第23話、Family
「た、助けてもらったことは感謝しますけど! 勘違いしないでくださる? わたくしはあなた様のものになった覚えはありません事よ!」
スピカの親友、神候補の一人であるハルカ・ピアドリームは。
汗だくの寝姿を晒してしまったことが、何より恥ずかしかったのだろう。
案の定サウザンだけ叩き出され、ずいぶん時間が経って呼び出されて。
ハルカが寝ている時にあったことを話して。
開口一番サウザンに向かって発せられたのは、そんな言葉であった。
その言葉面の割には、受けた歌の弊害なのか、心内は違うだろう事があからさまに伝わってくる。
それは、かつて慣れ聞かされ続けてきた類のものと実によく似ていて、サウザンは思わず苦笑を浮かべてしまう。
「うん。分かってるよ。成り行き上仕方がなかったことだし、それできみを縛るつもりもないから。忘れて……とはいかないのかもしれないけど。別に主面するつもりもないし、気にしなくてもいいよ。ただ、我慢できないことがあった。それだけだからさ」
そして、そう言ってスピカの方を伺い見る。
ハルカがいつも通りに戻った。そんな喜びがあるのだろう。
そんなサウザンの視線に気づいて、ニコニコの笑顔でなぁに? と小首を傾げている。
「スピカさんがフォローしてくれるんでしょ?」
「あ、うんうん。ハルカちゃん、文句言っちゃだめだよっ。助けてもらったんだから気にしたらめっ!」
「いや……ええ、それは。分かってはいますけど。まぁ、サウザン様がそこまで言うのであればわたくしも気にしないようにいたしますわ」
ちょっとだけ怒る真似をして、そんなことを言うスピカに、ハルカも弱いのだろう。
しぶしぶながらも、自分がサウザンの家供(ファミリア)になってしまったことについて、納得したように頷く。
「でも、端から見てると不思議ですね。わたしには何も変わっていないように見えます」
と、そこで。
サウザンにかロウになのか、言葉通り不思議そうな顔をして、マリがそんなことを言う。
確かに、マリの言う通りだった。
炎の呪印がなくなったことを除けば、表面的には何も変わっていないように思えるし、サウザンにだけ敬称で呼ぶようになったことはあるけれど、ハルカにはハルカの自己がちゃんとあった。
もっと後味の悪い感じを想像していたサウザンとしては、それはそれで喜ばしいことではあるのだが……。
「僕にもそう見えるけど、何か変わったの? ロウ師匠?」
思えばリコリスたちだって、ロウの家供(ファミリア)ではあったけど、サウザンたちと何ら変わるところはなかった。
ロウも、個々のプライベートを重視するかのように、あまり関与していない節があって。
だとするなら違うと認識するその意味はなんなのか。
当然気になるところだろう。
「何、よほどの傍若無人な主でも持たぬ限り、そうは変わるまい。だがお互いの違いがないわけでもない。一番大きな違いは、おぬしらはもう分かっているとは思うが、主、すなわちサウザンが命失うようなことがあれば、ハルカはその生を持続できない、ということじゃろうな」
消えたリコリスたち。
ジャスポースの世界の人々。
目の前にロウがいるからいまいち実感は沸かないが。
消えてしまった彼女たちの事を考えると、それは間違いないのだろう。
「……えっとその、頑張って迷惑かけないようにするよ」
「それこそ、お気になさらなくて結構よ。一度失ったかもしれない命ですもの。それくらいの覚悟は当にできています」
変わらないように見えても、見えないところで切れない鎖のようなものができてしまったのは確かで。
反射的に申し訳なく思い頭を下げると、ハルカは柔らかく微笑み、そんな言葉を返してくれる。
「だいじょぶ、ボクが『さーちゃん』のことを守ってあげるから!」
「ふふ、頼もしいね」
そこに続くのは、ほほえましい、スピカのそんな言葉。
いつの間にやらあだ名プラスちゃん付けに昇格しているのがおかしくて。
サウザンも自然と笑みになりつつも。
今はまだ、なかなか難しいかもしれないけれど。
スピカはリコリスじゃない。
スピカに失礼にならないためにも、その事をちゃんと認識しなければいけない。
その時サウザンが内心で思ったのは、そんなことで……。
「あの……一つ、気になることがあるんですけど」
今度はロウにか、あるいはハルカに対してか、相互に見やりながら再び問いかけてきたのは、マリだった。
「どうかしまして?」
なにやら考え事をしているらしいロウに代わり、ハルカがそれに答える。
「呪いってことは、誰かにかけられたってことですよね? ハルカさんをこんな目に合わせた人がいるってことですよね?」
「あ、そっか」
少しばかり低い音域のマリの言葉に、言われて初めて気付いたとばかりに相槌を打つスピカ。
「心当たりとかある? 例えば、誰かの恨みかってたりとか」
「人聞きの悪いこと言わないでくださいます? そのようなことなどあるわけ……」
ない、と否定しかけて、何やら思い出すかのように考え事をするハルカ。
「あるの? ハルカちゃん」
「ありませんって! あ、いえ、そうではなくてですね、言われて思い出したのですが、急な熱に浮かされて意識を失うその寸前に、妙なものを見た気がするんです」
「妙なもの?」
「ええ、赤い髪の……いえ、あれは人の形をした炎だったと思いますけれど」
スピカの冗談なのか本気なのか分からない言葉にちょっとだけムキになって反論しようとして首を振り、続いた言葉は。
サウザンが今の今まで考えようともしなかった嫌な予感……どう表現したらいいのかサウザン自身でも分からないそれを刺激するものだった。
どうしてそんな風に思うのだろう?
その言葉に相槌を打ちながら答えを求め深く考えようとして。
「炎の形代……か。その背中に翼はなかったか?」
突然口を開いたのは、一言発してからなにやら重いだんまりを決め込んでいたロウだった。
ハルカはそれを受け、しばし考える仕草をしてみせ、顔を上げる。
「いえ。そこまではちょっと……」
「……」
眉を寄せて首を振るハルカに、ロウはさらに重い無言で返す。
何かをいいあぐね、躊躇いでもするかのように。
それは何故か。
サウザンがその答えに行き着かんとするまさにその瞬間。
ロウは再び口を開いた。
「それは、スカーレット・ロマンティカの家供(ファミリア)じゃろう」
この旅の向かう先を、大きく波立たせる、その一言を。
「え? 師匠、一体、何を言って……」
今までありえないことが怒涛のように押し寄せてきていてなお、この期に及んでの信じがたいロウの言葉。
その言葉を意味する所はつまり、スカーレットがハルカの事を呪い殺そうとした犯人だと言っているようなもので。
それが受け容れ難いことであるのは、明確だったが。
しかし。
サウザンが返した言葉には、当初のような混乱も驚愕も恐怖も、あまり含まれてはいなかった。
それは、あまりにも色々なことが起こりすぎて、そういうこともあるかもしれないと、感覚が麻痺してしまっているのも、一因していただろう。
「そう言うおぬしが一番分かっていたはずじゃろう? ハルカの首筋につけられた呪印、それが炎(ロマンティカ)を表わす紋様であることを」
でも、それより何より、ロウから発せられたその言葉に思うほどの拒否反応がでなかったのは。
ロウがそう続ける通りに、サウザン自身が一番分かっていたからなのかもしれない。
あれは、ロマンティカ家のものしか使えない『歌』なのだと、気付いていて。
その事を今まで考えようともしなかったのは。
信じたくないことへの、せめてもの抵抗だったのかもしれない。
「どうして? どうしてスカーレットさんが、そんな事を? ガーベラさんだって一緒にいるはずなのに」
サウザンが何も言えないでいると、代わりに聞くべきことを代弁してくれたのはマリだった。
その疑問は、当然の帰結だったのだろう。
仮にスカーレットにそれをしなければならない、何かサウザンたちの思いもよらない理由があったとして。
ガーベラは、その時何をしていたのか、と。
「流石にそこまでは。本人に直接会って聞かねばならぬであろうな。予測はつくが、所詮は予測じゃ。あてにはならん」
だが、ロウから返ってきたのは、ある意味当然の、身も蓋もないそんな言葉で。
断定できることでないのならば、それを聞いても栓のないことなのだろう。
その場に何とも言えぬ重い雰囲気が漂う。
特に、サウザンの落ち込みようはひどかった。
もう、何を信じたらいいのかすら、分からなくなってくるほどに。
と、そんなサウザンの重い心情を察したのか。
その場の重い空気を振り払うように、朗らかに言葉を発したのは、スピカだった。
「んー、でもさぁ、ガーベラさんたち、言ってたよ? 何かあったら、さーちゃんに助けてもらってって。そしたらほんとに、ハルカちゃんはさーちゃんに助けてもらったじゃん」
それをした理由は分からないけれど、結果だけ見ればハルカはサウザンの持つ、ネセサリーの教本の力で……歌の力で助かっている。
だから、それほど気に病むことじゃない。
スピカはその言葉で、そんな事を言いたかったんだろう。
「たまたまそうなった、結果論じゃがの。サウザンに少しでもその気がなければ、どうなっていたことか」
それは。
ロウがそう言うように、結果論なんだろう。
サウザンが成り行きとはいえ、外に出ようとしなければ、ロウの話を聞かなければ、取り返しのつかないことになっていたのは確かで。
「でも……ちゃんとさーちゃんはここにいて、ハルカちゃんのこと助けてくれたじゃん。ガーベラさんたち、そんなさーちゃんのこと、わかってたんじゃないの?」
その気があったからこそ、ハルカがこうしてここにいるのも紛れもない現実なわけで。
「かといって、人の命を奪いかねん呪炎を植えつけていい理由にはならんがな」
結局は何故そんな事をしたのか。
そんな疑問に立ち返ってくる。
「むぅ、それはそうだけどぉ」
「やけにスカーレットたちの肩を持つのだな。おぬしは、友を殺されかけたというのに」
「だって、ボクに親切にしてくれたもん。あのふたりがそんなことするなんて、きっとどうしようもない理由があったんだよ」
きっとそれは、直接二人に会ったからこそのスピカの言葉なのだろう。
サウザンには、そんなスピカの気持ちが、よく分かった。
ほぼ確定的な証拠が提示されても、二人が自身の本意でハルカを傷つけるような真似をするはずがないと、やっぱり一番分かっていたのは、サウザンだったのかもしれない。
だからこそ、混乱する。
一体、何故? と。
「わたくしも、この子の言いたいこと、分かりますわ。あれには害意も敵意もなかった。……でなければ、甘んじてそれを受けることも、なかったでしょうし」
「そうなるとやっぱり何か深いわけがあるってことですよね」
スピカを助けるような、当の被害者であるはずのハルカの言葉。
それに賛同の意を示すマリ。
それに、頭の上から呆れたようなロウのため息が響いてくる。
その中には、呆れ意外に悪くない感情も混じっていて。
「……だそうだぞ。しからばなんとする、サウザン・ロマンティカよ」
それが何なのか知るよりも早く、ロウがそんな事を聞いてきたから。
「どっちにしろ姉さんたちに追いつかなきゃいけないんだと思う。結局、目的は最初から変わってないけど」
返したのは、終始一貫して変わらない、そんな言葉で。
当然それに異論を唱えるものなど、あるはずもなくて……。
(第24話につづく)
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