第22話、'need love




「……師匠、【過度適合】は使えないかな?」


数百にも及ぶ、ネセサリーの教本に描かれた歌たち。

その中には、何の役にも立たなそうな、よく分からないものもあれば。

絶対使いたくないと思ってしまうようなものもあった。


【過度適合】は、どちらかと言えば後者にあたるだろう。

その力を受けたものを……自分の一部、すなわち家供(ファミリア)として取り込んでしまう力。

相手の個を奪い、従属させる、そんな力だった。

おそらく使うことはないだろう。

そう思いながらも覚えていた、そんな歌で。



「なんじゃと? いや、確かにそれならば呪いからは逃れることはできるじゃろうが……」


苦り切った、ロウの言葉。

それが、初対面にも等しいハルカという名の少女の自由を奪ってしまうだろう危険な歌だというのは、言ったサウザンにもよく分かっていたから。

ロウがそれに勝手に頷く事などできはしないことくらい、重々承知していて。

それでもサウザンは、ロウにそう聞かずにはいられなかった。


それは多分、そうする事で自分一人にかかる責任みたいなものを、少しでも減らしたい、なんて思っていたからだろうが……。



「……ハルカちゃん、助ける方法、あるの?」


座り込んでいたスピカが、はっとなって顔を上げる。

そして、涙のたまったその瞳でサウザンの事を見た。


「……っ」


この世で一番抗いがたく、切ないもの。

違うと分かっているのに、サウザンはすぐに言葉を返すことができない。


「助かる、という言葉が正しいかどうかは分からぬ。その性質の悪さは、身を焦がす炎と大差ないかもしれん。何故ならその歌は、彼女をサウザンに属するもの……サウザンの家供(ファミリア)にしてしまうということじゃからの。少なくとも彼女の意志を無視してできるような事ではないの」

「……」


その場に訪れる、重い沈黙。

ただただスピカが、サウザンの事をじっと見つめている。

サウザンはそれから目を逸らさずにいることしかできなくて。



「……でも、このままだとハルカさんは死んでしまうんですよね?」


そこで、不意に言葉を発したのは、今まで黙って動向を見守っていたマリだった。


「そうじゃな。この炎の呪いは、歌の力……唱力を取り込んで強くなる。人はいるだけで無意識にその唱力を発し、纏っておる。何もしなくてもあの炎が現実に彼女を襲うのは時間の問題じゃ」

「だったらその歌を使うべきじゃないんですか? だって、家供(ファミリア)って、リコたちのことなんですよね? 確かにリコたちはロウ様の力そのものだったのかもしれないですけど、ちゃんと自分を持ってたじゃないですか」


そうでしょう? とばかりに、マリはサウザンの方を伺う。

それ、確かにそうなのかもしれない。

サウザンはそう思ったけれど。


同時にこうも思うのだ。

その力は、他人の運命をその手中におさめるかのような行為は。

神だからこそ許されるのだと。



「お願いっ、サウザンさんっ、ハルカちゃんを助けてあげて! ボク、ハルカちゃんに生きてて欲しいんだ! ハルカちゃんの事だから怒るかもしれないけど、ボクが謝るから! ボクがわがまま言ってお願いしたってことでいいから! ルカちゃんを助けてくださいっ……」


揺らぐ朱の染みる瞳から、涙がこぼれ落ちる。

一つ二つ、とめどなく。

その様は、軋んでいたサウザンの心を、いよいよ崩し壊しかねない、耐え難いものへと発展してゆく。


その涙を止めることができなければ、自分は死んでしまうかもしれない。

それほどの衝撃を、サウザンは受けた。



「分かった……任せておいて」


だからこそ、サウザンが返す言葉の選択肢は肯定の意を示すことしかなく。


「……」


ロウは何も言わない。

それはつまり、サウザンに全てを任せる、と言うことなのだろう。

その代わりに、降りかかる責任を、彼女の人生を背負わなければならないくらいの、その覚悟をしろと。

そんな無言のメッセージにも思えて。


再びサウザンは本を開く。

示し合わせたかのように、これから歌うべきページが開かれていて。


流れ出す、速いテンポのピアノの旋律。

それは、やりやすいようにロウが気を利かせてくれたのだろう。


とりあえず後のことはいい。

ハルカという少女を助ける。

ただそれだけを思って、サウザンはその歌を口にする。



―――溶け合うその心は、共にいる事への誓いのあかし……。


溢れるほどの、愛の歌を。


―――互いを隔てる線は消え、僕らは同じになる……。


それは、呆れるほどにまっすぐな心情。


―――それは分かつ死すら共にする……。



少なくとも、今の自分が口にするのは許されないんじゃないかって、苦笑混じりに罪悪感を覚えていたサウザンだったが。


歌うことでハルカを包むのは、炎よりも赤く強い、そんな力で。

それに反応するかのように、溜まっていたものが決壊したかのように。

眠るハルカの首筋にあった炎の呪印が妖しく光り、現実のものとして噴き出してきた炎がハルカを襲い食らおうとする。


だがその時は既に歌は終わりを告げ、音の余韻が残るばかりになっていて。


その炎は、目標を失っていた。

すぐそこにハルカがいるのに、見えなくなってしまったらしい。

それはまるで生きてでもいるかのようにしばらくは探すように停滞していたが……

やがて諦めたかのか、その力を失い霞んで消えてゆく。


その場には呪印の消えたハルカの姿が残される。


ハルカ・ピアドリームという個を失ってしまった。

嫌な言い方をすれば、サウザンのものになってしまった、一人の少女が。


サウザンの心にわだかまるのは苦いもの。

申し訳ない気持ちが、サウザンの心情を支配していて……。




「……っ」


それと引き替えに、灼熱の苦しみから解放されたらしいハルカは、寝返りを打つように身じろぎする。

サウザンはそこで初めて、女の子の寝姿を、それもなかなかに扇情的なその様を注視してしまっている自分に気づかされ、慌てて視線を逸らす。


「な、なんじゃ。急に動くな、落ちるじゃろ」

「……ふふっ」


それに体勢を崩されたのか、サウザンの頭の上で尻餅をついて抗議の声を上げるロウ。

その一部始終を見ていたのか、おかしそうにマリが笑みをこぼして。

ようやくその場に広がる、安堵の空気。


そのおかげだったのかは分からないが。

寝返りを打ったことで、おそらく長かっただろう眠りから目を覚ますハルカ。


「ハルカちゃん!」

「……きゃっ! いきなり何ですの!? そうやっていつも、スピカったら」


やっぱり深い意味はなく、癖だったらしいスピカの抱きつきが寝起きのハルカに炸裂する。

それに抗議の声を上げるハルカだったけれど。

そこには確かに好意的なものが含まれていて。


お互いに笑顔。

涙を止めることができて本当によかった。


その微笑ましい姿にただただサウザンはそう思っていて……。



             (第23話につづく)






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