第16話、歌になろう



そこでふいに聞こえてきたのは……伴奏のついた歌声だった。

しかもそれは一人のものではなく。

何人ものまだ見ぬ歌い手が、ひとつの音と言葉を繰り返していて。


それは、この世界では知られていないはずのもの。

あるはずのないものだったのに。



「なぁっ!? こ、これはっ、どうしてッ!?」


突然、目の前にいたディコが、悲鳴のような驚愕の叫びを洩らした。

さっきまであった余裕さは微塵もなく、小刻みに震えている。

そんなディコの表情を占めるのは恐怖、だろうか?

そこに哀しみと後ろめたさ、そしてほんの僅かな……喜びのようなものが含まれているように、サウザンには見えて。



(……ん?)


背中すぐ近くが騒がしいほどに明るくなっていることに気付く。

見ると、旅の道具の詰まったリュックが、透けるほどに強い光を発しているのが分かった。


慌てて降ろし中身を見やれば、そこには激しい点滅を繰り返す、『ネセサリーの教本』がある。

サウザンは半ば無意識のままに。

導かれるままにそれを手に取り、ページを開く。

一際明るい光を発している、そのページを。


果たしてそのページに書かれていたのは。

サウザン自身がお気に入りとしてクラス展示に使った歌(カーヴ)のその詩があった。


―――【太極魂奏】。


それが、タイトルらしき冒頭に書かれている。

それに続く譜面を、なぞるように目で追って。

サウザンはあることに気付かされた。


突然流れ出した伴奏と歌声。

それが、サウザンの開いたページに書かれている歌の演奏である、ということを。


そのことに気付いた瞬間。

サウザンを支配するのは、とてつもない衝動だった。


それは、歌を歌えるということへの喜びで。

この歌は、黒い太陽ですら汚すことのできない強いものであると。

その時のサウザンはもう確信を持っていた。


だから……。

その力あるまじないを口にしようとした、まさにその時。



「違う、違うのッ! ユルシテェェッ!!」


サウザンの昂ぶる気持ちを打ち払うかのようにディコが絶叫した。

しかも様子がおかしい。


それは、ディコの声であってディコの声じゃなかった。

まるで別人がディコの口を操って喋っているかのような、そんな違和感がある。



「……えっ!?」


歌を歌えなかったこと。

名残惜しいままにサウザンは顔を上げて、ぎょっとなる。


そこには、もうディコはいなかった。

ぐにゃぐにゃと粘土のようにその姿を変え、蠕動している黒い塊がそこにある。



「今じゃサウザン、滅せよ!」


すると、さっきまでの歌……その前奏を流していただろうロウが、中空の闇からそう叫んだ。



「え? ど、どうやって!」

「ヒイィィッ!」


急に言われても、何をすればいいかも分からすまごまごしていると。

元ディコだった黒いもの……黒い太陽のカケラは、魂消るような声を上げ、地面にわだかまる闇に染み入るようにして消えてしまった。

その場に訪れる、深い深い静寂。



「……ふむ。逃げられたか。まぁ、いた仕方あるまい。当初の目的を達成できただけでも、よしとするかの」


それを破ったのは、何かを考え込んでいるかのような、そんなロウの言葉で。



「黒い太陽のカケラって、あんなのもいるんだ……」


人の形、しかも親しい者の姿をしていた黒い太陽のカケラ。

震えくるような憎悪と殺意をぶつけてきたのが本物のディコじゃなくてよかったという気持ちと、人の心の隙をつくような仕打ちに、力が抜けてサウザンはへたり込む。



「そうじゃな。久しくは見なかったが……。完なるものめ、やはり力を増しているようじゃ」


そして、そんなサウザンに追い討ちをかけるようにして、重々しいロウの呟きが届いてくる。



「……早くマリさんを看てあげなきゃ」

「うむ、そうじゃな」


それを振り払うようにサウザンはもっともな事を口にする。

ロウも、そのことにはすぐに頷いて。



「せっかくの機会じゃ、サウザンよ。『ネセサリーの教本』を、使いこなしてみせよ」


唐突にそんな事を言ってくる。


「え? 使うって……?」


先程、ディコの偽物を追い払った時の力。

この世界では黒い太陽と同じく、禁忌とされているもの。

すなわち歌の力を使う、ということなのだろう。


不安と好奇心、恐怖と喜びがないまぜになった、そんな複雑な表情で。

サウザンはロウの言葉を反芻する。



「何、心配するな。先程も話したろう。歌とは、人間が生き抜くために進化し、身につけた力じゃ。ゆえに黒い太陽はそれに憎悪し、あるいは自らの罪に恐怖を覚える。だが、歌は人間の味方じゃ。そして万能の力でもある。この教本の中に、その子の傷を治す効果のあるものもあるじゃろう」

「でも、それは……」


ほとんどもう、神のような力ではないかとサウザンは思う。

ロウか、あるいはガーベラが使うならともかく、自分がそれを使うことに、サウザンはどうしても違和感があった。


「まぁ、躊躇うのも別に構わぬがな。おそらく彼女は不意打ちを受けたたのだろう。怪我の箇所は頭だ。うかつに動かすこともままならぬじゃろう。……おぬしが、それらをものともしない医療の技術を持っていると言うのならば話は別じゃがの。こんな世界を敵にした力を使うよりマシじゃろうて?」


すると。

ロウは脅すかのように、それでいてどこか拗ねたように、そんな事を言う。

そう言われれば、当然サウザンにはその力を使うこと意外の選択肢は残されていなかった。


自分がふさわしくないとか考えてる場合ではないのだ。

できることがあるのなら、やってみるべきだろうと。


「分かった。やってみるよ、師匠。それで、マリさんを助けるには、どれを使えばいいの?」


先程のように都合よく、使いたい歌のページが光っているわけでもなかったから。

すぐさま頭を切り替えて、サウザンはそんな事を聞いてみる。

すると、ロウはそれに頷いて、


「本当は旅立ちの前に一通り覚えてもらうつもりじゃったんじゃがの、今日はサービスじゃ。23ページを開くがよい」


まさしく師匠と弟子のごとく、そんな事を言う。

サウザンは言われるままにそのページを開いて。

そして、そのページに書かれていた歌の表題へと目を向ける。



「ええっと」

「【美操稲佐】じゃ。豊穣の女神の神具を呼び出す……楽具(ウェール)タイプの力じゃな」

「え? 楽具って、歌の力だったんですか?」

「その通りじゃ。もっとも、ジャスポースの世界に暮らすものの持つ楽具は、黒い太陽に気取られぬようにそのほとんどが歌の力がこもっていない代物じゃがの。……いや、こんなことを悠長に話している場合ではなかったの。時間もないことじゃし、百聞は一見にしかずじゃ」


ロウの言う通り、話の腰を折っている暇はない。

サウザンはその言葉に頷き、示されたページに書かれた譜面を凝視する。



「あ、これ歌なしなら知ってる曲だ……」

「ならば話は早い。その歌声、存分に披露するがよいぞ」


教えるという割には、サウザンがいきなりそれを初見で歌えることを疑わないようなロウのセリフ。

確かに、ダメだと言われながらも歌うことのイメージトレーニングはずっとしてきた。


知っている曲ならば、歌う自信がないわけじゃない。

もしかしたら、そのことをロウは知っているのかもしれない。


何せ、この世界の神なのだから。

どうも手のひらで踊らされているというか、流されてりような気はしなくもなかったけれど。

マリが助かるのなら、そんな事は些細なことだった。


サウザンは一通り詩に目を通すと、それを繰り返し反芻しながら瞳を閉じる。

すると、それに合わせてくれたのか、パソコンの機能がまだ残っているのか、ロウの身体からギターの音色が流れてくる。



―――美しく咲く、豊穣の女神よ……。



初めはサウザン自身も半信半疑だったが。

初めの一句を口にすることで、ネセサリーの教本が淡い緑に光り出し、その光は広がってサウザンの身体を包む。



―――変わらぬ日々に、黄昏思う……。



それは、木(ピアドリーム)の唱力だった。

火(ロマンティカ)の唱力ばかりに触れていたサウザンにとっては、あまり縁のなかったもの。


だがそんな事は過去のことであるかのように、その優しい萌芽の力がサウザンの身体と心に馴染んでいく。



―――偽りはいらない。ただ愛を欲する。心打ち抜くほどの、その力で……。



おそらく、ロウの流すそのメロディは、サウザンがその歌を完成させるための補助みたいなものなのだろう。

初めて歌うとは思えないくらいに、気分よくサウザンは歌い終えることができて。




「……え?」


その余韻も冷めやらぬうちに、今まで持っていたはずの本とは違う、別のものの感触が手のひらにある。

目を開けると、そこには全てが黄金色をした弓矢が握られていた。

サウザンは、その事に驚いて。



「う、うわぁっ!?」


いつの間にか勝手に番えていた左手を離してしまう。


ヒュッ!

真っ直ぐ飛んでゆく金色の矢。

その先には、倒れ伏すマリの姿がある。

思わず悲鳴をあげてサウザンは飛び出そうとして、それをロウに止められる。



トスッ。

寸分違わず、その矢がマリに命中したのはその瞬間で。

一瞬眼前が真っ暗になるような恐怖に襲われるサウザン。

自分はなんてことを、そんな後悔がせり上がって時……それは起こった。


マリに刺さったはずの矢が、消えている。

代わりに現れたのは、今さっきまでサウザンを包んでいた、優しく暖かい……いい香りのする緑色の光だった。


サウザンは、それを呆けたように見つめるしかなくて……。



            (第17話につづく)





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