のまれる姿だった。


ヒバリだったものは、声あげることなくどろりと溶け出し、闇そのものになって、その針を伝い、ロウが完なるものと呼んだ黒き翼を持つものに吸い込まれてゆく。



と、それを見ていると、すぐ近くで何かが割れるような音がした。

それは、地面からせり出し、サウザンたちを守るようにして無数の針との間に立ちはだかった金剛石の柱が、サウザンたちを守るといった役目を終えて砕ける音だった。


サウザンはそこで初めて、地(ガイアット)の名を持つ、エトラと呼ばれる少女に助けられたことに気付く。


大好きな人の身代わりとなって死んでいった人。

それは、まさにそんな彼女の意思そのものだったんだろう。


改めて辺りを見回せば、サウザンのすぐ近くにいたマリとロウは、その柱に守られ、無事のようだった。


だが、それ以外の者の姿はない。

サウザンの親しい人に化けた黒い異形たちは、その全てが取り込まれ吸い尽くされ。

それぞれと相対していたはずのハルカ、スピカ、ババロアの姿はどこにも見当たらない。



「まさか、みんなやられて……」


闇にのまれてしまったのだろうか?

そんな嫌な予感にサウザンが青ざめていたその時。

そこで初めてサウザンたちの存在に気付いたみたいに、燃え盛る視線をサウザンの方へ向けた。



「もう人間は死に絶えたとばかり思っていたがな……中々にしぶとい」

「サウザンよ! 本じゃ!」


目の前の炎の女性はそう言って、笑ったのだろう。

それに、妙な懐かしさと、蛇に睨まれた蛙のごとく、恐怖を覚えて。

サウザンが硬直していると、再びロウがそう叫んだ。

それに反射的に身体だけは動き、本を取り出す。



「……っ」


すると、どうしたことだろう。

それまで揺らぐことのない自信のようなものを沸き立たせていたそれが、一抹の動揺を見せたではないか。


ネセサリーの教本は、黒い太陽ですら恐れるもの。

そんなロウの言葉を思い出し、半ば失いかけていた戦意が浮上する。


目の前のそれを撃退できる歌(カーヴ)はないか。

サウザンはそう考えてページを開こうとして。



「懐かしい歌の匂い……それは我のものだ……返せっ!!」


発せられたその言葉には、サウザンが生涯感じたことのない怒気と、サウザンの及ぶところのない強い強い感情がこもっていて。



気付けば後一歩で触れられそうなところに、それはいた。


事実、伸ばされる炎の手。

サウザンは動けない。

永久に燃え続けるかのごとき炎の指先が、無造作に本にかかろうとして。



「はっ!」


聞こえるは、勇ましいババロアの呼気。

その炎の腕に向かって振り上げられる、黒の輪。

その輪は、残滓を残して炎の腕を切り裂く。



「受けなさいっ!」


そして今度は、その反対側から聞こえてくる、ハルカの声。

薫る一陣の風が吹き、その輪郭に鋭利な刃を持ち合わせた花吹雪が、黒き翼を持つものへと突き刺さる。


気付けば、サウザンのすぐ脇にはサウザンを守るようにしてハルカとババロアの姿があって。

二人の無事にサウザンが安堵した時、それは来た。



「邪魔だ」

「がっ!?」


いや、来たのではなく、二人の攻撃などものともしていなかったのだろう。

空間ごと切られたはずの炎の腕が無造作に再生し。

その手に振り払われ、火だるまになって吹き飛ぶババロア。


「燃え尽きろ、ゴミめ」


何の感情も含まない、だからこそ冷たい声。

呆然とするハルカに向けられるは、炎の呪印の刻まれた……ロマンティカ家の紋様の刻まれた掌。


ジジッ……。

と、何かの焼ける音がして、それの手のひらが、紋様が赤く発光して。



「ハルカさんっ!」


後ろ手に聞こえるマリの声。

大仰な刀を構え、ハルカを庇うように立つが……。



それは。

文字通りの、放たれた小さな太陽だった。

かき消されるマリとハルカの悲鳴。

サウザンに視界にかろうじて入ったのは、凄まじい爆発に弾き飛ばされる二人の姿で。



「返せぇぇっ!!」

「……っ!?」


そして。

炎の権化のその手は。

気付いたときには、サウザンの持つ本に触れていた。



「いかん! 手を離せ!」


頭に響くロウの声。

言われるがままに手を離す。

それにより炎の手に渡ったそれは。

そのまま炎の女性……ロウが完なるものと言った存在の懐に抱かれ、灰となって消えた。


一瞬、何が起きたのか理解できない。

ただただ、灰となっても愛しいものを抱えるようにしている姿が印象的で……。



             (第34話につづく)






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