第21話、For You



感情のままのその行動は、どうやら無自覚のものだったらしい。

はっと我に返ったスピカは、誰にでもこんなことするわけじゃないんだよ、なんてある意味殺し文句を口にした後、そんな自分におかしいなって照れながら首をかしげてみせて。

妙に気まずい(マリはずっと楽しそうにしていたけど)空気の中、サウザンたちはスピカに案内されてスピカの親友だというハルカの元へと向かうことにする。



先程スピカが現れた白い輪、それはいつの間にやら黒い輪になっていて。

ロウによると、それは楽具(ウェール)と領域(フィールド)が合わさってできた歌の力の結晶で、白はホワイトホール、黒はブラックホールを表わしているらしい。


サウザンにはちんぷんかんぷんだったが、ようは白い輪が出口で、黒い輪が出口なんだそうだ。

その輪にスピカが触れると、慣れたものでたちまち人が通れるほどの、虹色たゆたう空洞が生まれる。

サウザンは内心びくびくしながらそこを潜り抜けて……。




「……」

「……」


目の前に広がる光景に、改めて言葉を失う、サウザンとマリ。

そこは一言でいえば水浸しの廃墟だった。

まさしく何かが切り替わったかのように、ガラリと変わるその場の雰囲気。


恐らくその場所は、格調高いお屋敷のダンスホールか何かだったのだろう。

根こそぎ根本から切り落とされている、元はシャンデリアがあっただろう天井。

ぐるりと壁を囲む、原型を留めぬほどに破壊された、美術品、芸術品。


べろりとむけて痛々しい高そうな分厚い絨毯は、ぐねぐねと醜い皺を作り、一歩足を踏み出すごとに、水が染み出してくる。

遠目には、上階に続くだろう階段が、かろうじてあった事が分かる程度に、上から降ってきたらしい瓦礫に埋もれているのが見えた。



「そっちは塞がってて通れないよ。こっちこっち」


黒い太陽によって破壊された世界。

この光景は、それを連想させるのにふさわしいものだった。

と、ふらふらと歩きを進めていたサウザンを呼び止めるように、スピカが声をかけてくる。


その声は、この場の悲惨さを憂いている様子は微塵もない。

……いや、ないわけじゃなく、もう彼女はこの光景に慣れきってしまったのだろう。

当たり前のものと、認識しているのだろう。

弾むような足取りで、靴の濡れない乾いた足場を狙ってかけていくスピカの揺れる黒い髪(リコリスと違い、その長い髪は雷型の髪留めでまとめられている)を見ながらサウザンは、そんな事を思っていて。



「ほら、早く早く!」


手を振るスピカの脇には、確かに扉らしきものがあっただろう形跡のある、このダンスホールから別の部屋へと続くらしい道があった。

だが、そこには人ひとり通れるかどうか、といったくらいまで、瓦礫がスペースを奪っている。

スピカはそれにも気にした風もなく、軽快に瓦礫を縫って部屋の外へと消えてゆく。



「スピカさんは、ここで暮らしてたんですね」

「まぁ、わしが生きてた頃とは様相は違うじゃろうがの。少なくともこの『プレサイド』と呼ばれておった世界に、ジャスポースの世界が守られていたのは確かじゃな」


怖いものから遠ざけるように、蓋をするように。

そんなロウの言葉に、ジャスポースという世界が、どれほど平和だったのかを思い知らされるサウザンである。



「他の世界を犠牲にしてまで守りたいものでもあったのかな……」

「……」


それは独り言で、べつに誰かに問いかけたわけじゃなかったが。

それに答えるものはなく。



「何してるの? そんなとこにずっといると黒い太陽に襲われちゃうかもよ? 早くってば!」


じれったそうなスピカの、再度の催促。

それにはっと我に返るようにして、サウザンは足元のぬかるみに気をつけながらその後を追って……。




道を塞ぐ瓦礫を避けながら歩きながらのその場所は。

元はダンスホールに対する控え室などのある場所だったのだろう。

相変わらず地面の絨毯はじくじくし、道中の壁なんかは何をすればこんなに抉れるのかというくらい抉れている部分もあった。



「ふむ、何者かの歌の力によるものじゃろうな」


なんてロウのガイドのような説明を耳に流しつつ。

サウザンたちはスピカの後に続いて。


辿り着いたのは、そこだけ作り直したのか、扉とその周りの壁だけ色の違う……そんな部屋の前だった。



「ハルカちゃん、入るよ?」


その部屋にノックをして声をかけ、するりと入っていくスピカ。

少しだけ待っていると、しばらくしてスピカが顔だけだし、手招きしてくる。

サウザンたちはそれに倣って、部屋へと入った。


そこは昔、医務室か何かだったのだろう。

医務室にあるべき道具の脇に、しかし医務室にしては豪華な、天蓋つきのベッドがある。

そのベッドには、長い、カールのかかった栗色の髪の少女が、苦しそうな顔で眠っていた。


スピカが額のタオルを冷たいものへと取り替えていたが、効果はあまりないらしい。

ひどい熱というより、何だかひどく熱い場所に放り出され、その熱さに苦しんでいるようにも見える。



「全然熱が下がんないんだよ。朝になったら40度近くあって、ボクどうしたらいいか分かんなくて……」


少女を見つめたまま、苦しげなスピカの言葉。

その声色がダイレクトにサウザンの胸をうつ。



「サウザンさん」


そしてそれは、マリも同じだったのだろう。

何とかならないものかと、サウザンの声をかけてくる。



「うん。確か病気を治す歌はいくつかあったはず」


それはきっと、昔の歌い手にとっても切実なものだったからこそ、なのだろう。

そのいくつかある中から、相応しいだろうものを一つ探し出し、ページを開く。



―――【黒朝白夜】。


開かれたページに書かれていたのは、そんなタイトルだった。

ロウの解説書によると、それは物体から概念的なものまで吸い取ったり吐き出したりできるものらしい。

ようは、この力を使えば眠る少女に巣食う病魔を吸い出せる、ということなのだ。


「それじゃ、ちょっとやってみるね。二人ともちょっと下がっててくれる?」


本当に万能の力だなぁと、サウザンは内心ひとりごち、身に余るものだと再認識しつつも、サウザンは力を込め、歌を歌う。


―――めぐりまわる、すべてのもの……。


始まりの一句。

唇に乗せれば、場を支配するのは光(セザール)と闇(エクゼリオ)の唱力。

今まで触れたこともない、縁のなかったはずの唱力。

すると、目前に現れたのは鈍色の輪だった。


それは、色こそ違えど先ほど壁にあってスピカが出てきたものに似ていた。

もしかしたら同じような楽具なのかもしれない。

サウザンはそんなことを考えながらも、続く一句を口にしようとして……


異変は起こったのはすぐのことだった。

それは、二種の唱力が部屋全体に広がり、眠る少女に届いた瞬間。


突如として今まで以上に苦しみ出す少女。

文字通り、火がついたかのように。

……いや、それは比喩表現などではなく。

確かにサウザンは、その目で見たのだ。

少女の体から噴き出した炎が、少女自身を包み、焦がそうとしている様を。



「いかん、歌を止めるのじゃっ!」


頭上に響くロウの声。

それとほぼ同時にサウザンは力の発動をキャンセルし、本を閉じる。


改めて見てみれば、少女を包む炎の姿はない。

まるで幻か何かであったかのように。


だが、それが幻でも何でもないと身に染みていたのは。

眠る当の本人だったのかもしれない。

もはや少女は臨終間際のごとき様相で、苦しみ続けていたのだから。



「な、なんで? 今のは……」


万能だと思っていた本の力。

それはサウザンの思い違いだったのかもしれない。

ますます状況を悪化させてしまったことに、狼狽えることしかできなくて。

サウザンは、スピカやマリに顔を向けることができなかった。



「……この子は病気などではない。これは呪いじゃ。歌の力に反応し糧とし、憑いたものを焼き殺す呪い。【灼熱呪縛】と呼ばれる、すべての歌の力の中でも五指に入る凶悪な力じゃな」


その代わりに口を開いたのはロウだった。

その口調の中には、想定外な事への焦りと、 向ける先の分からない怒りのようなものが含まれている。


「このままではまずいぞ。身体のどこかに呪いを示す呪印が出ていれば……」

「それって、これのことっ!?」


信じられないものを見るように。

よろよろとスピカはベッドの縁まで近づいて少女の髪をかき分け、うなじに刻まれた三角架を指し示す。


サウザンの記憶を刺激する、どこかで見たことのあるような、その紋様。

黒い焦げ目のようなもの、それを目にし、びくりとロウが震えるのが分かる。


「何故それを早く言わぬ! この子の死は、もう免れんぞ。これは、そう言う呪いじゃ」


当たりどころのない悔恨の混じったロウの怒り。


「そ、そんなっ」


色を失ったスピカの声。

そのまま糸切られたかのように、放心して膝を折る。

サウザンのことを見ようともせずに。

サウザンが力を使ったせいで大変なことになってしまったのかもしれないのに、責めることもなく。


それは、余計にサウザンの心を軋ませる。

このままでいいはずがない。

サウザンは強く強く、そう思った。

諦めちゃいけない、そう思った。


歌の力込められた本。

まさしく神のごときサウザンには身の余る万能の力。

その最初の認識は正しいはずだと、きっと何か他にできることがあるだろうと。

サウザンは必死に記憶の中を泳ぐ。



そうして一つだけ。

苦しむ少女を救えるかもしれない、その歌に思い当たる。



             (第22話につづく)







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